研究実施
研究する、とはどういう行為なのでしょうか。天才が突然アイディアをひらめいて、寝食を忘れて研究室にこもり、ある朝、分厚い、画期的な論文の原稿が出来上がっている、というのは映画や小説の中の話。ほとんどの研究は、努力家だけど普通の人が、試行錯誤や行ったり来たりを繰り返し、何か月も何年もかけて少しずつ進めていくものです。試行錯誤の仕方は千差万別ですが、研究実施には分野や課題を超えた「標準的な流れ」があるようです。
【ヒント10】研究実施の「標準的な流れ」
研究は最終的に論文にまとめられます。論文を構成するために必須の要素は、当然、研究実施の中で生み出されます。生み出されていく一般的な順番をまとめると次のようになります。
研究テーマを決める
何について、主にどのような方法で研究するのか決めます(例:世界の川の流れに対する地球温暖化の影響をコンピュータシミュレーションで分析する)。
そのうえで、文献調査を始めるのに必要な2つの情報について整理しましょう
研究テーマを創始した論文(分からない場合、NatureかScienceに掲載された類似テーマの論文)
中心となる学問体系(例:水文学、気候学)
研究テーマに関する教科書を1冊読む
詳細は「文献調査1:教科書」を参照のこと。
研究テーマに関する論文を20本読む
詳細は「文献調査2:論文」を参照のこと。
文献調査をまとめる
[2]~[3]を踏まえて、現在までに何が分かっていて、何が分かっていないのか、どんな研究が実施されていて、どんな研究が実施されていないのか、数ページの文章か数枚のスライドにまとめましょう
研究計画を立てる
[1]で決めた研究テーマと、[4]で整理した文献調査をもとに、具体的な研究計画を立てます。具体的には以下について整理しましょう。
何を明らかにするため研究するのか
[4]で挙げた、分かっていないこと、研究が実施されていないことのうち、何について(できれば、どこまで)明らかにするのか書きます。
現時点で予測される結果も書いておくとよいでしょう。
どのように研究するのか
研究に利用する主なデータやソフトウェア、計算機を書きます。
今まで誰も分からなかったことを、なぜあなたが明らかにできるのか
先行研究では使われていなかった新しいデータが利用可能になったから、先行研究では無視されてきた要素に目を向けるから、など具体的に書きます。
最終的にどんな図表をつくるのか
科学研究の最終的な研究結果は、多くの場合、図か表で表現されます。研究がすべてうまくいった場合、最終的にどんな図表がつくりたいか(つくれそうか)書きます。
これまでに読んだ論文にあった図表をヒントにして考えるとよいでしょう。
最初にどんな図表をつくるのか
最終的な研究結果は何か月も、ときには何年も先に得られます。通い将来の目標を決めただけでは、研究の最初の一歩が踏み出しにくいものです。そこで、最初の1か月にやる短期の目標を書きましょう。
研究を始めた時点では、1か月先に何ができるか全く見通せない場合がほとんどでしょう。その時は、ソフトウェアの動作確認をする、あるいは集めたデータの集計結果が先行研究と一致するかなど確認をする、などでも十分です。手を動かすための具体的な目標を立てましょう。
いつまでに研究するのか
いつまでに何を終えるのか、大まかなスケジュールを書きましょう。
時間は無尽蔵にありません。研究にどれだけ時間がかかるか、とりあえず期待や希望でもよいので書きましょう。その後、研究のペースが分かってきたら、定期的に見直しましょう。
研究環境を整える
必要なデータ、ソフトウェア、計算機などの研究機材などを整備し、手法に習熟します。
[5]の「最初にどんな図表をつくるのか」で挙げた図表を作成します。
研究を実施し、共同研究者と議論する
[5]に沿って研究を進め、結果を図表にまとめます。
いくつか図表が出来上がったら、共同研究者と議論しましょう。議論にあたっては、簡単な資料を作ります。
共同研究者に直接会って、口頭で伝えられる場合はPowerpointなどのスライドを準備するとよいでしょう。
共同研究者が遠くにいる場合やとても忙しい場合は、emailで議論しやすいよう、Wordなどの文章を準備するとよいでしょう。
必要に応じて研究計画を見直す
得られた結果が研究計画と矛盾してしまう場合があります。その時は、研究計画の全部あるいは一部が無効だったので、[5]に戻ってやり直します。
例えば、「先行研究が無視しているAという効果を取り入れると、未解明のXという現象が説明できるだろう」と考えて研究を実施してみたが、Aの効果はとても小さかったというケースを考えましょう。このとき、[5]の直し方は何通りかあります。
【破棄・やり直し】そもそもXという現象に着目したのが誤りだったと考えて、研究計画をゼロから作り直します。これが基本です。
【改訂】研究実施中にAの効果ではなく、別のBの効果が重要そうだと気づいた場合、あるいは、Xは説明できないがYなら説明できそうだと気づいた場合、研究計画を修正します。
【目的変更】研究の目的を「先行研究はAの効果を無視しているが、Aの効果は本当に無視できるか明らかにする」と変更し、そのまま研究を続けます。ただし、 よっぽどうまく論理構成しないと、「今まで無視されてきたことは、無視してよい」となって論文にならないので、この方法はあまりお勧めしません。
論文の原稿を作成する
詳細は「論文投稿」を参照のこと
論文を学会で宣伝する
詳細は「学会発表」を参照のこと
【番外編1】「標準的な流れ」に沿って研究実施するなんて無理?
【ヒント10】に示したやり方ですが、初心者や、テーマを変えたばかりの研究者はまずスムーズにはいきません。すべてのプロセスにおいて、分野全体を俯瞰できる指導者からヒントをもらうことが不可欠です。例えば、五里霧中の中、教科書や論文を読んでいくには、経験や周囲からのサポートも必要です。
とりわけ、文献調査とまとめて研究計画を立てる[4]-[5]が関門です。一人で悩まず、経験豊富な指導教員・共同研究者のアドバイスをもらいましょう。ちなみに海外の大学院の博士課程では、研究計画を独力で立てる[4]の能力を非常に重視し、大学によっては学外専門家に研究計画を審査させるところまあります。
【番外編2】論文発表の目標ペースをどう設定すべきか?
上に示した[1]-[10]の研究実施のサイクルに、どれくらいの時間をかけるべきでしょうか。これはひどい愚問で、当然、実施する研究の内容や深さによります。つまり、一つの体系を作るような大研究なら10-20年かかるかもしれませんし、小規模で単純な内容なら数か月で終わるかもしれません。
ただし、地球科学・環境分野の若手研究者の場合、一つの目安となる目標は半年です。実際、世界的に有名な大学や研究所の若手研究者は1年に2本くらいのペースで、国際専門誌に論文を発表しています。
もともとの研究テーマと異なる研究に新しく取り組んでいるPDの場合、最初の年から国際専門誌に2本書くのはまず不可能です。ただし、その場合でも、最初は投稿先を査読のない論文誌や、査読が厳しくない論文誌にすることにして、年2本のペースを作ってしまうことを私はお勧めしています。ペースを作りつつ、徐々に研究の質を上げて、最終的に国際専門誌に1年に2本のペースで書けるようにしていくのが、理想的と言えます。たとえば、日本の土木学会には「土木学会論文集・特集号」があります。この雑誌は、投稿から半年間で論文の査読と採否判定、出版、講演会での口頭発表が完了します。年2本のペースメイクに最適な投稿先の一つです。
もしこれを読んでいるのが博士号取得前の学生さんの場合、ここに書いてあることは忘れてください。論文の数を増やすのではなく、一本の論文の質を高めることだけに注力してください。論文を早くたくさん書くテクニックはいくらでもあり、将来簡単に「身につける」ことができますが、質を高めるテクニックはなく、優秀な指導者の下、時間をかけ、「身にしみこませる」しかないのです。そのための時間とエネルギーを割くべきなのは博士号を取った後ではなく、取る前です。一度上げた論文の質は下がることはありません。私の経験上、最初に良い論文を書いた人は、その後も良い論文を書き続けています。