親戚の叔母と話しているうちに
母親の生き方は
現実にそくして生きろという事だった。
私の大学生活ももっといい人生があったと母は思っていた。
それが私の父と母の口論の元だった。
いまだに
世間のせいで私は困っている。
父は数年前には
大阪府高槻市に住んだのは間違いだったと言っていた。
日教組のやった事は
ただのお荷物を作って私を困らしているだけである。
私以外の立派な人がいたら
私はもっと違った人生を歩んでいた。
だけど
母親の現実はそういうものでは無かった事を示している。
もっと違った人生があった事を示している。
いつまで
そんな不満を私が聞かなあかんのか理解できない。
結局立派な奴を育ててナンボである。
私の場合反面教師でしかない。
こんな奴になったらあかん。それだけである。
そんなんを教育なんていったら
学校いらない。
もっとプラス思考で教育せなあかん。
そういう意味で日教組はおかしい。
政治でどうにかしたいのも私には良くわかる。
もっと立派な奴育てる精神が必要である。
日教組のやる事はただのツジツマあわせである。
そんな精神いらない。
着実に積み重ねて発展していく精神こそ大事である。
神経ねじれた複雑な人間なんてタコである。
骨太の精神こそ大事である。
いつまでそんな低能な先生でいれるのか私には理解できない。
そらあ政治でどうにかしたいのも私にはわかる気がする。
//追伸20141214
結局私のやってきた事考えたら
世間の解はあっても私の解は無い。
私の事はおいてけぼりに話は進んでいる。
そういう意味で私はまだまだ現実にそくしていない。
母親の無念が私の無念である。
おかしいがおかしいにならないあたりが
先生方の頭らしい。そういう風に私はこころえている。
//2014/12/14
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