現在、当会の活動のシンボル的要素として位置づけられている人車鉄道ですが、その存立基盤は(現在においてもなお)決して盤石なものではありません。1980年代初頭、具体的に廃止論が打ち出されたことがあり、また2000年代半ばも、会員数の減少により危機的な状況を迎えた事がありました。この項では、2つの人車存廃の危機をそれぞれの背景を踏まえた上で概説していきたいと思います。
現在でこそ当会の活動のシンボルとして位置づけられる人車鉄道ですが、運行を開始して5年あまりの1980年代初頭、人車廃止論が打ち出されたことがありました。その背景として、
人車鉄道企画立案の中心的メンバーだった山口博史氏(76会)の卒業(1980年)があり、直接草創期の様子を知る会員がいなくなったこと
1980(昭和55)年度より会員各々の趣味の方向性に合わせた班制度(会員は必ずいずれかの常設班に所属する決まりであった)が施行されているが、人車は常設班に準ずる扱いとされていたために常任のスタッフを持たなかったこと
1980年はレールを購入し線路延長が図られたが、それによる出費負担という経済的な事由
が挙げられます。また、1980年の大学祭では人車の車軸折損事故も発生しました。この事故の後車両は解体され、新たに代替の車両を新造する必要が生じたものの、製作に多額の費用、多くの労力が必要とされることから、会内で人車を廃止すべきであるとする意見も打ち出されるようになりました。
このような経緯から、現サークル会館への部室移転を前にした1982(昭和57)年6月から、会内で人車存続派と人車廃止派の間で激しい論戦が交わされることとなり (3.の経済的な理由のもう一つの背景として、部室移転に関わる費用があったことも挙げられます)、結局夏ごろまで続いた人車の存廃論争は決着を見ることはなかったものの、人車存続派の中心的なメンバーだった原田氏(79会)、石村究氏,吉岡真一氏(80会)らの尽力により廃止の決議を回避し、石村氏を中心とした存続派有志により出資を募って新たな車両を製作することが決定しました。なお、車両製作費の資金調達方法は有志による債券という形が取られています。このような紆余曲折を経て、大学祭までの残り時間も少ない(金属部品の納入を経て、実際に製作に着手したのは10月に入ってから)中で1982年の大学祭では新製された車両(ジハ1101)が無事登場し、当会の人車鉄道の歴史は継承されることとなりました。
このように1982年は当会にとって激動の一年となりましたが、人車鉄道においては翌年、翌々年の営業成績が堅調だったこともあり、人車を廃止すべきとする意見は沈静化し、会内での人車の位置づけが、「毎年自分たちで更新していく手作りの鉄道」という形であらためて示されることとなりました。
1980年代初頭の危機と異なり、2000年代は既に人車鉄道に対し、当会の活動の拠り所としてのコンセンサスが既に得られており、人車鉄道の廃止を唱えた会員はいません。では何故「危機的な状況」として1980年代初頭と比較するに至ったかと言うと、端的に会員数が減少を続け、会の存続自体が危ぶまれた時期があったからです。具体的には、
2001年度:新入会員4人(うち1名がやめ、1名が2003年から新たに加わった)
2002年度:1人
2003年度:ゼロ(ただし1名が2年生になってから加入している)
2004年度:3人(うち1名は2003年度入学の2年生である)
2005年度:2人(ただし2名が2年生になってから加入している)
2006年度:2人(ただし2名とも2005年度入学の2年生である)
といった状況で、継続的な会の活動そのものが危機的な状況にありました。特に2005年は学部生の会員数が5人という危機的な状況で、大学祭はOB諸氏のご協力もいただけるとは言え、線路の設営,撤収に割ける労働力があまりにも少なく、存亡の危機といってよい状況でした。また、人車車体の老朽化も目立ち始めていた点も危機感となって現れていました。一方で、この時期の危機は1980年代初頭とは異なり、これまで人車車体の更新に備えて積み立ててきた内部留保が潤沢にあったことから、経済的な面では特に問題がありません。
したがって、危機的な状況でありながらもサービスの改善を模索していたのがこの時期の特徴であると言え、2005年からは人車車体の電飾をスタート、また現在好評をいただいている硬券の切符も2005年から登場したものです。切符をあらかじめ発注する方式に変わったことの副次的な効果として、従来駅名を人車車両のモチーフら合わせて毎年変えていたのが、「偽千葉~真千葉」にほぼ固定されるようになったこと、大学祭前に切符の図案を考え、印刷・裁断する必要がなくなったため省力化が図られるようになったことが挙げられます。省力化で言えば、従来人車の設営・撤収にあたっては台車を用い人力でレール,枕木を資材置き場から運んでいましたが、2006年度からレンタカーでトラックを借り、輸送の労力を減らすように改められました。幸いにも、2008年度以降は毎年4人前後の新入会員が得られるようになって会員数は底を打ち、また2007年度,2008年度加入の会員達の積極性もあって、2008年には人車車体の更新工事が行われています。
したがって2011年現在では、当面の危機を脱出したと言える状況にありますが、今後も継続して人車事業を続けていくためには、一定数の新入会員を確保し続けることが欠かせません。