第1章 水リスクとは何か

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1.1 水リスクとは何か

 「水リスク」という言葉が、企業の環境問題担当者によく知られるようになりました。水リスクは、企業活動の障害となりうる水に関するリスクの総称です。「企業活動の障害となりうる水に関するリスクは何か?」と聞かれたら、多くの方は「工場や店舗が洪水で被害を受けること」、「水道が渇水による取水制限で止まり、生産や営業を停止しなければならないこと」などを思い浮かべると思います。ただし、「水リスク」の概念は地球環境問題に敏感な海外で生み出されたもので、必ずしも、工場・店舗の被害による資産の減耗や生産営業の停止による利益の喪失だけを指していません。むしろ、企業活動が将来にわたって持続可能か、さらには、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の達成への貢献など、世界をよくするのにつながっているかを問うています。こうした背景から、世界での「水リスク」は洪水や渇水といった極端な事象よりは、平時の企業活動での水利用の持続可能性により焦点が当てられています。

1.2 水利用の持続可能性とは

 水は地球を循環しています。我々にとって最も身近なのが川の流れです。季節や年々の変動はあるものの、川は流れ続けており、川の水は石油などと違って、将来にわたって使い続けることができます。また、降った雨は地面に浸み込み、地下水(注1)となります。こちらも、川の流れに比べるとゆっくりですが、流れ続けているため、やはり将来にわたって使い続けることができます。ところが、川の流れを全部取って田畑などに撒いてしまったら、それより下流には川が流れなくなり、下流は水不足になります。また、雨が地下水になる以上にたくさん地下水をくみ上げれば、地下水は減っていってしまいます。こうすると、将来にわたって使い続けることができなくなります。この他に重要な視点としては、水質があります。水源となる川や地下水が汚染されると、いくら量が足りていたとしても、利用に適さなくなります。

 さらに、現在、気候変動(いわゆる地球温暖化)が進んでいます。気候が変わって雨や雪が減る場合、これまで通りには水が使い続けられなくなるかもしれません。加えて、途上国では今後も人口や経済活動の伸びが見込まれます。地球全体の食料やエネルギーの需要とそれに伴う水利用の変化も考慮に入れなければなりません。

 まとめると、水利用の持続可能性とは、地球の水循環の観点から見て、現在の水利用が将来にわたって続けられるかを指します。その際には、水量の面だけでなく、水質や、今後の気候変動の進行、世界の人口や経済の発展など、いろいろな要素を考えていかなければなりません。

 人間のあらゆる活動に水は不可欠です。また、大陸の河川や帯水層(注1)は複数の国や地域をまたがります。さらに、日本やイギリスのような島国であっても、食料や製品の輸入によって世界の水利用と深いつながりを持ちます。このため水利用の持続可能性はグローバルな環境問題として捉えられています。このような背景から、ダボス会議で知られる世界経済フォーラムが毎年発行するThe Global Risks Reportにおいても、水危機(Water crisis)は世界最大級のリスクとして位置づけられてきました(注2)。

1.3 H08水リスクツール開発までの経緯

 筆者は約20年前、大学院で水利用の持続可能性(水危機)について初めて学び、この問題の複雑さと広がりに強い関心を持ちました。これまでに述べてきたことは定性的には全て真実ですが、程度は様々で、特に地理的な違いによって問題が正反対になることもあります(例えば、乾燥地と湿潤地では水リスクも水利用の持続可能性も要素が全く異なります)。そこで、これまで述べてきた世界の水循環と水利用を定量的に説明するためのモデル(コンピュータソフトウェア)の開発とシミュレーションの実施に取り組んできました。

 開発してきたモデルは全球水資源モデルH08といいます(発音はえいち・おー・えいと、表記はえいち・ぜろ・はち)。2018年までに、世界の主要な水源である河川流量と地下水、主要な水利用である農業・工業・生活用水について、50km四方くらいの細かさで、一日単位で、比較的データな豊富な2000年頃の世界を表現することができるようになりました。ソースコードやマニュアルは全てウェブサイトから公開されています。

 H08を使うと気候変動の影響を含めた世界の水資源評価ができますが、評価の前提や結果には良くも悪くもH08の特徴が出てしまいます。そこで、H08は国際プロジェクトInter Sectoral Impacts Model Intercomparison Project (ISIMIP)(発音はいーじーみっぷ)に参加しています。ISIMIPは世界の様々な気候変動影響を予測するためのプロジェクトで、世界の水資源はその一つの対象です。全球水資源モデルの開発は世界の約10の機関が取り組んでおり、そのほぼ全てがISIMIPに参加しています。それぞれの水資源モデルはさまざまな仮定に基づいて作られている上、将来想定の自由度は大きいため、気候変動の影響評価結果には相当なばらつきがありました。そのため、複数のモデルを用いて全く同じ想定の下でシミュレートすることで、複数のモデルの結果の平均はどれくらいか、モデルの違いによる結果のばらつきがどれくらいか、どういう地域や条件で大きくなるのか、などを体系的に調査するモデル相互比較(model intercomparison)は極めて重要です。ISIMIPでは参加するモデルに共通の気候や地理の条件を与えてシミュレーションを行い、その結果を分析し、公開しています。ISIMIPのシミュレーション結果は、世界の水資源評価のデファクトスタンダードになっており、IPCCの評価報告書でも各分野の重要な情報源となっています。

 H08はISIMIPの第1期と第2期に参加しました。関連した数十の論文が出版され、計算結果も公開されています。ただし、公開されているのは50km格子の月単位(場合によっては日単位)の数値データで、専門家以外が解釈し、利用するのは事実上不可能でした。そこで、結果を比較的分かりやすい水リスク指標に変換し、ウェブブラウザを使って見ていただけるようにしたいと考えました。この提案は環境研究総合推進費に採択され、2018年度から2020年度にかけて「企業の温暖化適応策検討支援を目的とした公開型世界水リスク評価ツールの開発」という研究プロジェクトを実施しました。この結果できたのが、H08水リスクツールです。

 当初、H08水リスクツールには2021年3月に完成・公開される予定でしたが、いろいろな事情によって、現在も「完成」には至っていません。現在のほとんどのソフトウェア(アプリ)がそうであるように、暫定版として公開をはじめ、徐々に完成度を高めていくことにしました。

 この解説の執筆は、プロジェクト開始時点では計画に含まれていませんでした。しかし、プロジェクト期間中に多数の企業の担当者とお話しする機会があり、概念の整理や、技術的な要素の開示は、ツールの開発以上に重要だと考えるようになりました。本ページについても「完成」には程遠いのですが、暫定版として公開します。多くの方に読んでいただきながら、少しずつ、進めていきたいと思います。

もっと知りたい方へ

書籍

  • 沖大幹:水の未来――グローバルリスクと日本(岩波新書)岩波書店、240p、2016

  • 沖大幹:水危機 ほんとうの話 (新潮選書) 新潮社、334p、2012

インターネット上の解説記事

参考文献

  • 水口剛:ESG投資、日本経済新聞出版社、238p、2017年

  • 花崎直太:温暖化影響の全体像に迫る:米国科学アカデミー紀要に特集されたISI-MIPの紹介、link、2014年

  • 花崎直太:日本発の世界水リスク評価ツールの開発に向けて、link、2018年

脚注

  • 注1:土は土粒子と水と空気が混じった状態です。雨は重力によって、土の中を通って下へと向かいます。あるところまで行くと、空気が完全に追いだされて、土粒子と水だけになった層に達します。これを帯水層といい、ここにある水を地下水と呼びます(土にある水は土壌水分といいます)。

  • 注2:2020年版までWater crisisがありましたが、2021年版ではFood crisisと統合されてNatural Resources Crisisとなっています。


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