ポスドク生活

私はこれまでに8人以上の博士号取得者を特別研究員という形で研究室に受け入れてきました。若手研究者にとって、博士号取得後の期間は博士課程在籍時以上に困難で重要な時期です。特別研究員の方に最良の環境を提供するため、私は研究室のルールや運営方法を考えてきました。このページでは、私が新しい特別研究員を受け入れたときに必ず伝えていることをまとめてみます。また、特別研究員からよく頂く質問と、それに対する私の考えについてもまとめてみたいと思います。

特別研究員に伝えていること

プロジェクトの特別研究員が書くべき文章

私が特定のプロジェクトの仕事をする特別研究員に時間をかけて作成することをお願いしている文章が4つあります。それは、①学会発表の予稿(特に2ページ程度あるもの)、②学会発表のスライド(6枚の短縮版)、③論文原稿、④プレスリリース原稿です。これらの4つはプロジェクトを進めるうえでとても重要なことに加え、本人にとってもとても役に立つものです。

1.学会発表の予稿:特に2ページ程度あるもの

学会発表の申し込みをするときに提出する研究の要旨です。予稿はウェブ上にずっと残ることが多いため、後で後悔しないよう、しっかり書きましょう。200-400 words程度の文章のみの場合がほとんどですが、ときどき、2ページ程度の予稿を求められる時があります。この場合は、面倒くさがらずに、特にしっかり書きましょう。2~4ページ程度の予稿は、実はプロジェクトの年度報告に求められる分量とよく一致します。しっかり学会発表の予稿を準備することで、プロジェクトマネージャーの年度末の報告書の執筆がうんと楽になります。

2.学会発表のスライド:6枚の短縮版

学会発表で利用するスライドです。専門家が集まる学会での発表は、極めて重要です(論文の査読者、申請書の評価者、将来の上司がいるかもしれないのですから)。若手研究者は、研究の全てを詰め込んだ枚数の多いスライドを作りがちです。これも大切なことですが、実は専門家相手に十分な時間(20-60分)をとって研究を説明できる機会はそれほど多くありません。それよりも圧倒的に多いのはプロジェクトの進捗報告時に、極端に短い時間(質疑応答なしで1・3・5分、質疑応答ありでも10分程度)の発表を求められる機会です。そのときのために、イントロ1枚、方法2枚、結果2枚、結論1枚からなるスライドがあると、プロジェクトマネージャーの仕事はうんと楽になります。

3.論文原稿

査読付きの論文原稿です。若手研究者の評価は筆頭著者になった論文だけで行われると考えるのが無難です。共著論文、学会発表、その他のプロジェクト関連の成果物は、よほど重要なもの以外は、採用時等にカウントされていないようです。実はプロジェクトの評価も、多くの場合は事実上論文だけで行われます。1本でも多くの論文が受理されていると、プロジェクトマネージャーは精神的にうんと楽になります。

4.プレスリリース原稿

記者に向けて書かれる論文紹介の原稿です。多くの若手研究者にとって、自分の仕事がマスメディアのニュースになることは信じられないようです。ただ、面白い研究は、実は誰にとっても面白いのです。研究を論文の文章にするのさえ苦労するのに、さらに一般の方に分かるようにかみ砕くのは難しいことです。でも、積極的に挑戦してください。プレスリリースがあると、同業者の枠を超えた発信ができるようになります。例えば、同じ大学・研究所の中でも、あなたの論文を読んで理解できる人は研究室以外にはほとんどいません。ところが、プレスリリース資料なら、かなり分野が異なっていても、少なくとも概略だけは理解してもらえます。同じことは研究費を配分する機関の担当者にも言えます。このように、プレスリリース資料が揃っていると、プロジェクトマネージャーの渉外活動がうんと楽になります。賢明な読者は、若手研究者にとっても重要だということも分かりましたね。そう、採用担当者だって、プレスリリースぐらいまでかみ砕いてもらわないと、あなたの研究の中身なんて分からないのです。プレスリリース資料作成の経験は、将来の応募書類の作成や研究費の申請にとてつもなく役に立つのです。


特別研究員にもらった質問

【研究者個人のウェブサイト、SNSについて:ウェブサイトやSNSを積極的にやるべきか?

概要:研究者は個人のウェブサイトを持つべきです。残念ながら、私はSNSのことが全く分かりません(全くやらないので)。

詳細:一つの側面から見ると、ポスドク(特別研究員)は大学の助教や研究所の研究員から採用されるのを待っている期間と言えます。大学や研究所の採用担当者は、もちろん応募者の書類を見ますが、それ以外にもウェブと論文データベース(Web of ScienceやGoogle Scholar)の検索も行っています。きちんと研究者としての情報を整理しておくと、採用に向けての有効なアピールになるでしょう。


【論文の査読について】論文の査読は引き受けるべきか?勤務時間中にやるべきか?

概要:論文の査読は積極的に引き受けるべきです。また、勤務時間中にやるべきです。ただし、どれだけ時間を使うかは、よく考えるべきです。
詳細:研究者の仕事は極論すれば論文を書くことです。博士号取得後の若手研究者は、1年間に1本は論文を書くのが仕事です。論文は査読を受けて出版されます。1本の論文を書くには最低2名、通常3名の査読者が必要です。つまり、1本の論文を書くなら、3本の査読もしなければ、研究者全体の査読が回りません。ですので、書いた論文の本数の3倍の査読をするのは「義務」なのです。論文を書くのが「仕事」なら、査読をするのも「仕事」であることも自明でしょう。
 ここまでが基本ですが、さらに考えなければなりません。論文の筆者には修士・博士課程の学生もいます。また、要職にあるシニアな研究者もいます。これらの方は査読をするのが難しため、特に研究に専念できる若手研究者はさらに数倍の査読をしなければ、やはり研究者全体の査読が回らないのです。よって、特別研究員の方1年間に3本は必須として、できるだけ6~12本の査読を引き受けてほしいと私は思います。査読をすると、実に多くのことを学べます。それについては、また別の項目で書きたいと思います。
 さて、1年間12本、1か月に1本の論文査読をするとして、それにどれくらいの時間をかけるべきでしょうか。論文は別の項目に書いた通り「人類の知のフロンティアを示すこと」です。本当にフロンティアと言えるのか判定するのはフロンティアの近くにいる人しかできないので、査読は真剣にやるべきです。一方で研究者の仕事は自分自身がフロンティアを開拓し、発表することです。査読が忙しかったから自分の研究が遅れた、できなかった、ということもあってもならないのです。論文は長さや内容などが様々で一概に言いづらいのですが、個人的な見解として、1本の論文(full paper; ~10,000 words)の査読にかけてよい時間は最大1日だと思います。このようにすれば、1か月の勤務日(平日)が20日を少し超える程度であることを踏まえると、査読にあてる時間は勤務時間の5%を切るくらいになると思います。このあたりが、一つのバランスの取り方ではないかと思います。