千葉大学鉄道研究会のあゆみ

 2010年、千葉大学の鉄道同好サークルである当鉄道研究会は設立から40周年を迎え、11月21日にはその記念行事が実施されることとなりました。ここでは、会の40年の歴史を紹介し、設立の背景から草創期における会のあゆみについてふれたいと思います。

会の設立年度について

 当会では、2010年を設立40周年と位置付けていることからも分かるとおり、公式には1970(昭和45)年を設立年と定めています。これは正式にサークル団体としての登録を受け、第一回の総会が行われるなど、同年が当会にとっての実質的な活動初年度にあたるためです。以来、1970年が設立年として広く信じられることとなりましたが、会設立20周年にあたる1990(平成2)年、当時設立20周年を記念して設立当時について調査していたところ、1969(昭和44)年には鉄道研究会が同好会組織として活動を開始していたことがOBの証言から明らかになりました。

 当時の資料についてさらに調査検討を加えた結果、1970年当時の議事録からも前年に既に活動を開始していたことが示唆されており、当会の設立年次について従来信じられてきた1970年説を覆す「発見」となったのです。結局のところ、会の設立年次については従来の見解が踏襲され、第一回の総会が開かれ諸制度が整備された1970年をもって設立年とすることが確認されており、この見解は2010年の現在に至るまで踏襲されていますが、草創時の会の様子について知る貴重な発見となりました。

会設立の背景について

 1960年代後半から1970年代前半にかけ、国内では広汎に「SLブーム」が見られました。これは、当時の国鉄が動力の近代化政策を進める中で全国的に蒸気機関車の廃車が進められ、鉄道ファンのみならず一般の人までもが去りゆくSL(Steam Locomotive:蒸気機関車)を惜しみ、その姿を記録に残すことが一大ブームとなっていたのです。この現象により鉄道ファンの裾野が大きく広がった一方で、当時の千葉大学にはまだ鉄道同好サークルがなく、鉄道趣味を持つ学生たちは写真部などに流れる傾向にありました。鉄道同好サークル設立の機運は、まず写真部内の鉄道ファンを中心として形成されることとなり、当時の3年生伊藤正春氏らを中心に1969(昭和44)年5月、千葉大学鉄道研究会の発足が届出されることとなったのです。同年9月には大学当局によりサークル設立が認可され、こうして現在に至る鉄道研究会のあゆみが始まった訳ですが、前述の通り実質的な活動の開始は、翌1970(昭和45)年を待つこととなります。

設立初期の会の隆盛について

 今日、長期的な少子化を背景として大学生の「サークル離れ」が叫ばれて久しく、現在の当会も鉄道ファンを中心に集まる比較的小規模な文化系サークルとなっています。しかし、SLブームを背景として設立された初期の鉄道研究会はかなり会員数が多く、会内にいくつかの会内サークルを抱えていました。これは、設立の背景となった「SLブーム」が1975(昭和50)年の国鉄無煙化の完了まで長期的に続いたこと、折しも会設立と同年の1970(昭和45)年から国鉄で「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが始まり、鉄道旅行が広くブームとなったこと(特に、若い女性層のグループ旅行がこの時期に定着した)等、若者文化の傍らに鉄道が重要な存在として位置していたことが背景にあり、最盛期の1976(昭和51)年には当会の会員数が50名を突破しています。この当時、鉄道研究会では会内サークルとして「道東馬鉄研究会」などが存在しており、彼らの活動成果である研究冊子『軌匡と双合 ―うしなわれたてつどうをもとめて』(1976年12月27日脱稿)は、旧日本陸軍の鉄道聯隊の概要を知る上での資料として貴重なものです。会員たちそれぞれの志向を反映するため、1980(昭和55)年には第二次班制度を施行、模型,写真,研究,旅行の4班を柱に、自動車,芸能,ソフトボール部(これは、学内の他のサークルとの親睦行事や、他大学の鉄道研究会との交流イベントでソフトボールが行われていたため)まで様々な会内サークルを包摂することとなりました。このように、現代の小規模な鉄道サークルとしての鉄道研究会と、当時のそれとでは会内、あるいは会を取り巻く雰囲気が大きく異なっており、時代の変遷をうかがわせます。