ランダムはランダムに思えない

ある連続的な事象を想像してみよう。その事象は四半期ごとの収益でもよいし,インターネット・デートサービスが提示した一群の吉日と凶日でもよい。いずれの場合も,その連続が長ければ長いほど,あるいは,目にする連続的事象が多ければ多いほど,パターンが見えてくる確率は大きくなる。その結果,一連のよい四半期,悪い四半期,あるいは吉日,凶日は,まったく「原因」を必要としない。

その要点をはっきり例示したのが数学者,ジョージ・スペンサー=ブラウンだった。彼は0と1がランダムに10の100万7乗(10^1000007)個並んだ数列には,0が連続して100万個並んでいる箇所が,少なくとも個別に10箇所は存在するはずだと書いた。ある科学的な目的のために乱数を使おうとしていたら,その種の一連の数に出くわした哀れな人間を想像してみよう。彼のコンピュータのソフトは,0を連続的に5個,その後10個,その後20個,1000個,10000個,10万個,50万個,生成した。彼がそのソフトを返品し,金を返してもらうことは,はたして不当か?また,新しく買った乱数表の本をぱらぱらめくると,出てくる数字は「0」ばかり。科学者はそれに対してどう反応するだろうか?スペンサー=ブラウンが示した要点は,プロセスがランダムであることと,ランダムに見えるプロセスを生成することとは違う,ということだった。

実際アップル社は,音楽プレーヤーiPodで最初に採用したランダム・シャッフリングの方法で,その問題にぶつかった。というのは,真のランダムネスはときどき繰り返しを生み出すが,同じ歌が同じアーティストによって繰り返し演奏されるのを聴いたiPodユーザーが,シャッフルはランダムではないと思ったからだ。そこで「もっとランダムな感じにするために少しランダムではなくした」と,アップル社の創業者スティーヴ・ジョブスは言った。

レナード・ムロディナウ 田中三彦(訳) (2009). たまたま:日常に潜む「偶然」を科学する ダイヤモンド社 pp.258-259

(Mlodinow, L. (2008). The Drunkard’s Walk: How Randomness Rules Our Lives. New York: Pantheon.)