無報酬の力

こうなることは当然予想すべきだったのかもしれない。人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。たとえば,数年前,全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ,1時間あたり30ドル程度の低価格で,困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかし,その後,全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイデアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると,圧倒的多数の弁護士が引き受けると答えた。

どういうことだろう。0ドルのほうが30ドルより魅力的だなどということがありうるだろうか。じつは,お金の話が出たとき,弁護士たちは市場規範を適用したため,市場での収入に比べてこの提示金額では足りないと考えた。ところが,お金の話抜きで頼まれると,社会規範を適用し,進んで自分の時間を割く気になった。30ドルもらってするボランティアと考えてもよかったはずなのに,なぜ30ドルでは承知しなかったのだろう。考えのなかにいったん市場規範がはいりこむと,社会規範が消えてしまうからだ。

コロンビア大学の経済学教授ナフク・シヘルマンは身をもってこれを体験した。日本で剣道を学んでいたとき,シヘルマンの先生は生徒たちから稽古代を集めなかった。それでは申し訳ないと,ある日生徒たちは,先生の時間と労力に対して謝礼を支払いたいと申しでた。先生は竹刀を置くと,自分の稽古代は高すぎてあなたたちでは払えないだろうと穏やかに答えたそうだ。

ダン・アリエリー 熊谷淳子(訳) (2008). 予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 Pp.109-110