北海道の襟裳岬の近くにある浦河町は、今や「べてるの家」のある町として全国にその名を馳せている。浦河赤十字病院の精神科を退院した人々とソーシャルワーカーの向谷地生良さん達がはじめた「べてるの家」は、日高昆布の販売やおむつの配達、病院の清掃や食器洗い、配膳、そしてビデオや本の出版など多彩に活動を広げ、年商は一億円を超えた。全国から見学者も相次ぎ過疎の町を元気づける存在となっている。
この「べてるの家」の商売は、「安心してサボれる会社つくり」「利益のないところを大切に」を合言葉にした経営方針。調子の悪い人、長時間労働できない人、みんな自己申告制で仕事に従事している。さまざまなトラブルを起こしつつ、地域の中に、そして全国に「べてるの家」ファンを増やしているのだ。
しかしここに到達するまでの向谷地さんの仕事と経験は、並大抵のものではなかったはず。向谷地さんは、ミスターべてると呼ばれる早坂潔さんと共同生活をはじめた当初、早坂さん達に振り回され、落ち込んで自分で自分の収拾がつかなくなった経験をもつ。しかしその時「もしかしたら早坂さんも、こういう風に、自分のことを自分自身で受けとめられず混乱しているのかもしれない」と気がついたという。そして「しめしめ、よしよしという気持ちになって」はじめて彼らと対等につきあうことができるようになったのだそうだ。
「べてるの家」から発信された「非」援助という考え方は、全くなにもしない援助ではなく、人と人との対等な関係を取り戻すこと、それを支援していくこと、という意味のようである。病気は病気として認め、完治させることを目指すのではなくて、人として生きることを取り戻すこと、また自分を大事にできるようになること、それが大切にされているのだと思う。時間をかけた辛抱強い丁寧な見守り、時期を逃さない注意深い励ましが、本当は彼らを支えているのだろう。
浦河赤十字病院精神科の川村敏明医師は、「医療者として大事なことの一つは、自分が無力であり限界があることを知っていること」という。治療者はむやみに手を出さない。「べてるの家」では「三度の飯よりミーティング」と当事者が互いに話しあいをすることで自分自身を発見し取り戻していっている。全国各地の講演会では、川村医師や向谷地さんも講演をするが、当事者達も自分の言葉で自分の病気の話を発表する。
さらに、年に一度の幻聴&妄想大会では、それぞれの幻聴や妄想を発表しグランプリを競うのだ。決して病気がなおったわけではないけれど、ユーモアのある言葉でそれらが報告されるのは、これまでのイメージをひっくり返した快挙だったといえる。
浦河べてるの家著『べてるの家の「非」援助論』(2002年 医学書院)、同『べてるの家の「当事者研究」』(2005年 医学書院)、そしてルポライター横川和夫著『降りていく行き方―「べてるの家」が歩む、もうひとつの道』(2003年 太郎次郎社)等、一読されることをお勧めしたい。 (いずれも京都市図書館にあります)
(谷内)