人車鉄道の歴史3 (90年代)

1990年(平成2年)

 この年、これまでの用地に新たに校舎が建てられる事になり、人車の運行は生協前へと変更されました。

 この年は京葉線の延伸開業を受けて車体の塗色モチーフは京葉線の快速「マリンドリーム」号となり、これまで初めて、これより後も2009年まで登場しない銀色塗装の人車が走りました。

1991年(平成3年)

 この年はキオスクが登場し、好評を博しました。しかし手間がかかるため翌年で最後となり、現在に至るまで再出店していません。

 また、この年の大きな出来事としては、大学祭直前の強風による車体転倒が挙げられます。幸いにして怪我人もなく、車体の損傷も軽微でしたが、それはそれは大きな音が鳴り響いたそうです。

 この年から運賃は50円となり、2018年まで維持されました。

1992年(平成4年)

 車体が新造され、現在も使われている車両「ジハ3001」がデビューしました。この車両は前年の車体転倒の反省から高さを抑えて重心を下げ、またきわめて堅牢に作られました。これまでの車体は5年ほどで交換されていましたが、この車両は現在まで実に17年もの使用に耐え、以降の人車の歴史はこの車両とともに歩んでゆくことになります。

 この年は車内には1976年以来久々に椅子が置かれ、サービス向上が図られました。また、京成電鉄さまにスポンサーに就いて頂いたため、塗色のモチーフは地元京成電鉄のものが初めて採用され、スカイライナーをイメージしたカラーリングになりました。

1993年(平成5年)

 この年から生協裏が使用不可となり、工学部裏の運行へと変更されたため、集客面では不振の年でした。

 また、京成電鉄さまのご厚意により千葉線で不要になった枕木50本を譲り受けるなど、将来への力を蓄える一年になりました。

1994年(平成6年)

 この年は土に枕木を埋めて線路を敷設する地上敷設方式の最後の年です。

 また、北関東の某鉱山から9kgレールを2万円で購入して重軌条化を達成しました。

1995年(平成7年)

 この年から線路の敷設方法が大きく変わり、地上敷設方式から、舗装された路上に線路を敷く現在の方式へと転換されました。そのため、新しい方式の技術を確立し、安全性を確認するために、秋の大学祭に先立って、初めて春祭(当時)でも人車の運行が行われました(この時は人は乗せずにデモンストレーションのみ)。

 そして「本番」と言える大学祭では久々に乗客1000人以上を達成し、大きな盛り上がりを見せました。

 また、この年は大学祭の後ももう一度人車の運行がありました。千葉大学附属養護学校での、「長沼ふよう祭」での実施です。これまでにも91年、93年と出張運行の打診はあったのですが、この年初めて実現いたしました(この年以降の「ふよう祭」出張はありません)。

 この時は好天に恵まれ、1日だけの運行ながら350人以上の乗客を集め、好評を博しました。ここ2年ほどは乗客動員で不振だったのに対し、久々に実りの多い年となりました。

1996年(平成8年)

 人車運行20周年の年です。この年から図書館前での運行が始まりました。ただし、この時の路線延長は現在のものより長く、二点間輸送を実施して大学祭の旅客輸送に務めました。

 また、レール締結用の犬釘を購入し、余った分は20周年記念品として販売しました。

1997年(平成9年)

 前年の人車20周年を受け、記念事業が行われました。

 「鉄道ピクトリアル3月号(通巻634号)」にて当会が寄稿した記事が取り上げられたほか、20周年記念冊子として研究誌「軌道」が作られました。