『べてるの家の「当事者研究」』
著者 浦河べてるの家 医学書院2005.2.20
浦河で「当事者研究」がはじまったのは2001年からという。(おそらく「当事者研究」という命名は、上野千鶴子の「当事者主権」という言葉が世に出たあと、この本のためにつけたのでしょう。)いつも爆発をかかえている河崎くんに「一緒に“河崎寛”とのつきあい方と爆発の研究をしないか」ともちかけたのは病院ソーシャルワーカーの向谷地(むかいやち)さん。知的好奇心の強い河崎くんがそれにのり、「当事者研究」がはじまったのだという。今では多くの当事者研究が積み重ねられて、立派な本になり、本はあっというまに重版され、全国各地の会議や講演会で発表が行われ、べてるの家のメンバーたちは、これまで以上に日本中の専門家を唸らせている。
べてるの家の支援体制は、本人がなんらかの壁にぶつかったときに横から手を出してそれを取り除いてあげる、といういわゆる「援助」ではなく、本人そのものを信じてどっしりと見守ることで(ただし危機には充分に力を貸す)本人が安心して「自分らしい苦労」と向き合うことを応援する“助けない助け方”「非援助の援助」を旨としている。具体的には、認める(自分が無力であることを認めること)信じる(人を信じること、場を信じること)任せる(流れに任せること、自分を委ねてみること)という援助方法である。
こうして、当事者たちは、医療機関や援助者に、自分のしんどさを丸投げすることから脱却し、自分の苦労の主人公になり、生きる主体性を取り戻すのである。それは、病気がなおることではなくて、病気をとらえ直し、受け入れ、病気とうまく付き合う方法を考え、社会や人とのつきあい方の練習を自分自身ではじめることになる。それは決して一人で孤立してするのではなく、できるものでもない。いつもそばに寄り添う人がいて、聞いてくれる人と仲間がいて、はじめて可能なこと。
「当事者研究」と命名されているが、当事者による「当事者研究」のプロセスは、まさにスタッフの「非援助の援助」の方針のもと、「研究」と称する作業の中で自分の病気と向き合い、仲間と話し合いを重ね、自然に「人とのつながりを回復」させていくプロセスそのものである。
この「当事者研究」のエッセンスは、①〈問題〉と人との、切り離し作業(この作業によって「爆発を繰り返す○○さん」から「爆発を止めたいと思っても止まらない苦労を抱えている○○さん」という理解にかわり当事者ばかりでなく、まわりの関係者にとっても重要な作業となる)②自己病名をつける(医学的な病名ではなくて自分にぴったりの名前をつけることで苦労を自分のものにする重要なプロセス)③苦労のパターン・プロセス・構造の解明(症状の起こり方、引き起こされる行為、苦しい状態への陥り方には必ず規則性があり反復の構造があり、それを仲間と共に解明し、図式化、イラスト、ロールプレイなどで視覚化する)④自分の助け方や守り方の具体的な方法を考え場面をつくって練習する(起きてくる苦労への自己対処の方法を考え練習するが、もっとも大切なことは自分を助ける役は専門家や仲間ではなく「自分自身」であること)⑤結果の検証(研究ノートに記録、実践したあと、結果を検証し、「良かったところ」「さらに良くする点」を仲間を共有し次の研究と実践につなげ、ユニークなアイデアは「べてるスキルバンク」に登録し仲間に公開する。)こうして、この本では、摂食障害、児童虐待、浪費からのサバイバル者や、幻覚・幻聴・被害妄想等の探求、人間関係からの逃亡、爆発、自己虐待の研究と実に様々な当事者の当事者による問題の整理と研究が紹介されている。それらはそれも人をぐんぐん引き込む作業だし、圧倒される雄弁さだ。まさに当事者たちが語り始めた「今」という時代にマッチした研究とその発表だったと思う。これだけでも充分目から鱗の連続であるが、それにもまして私達を引きつけるのは、この浦河べてる家の二十年来の活動の火付け役であり推進力である浦河赤十字病院精神科医師の川村敏明氏とソーシャルワーカーの向谷地生良氏の言葉の数々である。「わきまえとしての「治せない医者」」という川村医師は「何をすべきで何をしちゃいけないのか」「熱意を出すばかりでなく少し立場を引いてみる」「医師が患者に見捨てられたくないと依存している状態、その依存関係から一歩ひくこと」「川村先生のおかげで良くなったというイメージよりもべてるの早坂さんと話をしたら楽になりました、というほうが好き」「駄目にみえる患者さんを相手にしていると、自分がほんとうに「いい人」「いい医者」であるように錯覚してしまう。そういう意味では精神科というのは危ないところです」「病気には大切な安全装置みたいな意味をもった部分があります。病気になってはいけない、という否定的なとらえ方にもとづいた治療方法は人間の存在を妙な形でコントロールするものになるのではないか」「医療者として大事なことの一つは自分が無力なこと、限界があることを知ること」「無口な精神病患者というのは、医者に何かいうと薬を出されて、薬でぐたっとした状態になってしまうとわかっているからものを言わなくなる、そういう環境に適応しただけ」「医者にだけ礼をいうような治療は治療ではない、医者と薬しかみえてない、治療という一本の糸でしか患者さんが社会とつながっていない、そんなことでは実際に社会にでて暮らせるわけがない」「暴れたら誰かが助けてくれる、抑えてくれる、そういう関係性でやっていると遠慮なく、思いっきり激しく暴れてしまう」「精神病の人は、自分で自分を助ける方法を見つけられる、これがべてるが長い間かけて見つけたことの一つです」「べてるは聖地でもなんでもありませんし、変れたちしたら、それはその人たちの実践です」「べてるは、つねに不十分です。わたしたちがやってきたのはいわば期待を裏切ることの歴史です。昔は浦河という町の期待を裏切り、いまは世間の期待を裏切っています。それはとりもなおさずわたしたちの力の限界がいつもある、ということです」向谷地さんに至っては「わたしはこの仕事に人生をかけない、やりがいや生き甲斐を求めない、ということを自分のわきまえとして堂々ともっています」「重傷の急患さんのために奔走したあと、その患者さんが亡くなって家族が廊下で泣いている、そのすぐ裏の控え室で医療者が感じる一抹の充実感と高揚感はまさに医療界の禁断の木の実です、非常に怖い世界だという感覚がずっとあります」「実はあなたごの関係にわたしは寄りかからない、という“わきまえ”があるかないかが、その人との関係を決めてしまうのではないかと感じています。この感覚は、自立ということの根本です。ある関係に寄りかかってしまうと、自分は他人のために何かできているか、どんな役割を果たしているか、それがうまくいっているかいないか、そういうことで自分や相手の存在が重くなったり軽くなったりしてしまう。そういうことではなく、お互いが微妙な自立の雰囲気をもちながら、きちんとお互いを必要として、特別に意図しないで助け合う。その程度の関係が、いちばんみんなの力を出しやすいのではないでしょうか」「みんなが寄りかかっていないんです。たまたまうまくいっていることや、いわゆる成功だとかいうことに。」「いまべてるは脚光を浴びていますが、べてるでも多くの仲間が亡くなりました。感じているのは、倒れていった人たちがたくさんいるという現実の積み重ね、その重みの中にいまはある、という感覚です。」「いまわたしが感じている希望、これは絶望の裏返しです。(どう努力しても仕事が三分しか続かない、お互いにあきらめてその三分を受け入れた、そのときに三分がものすごい可能性をもってみえてくる)絶望の三分間に価値をみいだすことによって得てきた希望ですから」「最近心は体そのものである、と感じるようになっています。温泉に一緒に入った訪問看護婦さんの身体的ケアはトータルなケアだと思います。」「人を生かすも殺すも「関係」で、しかもその関係の心地よさは精神ではなくて身体にある。その関係のなかで自分が体で感じた心地よさを伝え合うという感覚を、とくに看護学生さんたちには教育課程で教えていくべきだ思います。」「もっともつらいとき、もっとも困難なときに、何に出会うのか。誰に会うのか。その出会いは、ポジテイブな体験でなくてはならないんです。」「人間は、元来、多様で複雑です。歪みも含めて、そのいろいろな部分を受け容れていく。有り体に言ってしまえば「割り切ってしまう」ことが重要なんだと思う。」「べてるの“成長モデル”においては、三分が十分になったり、一時間になったりはしない。三分という絶対的な限界、このみすぼらしいと思ってきたことそのものに可能性がある、ということを共有することです。このセンスは慢性疾患モデルの基本でしょうし、看護にもソーシャルワークにも、いま非常に必要とされる感覚だと思います。」
支援者は常に危うい場所にいる。感謝されるとそのまま受け取ってしまいがちです。でもそれは大変危険なこと。いつも畏れを忘れずにいたいと思う。
さて、べてるの当事者たちの何人かは、権利擁護事業を使っている。「統合“質”調症・難治性月末金欠型」の坂さんも利用者さんのようである。とりあえずは「権利予後事業というお金の自己管理を助けるサービス」を使ってやりくりしているそう。彼が一番大変だったのは、金欠が落ち着いたころだったらしい。毎日金策で明け暮れていたのが嘘にようになくなり、気持ちに“暇”ができて持て余してしまったのだそうである。また「統合失調症・体感幻覚暴走型」の臼田さんも利用者の一人。彼は幻覚の中の「いくめさん」への対処法として寝る前に彼女の好物を置いておくのだそうだが、経費がかかり、そのやりくりのために権利擁護事業を利用しているとのこと。浦河市は全国的にみても権利擁護事業の利用者が多い市であり、全社協の研修でも、べてるの当事者たちが講演を行ったことがあるときくが、こういうメンバーの家に支援員として訪問することになったら、さぞかしべてるのスタッフやほかのメンバーたちとも濃いおつきあいができるんだろうなあ、と半ばうらやましい想いがする。しかし実際には、どんなに大変だろうとも思うし、うまく非援助の援助が実践できるのだろうかとも思う。
べてるの家の当事者研究のキャッチフレーズは「自分自身で、共に」。ふりかえって支援者のひとりちとして、彼らを認め信じ任せる支援ができているのかどうか、かなりの反省を強いられた読後であった。