自由とルール

ルールを大切に考えるという発想は,規則を増やしたり,自由の幅を少なくする方向にどうしても考えられてしまうのですが,私が言いたいことはそういうことではありません。むしろ全く逆なのです。

ルールというものは,できるだけ多くの人にできるだけ多くの自由を保障するために必要なものなのです。

なるべく多くの人が,最大限の自由を得られる目的で設定されるのがルールです。ルールというのは,「これさえ守ればあとは自由」というように,「自由」とワンセットになっているのです。

逆にいえば,自由はルールのないところでは成立しません。

「何でも好き勝手にやっていい」ということが自由だとしたら,無茶苦茶なことになってしまいます。人間というものは総じて自分の利益を最優先する傾向があるわけですが,「自分の利益のことしか考えない力の強い人」が一人いたら,複数の人間からなる社会における自由はもうアウトになります。この場合,誰か一人だけが自由で,残りの人はみんな不自由ということになりかねません。ルールの共有性があるからこそ,自由というものが成り立つのです。

ホッブズの「社会契約論」を思い起こしてみてください。

人間が生きるということの本質は自由であり,欲望の実現です。ルールとは,それぞれの人々が欲望を実現するために最低限必要なツールなのです。

欲望は,百パーセントは実現できないかもしれない。しかしたとえば一割,二割,自分の自由を我慢して,対等な立場からルールを守ることでしか,社会のメンバー全員自由を実現することはできないのです。そうすることによって,残りほとんどの欲望は保障されます。でもルールというものの本質がそういうものだということは,なかなか了解されにくいのです。たとえば交通規則を思い出してください。どんなに急いでいても前の信号が赤ならば必ず止まる。一見すると「早く目的地に着きたい」という欲望は制限されていますが,そうした欲望を多少抑制することによって,誰もが安全に,事故に遭うよりはずっと早く目的地にたどりつくことができるのです。

菅野 仁 (2008). 友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 筑摩書房 pp.86-87.