出来ない事が課題と戦略になる。
私にとってそういう転機の代表格は
九九とパソコンである。
そして究極は大学の哲学の授業である。
パソコンも哲学も単位をとれなかった。
でもどうにかしたかった。
パソコンの授業はキーボードの1分100文字がクリアできなかった。
結局自分は親にパソコン買ってもらって
日記書いた。そうしたらそんなに難しい事では無くなった。
哲学の授業は
毎日同じ授業にしか聞こえなかった。
テーマは「私とは何か」である。
友達に聞いたら哲学科の人が真面目に試験やってたと聞いて
そんなものにも才能があるんだと思った。
大学の修士終了後
ファイマン先生の本を読んでたら
ファイマン先生も人文の先生が毎日同じ事言っているように
聞こえたらしい。
私だけではないんだとちょっと安心した。
九九は結構てこずった。
割り算とかも地域ごとに記入が違った。
初めて自分で勉強する機会がそこで生じた。
自分でやろうと思うのは
やっぱり出来るようになりたいからだ。
そういう意味で出来ないことも課題と戦略次第で幸福がおとずれる。
人間そんなもんである。
//2014/11/21 追記
私は英語だけ修士課程終了後も
勉強方法に悩んでた。
もしかして英語に苦労する将来のために勉強した。
そういう意味で後ろ向きな学習だった。
私としては高校受験の感覚を大学受験にも同じように感覚を持ちたかった。
それは達成できたように思う。
そういう経験もまた自分にプラスになる。
だってそんなに嫌だったものでも隠れて勉強できるからである。
そんなにへこんだ科目も勉強できるんだから怖いものはない。
外国語は何回も繰り返す必要がある。
そのうち慣れる。
そういう繰り返しなのだが
どういうような繰り返す習慣を持つかが大事である。
そうやって得た習慣と経験は
他の分野でも使える。だから出来ないことも幸福をもたらす原因にもなる。
幸福とはプラス思考だけでない。私はそう思う。
//2014/11/21 end
//2014/11/20
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