そうなって当然?

もし私がほかの誰かを傷つければ,その人に対してやさしくする気持ちになるだろうと,あなたは考えるかもしれない。しかし研究,とりわけ子供についての研究は,まるっきり逆のことを示している。ほかの人間を傷つけた子供は,たとえ事故であった場合でさえ,犠牲者の悪いところを考え,要するに,その子がそういう報いを受けるのは当然なのだという理由を考え出す。そして大人は一般にもっと手の込んだ感情をもつが,同じことがいえる。それはまるで,人々が事件の後で,自分自身のおこないを合理化する必要があるかのようである。そして,私たちがいかにしてほかの誰かに危害を及ぼしたかを説明する唯一の方法は,何らかの方法で,彼らはそうなって当然だったのだと自らを説得することである。

私たちはそれを,盗みに入った家の持ち主を軽蔑する泥棒に見る。私たちはそれを,ヴェトナムにおいて,戦慄をもって見た。そこでは,アメリカ軍兵士がますます多くの農民を殺し,障害者をつくりだすにつれて,彼らに対するますます大きな嫌悪を募らせていったのだ。そしてそれは,国家全体の行動にもまったく同じようにあてはまる。ナチスは,ユダヤ人をその手で苦しめたがゆえにユダヤ人を毛嫌いし,イスラエル人は,パレスチナ人が弱くて貧しいがゆえに憎んでいる。

ニコラス・ハンフリー 垂水雄二(訳) (2004). 喪失と獲得 進化心理学から見た心と体 紀伊国屋書店 p.376-377