第4章 水リスク指標

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 水資源の逼迫を表すのは、とても難しい問題です。「水資源=降水量」だとみなせば、年平均降水量で表せばよいことになります。ところが、前章でも述べた通り、必ずしも降水量は全て水資源になりません。「水資源=河川流量」だとみなせば、流域の年平均河川流量で表せばよいことになります。ところが、河川流量が1m3/秒(毎秒1立方メートル)あったとしても、流域人口がゼロなら水資源は逼迫しているとは言えませんし、逆に100万人なら極度に逼迫していることになります。さらに、季節変化、水質、など考える要素がたくさんあります。水資源の逼迫を考えるうえで、水資源と水利用のバランスや、何を水資源とみなすかが鍵です。

 これまでに水資源の逼迫に関する水リスク指標が多数提案されてきました。それらの中でも比較的よく使われている5つの指標がWRIのAqueductに掲載されています。H08水リスクツールではそれらに加え、「取水の持続可能性」という新しい指標も提供します。

4.1 水ストレス指標

定義

 年間取水量を年間河川流量で割った値を指標とします。量を量で割っているため、単位はありません。例えば、年間河川流量が20km3/年の流域の年間取水量が3km3/年の場合、

3/20=0.15

つまり、0.15 (15%)となります。

意味

 年間水資源量のうちどれだけを取水しているかを示し、値が大きいほど水資源が逼迫することを表します。取水量が大きくなるか、河川流量が小さくなると、値が大きくなり、水資源が逼迫すると判定されます。

閾値

 水ストレス指標が0.15 (15%)と言われても多いのか少ないのかピンときません。値と水逼迫の対応表が表1のように作られています。年間取水量が年間水資源量の0.2 (20%)を超えると、水逼迫地域と分類され、0.4や1を上回るとそれぞれ、高い、とても高い水逼迫地域と分類されます。表1に従うと、0.15 (15%)は「低いレベルの水逼迫地域」ということになります。水ストレスも世界各国で計算されています。国連食糧農業機関のデータベースによると、日本の2007年時点の年間水資源量は430km3/年、年間取水量は83km3/年なので、水ストレス指標は0.19です。

歴史と根拠

 この指標はWacław Balcerskiというポーランドの研究者の1964年の著作に起源があるとされています。その後、一人当たり水資源指標の提唱者であるMalin Falkenmarkにより概念が整理され、現在では水資源評価において、最もよく使われる指標になりました。もともとBalcerskiが主張したのは、年間水資源量が年間取水量の5倍を下回ると、経済発展の阻害要因になるということでした。

利点

 この指標の利点は分かりやすさとデータの得やすさにあります。まず、使える量に対する使った量の割合なので、直感的で分かりやすいです。また、必要なデータが年間水資源量と年間取水量だけです。これらは国連食糧農業機関のAquastatというデータベースに収録されているため、国レベルであれば、世界中どこでも、比較的簡単に指標の算出ができます。

欠点

 直感的で計算も簡単ですが、この指標には限界もあります。雨期の豊富な河川流量が年間水資源量を押し上げるため、乾期の水不足の問題を隠してしまいます。なお、閾値が0.2や0.4となっており、年間を通じて安定して得られる水資源量が限定的であることは間接的には表現されています。この他に、この指標を温暖化の影響評価に使用する時には特に注意が必要です。温暖化によって多くの地域では、年降水量と年河川流量が増えるため、この指標は値が小さくなり、「水逼迫が緩和する」ように映ります。ところが、実際に起きることは逆です。温暖化はほとんどの場合、雨期の流量を増やし、乾期の流量を減らすので、年間河川流量が増えたとしても一年の大半の期間は、水資源はより逼迫することになるのです。

使い方

 年間河川流量と年間取水量という、水資源量と水利用量に関する最も基本的なデータを使った指標です。国あるいは大陸河川くらいの規模で、その地域の相対的な水逼迫を世界全体と比較するために使うのが適当です。

4.2デプレション指標

定義

 水ストレス指標とほとんど同じですが、年間取水量ではなく、年間水消費量を年間河川流量で割った値を指標とします。量を量で割っているため、単位はありません。例えば、年間河川流量が20km3/年の流域の年間水消費量が2km3/年の場合、

2/20=0.10

つまり、0.10 (10%)となります。比較的新しい指標で、日本語訳が定まっていません。英語でWater depletion(水減耗)ということから、水ストレス(Water stress)と対比させるため、とりあえず「水デプレション」と呼んでみることにします。

意味

年間水資源量のうちどれだけを消費しているかを示し、値が大きいほど水資源が逼迫することを表します。水の消費にはいくつかの定義がありますが、H08では水を蒸発させることと定義しています。他に汚染しても消費とみなすという考えがありますが、水の処理まで考える必要があり、特に遠い過去や将来の推計がとても難しくなります水消費量が大きくなるか、または河川流量が小さくなると、値は大きくなり、水が逼迫すると判定されます

閾値

値と水逼迫の対応表が表2のように作られています。年間取水量が年間水資源量の0.25 (25%)を超えると、水逼迫地域と分類され、0.50.75を上回るとそれぞれ、高い、とても高い水逼迫地域と分類されます。表2に従うと、0.10 (10%)は「低いレベルの水逼迫地域」ということになります。

歴史と根拠

 この指標は比較的新しく、Kate Braumanらによって2016年に提案されました。水ストレス指標の一つの問題として、復帰水(return flow)の扱いがあります。取水されても、すべてが消費される(蒸発する)わけではなく、大半が再び水源に戻ります。例えば、川から取水された農業用水は田畑で蒸発散もしますが、排水路を通って川に戻ったり、地中に浸み込んで地下水になったりします。川に戻ったり、地下水になった水は再び水源として使うことができるので、復帰水を考慮できない水ストレス指標(取水量)は渇水を過大評価しているともいえるわけです。具体的な例を出すと、淀川の流域全体で水ストレス指標を計算すると1を超えるような高い値になることがあります。これは、上流から下流まで取水・放流が繰り返されているからです。国土交通省淀川河川事務所によると淀川下流の給水区域では、約半数の人が5回目の再利用水を飲んでいるのだそうです。

利点

この指標を使うと、流域全体で消費された水が、川の流量のどれくらいに相当するのかが示せることになります。淀川でも1を超えることはなくなります。

欠点

取水量は取水地点で測ることができますが、田畑に撒かれた水などがどれだけ蒸発したかといった消費量を測る有効な手法はありません。よって、観測ベースの統計値が存在しないという問題があります。唯一できるのはH08のようなモデルで推定することなのですが、相当な不確実性が伴います。また、指標が新しいため、水ストレス指標と比べると利用実績がまだまだ限定的です。

4.3 流出量の年々変動

定義

年流出量の標準偏差を平均年流出量で割ったものです。量を量で割るため、単位はありません。例えば、年流出量の標準偏差が100 mm/年で、平均年流出量が500mm/年の場合、1/5=0.2つまり、0.2 (20%)となります。

意味

流出量の年々変動を表します。値が大きいほど、水資源量が不安定になることを示します。

閾値

WRI Aqueduct 2.1によって、表3の対応表が作られています。流出量の年々変動が0.25 (25%)を上回ると、リスクありと分類され、0.75や1.0を上回るとそれぞれ、高い、とても高いリスクと分類されます。表3に従うと、0.2は「低リスク」ということになります。

歴史と根拠

流出量は水循環の最も基本的な変数です。また、標準偏差を平均で割った値は変動係数と呼ばれ、やはり統計学の基本的な量です。なので、年流出量の年々変動は指標とも呼べないほど基本的な量と言えます。ちなみに、この指標は河川流量の解析などに用いられますが、水資源評価ではあまり使われません。おそらく、水利WRI AqueductではVersion 2.1から指標になっており、比較のためにこちらでも出せるようにしておきました。

利点

非常に基本的な変数で、流出量の年々変動の相対的な大きさを示すことができます。

欠点

砂漠や乾燥地での値が際立ってしまい、あまり情報をもたらさないことがあります。つまり、砂漠や乾燥地では平均流出量が小さいのですが、稀に大雨が降ることがあり、その時、突出した流出が発生します。このような場合、流出量の平均値は小さく、標準偏差は大きくなるので、変動係数がとても大きくなります。

4.4 流出量の季節変動

定義

平均月流出量の標準偏差※を平均月流出量の平均※で割ったものです。量を量で割るため、単位はありません。例えば、平均月流出量の標準偏差が100 mm/月で、平均流出量の平均が100mm/月の場合、100/100=1.0つまり、1.0 (100%)となります。
平年の1月、2月、、、の流出量を平均月流出量と言います。平均月流出量の平均は平均年流出量と同じですが、単位は/年ではなく、/月になります。

意味

流出量の季節変動を表します。値が大きいほど、水資源量が不安定になることを示します。

閾値

WRI Aqueduct 2.1によって、表の対応表が作られています。流出量の年々変動が0.33 (33%)を上回るとリスクありと分類され、1.00や1.33を上回るとそれぞれ、高い、とても高いリスクと分類されます。表に従うと、1.0は「高リスク」ということになります。

歴史と根拠

流出量は季節的に変動しており、その相対的な大きさを、月毎の流出量のばらつき(標準偏差)の月毎の流出量の平均に対する比として表しています。年流出量の年々変動と同様に、指標とも呼べないほど基本的な量です。WRI AqueductではVersion 2.1から指標として利用されており、比較のためにこちらでも出せるようにしておきました。

利点

非常に基本的な変数で、流出量の季節変動の相対的な大きさを示すことができます。

欠点

年々変動と同様に砂漠や乾燥地での値が際立ってしまい、グローバルな地図としては、あまり有効な情報をもたらさないことがあります。前項で述べた通り、砂漠や乾燥地ではほとんどの期間は流出量が小さいのですが、稀に大雨によ突出した流出が発生します。このように、ごく少数のイベントで流出量の平均値や標準偏差が大きく変わってしまう場合、必ずしも季節変動がうまくとらえられていないことがあります。

4.5 地下水位低下

定義

地下水位の低下の速度をcm/yの単位で表したものです。これまでの指標と異なり、これは直接観測のできる物理的な値です。

意味

年々、地下水位が低下している場合、涵養量を上回る地下水の汲み上げが行われている可能性が高く、将来的には地下水の枯渇が懸念されます。

閾値

WRI Aqueduct 3ではの対応表が作られています。根拠としてはエキスパートジャッジとGalvis Rodriguez et al. による「メモ」によると説明されています。

歴史と根拠

 地下水の過剰汲み上げは最も重要な水問題の一つです。しかし、個々の井戸の観測はできても、地中の水の流れは極めて複雑で、広がりのある地域の平均的な地下水位の挙動を推定することは極めて困難でした。その後、観測やモデルのいくつかのブレークスルーによって、広域の地下水の動きの観測とモデリングが、少しずつ進んでいます。Aqueduct 3が示しているのはPCR-GLOBWB2というH08と似た機能を持つ全球水資源モデルで涵養量と地下水取水量まで計算し、MODFLOWという地下水の流動を表現するモデルに渡すことで地下水位の変動を推定した結果で、地下水位が減っている流域を表示しています。H08水リスクツールで示しているのは、H08で同様の計算をした結果です。H08は地下水流動を表現できないため、涵養量を上回る地下水の汲み上げがどれだけあるかという結果を表示しています。

利点

 非常に基本的な水循環の変数であり、かつ、地下水の過剰汲み上げという最も重要な水問題に直接言及した指標です。

欠点

 歴史と根拠に示した通り、モデルの開発、シミュレーションの実施、結果の検証のどれ一つを取ってもまだ非常に難しく、推定された結果には大きな不確実性があります。

4.6 取水の持続可能性

定義

 現地の持続可能な水源からの年間取水量を年間総取水量で割ったものです。現地の持続可能な水源とは河川水や浅い地下水など、降雨や融雪による再生可能な水源を指します。ちなみに、涵養されるまでに長い年月のかかる深層の地下水、遠隔地からの導水、海水を淡水化した水は、持続可能でないとみなします。量を量で割るため、単位はありません。例えば、年間取水量が5km3/年の流域で持続可能な水源からの取水量が3km/年の場合、3/5=0.6つまり、0.6 (60%)となります。

意味

 取水にどれくらい持続可能性があるかを示します。値が大きいほど、水資源に永続性があるという観点から持続可能性が高く、値が小さいほど、遠隔地や枯渇性の水源に頼っているという観点から持続可能性が低いと判断されます。

閾値

 値と水資源の逼迫の対応表が表3のように作られています。水持続可能性指標が年間取水量が0.8 (80%)を下回ると、水逼迫地域と分類され、0.5や0.3を下回るとそれぞれ、高い、とても高い水逼迫地域と分類されます。表3に従うと、0.6は「中程度の水逼迫地域」ということになります。

歴史と根拠

この指標は私が開発し、2008年に論文で発表しました。以降、いくつもの重要な論文で、利用・引用されてきました。もともとは、全球水資源モデルH08の開発によって水需要と河川流量が時空間詳細に計算できるようになった際に、日・月単位で変動する水需要が同じく変動する河川流量で満たせるかを判定することを目的として開発されました。このため、当初は「取りたいときに取りたい量の水がとれるかを表す指標」と説明されていました。その後、H08が発達し、地下水を含む様々な水源を扱うことができるようになりました。そのため、持続可能でない水源に頼れば取りたいときに取れるようになってしまったため、冒頭の説明のように、基本的な発想を変えることなく、定義が変わりました。

利点

この指標は一人当たり水資源量や水ストレス指標の課題であった水需給の季節性を考慮することができます。乾期には降水量や河川流量が少ないので、持続可能な水源が減ります。この時に大きな水需要があれば、持続可能な水源からだけは調達できず、指標の値は下がることになります。また、温暖化の影響評価にも適しています。例えば、雨期に河川流量がどれだけ増えても、持続可能な水源からの取水は需要量以上には増えません。洪水をもたらすような大きな雨期の河川流量は水資源量としてカウントされません。

欠点

この指標は日・月単位で水需要量と持続可能な水資源量が推定できることが前提となります。観測ベースではこうしたデータは入手することができないため、あくまでシミュレーションベースの指標ということになります。

使い方

雨期と乾期の差異が明瞭な南・東南アジア域での水逼迫や、雨期と乾期で河川流量の増減の符号が変わる温暖化時の水逼迫などの評価に力を発揮します。

4.7 一人当たり水資源量(H08水リスクツールにない

注意

水ストレス指標と並んでよく使われる水逼迫の指標である一人当たり水資源量も、ご参考までに紹介します。なお、この指標は現時点でH08水リスクツールに登載していません。

定義

一人当たり水資源量、つまり年間河川流量を人口で割った値を指標とします。単位はm3/年/人です。例えば、年間河川流量が1m3/秒の流域に10,000人の人が住んでいるとすれば、1日が86,400秒であることに注意して計算すると、

1*86400*365/10000=3153

つまり、約3,200m3/年/人となります。

意味

文字通り、一人当たりの水資源量を示し、値が小さいほど水資源が逼迫することを表します。人口が増えれば、値は小さくなります。また流量が減ると値は小さくなります。

閾値

 一人当たり水資源量が3,200m3/年/人と言われても多いのか少ないのかピンときません。値と水資源の逼迫の対応表が表1のように作られています。一人当たり水資源量が1700m3/年/人を下回ると、水逼迫地域と分類され、1000、500m3/年/人を下回るとそれぞれ、高い、とても高い水逼迫地域と分類されます。表1に従うと、3200m3/年/人は「低いレベルの水逼迫地域」ということになります。一人当たり水資源量は世界各国で計算されています。国土交通省の資料によると、日本の一人当たり水資源量は3,337m3/年/人です。ちなみに、世界平均は7,044m3/年/人なので、半分しかありません。

歴史と根拠

この指標はMalin Falkenmarkというスウェーデンの研究者により提案されました。そのため、Falkenmark指標とも呼ばれます。もともとこの指標は年間1,000,000m3の水を何人で分け合うかという発想からきたものでした。彼女は経験的に600人以上で分け合おうとすると水逼迫状態になることを見出しました。表1の1700という閾値は1,000,000÷600=1,666≒1700m3/年/人に由来します。

利点

この指標の利点は分かりやすさとデータの得やすさにあります。まず、水資源量を一人当たりに換算したもので、直感的に何を示しているのか、誰にでも分かりやすいです。また、必要なデータが平均河川流量と人口だけのため、国レベルであれば、世界中どこでも、比較的簡単に指標の算出ができます。

欠点

直感的で計算も簡単ですが、この指標には限界もあります。まず、一人当たり水利用量が国や地域によって大きく異なることです。水道があり、産業や生活に多くの水を使っているアメリカや日本のような国と、水道普及率が低く、水をあまり使っていないサブサハラアフリカの国では、一人当たり水利用量は異なります。また、最も多くの水を使うのは灌漑ですが、灌漑が盛んなアジアと、盛んでないヨーロッパや南米ではやはり水利用量が大きく異なります。次に、年平均河川流量が用いられることです。河川流量には季節変動があります。第2章で見た通り、雨季と乾季のあるアジアでは、水の不足は主に乾季に起こりますが、雨期の豊富な河川流量が年間河川流量が押し上げるため、乾季の問題を覆い隠してしまうことがあります。一人当たり水資源量だけでは水逼迫をとらえきれないと言えます。

使い方

年間河川流量と人口という、水資源量と水利用量に関する最も基本的なデータを使った指標であり、国くらいの規模で、世界全体を眺めるために使うのが適当です。国より小さな規模で見るときには注意が必要です。例えば、日本の県単位、流域単位で比較して一喜一憂するのはあまり意味がないでしょう。なぜなら、複数の県にまたがって川が流れている場合、その川の流量がどちらの県のものかを議論するのは大変難しく、また、生活や産業は県や流域で完結しないからです。このように課題が多いため、H08水リスクツールやWRI Aqueductではこの指標が採用されていません。

参考文献

  1. Brauman, K., Richter, B., Postel, S., Malsy, M. & Flörke, M. Water depletion: An improved metric for incorporating seasonal and dry-year water scarcity into water risk assessments. Elem Sci Anth 4, 83, doi:10.12952/journal.elementa.000083 (2016).

  2. Hanasaki, N., Yoshikawa, S., Pokhrel, Y. & Kanae, S. A Quantitative Investigation of the Thresholds for Two Conventional Water Scarcity Indicators Using a State-of-the-Art Global Hydrological Model With Human Activities. Water Resources Research 54, 8279-8294, doi:doi:10.1029/2018WR022931 (2018).


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