記憶は変化する

ほとんどの人が,記憶はイメージを記録し,将来取り出せるように蓄えておけるカメラのようなものだと考えている。確かに,ときどきそのカメラは撮りそこねる。それに,ときどき古い写真を見つけるのに苦労する。しかし,それらを別にすれば,記憶は,直接的で信頼性が高く現実を反映する写真が詰まっている。

残念ながら,これは真実に近いとさえ言えない。記憶は生物のプロセスと言った方がよい。記憶は日常的に薄れたり,消滅したり,変形したりする。しかも,ときに劇的である。もっとも強固な記憶は----注意が釘づけとなり,感情が噴出しているときに作られる記憶----さえ変化の対象になる。記憶の研究者がよく行なう実験の一つは,9月11日のテロ攻撃のような重大ニュースと関連づけられる。学生は,非常に印象的な出来事の直後数日のうちにその出来事をどのように聞いたか,つまり,どこにいたか,何をしていたか,ニュースの出所は何かなどを書くように求められる。数年後,同じ学生がこの課題を再度行なうように求められ,2つの答が比較される。それらは決まったように一致することはない。たいてい違いは小さいが,ときおり,全体状況と関係者が異なっていることがある。そういう回答をした学生が,最初の自分が書いたものを見せられ,記憶の変化を指摘されると,たいてい,現在の記憶が正確であり,以前の説明は間違っていると主張する。これは,明らかに不合理であっても,無意識が自らに語りかけることに従ってしまう傾向を示すもう一つの例である。

ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.82-83.

(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)