例会に初めて参加される方へ

大阪大学歴史教育研究会事務局

当研究会の月例会に初めて参加される方は、予想と違った会の内容に、しばしばとまどいを表明されます。あらかじめ誤解を避け、有益な質疑討論をおこなうために、以下をお読みのうえでご参加いただければ幸いです。

【高校・予備校教員の皆さんへ】

大阪大学歴史教育研究会の目標は、「古い内容の」「入試以外に目的の示されない」「暗記一本槍の」歴史教育にかえて、「現代世界の状況と現在の歴史学の水準をふまえて」「因果関係や意味・背景がわかる」「面白く、生きていくうえで必要な」歴史教育を実現することにあります。そこで教えられる歴史は、現代市民の良識・判断能力や異文化コミュニケーション能力などを含む、歴史的思考力の涵養に資するものでなければなりません。もちろん具体的な年代、事項や用語なしで歴史を教えることはできませんが、出てくる年代や用語の大半を暗記してからでなければ歴史的思考力が身につかないと考えるのは、いかにも非科学的です。こうした観点から当研究会ではこれまでも、(1)教員に向けた、各分野の研究成果や考え方のコンパクトかつ正確な解説、(2)それを教育現場に応用できるようにするための、従来の理解や教え方ではなぜいけないのかを中心としたQ&Aや、授業内容の紹介、「ネタづくり」などをおこなってきました。

歴史教育における教育方法の重要さは言うまでもありませんが、文学部史学系を主な舞台として設立された当研究会は、狭義の教科教育法についての研究会ではありません(もちろん地歴科の受験指導法の研究会でもありません)。当研究会で扱われるのは、最新の教科書を(教科書で)教える場合に教員に求められる知識・理解や視点・考え方です。それをもとにして生徒にどう教えるか(教えないか)は、参加された教員に委ねられています。したがって、新しい研究成果の解説を初めて聞く高校教員から出されがちな、「われわれはいまでも時間が足りなくて困っているのに、そんな新しくて難しい事柄をどうやって教えろというのだ」という反発は、当研究会の守備範囲の外にあります。ただし当研究会では、これまでの歴史教育に、今日では意味を失った古い事項が大量に残されていること、新しい内容を教科書に導入しようとする研究者が、全体のバランスを考えずに自分の分野ばかりむやみに詳しくしてしまう傾向などを、深刻な問題ととらえています。全体を見回してスクラップアンドビルドを進めること、語句や事項の重要度を(教科書頻度などという無意味な指標でなく、21世紀に必要な内容として)階層分けして示すことなどは、当研究会の重要課題です。

「学界でそれが新しい常識だったとしても、これまでと大幅に違った教え方をしたら生徒がとまどう」というご意見も、当研究会では歓迎されません。学問の進歩によって教科書が書き換えられた際に、「それでは生徒がとまどう」という反応が理系科目で出るでしょうか。たしかに古い教科書や入試問題はなくなっていないし、多くの生徒が中学までに古い勉強法を刷り込まれていることも無視できません。それにしても、世界史そのものは高校で初めて習う科目で、なにを教えても生徒には新しいはずです。あえて挑発的に言えば、新しい内容でとまどうのは生徒ではなく、古い理解や教え方になじんだ先生方ではありませんか?

21世紀を生きる生徒たちに必要な素養を考えたとき、歴史の教育内容も大幅に変えざるをえません。それを面倒だと考えたら、苦痛でしかないでしょう。そうでなく、先生方にも新しい歴史学の成果を面白がりながら、新しい授業をしていただきたい、そのための材料を提供しよう、これが当研究会の精神です。

【大学教員・専門研究者の皆さんへ】

狭義の教科教育法の研究会ではないことのもうひとつの意味は、当研究会で扱う歴史教育は高校教育(または初等・中等教育)だけに限られないということです。極端に多様化した現行の中等教育のカリキュラムが単純化され、週休が1日制に戻されて授業時間が増加したとしても、以前は存在しなかった科目の出現、各科目の内容の複雑化・高度化などから見て、かつてのように「全員が世界史・日本史・地理をまんべんなく勉強する」しくみへの全面復帰は不可能でしょう。とすれば、すべての若者に歴史の素養が不可欠だと信じる大学教員・研究者は、その教育の一部を大学で引き受けねばなりません。それは、従来おこなわれていた「ランダムな専門研究の例示」とも、純粋な「未履修者への補習」とも違った内容をもたねばならないはずです。研究者志望の大学院生やポスドク研究者には、それに備えた意識的な訓練が必要です。

教員養成の観点からも、世界史・日本史や歴史学全体についての高度な概論抜きで断片的な特殊講義ばかり履修させられた学生が、自分で勉強して広くバランスの取れた授業のできる高校歴史教員になることを期待するのは、すぐれた教科書と概説書さえ書けば現場で良い授業ができるはずだと考えるのに劣らず、現実離れした態度ではないでしょうか。ちなみに当研究会では、20世紀末以降の新しい歴史学に立脚しようとしていますので、ランケ、マルクスとウエーバー、トインビーとE.H.カーなどの理念の紹介に終始する「ヨーロッパ思想史の授業」が、21世紀になお「史学概論」と呼ぶに値するとは考えません。今後求められるのは、(1)非欧米世界に十分な比重をあたえ、世界史と日本史を統合した、しかも(2)歴史学の主要なテーマ・領域や方法を可能な限り網羅したような概論や入門書だというのが、西洋史学の教員も含めた当研究会の考えです。

もともと当研究会は、専門研究者が一方的な上から下への講義をおこなう場ではありません。研究者の報告に対する高校教員や編集者の幅広い質問と「突っ込み」、そこから巻き起こる双方向の討議と「異文化コミュニケーション」は、大学の教養教育や教職課程の授業を考える材料にもなるはずです。専門研究者(とくに大学院生などの若手)にとってそうした議論は、自分の研究を歴史学全体にどう位置づけるか、研究の現代的意義をどこに求めるかといった、研究そのものに必須な省察へとつながるでしょう。当研究会はあくまで、双方向の高大連携によって、高校・大学双方の歴史教育の刷新を目ざすものです。

以上のご説明から、当研究会での専門研究者による報告・解説は、通常の学会・研究会での個別テーマに関する研究発表とは違うことがご理解いただけるはずです。問題になるのは「一次史料による実証」ではなく因果関係、意義、構造などの「概括」です。新旧の理解の違いを浮き上がらせるために、学界動向の紹介はしばしば有益ですが、それは「論文における先行研究の提示」とは別物です。自分が一次史料や原典を読んでいないことがらについては発言しない、質問されても答えないなどという態度は、一次史料で「実証」されていない「理論」は認めないという発想と同じく、本研究会の趣旨に合いません。他方、本研究会での報告・解説はカルチャーセンターの講義でも高校生向けの出前講義でもないのですから、いたずらに「内容や説明論理のレベルを下げる」のは筋違いなのですが、大学院で専門教育を受けたことのない人は理解できない「業界用語」の使用だけはお控え下さい。

こういう報告や討論は簡単ではありません。それがうまくできれば、「日東西」など歴史学内部の各領域間でのディスコミュニケーション、他の学問分野の研究者に歴史学が理解されない苦境なども、打開の道が開けると思いませんか? 当研究会の射程はそこまで伸びています。