競争に最初から逃げないで立ち向かう。
最初から逃げると後々大変である。
競争自体から離れてさらにもっと遊んで楽しんでいるぐらいが悟りの心境である。
STAP細胞事件もそういうエンターテイメントが無いのが悪循環の始まりである。
大体の線を追及できなかったのも大きな要因だけど
もうちょっと愉快で楽しい仲間たちであったら
こんな事にならなかった気もする。
本質に迫れなかったのは
本質を目指そうとする愉快さが共有出来なかったせいのような
気がする。
科学データの誤差をどう処理するかは
本質が見えていないと不可能である。
結果的に本質に迫れなかったから
私が言っているのかもしれないが
それも歴史のなせる技である。
結局歴史がものがたるようになってしまう。
それでも本質に迫る愉快さは競争の先にある。
だから競争してても面白い人が出てくる。
面白いものでどの世界の競争もデメリットとメリットがある。
簡単だから競争がはげしいというのもある。
難しいから結果が出るのに時間がかかるというのもある。
私は最初から競争しないのは
どんどん自分を追い込むと思う。
そういう意味で立ち向かう勇気も必要である。
そして最後は神が作った自然が決める。
私たちはその自然がなぜそうなのかは解釈不能である。
自然に自然法則がある。
それに支えられて科学がある。
//2015/03/24 start
男と女の違いがあっても
仕事上の評価は同じである。
仕事をすれば男であれ女であれ競争相手である。
ただ私は障害者なので
評価してもらえない方である。
いつまでこんなけったいな身分でいないといけないのか理解できないが
社会から信頼されていない事だけは確かである。
だから女の方がまだ
信頼される。
私はもっと底辺で生活している。
そんな状態を平気でいる世の中である。
医者も官僚も政治家も同罪である。
仕事で評価されるなら
もっと男とか女とか違うとかいうより
実現可能なドリームのように思う。
なので男だろうが女だろうが
実現可能なドリームを持ててるのかが大事である。
私の場合
それをホームページで実現している。
だから
あんまり私のホームページは
男とか女とか関係無い。
そう思っている。
//2015/03/24 end
//2015/05/22 start
本人が出来すぎて困る事は無い。
むしろ出来無くて世の中が困っている。
なんでこんなに不公平なのかと言われても
私はどうしようもない。
私は私でやってきたからである。
神がそうしているとしか答えられない。
特にそんな事を考える余裕も無い。
私自身他人を心配するヒマがあったら自分の心配をした方が
いい状況にある。
そういうわけで
私とは何かという事で私の事をホームページにした。
私に出来る事は唯一ホームページで語った。
競争社会の中で
世の中が出来無くて困っているから
私がアプローチした。
一体世の中はチャンと競争しているのか聞きたいぐらいだ。
無益な競争をしているようにしか感じ無い。
自己実現するには
競争に勝つ事も必要である。
だからドンドン挑戦すればいい。
大体自分が勝っているか負けているかぐらいはわかる。
他人が何言おうと自分が勝っていると思えばそれでいい。
それを自分が負けているのに他人のせいにするなんて敗者の論理である。
そんな事考えるヒマあったら
挑戦し続ける事である。
私はそう思う。
短歌しるす
↓↓↓
/*苦しみは*/
/*引きずるものよ*/
/*覚悟して*/
/*引き受けるまで*/
/*なくなりはせぬ*/
//2015/-5/22 end
//2015/02/22
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