第2章H08水リスクツールの使い方

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2.1 H08水リスクツールの基本的な機能

 この節では開発中のH08水リスクツールの基本的な機能を説明します。H08水リスクツールはこちらにあります。2021年6月中旬時点で試験公開中です。

開発の背景

 水リスクへの関心の高まりに合わせて、世界では多くの水リスクツールの開発が行われてきました。それらの中でおそらく最もよく使われているのはWorld Resources Institute (WRI)の開発したAqueduct(アキダクト)です。Aqueductは現在と将来の水リスク指標を見るためのとても優れたツールです。ただし、示される水リスク指標がなぜ高いのか、あるいは低いのか、要因をたどることができません。また、例えば現在の水リスク指標が高かったとして、それが最近急に高まったのか、ずっと高かったのかも分かりません。

 私は約20年にわたって世界の水資源についての研究をしてきました。特に、水リスク指標を計算するために必要な世界の水資源量や水利用量の分布を調べるための全球水資源モデルH08を作り、シミュレーションを行ってきました。最終的な水リスク指標にする直前の情報までを示すことができれば、もう少しだけ指標の意味するところも伝えられるのではないかと考えました。こうして、指標変化の要因や傾向が分かる水リスク情報の開示を目指し、環境再生保全機構の環境研究総合推進費からご支援を受けてH08水リスクツールの開発に取り組みました。

 H08水リスクツールには大きく、「水リスク指標の地図」「水リスク指標の時系列変化」「指標変化の要因」の3つを表示する機能があります。以下ではそれぞれについて解説していきます。

水リスク指標の地図

 水リスクツールを開くと最初に見えるのが「水ストレス」という指標の世界地図です(指標の詳しい説明は第4章にあります)。右下に見えているのが凡例で、指標の値とリスクの大きさの関係を表しています。リスクは5段階で、濃い赤に近づくにつれ、リスクが高まります。指標の値とリスクの大きさの関係は、Aqueductと同じか、近いものにしました。これはAqueductと比較しやすくするためです。ぜひAqueductと条件をそろえて比較してみてください。

 画面の左側にある3本線のアイコンをクリックすると、コントローラが現れます。コントローラを使うと、表示する気候モデル、シナリオ、水リスク指標や基本変数、年などが指定できます。

  • 「気候モデル」は将来期間(2016年以降)の計算に利用されたモデルを表します。過去期間(2015年以前)については、どれを選択しても結果は同じです。Ensembleは5つのモデルの平均を表します。

  • 「シナリオ」は将来の計算に利用された温室効果ガスの排出シナリオを表します。過去期間については、どれを選択しても結果は同じです。

  • 「水リスク指標」は選択可能なものを表します。指標は第4章に詳しい説明があります。

  • 「基本変数」は水リスク指標を計算する際に使ったより基本的な水資源や水利用の量のうち、選択可能なものを表します。

  • 「年」は地図を描画する対象年を表します。年々変動の影響を除去するため、時系列は21年移動平均がされています。

 オプションをクリックするとオプションが表示されます。

  • 「1.地図解像度の設定」は「低」ですが、「中」や「高」を選ぶと地図描画の解像度が上がります。ズームインした時の見え方を改善しますが、描画にはより多くの時間がかかります。

  • 「2.不透明度の調整」で水リスク指標の透明度を変更することができます。地図描画は基本地図(Google Map)に半透明の水リスク指標を重ねる形で行っています。

水リスク指標の時系列グラフ

 地図の右上に表示されるのが、ある一地点の水リスク指標の時系列グラフです。この機能はAqueductにはないものです(2021/1月末現在)。過去から将来にかけての水リスク指標や基本変数の大まかな動きを見ることができます。

 年々変動の影響を除去するため、時系列は21年移動平均がされています。実際は年々変動もあります。

 初期設定では茨城県つくば市の水ストレスの変化が示されます。地図上で表示したい地点をクリックすると地点が変わります。指定されている地点の緯度経度はコントローラの緯度・経度に表示されます。

 表示する場所は、コントローラの「地点の指定」で選択することもできます。「地名から指定」は地名を入力することで検索する方法です。「緯度経度から指定」は緯度経度を直接入力する方法です。

指標変化の要因分析

 オプションの「3.時系列プロットの追加」を使うと、表示する時系列グラフを増やすことができます。例えば、水ストレスは河川流量(水資源量)に対する総取水量の割合を示した指標であることから、二つ目の時系列グラフに総取水量、三つ目に河川流量(水資源量)を表示すると、水ストレス指標の変化の要因が主に取水量の変化によるものか、河川流量の変化によるものか、知ることができます。

2.2 H08水リスクツールの長所

 この節では、H08水リスクツールの主な長所について述べます。詳細については、第3部 応用編で論じる予定です。

最新のモデル

 水リスク指標の計算には全球水資源モデルH08の最新版を利用しています。このモデルは地球の陸地を50km程度の格子に区切り、自然の水循環と人間の水利用を1日単位で計算します。全球水資源モデルH08は人間の水利用と水管理の表現に重点を置いて過去20年にわたり開発されてきたモデルです。モデルの詳細を記述した論文は2018年に水文学分野における重要誌の一つ、Hydrology and Earth System Sciencesに掲載されています。

最新のデータ

 全球水資源モデルH08の計算を行うには、気象条件と地理条件を入力しなければなりません。気象条件とは、気温や降水量などのことで、50km程度の格子かつ一日単位の情報が必要です。地理条件とは、川の流路や、農地の分布などのことで、50km程度の格子単位の情報が必要です。特に、過去から将来までの長期間にわたって、気象・地理条件のデータを整備することは極めて困難です。

 今回水リスク評価の計算に使ったのは、国際プロジェクトISIMIP第3期が提供しているデータです。ISIMIPはH08のような全球規模モデルによる気候変動影響の予測とモデル間相互作用の実現のため実施されているもので、数年に一度、最新の情報や技術を駆使した全球規模モデルの利用に適した気象条件と地理条件を提供しています。

最新のツール

 H08を使うと、水循環と水利用に関する様々な量を計算することができます。研究者たちは計算された量を使って、実に様々な地球水資源の応用研究を実現してきました。しかし、研究者以外の方にとって、計算された結果と現実の水リスクを結び付けて考えることは決して容易ではありません。そこで、まずは世界的に利用されている Aqueductと類似の機能を持つツールを開発しました。指標の選択や視覚的な表現もAqueductに合わせているのは、Aqueductと比較したうえで、納得して使っていただきたいからという意図もあります。その上で、Aqueductにはない時系列の表示や要因分析に繋がる複数変数の表示機能を付けました。

2.3 H08水リスクツールの短所

 前節の通り、H08水リスクツールは様々な強みを持ちますが、残念ながら、確実な真実を表すものではありません。詳細は第3部に譲りますが、端的に言うと、H08水リスクツールで表示されているほぼすべての量は計算の結果です。複雑な自然や人間の営みを単純な式で置き換えて計算をしているので、現実と完全に一致することはないのです。

精度(再現性)

計算された結果が観測された事実とどれくらい近いかを表す概念を精度(再現性)と言います。H08にどれくらい精度があるかの専門的な議論は論文に示されています。ざっというと、表現しようとするもの(たとえば河川流量か農業用水取水量か)によりますが、国や大流域といった単位での精度は「倍半分」です。すなわち、示された計算結果は観測や報告書の値の倍になっていたり、半分になっていたりする場合があります。H08は世界中の水資源モデルと切磋琢磨してきましたが、Aqueductに使われている主にオランダで開発されている全球水資源モデルPCR-GLOBWB2を含めて、現時点の世界水循環モデルは「だいたい」これくらいの精度しかありません(「だいたい」というのは、モデル毎に条件や強みが違い、単純比較ができないことによります)。

解像度

H08の計算は緯度経度0.5度格子で行われています。これは赤道付近で55km四方に相当します。まず、これより小さなスケールの情報は計算に含まれません。また、非常に重要な点として、H08のような格子で計算するモデルは必ずしも格子毎に結果を分析するように設計・開発されていません。このことは、タイルを使ったモザイク画を考えると分かりやすいと思います。モザイク画は離れて見ると見事な絵が浮かび上がりますが、目を近づけて一つ一つのタイルを見ても、そこには絵としての情報をほとんど持っていません。H08水リスクツールはグリッド毎の値や年単位の時系列を表示できるようになっていますが、あくまでも地域や期間の傾向を見るためのものとご理解ください。

2.4 H08水リスクツールをどう使えばよいのか

 前節までに水リスクツールの基本的な機能と利点や欠点を説明してきました。こうした点を踏まえて、開発者としてどのような利用を想定しているのかを解説します。

相対的な水リスクの把握

 関心のある地域が世界全体、あるいは周辺地域と比べてリスクが高いのか把握する、というのが最も基本的な使い方です。

時間変化と要因分析

水リスク指標は2つの要素の比としてあらわされるものが多いため、指標が同じの2地点があったとしても、水資源量や水利用量が全く異なる場合があります。そこで、指標を個々の要素に分解してみることで、指標の大小や変化の背景にあるものを把握する、というのがもう一つの使い方です。

AQUEDUCT等との比較

 Aqueduct等の他の水リスクツール同士で結果を比べてみる、という使い方もあります。これまでにも述べてきた通り、水循環のシミュレーションや水リスク指標には不確実性があります。複数のツールを使って調べ、どのツールを使っても水リスクが高いのであれば、もっともらしさは高いと言えるでしょう。

水リスクの理解

 環境問題全般に言えることとして、本来非常に複雑な環境リスクが、極めて単純な指標で表現され、議論が独り歩きする傾向があります。水リスクツールと本解説は、水リスク指標の裏側をお知らせしています。これをきっかけに、皆様がモデル、シミュレーション、指標の定義などに遡って水リスクを捉え直していただけるとすると、開発目的は十二分に達成されたことになります。