第8章 全球水資源シミュレーション

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8.0 概要

  • H08水リスクツールは、国際プロジェクトISIMIP Phase3に準拠して実施したH08のシミュレーション結果から水リスク指標を計算し、表示しています。

  • 過去のシミュレーションについてはISIMIP3aプロトコルのobsclim-histsoc実験(入力気象データgswp3-w5e5)で、将来についてはISIMIP3bプロトコルのssp126, ssp370, ssp585 nosoc実験を、gfdl-esm4, ukesm1-0-ll, mpi-esm1-2-hr, ipsl-cm6a-lr, mri-esm2-0の5つの気候モデルに対して実施しています。

8.1 基本的な考え方

 第7章「H08の走らせ方」に示した通り、全球水資源モデルH08のシミュレーションを実行するには、気象と地理の入力データが必要です。気象については7要素、地理については、主要なものだけで16の要素が必要です。過去のシミュレーションを行うには過去についての、将来のシミュレーションを行うには将来についての、気象と地理の全要素を揃えなければなりません。気象データは、計算する全格子・全期間に対して、一日以下の単位で欠損のないものが必要です。地理データも同様ですが、更新頻度は1~10年単位でよいものがほとんどです。以下では、入力データを整備する時の基本的な考え方について解説します。

過去の気象データ

 過去の気象の格子データを作成する方法は複数ありますが、地上観測を内挿して作成するのが基本になります。日本については、アメダスの地上観測を格子データに変換したものが「農研機構メッシュ農業気象データシステム」として公開されています。世界については、同様に各国の現業気象機関での観測結果を格子データにするプロジェクト・プロダクトが複数ありますが、やEast Anglia UniversityのClimate Research Unit (CRU)によるものや、Global Precipitation Climatology Center (GPCC)(降水量のみ)がよく使われます。ところが、世界データの時間解像度は月単位であることが多く、このままではH08を走らせることができません。

 過去の気象の格子データを作成する全く別の方法として、「再解析」と呼ばれる方法があります。これは、気象予報をするときに使われる気象予報モデルを過去の長期間にわたって実行するものです。実行中は、ラジオゾンデなどによる高層気象観測情報などをモデルに「教え」続けることにより、観測から計算が外れないようにします(これをデータ同化といいます)。代表的な再解析としては、European Centre for Medium-Range Weather Forecasts (ECMWF)のERA5や日本の気象庁のJRA-55などがあります。このようにすることで、世界全体の過去の気象情報を数時間単位で推定することができます。ただし、データ同化が行われるのは上空の気温や気圧などであり、地上の気温や降水量は観測とはぴったり一致しません。

 そこで、地上観測の内挿と再解析を組み合わせる方法が考案されてきました。具体的には月単位では地上観測の内挿と一致するように、再解析を補正するというやり方です。また、短波放射量(日射量)や長波放射量(赤外線)は地上観測されていない場合があるため、別の手法を使って世界全体にわたって推定します。こうして、気象の8要素を過去数十年にわたり、3-6時間単位で、全球0.5度程度の解像度で提供することが可能になります。このような気象データ、便宜上「ハイブリッドデータ」と呼ぶことにします。H08 Version2018で採用したのはGraham Weedonさんの開発したWATCH Forcing Data ERA Interim (WFDEI; Weedon et al. 2014)ですが、他に、日本の飯泉仁之直さんの開発したS14 Forcing Data (S14FD; Iizumi et al. 2017)などがあります。

過去の地理データ

 第7章でも解説した通り、H08でシミュレーションを実行するには多種多様な地理データが必要です。ただし、地理データは気象データほどには大きな時間変動をしません。ですので、シミュレーション期間が2000年前後である場合は、標準入力データで固定してしまうことがあります。しかし、例えば20世紀の100年分のシミュレーションをする場合は、土地利用や水利用・水管理が大きく変わっていくので、地理データも変化させる必要があります。とはいっても、過去100年分の格子データを作るのは至難の業です。そこで、比較的過去の情報が広範に得られ、シミュレーションの感度も高い要素について(文末のコラムを参照)、過去の時系列地理データが準備されます。

将来の気象データ

 地球温暖化が進み、気候は変化しています。将来の気象データを準備する際にはこうした気候変化の効果を取り込みます。地球の気候変化の予測をするのは全球気候モデル(Global Climate Model; GCM)です。GCMは地球の大気・海洋・陸面を3次元の格子に分割し、その間の水、熱、運動量のやりとりを計算することで、地球の気候や気象を表現します。GCMに現在から将来にわたる温室効果ガスの排出量を与えることで、GCMは変化する大気組成に応じた将来の地球の気候を予測します。Climate Model Intercomparison Project (CMIP)という大規模な国際プロジェクトがあり、世界各国のGCMに同じ条件を与えて将来の気候を予測しています。予測はあくまでも温室効果ガスの排出量の将来想定に基づくことから、将来の気候の筋書き、すなわち、「気候シナリオ」と呼ばれます。CMIPの最新版はPhase 6で、その結果がIPCC第6次評価報告書などで利用されています。最新の気候シナリオをちょっと見てみたい場合は、IPCCの作ったInteractive Atlasを見てみるとよいでしょう。

 GCMによる気候シナリオは数百kmの空間解像度で、1日単位で得られます。ところが、再解析のようにデータ同化がされていないこと、それぞれのGCMの固有の性質などから、過去に関するシミュレーションと観測には相当な系統的な誤差が生じます。これをバイアスと言います。バイアスのあるままの気候シナリオを使うと、H08は過去の再現ができなくなり、将来の結果の解釈もできません。例えば、雨の少ないバイアスのある気候シナリオを使うと、H08の将来予測は渇水リスクを大きく見積もることになりますが、どれくらい割り引いて結果を解釈すべきか分からない、ということです。よってGCMによる気候シナリオからバイアスだけを取り除く作業をします。これをバイアス補正(bias correction/adjustment)と言います。バイアス補正も高度に発達しており、気温や降水量の平均値の差や比を補正するだけでなく、頻度分布まで補正する方法が主流になっています。

 バイアス補正は具体的には次のような手順で行われます。①過去の気象データを用意し、基準期間(例えば1981-2010年の30年間)を決めます。②GCMの過去から将来にわたる気候シナリオを用意します。③過去の気象データを真値として、基準期間のGCMのバイアスを明らかにし、そのバイアスを取り除く変換式を開発します。④この変換式を気候シナリオに対して、過去から将来まで全期間にわたってかけます。この結果、基準期間は過去の気象データと非常に近く、かつ、過去から将来まで連続的に変化する気候シナリオができます。これを「バイアス補正済みの気候シナリオ」と呼びます。これを将来の気象データとして利用します。

将来の地理データ

 気候変動のシミュレーションは2100年まで行われることが多いです。80年後の未来は、おそらく自然の地形は大きく変わっていないでしょうが、人間社会はとてつもなく大きく変わり、人口分布や土地利用、水利用・水管理は大きく変わっているはずです。この問題に対する対処が2つあります。

 一つ目は、こうした社会経済の要素を0.5°の解像度で全世界にわたって予測するのは不可能なので、現状固定とし、気候の変化だけを考慮して2100年までシミュレーションを行う方法です。ただし、例えば、人口減少がほぼ確実視されている日本で人口がいつまでも変わらないシミュレーションをするのは不自然とも言えます。

 二つ目は、不確実であることは承知で、将来の社会経済の要素を予測し、シミュレーションに反映するという方法です。そもそも、将来の気候の予測をする際に、将来の温室ガス排出量の予測が必要です。この予測はエネルギー経済モデルを利用して実施されており、そこでは将来の世界の社会経済に関するある程度具体的な予測もされています。そうした情報やノウハウを最大限生かしつつ、水循環・水資源で最も重要な要素の「シナリオ」がやはり、いま、盛んに研究され、利用されています。

モデル相互比較プロジェクト

 10年ほど前までは、全球水循環シミュレーションの入力データは、モデル開発者が集めるしかありませんでした。このため、全球水循環シミュレーションの気象や地理の条件はモデル毎に大きく異なっており、比較は困難でした。2007年に始まったEU WATCHという国際プロジェクトで、モデルの相互比較が始まりました。これは、少しずつ数が増えつつあった全球水循環モデルに共通の気象と地理の条件を与えることで、相互比較を可能にしようとするものでした。同様のプロジェクトは気象・気候学の分野ではあったのですが、水利用や水管理を含め、温暖化の影響評価まで拡張しようとしたところに特徴がありました。EU WATCHは大成功し、その成功を受けて、2012年にInter Sectoral Impact Model Intercomparison Project (ISIMIP)が始まります。これはEU WATCHと同様の枠組みを使うことで、気候変動影響の主な項目について、複数のモデルを使った影響評価をする巨大な国際プロジェクトです。このISIMIPも大成功し、現在では世界の気候変動影響評価の中心的な活動になっています。

 モデル相互比較は次のように実施されます。まずプロジェクトの事務局が参加者とよく話し合いながら実験手順書(プロトコル)を作ります。プロトコルには、どういう入力データを使って、どういうシミュレーションを行うのか、細かく指定されています。次に、事務局が、プロトコルの実行に必要な入力データを全て整備し、共通のサーバに集めます。参加者はプロトコルと入力データをサーバからダウンロードし、プロトコルに沿ってシミュレーションを行います。シミュレーションが完了したら、参加者は、指定された書式で、結果を事務局に送ります。事務局は集めた結果を共通のサーバに集めます。その後、参加者の有志が複数のモデルのシミュレーション結果を解析し、論文を書きます。

 結果の解析には3つの意義があります。1つ目はモデル相互比較です。どのモデルにも同じ入力データが使われているので、結果の違いはモデルの違いによると考えられます。違いをよく比較し、考察することで、モデル改良のヒントを得られます。2つ目は不確実性の把握です。気候変動の影響評価など、将来の予測には大きな不確実性が伴います。そこで、複数の独立したモデルを使って予測を行うことで、予測がどれくらいばらつくのかを明らかにできます。3つ目は研究の効率化です。過去から将来にわたるシミュレーションをする場合には、多項目の入力データが長期間分必要ですが、特にバイアス補正などの技術が高度化し、研究が複雑化するに伴い、モデル開発者が個々に入力データを準備するのが現実的でなくなっています。大きなモデル相互比較プロジェクトは、気象データの開発チームを持ち、モデル開発者のコーディネーションをする人材も豊富です。こうした体制を活かし、参加者が共通に使える入力データを手際よく準備していきます。これにより、参加者はモデルの開発とシミュレーションの実施に専念することができます。

8.2 過去のシミュレーション

枠組み

 国際モデル相互比較プロジェクトInter Sectoral Impact Model Intercomparison ProjectのPhase 3 (ISIMIP3)の枠組みを使ってシミュレーションを行いました。過去の計算はISIMIP3aと呼ばれ、そのプロトコルに沿って、シミュレーションを行いました。

気象データ

 ISIMIP3aのプロトコルに指定のあるGSWP3-W5E5という全球気象データを利用しました。 1901年から2016年まで、7つの気象要素を世界0.5°の格子、日単位で提供しています。7つの気象要素とは、降水量、気温、湿度、風速、気圧、短波放射(日射量のこと)、長波放射(大気から地上に向けて発せられる赤外線のこと)で、H08に必要な7項目と一致しています。

 このデータはGSWP3とW5E5という二つの全球気象データを組み合わせて作っています。基本になるのはW5E5です(Lange, 2019b; Cucchi et al., 2020)。このデータは1979年から2016年までの38年間をカバーするもので、H08 Version2018の標準入力気象データとなっているハイブリッドデータWFDEIの再解析をERA-Interimから最新のERA5に差し替えて作られたものです。ただし、38年間という期間は、気候変動等の解析には少し短すぎます。そこで、より長い期間をカバーするGSWP3という倍ブリッドデータ (該当する出版済みの論文なし)を、バイアス補正の技術を使ってW5E5に連結しています。つまり、W5E5とGSWP3が重なる1979-2016の期間の系統的な違い(バイアス)を分析し、GSWP3から差し引くことで、W5E5が1901年から2016年まで連続してあるかのような気象データを作ったということになります。

地理データ

 ISIMIP3aのプロトコルは様々な地理データを提供しています(表)。モデル相互比較を実施する観点から、極力プロトコル通りの地理データを利用しました。

 年単位で変化するのは、貯水池、灌漑面積、栽培種、生活用水、工業用水、GDPです。貯水池はGranDという著名なデータベースにダムの建設年が含まれており、その情報を使います。灌漑面積・栽培種は過去長期の世界の土地利用を推定したHYDEというデータベースをもとに、ISIMIPがさらに情報を整理することで作られています。生活用水・工業用水はWater Future and Solution (WFaS)という国際応用システム分析研究所(IIASA)のプロジェクトで開発されたデータベースが採択されています。国連食糧農業機関(FAO)が提供する国別の水利用データベースを元に、WaterGAP, H08, PCR-GLOBWBの開発者がそれぞれ独自にグリッドデータを開発していたのですが、これらをまとめて一つの新たなグリッドデータにしたものです。

8.2 将来のシミュレーション

気象データ

 「基本的な考え方」で述べた通り、気候変動を加味した将来の気象データを得るには、気候モデルによる気候の予測のバイアス補正済みのデータが必要です。まず、ISIMIPは最新のCMIP6の気候予測データベースから、gfdl-esm4, ukesm1-0-ll, mpi-esm1-2-hr, ipsl-cm6a-lr, mri-esm2-0の5つの気候モデルを抽出しました。5つのモデルは、大気海洋結合モデルの中から、影響評価に必要な多様な項目を漏れなく報告しているか、といった観点から選ばれているようです。

 将来の社会経済の想定についてはssp126, ssp370, ssp585の3つが実施されています。それぞれ共通社会経済経路(Shared Socioeconomic Pathways; SSP)1, 3, 5と、代表的濃度経路(Representative Concentration Pathways; RCP)2.6W/m2, 7.0W/m2, 8.5W/m2を組み合わせたものです。一言で言うと、ss126は持続可能性を志向し、全球平均気温の上昇が2.0℃未満に収まる社会、ssp370は世界の地域が独立独歩で動き(分裂)、全球平均気温の上昇が4.0℃弱に達する社会、ssp585は化石燃料に依存した経済成長を重視し、全球平均気温の上昇が4.0℃超になる社会です。

地理データ

 ISIMIP Phase3では土地利用や水利用を含む将来シナリオの開発を計画していますが、作業の遅れから、2021年9月末現在、シナリオの提供は始まっていません。実施可能なシナリオは社会経済を2015年で固定し、気候変動の影響だけを考慮して将来シミュレーションをするnosoc と呼ばれる計算です。H08水リスクツールで表示しているのも、このnosoc計算の結果です。

 これまでの多くの将来を対象にした水資源評価が行われてきましたが、そのほとんどで、気候変動による水の逼迫よりも、社会経済の変化による水の逼迫の方が大きいだろうと予測されています。このため、現時点で水リスクツールが提供する水リスクは、控えめな見積もりと捉えていただくとよいと思います。

コラム:感度の高い地理データ

 その1:河道網。H08では格子毎に計算された流出が河道に沿って、上流から下流に流下します。河道に沿って流出が集まってくるので、河道の形状は水資源量の分布と強い関わりがあります。世界の河道を表したデータはこれまでに多数開発されてきましたが、現在、この分野で最もユーザの多いのはPetra Doellさんらによって開発されたDDM30 (Doell et al. 2003)と日本の山崎大さんによって開発されたMERIT Hydro (Yamazaki et al. 2019)です。両者ともに精度は高いですが、見比べてみると支流などの形状がかなり異なります。この違いは、水資源量の分布違いとなって現れる可能性があるので注意が必要です。また、主要なダムは河道に合わせて配置しなければならないので、モデル実行時にはダムデータとの整合の確認が必要です。

 その2:農業用水関連の地理データ。第7章で解説した通り、H08では灌漑農地での作物の栽培に合わせて灌漑用水需要を計算します。このため、灌漑農地の分布、栽培されている作物種、作付け回数(二期作・二毛作)によって、水需要が大きく変わります。

 その3:工業・生活用水データ。工業・生活用水の利用量が何によって決まるのか、たくさんの研究が行われてきましたが、あまり有力な説は出てきていません。つまり、工業・生活用水の分布はモデルで推定するというよりは、所与のものとして与えるしかないのが実情です。工業・生活用水は国や行政区ごとにデータが得られますが、空間的な分布は分からないことがほとんどです。H08では人口分布に比例すると仮定して空間分布をさせていますが、他にも市街地面積・夜間光に応じて分布させる方法、都市人口と農村人口を分けて分布させる方法などが提案されており、条件によっては水需要の分布に大きな違いが出ます。

コラム H08とモデル相互比較プロジェクト

 モデル相互比較プロジェクトは基本的にボランティアベースです。相互比較に参加する時に提供されるのは入力データだけで、計算機や必要な時間や人件費などは参加者側で工面しなければなりません。プロジェクト会合への参加旅費さえ、例外もありますが、原則、参加者側で調達します。次に、プロトコルに書かれた全ての計算をなるべく早くに実施し、プロジェクト事務局に返さなければなりません。相互比較の解析をするにあたって、例外・不足・遅延があると処理が難しくなるため、プロトコル通りに結果が提出されていないモデルは相互比較に使ってもらえないのです。さらに、枯れた機能よりは、新しい機能について相互比較が行われるので、独自の新機能を加えつつ、モデルを時流に合った最新のものに保ち続けなければなりません。こうしたことから、モデル相互比較に参加するのは、ある程度、開発・運用体制に余力のあるモデルだけということになります。H08はGSWP2、EU WATCH、ISIMIPという3つの国際モデル相互比較プロジェクトに参加してきました。プロジェクトに入り込み、結果を提出し、結果を使ってもらう(論文の共著者になる)というサイクルを重ねる中、世界中のたくさんの研究者と知り合うことができ、研究者として多くを学びました。これら3つのプロジェクトがH08を育ててくれたと言っても過言ではありません。


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