元気を共有する。
私が言わなくても自然に子供達はやっている。
その元気の源は好奇心なのかパワフルなのか私にはわからない。
でもお互いが元気だという事は大事な対話である。
そういう会話ができれば
それは愛である。
だから子供達はそういう機会を持っている。
他人と元気を共有する会話ができる。
例え障害者であろうと
元気でいたい。
そういう意味で他人と元気を共有できるのだ。
子供は屈託がない。
もしかしたらそういう事を自然と知っているのかもしれない。
神からの授かりものである。
元気出してやろう。
そういうやりとりが私には神々しくみえる。
やはりそういうやりとりも愛だからだと思う。
//2014/11/12
新規作成