私の子供時代は
妻をもらって子供と一緒に暮らすんだろうなあみたいな
漠然としたおもいはあった。
それが突然不可能になったら
それはそれでショックである。
お坊さんが女をかついで川を渡るより問題である。
でも私は40歳で
あんまり妻と子供が当たり前にならなくなっている。
人生そんなもんだとおもえばそんなもんである。
当たり前も時を過ぎれば変わってくる。
家庭環境も影響するだろうが
自分がそれを良しとすればそれが当たり前になる。
だから人それぞれ
当たり前は異なる。
要は私は何を選択するかである。
人生を満足するのは妻や子供だけでない。
私の母は
健康な子供をもうけるのは当たり前として心配しなくていいと言っていた。
そういう所からすると
すごく一般的な事なんだろうと思っている。
でもそれが出来ないのは
つらいことかもしれない。
結局私は何を当たり前とするかにかかっている。
一緒にいれて良かったと思えれば
それでいい気も私はする。
40歳にもなって私的には
私自身が見てくれが悪い。
なのにかわいいとか美人な女がついてくる気もしない。
四六時中ちゃんと会話が成立して物事が進めば
私は安心する。
独自のアラビアンナイトのような物語をする女性とかも
全然問題無い。
そういう意味で会話自体が
私自身相手する女も男もかわらなくなっている。
何か仕事すればするほど
論理的に話してくれないと困るたちなので
女も男も同じように話すようになってしまった。
お互い仕事ができないと
女も男も私は困る。
そういう意味で私自身クールになっている気もする。
//2014/12/15
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