私の愛と幸福論

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私がこんな事するなんて全然頭に無かったけど
空振り三振のつもりで
大振りします。

レッツゴー!!!

//2014/11/12 追記
愛を知って幸福を知って他人を知れば
子供たちは何の問題も起こさない。そう私は信じています。
//2014/11/12 end

//2014/12/05 追記
他人の人生を楽だなんて言うのは
言ってる本人が楽だ。

私自身そんなに楽になっていない。
そんな苦労もわからずして
どうやって会話が成り立つのか理解できない。
毎日会話は成立していない。

楽をしようとしているから
私は困ってしまう。
もっと自分でどうにかせんと
私の状況は良くならない。

困ったものである。
//2014/12/05 end


//2014/11/29 追記
愛を持って幸福を持って他人と相互作用して
その中で
「あはあは、頑張っちゃいま〜す!にゃはにゃは。」と思わせる内容が
私の結論です。
//2014/11/29 end


愛とは


・おもいを形にする

私にとって
短歌や俳句が実験になった。
他人との会話も勉強である。

・風情を楽しむ心

どうしても
きっかけは
家族である。
私にとって母と父が機会を設けたことが
私の財産になっているそう思っている。
旅行もしたし会話や話もそうである。


・気づかう礼儀

子供が通る登竜門である。
そこから
人間関係を学ぶ。
礼儀があるから
ものが申せるところもある。

・大事なプレゼント

気持ちのあるプレゼントってのも
よくある話である。

・互いの健康を願う

家族とはこういうものではないか
と思う。
家族の基本のような気がする。













・王道
謀略術数で一点突破できるのも
大切かもしれないが
私の場合は
気分的に王道を歩むである。
学歴社会の影響も父から受けたというより
私がこんな学歴だから父は親として
子供に対してそういう対応をしていると思う。
私がもっと違った学歴なら
また別の対応をしているように思う。
それと私の学歴にもまた違った王道があった
ような気もする。

私は常にそういう王道を私の中で心配している。
それを理解せずに
私の話は理解できない。
なんでこんなに悩むのかといったら
私が王道を進む道をのぞんでいるからである。
いかなる事があっても私は王道をのぞんでいる。
それが私の本心である。

・女の災い
女を除いて何事も順調である。
女の災いには閉口する。
いつまでこんな不毛な議論を続けるのか
理解できない。
貧乏神が貧乏な事言っている。
それで私と何の関係があるのか理解できない。

私自身ほほえましい生き方がしたい。
なのに幻聴の女はストレスのかたまりである。
一体どう間違ったらそうなるのか理解できない。

何か視界にもはいらない女が
頑張っているようにしか思えない。
もうちょっと他の事で頑張ってからに
した方がいい気もする。
何か無駄な努力しているようにしか感じ無い。
それで頑張っていると言われても
あきれてものも言え無い。

どうしてそんな無駄な時間を使うのか
私には不思議で仕方ない。

そんな事する時間があったら
他にもやる事あるだろう。

結局目の前の損得だけでしか判断していない。

そんな人にもっと努力しろと言った所で
努力しない。
それを私がどうしろと言うのか理解できない。

何か文句タラタラである。





・教育論
我が子の大事さを認識出来無いで
子供の大事さなんてわかりようがない。
本当にくだらない教育論なんて
役立たずである。

私も同じである。
いくら教育論を叫んでも
当の子供が成長しなければ意味が無い。

そういう認識が教育者に無いのが
腹立たしい。

そしてチャンと当事者の子供と
向き合えるかである。
ごまかして不安にさせてほったらかす。
そういう世間が私には許せない。
だからせめて我が子だけは
チャンと向き合って
とことんまで付き合ってやろうと思う。

・健康的な展望
人間の望みなんて
占いのように叶わない。
叶えるというより叶うのような気がする。
そういう意味では内的要因と外的要因が
かみあわさなければ
叶わない。
読書するとかだったら
いつか叶う。
私としてはそれでいい気がする。
他人の望みが叶わない。
そんなものを気にする暇あったら
自分の方を気にする。
他人の望みをかなえてやりたいなんて
本当にその他人が好きでなければありえない。
そんな好かれる自分なのか考えた方が
良さそうである。

だから
ありえる事を考えればありえるし
ありえない事を考えればありえない。
私としては科学にのかった方がありえる気がする。

なので私はありえない話を聞くのは御免である。
時間の無駄にしか思えない。
占いもそういう意味で
似たようなものかもしれない。
ありえる話をしたいのは
人間の心理として当然のように私は思う。
それが私を勉強にかりたてる。
極めて健康的な心理だと思う。

・賢い女の分水嶺
私の勝手な判断かもしれないが
一応言っとく。
自分の興味のあって集中できる事に
他人の話を聞けるか聞けないかが
賢い女とバカな女の分水嶺である。
大概それで判断できる。
多分私の勝手な判断である事を祈る。
仮に私のホームページを
見ることにやめれないのは
バカの女の典型である。
それが私の見てきた女である。

・難しい話
いろんな世界も
いろんな人が必要である。
難しい話を評価するのも
その典型である。
決して一つだけの個性だけが
必要にならない。
スパースターはいる。
そういう人がマレという典型である。
ありえない人がスーパースター何だと思う。
それもいろんな人がいるから
成立する話である。

・男のプライド
男のプライドって
強者や弱者には無いのではないかと思う。
弱者にいたってはプライドを誇示するほど
物事を言う場合で無い状況だし
強者だってそんな自分のやる事なんて
たいしたもんで無いと思うぐらい
我々の世界は広いからである。
狭い世界で活躍している人だけが
男のプライドを語るように思う。
だからプライドを持ってやる事自体が
強者や弱者には不可能な気がする。
なのに宙ぶらりんな奴が騒いでいるのだけど
その宙ぶらりんな奴が私は強者だとか
私は弱者だとか言って
他人を困らせているようにしか感じない。
本当に迷惑な話である。




幸福とは

・楽しいを運転する

発想の源は楽しいを運転することである。
それが出来て
哲学や芸術が爆発する。
そういう経験が無いから
発想が浮かばない。
それはそれで悲しい話である。
そういう経験を私は
何回もした。
それはそれで武器である。


・思い込みも自分にする

そういう覚悟もして
はじめて信用される。
あんまり他人のせいにするものでもない。

自分がうけあうことも大事である。



・かわりになる物を作ったり探す

これは母親の発想である。
おもちゃで母親がひねり出した答えである。
何も同じものだけが取り柄でない。
違うものでも自分の発想で楽しめる。
それはそれで一つの考え方である。

・動機も発想につながる

これは私の実話である。
永久機関により
エネルギー保存則を疑問に思った動機が
相対論における温度の5次元目を私にうながした。
これは新しいエネルギー保存則を生み出す。

今のところ振り返ってみて
これで私は疑問を解消出来る気がしない。
そういうチャンスを偶然
私の動機がもたらした結果である。















・大学入試論
大学受験で運命はかわらない。
勉強できるかできないかぐらいしかない。
だって高校数学より数学は多岐にわたる。
物理もしかり
化学もしかり
特に現代科学は大学に入学してからでないと
わからない。
それで大学入試試験をやるのだから
勉強できるかできないか聞いているぐらいである。

なので大学入試で成功したからといって
人生に成功はしない。

大学入学した後の行動も大事である。

何で私なんかがこんな事を言わなあかんのか
文句たらたらである。
それも大学入試試験の功罪である。

・四十代の私
私が活躍するより
私が持っているものを与え
他人が活躍する方に重点がいっている。
それが四十代の仕事のように思う。
私はやる事をやった。
惰性で生きている。
歴史的遺産みたいな感じである。
それを感じてもらうために生きている。

つまりあなたにも出来る事を証明するために
生きている。
それを出来るだけ多くの機会を持てるのが
私の使命である。

・幸福論
人間の最大の幸福は
人間が言った事が現実になることである。
その人間は幸福でも周りは
苦しいだけかもしれない。
そんな人間になるには
可能性を追求することである。
それでこそ現実に近づく方法である。
深層心理が現実になるということは
それだけ可能性を追求した結果である。
だけどそれを現実のものとするかは
未来永劫解決しない。
何でかうまくいくけどそれは神のみぞ知る
それが私の自然観である。
それが複数なのか単一なのか
それも神のみぞ知るである。
だから私は私のやる事をやった。
そう思っている。
後は神にゆだねる。

・正しさ
「100%正しい人間はいない。」と言ってのける女が
結婚できるのか私には理解できない。
男にとって正しいとは挑戦した先を意味する。
正しい導きがある事を信じて正しさに挑戦する。

私だったら子供に対しても
いつか正しいこたえを見つけるだろうと思って
子供に接する。
妻だって同じである。
それを100%正しい人間はいないと
言ってのけるそんな奴のために挑戦なんてしない。
バカバカしいの一言に尽きる。

だからこんな手前
話をすればありえるかありえないかぐらい
判断はつくのである。

真面目に生きれば
アテになるような話ぐらい出来る。

若者には是非そういう人生を歩んでもらいたい。
私もボチボチやりたい。

正しさは大事である。
それぞれが追い求めるべきである。
政治家だけが正しさが必要なのではない。
科学者の真面目さを理解してくれなくて
プログラムの正確さも理解できない。
真面目だから面白いのである。
不真面目で面白いのはふざけてるだけである。
それを区別出来ないのは
教育の失敗である。

・管理
何が愛があって何が愛が無いのか
判別すら出来ない状態である。
カギをこじあけて悪さする。
それって悪意ある犯罪である。
それが愛なのだから私には
理解できないところである。
器物損壊しても犯罪にならない。
一体どういう施設なのかみちしる沼津でも
そういう事が起こる。
犯罪しても犯罪にならない。
結局自分のものを近くに置いて管理している。
社会は愛が存在しない。
自衛隊もしかり
それで平和を国民が推進できるのか理解出来ない。
愛の無い人が頑張っても
無理なんだねとしか思え無い。
社会に愛があるのかそれを問いたい。
それがなければ自衛隊が活動しても平和にならない。

・仕事の対応
仕事して円満に終えるには
何事も受け入れる所が無いと
不可能である。
何事も受け入れるからには
それだけ全体が見える知識が必要である。
冷静さも必要だ。
普通にやってれば仕事できるような人間だからこそ
何事も受け入れる所がなければ
普通に仕事ができない。

それが出来ないから私はいつも困ってしまう。
悲しい社会である。
たんたんと仕事出来るはずなのに
お互い攻撃しあっている。
何事も拒否しているからそうなるのである。
そうじゃない何事も受け入れるぐらいの
知識と冷静さが必要なのである。

弱者と強者
強者に男のプライドが無いのは
他にも原因がある。たくさんやればやるほど
当たり前にやれるからである。
何でも普通にやってしまう。
それってアクションにそれほど負荷がかからないほど
アクションを繰り返している結果である。
多分弱者には理解してもらえない所だと思う。
でも普通弱者はそんな事に悩む状況に無い。
多分そういう事に悩む人は弱者じゃあ無い。
私も弱者の一員だからわかる。
弱者とは誰にも理解されない状況下にある。
弱者にとって強者だろうが誰だろうが
理解してもらえない悩みこそが弱者である。
弱者にとって強者が問題なわけでない。
弱者としては誰にとっても問題なのである。
素粒子がエネルギーが高いため
マクロ(巨視的)とミクロ(微視的)のように
私も似たような所があるように思う。
あんまり弱者と強者はもめないのが普通な気がする。
それがもめているなら明らかに
弱者でも強者でも無い気がする。



他人との相互作用とは


・待つこと

私の場合
ほっとくかな。
あんまり他人に振り回されたくないので
信用ならない時は
相手にせずほっとくである。


・応えること

仕事の時に強く思う。
それが自分の為にもなる気がする。
ただ環境を変えるのも
ある意味手段かもしれない。
自分の知らない世界もあるし
そこらへんのバランスが難しい。

・他人に言われて気づく

私にも例外もなくある。
そういう意味ではいい機会である。

・伝えること

私もそれなり苦労している。
でもそれも一つ一つ
階段を上がるもののような気がする。
要は経験である。



・他人との位置関係

//2014/12/08 追記
なんか偉そうな話とか
なんか神になったみたいな話とか
する前に
やるべき事はたくさんある。
偉そうとか神みたいとかは
私は避けたい。
えてしてピエロである。
せめて本人が確信を持って偉そうとか神みたいとかならわかる。
本人が確信を持てる努力をせずして
偉そうとか神みたいなんてありえない。
偉そうで神みたいなのに整合がとれないのは
確信を持てる努力が足らない証拠である。
私はそこまでやろうとは思わない。
何も絶対でなくても
過去未来現在の最善の説明ぐらいはできる。
一個人としていろんな事を模索したい。
そういう人間である。
//2014/12/08 end

会話
最低のレベルが個々で違う。
だからと言ってみんな同じにする必要がない。
それに気づかないために話ししても通じない。
私は私のレベルで話するまでである。
私はみんなレベルが違うそう観念している。
だから当然私のレベルで満足できる事を
目指している。
私は何も他人のレベルで満足することはない。
それは他人にとっても同じである。
私のレベルより他人のレベルで満足することが
大事である。
だから他人は私にとってどうでもいい。

私の事を考えるという事は
私の満足を考えるという事であり
他人の事を考えるとは
他人の満足を考える事である。

私自身は私のペースでやる事を
こころがけている。
それをさまたげる相手は嫌いである。
したがって幻聴の主は特に嫌いである。
他人の満足より自分の満足で
他人を見る事自体バカバカしいとしか
言いようがない。
他人は他人である。
そういう会話が成り立たないのが
私には情けない話にしか聞こえない。





・後の先
剣道で「後の先」という言葉を
高校生の時に知った。
小説を読んでて書かれてあった。
相手が攻撃をしかける直前に
攻撃するというものである。

私が人生でこの言葉で役に立った事は無い。
ただ先手必勝という事
ではなさそうだみたいな所はある。
神経を使っていれば
適切に相手の動きから制する事が
出来るという事である。

もしかしたらサッカーとかでも
使えるかもしれない。
相手が攻撃する時に
攻撃し返すという
つばめ返しみたいな戦略である。

あてにならない世の中
人間割り切れば何とかなるもんだなと
私自身不思議な気持ちである。
そんな踏ん切りがつけば
どこまでもやっていけるものである。
そんな妙な自信があるのはある。
そんな瀬戸際に追いやられた結果である。
電磁波に催眠術に仕事である。
普通の人だって不安になるだろう。
それを私は経験したからである。

私が頼りにするのは本だけである。

それだけでやっていける。
どんなに追い詰められても
本さえあれば何とかなる。

他は何にも頼りにならない。
そういう社会を私は生きてきた。

それが私の現実である。

・社会
社会につながらなくても
色んな事が出来る。
本人の中身と社会は別問題である。
社会なんて関係なく中身は充実できる。
私が言うんだから間違いない。
だから社会なんてクソくらいである。

・我が問い
自分は何がやりたいのかという問いがある。
それが私の推進力になっている。
きっと何がやりたいかわかれば
結果は出ると思っている。
それまでがそうだったからである。
その問いが見つかるまで
知識の吸収しかない。

・弱者の宿命
私には色々電磁波で体の不調をうったえても
誰も聞いてくれない。
これって人権侵害なのではないかと思う。
私には市民権がない。
理由は統合失調症だから
そんなの当たり前だと言われる。
なら私のプログラムと物理と仕事は
一体どうなんだと言いたい。
都合のいい事しか聞かない。
それでなんで基本的人権が守られているのか
理解できない。
生存権の逸脱である。
それがまともな意見も
聞いてくれない弱者の宿命なのである。

・他人と私
いくらなんでも私と同じ人はいないだろう。
万人が万人違う。
私自身短歌に俳句に物理にホームページに
英語にドイツ語にプログラムが
他人にとって全て同じになんかなんない。
比較するなら私より良い所をあげた方が
いいのではないかと思う。
私より悪い所ばっかり見ているから変になる。
悪い所は直せばいい。
それより他の良い所を見た方がいい。
そういう気概が無ければ生きていけない。
それが自然だと思う。

・短歌

正しさは
私の中に
常にある
それが無ければ
生きていけない   行有

正しさは
勇気無ければ
求まらず
世間をよそに
お馬が通る     行有

なるように
過ごすものなら
今がある
古今東西
ひかるものなら   行有

語らひし
手段もちゐて
使へれば
いかなる世にも
忘れんものか     行有

自然こそ
知られていない
ヒミツある
この世の中を
いきているなり    行有

歩いたら
おもひはめぐる
道中に
つきないうちは
人生かしら      行有

一日の
リズムのための
仕事こそ
のどもとすぎて
勉強かしら      行有


参考の
ニュースにならず
つまらない
わかかりし頃
おもひもつかぬ    行有

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