イタリア語で歌う世俗カンタータ
陣内麻友美
イタリア語でCantare(カンターレ=歌う)を語源に持つカンタータは、器楽を伴う声楽曲として16世紀末にイタリアで生まれ、17世紀以降、バロック時代のドイツで宗教曲として発展しました。この分野で数多くの名作を生み出してきたのが、ドイツの大作曲家J.S.バッハ(1685−1750)です。
1714年、バッハはドイツの都市ワイマール(ヴァイマル)で楽師長に昇進、月に1曲のカンタータを作曲、上演しました。さらに1723年にはライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(教会音楽の指導者)に就任し、日曜日の礼拝に合わせて年間50~60曲のカンタータを作曲、ほぼ毎週上演するという驚異的な活動を重ねました。
バッハは晩年、同時代のイタリアの作曲家ペルゴレージ(1710-1736)の名曲「スターバト・マーテル」を聴いて、あまりにも斬新な作曲技法に度肝を抜かれ、後にこれをドイツ語の歌詞にして編曲しています。忙しい日々の中、常に新しいものに目を向け、死ぬまで音楽の挑戦を続けていたのだと思います。
200曲の<教会カンタータ>で知られるバッハですが、宗教的な題材によらない<世俗カンタータ>を約20曲作っています。本日演奏する「悲しみのいかなるかを知らず」(BWV209)も、1734年頃に作曲された別れをテーマとする世俗カンタータで、バッハとしては珍しくイタリア語で歌われます。
私は2014年に、コーヒー好きの娘と、それを何とかやめさせようとする父親のやり取りを描く「コーヒーカンタータ」、今年1月には、農夫と村娘が新しい領主をほめたたえる「農民カンタータ」を上演しました。どちらもユーモアにあふれる世俗カンタータで、音楽にはたくさんの舞曲が登場し、バッハの楽しい人間性を垣間見ることができました。BWV209は別れのカンタータですので、ユーモアのある内容ではありませんが、音楽は躍動感にあふれ、3拍子の舞曲で快活に締めくくられます。
曲は5つの部分からなり、器楽のみの生き生きとしたシンフォニアで始まります。続く2曲目はレチタティーヴォ(語りの部分)で、友と別れる悲しみが語られ、3曲目のアリアでは見送る者の悲しみとともに故郷での活躍を期待する気持ちを歌います。ドイツ南部の都市アンスバッハへの旅立ちが語られる4曲目のレチタティーヴォに続き、5曲目のアリアでは、出発する者には穏やかな風が待ち受け、船では満ち足りて歌うだろう、と励ましの言葉をかけます。
「主役、脇役はない。すべてのパート、すべての音、一音一音に意味があり、そのからみ合いで物語が進み、会話をしながら展開していく。小説のようなものだ」。私の師匠でヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の宇田川貞夫氏の言葉です。
本日演奏する209番も、楽譜を読んでいくと新しい発見がたくさんあり、「バッハはすごい、やればやるほど面白い。そしてその探検に終わりはない」とあらためて実感します。アルス室内合奏団の皆さん、そしてフルート独奏の吉田玲子さんとからみ合いながら、それぞれの対話と対比を表現していきたいと思っています。
-------------------------------------------------------------------------------
芥川也寸志(1925−1989)
■トリプティーク(弦楽オーケストラのための)
芥川也寸志は1925年、文豪・芥川龍之介の三男としてこの世に生を受けた。父は2歳の頃自殺で世を去るが、幼少の也寸志は父の遺品のレコードを聴き、ストラヴィンスキーなどロシアの音楽に傾倒した。芥川は後年、「ストラヴィンスキーというのはちょっと格別なんですよ、ぼくにとっては」と語り、1954年には、当時国交のなかった旧ソ連への単身不法入国という冒険じみたことまでしてしまう。この渡航で芥川はショスタコーヴィチなどの旧ソ連の作曲家の薫陶を受け、半年後、日本に帰国した。
出発点から一流の作曲家となるまで、旧ソ連の音楽に魅了され続けた芥川はその影響を強く受け、それは、いきいきと躍動するリズム感に現れる。これはストラヴィンスキーやショスタコーヴィッチ、さらには芥川の日本での師、伊福部昭にも共通して現れる特徴だ。
こうした特徴は、今回演奏する「トリプティーク」にも現れている。そこに、伊福部の影響が濃く出たメロディーや、さまざまな特殊技巧も織り交ぜられ、他にはない独特の世界が生まれている。
第1楽章 力強い急楽章。総奏による躍動的な第1主題が、半音階的進行を特徴とする第2主題を交えつつロンド的に展開する。メロディは変化に富むが、低音のリズム型は最初の総奏の勢いを全く減衰させず最後まで走り抜ける。序盤に現れるヴァイオリンソロはこの曲屈指の聞きどころ。
第2楽章 5拍子の子守唄。叙情的な緩徐楽章である。すべての楽器が弱音器をつけて演奏され、途中には楽器本体を手で叩く「Knock the body」の特殊技法が用いられる。
第3楽章 変拍子が特徴の急楽章。祭り囃子の太鼓のような変拍子の第1主題と、踊り狂うような第2主題、そして静かにまどろむようなアダージョの中間部による3部形式。弓の木の部分で弦を叩く「コル・レーニョ」が効果的に用いられる。最後は中間部でまどろむようだったアダージョを鮮やかに強奏で回想し、駆け込むようなユニゾンで曲を閉じる。
(Vn.工藤)
D.ショスタコーヴィッチ(1906-1975)/ルドルフ・バルシャイ編
■室内交響曲Op.110a(弦楽四重奏曲第8番ハ短調)
ソビエトの作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴィッチは1960年に旧東ドイツのドレスデンを訪れました。第2次大戦中の空襲下、ドイツ青年がソ連軍の協力の元に美術品を救い出す様を描いた映画「五日五夜」の音楽作曲のためです。しかしその地で、まだ戦争の爪痕が残る街並みや、戦火を逃れ生き抜いた人々の証言から強い印象を受けたショスタコーヴィッチは、当時のソ連体制賛美を担う映画音楽づくりに取り掛かる気力は起こらず、この弦楽四重奏曲をたった3日で完成させたと言われています。
曲は、冒頭から作曲家のドイツ名のイニシャルを音になぞらえた[DSCH音型]*を多用し、その音型の間に、自分の愛する作品のモティーフを次々と引用していきます。引用には深い悲しみや死者への鎮魂を連想させる主題が多く含まれており、彼の共産党入党が決定的となったころの作品であることや、友人宛ての書簡などから、失意のどん底で自ら命を絶とうとしたショスタコーヴィッチが、自身へのレクイエムとして作曲した自伝的な作品と言われています。作曲家の指示により、1楽章から5楽章まで連続して演奏されます。
第1楽章 チェロ、ベースの[DSCH]音型に始まり、他のパートにも受け継がれていきます。さまざまな音域の[DSCH]音型が重なり合うことにより、不思議な広がりと調和を感じさせます。
第2楽章 攻撃的で荒々しく始まるこの楽章は、「ドナドナ」に代表されるユダヤ民族音楽の音階を用いた魂の叫びにも似た旋律(「ピアノ三重奏曲第2番」からの引用)と、ピチカート(弦を指ではじく奏法)の連打による打楽器的な伴奏により最高潮を迎えます。
第3楽章 [DSCH]音型が軽妙なワルツとなって現れます。「チェロ協奏曲第1番」の冒頭部分が引用された後、ヴァイオリンが美しくも怪しげな半音階を反復する中で、チェロが何かをためらうような旋律を奏で、再び前半のワルツが再現されます。
第4楽章 静けさを破る強烈な3音の繰り返しにより始まります。強い恐怖や不安をかきたてるこの3音には、当時のソ連国家保安委員会(KGB)がドアを叩く音であるという説や、ドレスデン空爆の爆発音、ワーグナー「ジークフリートの葬送行進曲」からの引用など、複数の解釈があります。ロシアの革命歌の引用を経て、曲調は次第に和らぎ、自作オペラ「マクベス夫人」の美しいアリアがチェロによって奏でられます。
第5楽章 [DSCH]音型が静かに奏でられ、第1楽章が再現されます。憂鬱で重苦しい雰囲気のまま終焉に向かい、沈黙によって閉じられます。
*Dmitri Schostakovich[ドイツ音名でD-S(Es)-C-H=レ-ミ(♭)-ド-シ]から。
(Vla.田鍬)