第7回研究会
第7回研究会では、「内部観測と間合い」というテーマを設け、松野孝一郎氏(長岡技術科学大学)に招待講演をお願いしました。
テーマ趣旨
間合いを論じるときに必須なのが、現象を観察する目の在り処である。伝統的な三人称視点のみでは現象を客体化するあまり、現象から切り離され、現象の重要側面を取り逃がしてしまう。間合いを形成する本人の一人称視点、相手の想いや視点を想定する二人称視点は欠かせないはずである。一方、「内部観測」は、現象に関与する環境要素も含めて一つのシステムと捉えた時に、システムの内部で起きているものごとを、システムの内側視点で観察することであり(「内部を観測」ではなく、「内部で観測」である)、伝統的な三人称とは異なる視点を用いることが科学的営為たり得るのかを問う哲学的思惟でもある。間合いという現象が、内部観測という概念とはどのような関係を切り結ぶのかを議論する会としたい。
日程
2017年2月11日(土)13:00-17:40
場所
東京工業大学大岡山キャンパス 大岡山西8号館(E)10F 大会議室
テーマ
「内部観測と間合い」および一般
招待講演
松野孝一郎氏(長岡技術科学大学)
参加費用
無料
プログラム
13:00-13:40 一般セッション
13:00-13:40
「カタリスティック・リーダーシップの形成と変遷」(発表原稿PDF)
西中美和(総合研究大学院大学)
小集団における自然発生的な仮想的役割の発生過程、とくにリーダーシップ機能の発生と変化、遷移に着目した。集団の構成員の組み合わせによって、役割が動的に変わり、それによってアウトプットがどのように創造されているかを明らかにする。自律的な小集団においては、構成員に影響を与えることのできるカタリストとしてのリーダーシップが有効ではないかという仮説を提唱する。
13:40-14:20 テーマセッション「内部観測と間合い」(1)
13:40-14:20
「内省的主体間の相互作用モデル:わたし、あなた、オブジェクト」
澤宏司(国際基督教大学高校),Abir U. IGAMBERDIEV(Memorial University of Newfoundland)
本報告ではV. Lefebvre (Lefebvre V.A., 1992, J. Math. Psychol. 36, 100–128) の内省モデルに基づいた主体間の相互作用的対話モデルについて報告する。各主体は一重または二重の反射的な自己イメージを保持しつつ、他者との対話を試みる。二重の自己かつ連続量のとき、ある条件下で対話の履歴はべき乗則を示すが、離散量とした場合にも非自明な挙動をあらわす。モデルにおいて主体と観察対象に質的な違いはなく、その意味で提案モデルは内部観測的である。
14:35-15:35 招待講演
「指すと、指されるとの間合いから立ち上がる内部観測」(発表原稿PDF)
松野孝一郎氏(長岡技術科学大学)
われわれを含む一人称行為体は、観測を行為に直結することのできる内部観測体であり、観測に行為を継起させつつ行為に観測を継起させる。観測が行為を挟んで継起する観測に結合する際に生じる間合いは、内部観測に固有な運動を担う。観測の観測がもたらすことになる運動にあっては、運動への能動判断を担う意志の発動が常に対象化された意志への意識にたいして先行する。意識されることなく意志の発動を可能とするのが内部観測である。
15:50-17:40 テーマセッション「内部観測と間合い」(2)
15:50-16:30
「内部観測がもたらす操作的身体と所有身体における間合い」(発表原稿PDF)
郡司ペギオ幸夫(早稲田大学)
内部観測は、直接知覚不可能な外部を、内側から推論し、内部操作だけから間接的に受け容れる過程である。ここでは内部観測を、身体に関するベイズ・逆ベイズ推定としてモデル化し、この対から、操作感をもたらす操作身体、所有感をもたらす所有身体という身体の二重性が現れることを示す。操作身体と所有身体とが、動的相関を持って連動することこそ、身体における内的間合いであり、身体性の獲得を意味するものと考えられる。
16:30-17:10
「間合いという身体知―内部観測の観点から」
諏訪正樹(慶應義塾大学),坂井田瑠衣(慶應義塾大学/日本学術振興会),伝康晴(千葉大学)
典型的な対人スポーツや会話だけでなく,生活全般に偏在する間合いという現象について,様々な事例を持ち出して論じる.間合いにおいて自分の身体に相対するもの(存在)は必ずしも人ではなく,ものや空間に相対する場合もある.本稿は,間合いという現象についての新しい仮説を提示するものである.自分の心身状態から「染み出す」何かと,相対する人,もの,空間から「染み出す」何かが混ざり合って,折り合いをもたらすということが,「自分の間合いをつくる/ができる」ということではないかと.自分と相対するものを同じ系の内側の存在として感じるからこそ,そういった間合いがつくられる.決して,「自分と相対するものがそれぞれ独立して存在する状態から,外部観測的対象の相手となんとか自分の関係性を作り出そうとする」のではないのではないかと.
17:10-17:40
総合議論