- はじめに
- 大気海洋結合モデルMIROC3.2に花崎らの全球統合水資源モデルを導入し、灌漑をはじめとする人間活動が地球システムに及ぼす影響を考察するにあたり、灌漑を通じた大気陸面相互作用に関する先行研究のレビューを行う。
- 灌漑は降水量の増加に寄与するか?
- アメリカのGreat Plainsでの灌漑は1950年代に急拡大した。この灌漑による地域の気象への影響を観測データから検出しようとする研究が1980年代から行われてきた。Barnston and Schickedanz (1984)はTexas州で灌漑が盛んなPanhandleの降水について詳細な検討を行い、大気低層で収束が起きている場合において、灌漑が暖候期の降水量を増加させていることを示した。Moore and Rojstaczer (2001)は期間を変えてBarnston and Schickedanz (1984)の追試を行ったところ、灌漑による降水量増加への影響は見られなかった。その後、Moore and Rojstaczer (2002)は灌漑地周辺を含めた解析を行い、風下で夏期の降水量が6-18%増加していることを明らかにした。DeAngelis et al. (2010)は観測データを利用してGreat Plainsの灌漑の影響を調査し、灌漑によってはるかかなたの風下にあたるIndiana州の7月の降水量が増加していることを示した。降水量増加の開始期(1940年代)は灌漑の開始期とも一致している。Jodar et al. (2010)はスペインの灌漑地において、灌漑地の風下の山岳域で降水量が増加していることを示した。この理由として、2mm/day以上の降水イベントの回数が増加したことを挙げている。
- これらの検討を、モデルから検証したものとして、まずSegal et al. (1998)がある。北米大陸について、領域気候モデルを使って灌漑の影響を検討した結果、灌漑は降っている雨を強化させるかもしれないが、新たに雨を生み出すことはないことを示した。また、Adegoke et al. (2003)は領域気候モデルRAMSを利用し、Nebraska州のHigh Plainsの灌漑が地表面フラックスや気温に及ぼす影響を評価し、潜熱が大幅に上昇し、気温が下がることを示したが、降水については特に記述していない。
- 灌漑は平均気温、最高気温、最低気温に影響を与えるか?
- 2006年以降、カルフォルニア州を対象として、領域気候モデルによる灌漑の地域気候への影響評価の研究が盛んに行われている。そこで中心に検討されているのが、灌漑による平均気温、最高気温、最低気温への影響である。Snyder et al. (2006)とKueppers et al. (2008)はカルフォルニアでの灌漑が現地の気候システムに与える影響を4つの領域気候モデルを利用して相互比較した。この結果、夏期の最高気温を4.7-8.2℃下げること、また平均気温を下げることが示された。ただし、灌漑供給水量が大きすぎた可能性があり、降水に対する影響も見られなかった。Kueppers et al. (2007)は領域気候モデルを利用して、カリフォルニアの灌漑による冷却効果を定量的に算定し、ヒートアイランドによる見かけの温暖化と逆の、灌漑による見かけの寒冷化が存在する可能性を示した。Roy et al. (2007)は1次元気象モデル、3次元気象モデルを利用して、インドにおいて同様の数値実験を行った。
- その後、同じくカルフォルニア州を対象として、灌漑が気候に及ぼす影響を地上観測データを利用して推定する論文が出版されている。Lobell and Bonfils (2008)は26の観測所(灌漑地に近いものと遠いものを織り交ぜている)のデータを利用し、灌漑が最高気温, 最低気温, 気温の日較差に及ぼす影響を調査した。この結果、灌漑地では夏期に最高気温が最大で約5℃程度低下するものの、最低気温には変化がないことが示された。この結果、夏期の日較差も減少することが示された。Lobell et al. (2008) は日単位の気温データと灌漑面積のグリッドデータを利用することで、気温の極値への影響の検討を行った。ただし、灌漑は極端な高温の日により大きな冷却効果を持つのではないかという仮説は支持されなかった。
- 灌漑はアジアモンスーンを変えるか?
- Lohar et al. (1995)は2次元大気モデルを利用して、ベンガル湾付近における灌漑が地域気象に及ぼす影響を評価した。この地域では灌漑農地の発達後に降水量が小さくなっている観測結果があり、これが灌漑によって海風が作る上昇流が弱まるからだということを数値実験を通して示した。Saeed et al. (2009)は領域気候モデルREMOを利用し、灌漑が南アジア夏期モンスーンに及ぼす影響について数値実験を行った。モデルに灌漑を導入する前は、乾燥したインドの平原とインド洋のコントラストが大きく、風速の過大評価を招いていた。灌漑を導入することにより、この問題が緩和され、気温や気圧のパターンも観測値に近くなった。
- 他に灌漑ではないが、Takata et al. (2009)は1700年から1850年にかけて、インドと中国で行われた大規模な森林伐採と農地開発がアジアモンスーンに与える影響を全球気候モデルを利用して評価した。陸面のアルベドと粗度が変わったため、インド西部や中国南部の降水量が減少したことが示され、その結果はアイスコアの測定からも支持された。
- 陸面過程モデルのオフライン実験による灌漑の検討
- 気候モデルの中で灌漑を正確に扱うには、灌漑過程を導入した陸面過程モデルが必要である。そのような陸面過程モデルのオフライン実験の報告もある。いずれGCMと結合したとき(オンライン実験)の挙動も報告されていくと考えられる。de Rosnay et al. (2003)は陸面過程モデルORCHIDEEに灌漑過程を組み込み、インド亜大陸でオフライン実験を行い、推定された灌漑水量が妥当であるとの結果を報告した。同じくDouglas et al. (2006)は陸面過程に灌漑を導入することで、灌漑需要量の推計を行い、潜熱フラックスへの影響を評価した。Haddeland et al. (2006)は陸面過程モデルVICに灌漑と貯水池操作を組み込み、コロラド川とメコン川流域でオフライン実験し、灌漑による地表面の水熱収支の変化を報告している。Shibuo et al. (2007)はアラル海を対象に、灌漑を考慮した同流域の水収支の検討を行った。
- GCMを利用した灌漑の実験
- 2004年以降、人為的な気候変化の研究の一端として、灌漑が全球の気候システムに及ぼす影響を検討した論文が急速に増えていく。Boucher et al. (2004)はGCMを利用し、灌漑により大気中に加えられる水蒸気の放射強制力が0.03-0.1W/m2であると算定した。Lobell et al. (2006a)はGCMを利用し、農地管理(灌漑、耕起、品種改良に伴うLAIの増加)が全球の気候に与える影響を評価し、灌漑によって陸上気温が1.3℃下がることを示した。ただし、灌漑実験の場合は全農地の土壌水分を固定しているなど実験設定が極端で、現実性を無視した潜在的影響量の評価と言える。Lobell et al. (2006b)は同じGCMを利用してCO2の倍増実験を行い、灌漑の影響量はその1/4に匹敵するとの結果を得た。Sacks et al. (2008)はLobell et al. (2006a,b)と同じ大気モデルCAMと陸面過程モデルCLMを利用して、より現実的な設定の下で灌漑が気候に及ぼす影響を精査し、アジア域での年平均気温の減少は0.5℃で、間接的な効果により、カナダの北部で1℃以上気温が上昇することを示した。その後、Lobell et al. (2009)はLobell et al. (2006a,b)の実験設定に改良を加え、現実の灌漑面積分布を通年灌漑するという条件で実験をやり直した。この結果、全球の灌漑用水供給量は約5000-6000km3/yrで、オーダーとしては既存研究に近くなった。また、灌漑による冷却効果が入ることにより、多数の主要灌漑地において、気温のシミュレーション結果が、CRUデータを利用した観測値により近づくことを示した。この中で、Aral海においてはGCMに灌漑を導入することにより、気温の過小評価が起こることが示された(これは灌漑による冷却効果が強すぎることが示唆される)。これに対して、Destouni et al. (2010)は、Aral海では灌漑の拡大により灌漑地からの蒸発散量が増加しているものの、湖面積の減少により湖面からの蒸発量も減少しており、Lobell et al. (2009)が後者を無視したことにより、灌漑の効果を過大評価していると指摘した。
- 他に、GCMを利用しないで推計した事例もある。Gordon et al. (2005)は自然植生状態と比較し、森林伐採と灌漑によって蒸発散量が全球でどれくらい変化したかをグローバルに推定した。Bonfils and Lobell (2009)はCRU等の観測ベースの全球気象データを利用し、California州では気温に顕著な減少傾向がみられることが示された。またNebraska州とタイでも同様の傾向がみられるものの、インドとパキスタン、中国東部においてははっきりとした傾向が見られなかった。
- 最後に、灌漑ではなく、飛行機雲が気候システムに及ぼす影響を示した事例をレビューする。飛行機雲が気候システムに影響を与えているという仮説に対し、Rap et al. (2010)はGCMを利用して詳細な数値実験を行った。この結果、現在の100倍飛行機が飛んだとしても、全球平均気温の上昇量は0.13Kにとどまり、気候感度に換算しても0.3K/(W/m2)程度であり、気候システムへの影響は無視できるほど小さいことが示された。軽微ではあるが気温変化は全球に及んでおり、その解析が優れている
- 手法
- 先行研究のうち、数値実験を行ったものについて実験設定をまとめた。
Global, Regional, Offline