リリリリリリリリリ
目覚まし時計が騒ぐ中ベッドから出るのを少しためらっていた。今日行かなければ、飛空機に乗らなければ、事故に遭わなくて済むのではないか。なら今日は部屋を出ず、「また今度にしよう」と電話を入れるべきなのではないか。月曜に三人で行こう、だから二人も今日は家を出ないでくれ。……それで先延ばしにして何か変わるだろうか。
行かなければ。
時計をようやく黙らせ携帯カードを起動させる。ミズからの深夜の不在着信履歴が画面端にポップアップする。夜中の三時。寝てろ。ブラウザを立ち上げると腕時計の通販サイトが立ち上がった。最後に検索したのはアプリワールドだったと思うが、記憶違いではなく今日の僕はまだアプリワールドを調べていないだけだろう。
近所のコンビニで焼きそばパンを買い、本屋で店員に珍獣扱いされ、駅で本を読みながらミズを待つ。
「あれ、タカ」
ミズが改札から出てきた。「おはよう」と答えて本を閉じる。
「今どきそんな嵩張るもの読んでんの」
「紙の本は電子書籍と違ってまたいいんだよ」
「内容一緒じゃん」
「思考は全て紙から始まる」
「何が言いたいのかさっぱり」
「本が紙じゃなくなって困るのはヤギだけじゃないってことだよ」
まずます意味がわからないという顔をされる。気にするな、僕の下らない拘りだ。
二人で大時計に向かうとキョースケは既に来ていて暇潰しにゲームに熱中していた。「ちょっと待て、今いいところなんだ……」完全に鼻の下が伸びている。ミズと息を合わせて両脛を蹴っ飛ばして強引に終了させる。公共の場で何つーゲームをやってんだ。
「ねえこれ」
ミズが携帯カードの画面をこっちに向ける。アプリワールドのホームページだ。
「アプリワールド?」
「キョースケ知らないの? ……行くお金無いから?」
「ちょっ……。ひどいなーミズさんや……」
タカは黙ったまま画面をしばらく見つめていた。
「ミズ、今日ここ行くか。映画やめて」
驚く顔が二つ。突然何を言い出すんだろうな感じで、……提案したのはそっちだろうが。
「い、いや今日行こうって話じゃなくて。今日じゃなくてもいいからいつか行こうって話」
何でミズが反対するんだよ。よくわからないが「僕は今日行きたい」というミズ師匠直伝の独善的発言法に則って今日の行き先を強制変更した。
「運転よろしくな」
「え、タカが行きたいって言ったんだからタカが運転だろー」
「入場料払えるのかお前」
「……一五一二円足りない」
隣に座ったミズが「何、キョースケにもおごるの」とつついてくる。
「タカこそ金無い無いっていつも言ってるくせに、どういう風の吹きまわし?」
うるせえな。思いつきじゃ無えんだよ。今ここで行かなかったら、このまま二度と……いや、やっぱり思いつきだ。そういう風でも吹いたんだろう。
IDリングをなぞって残高を確認する。余裕、というわけではないが十分足りる額が入っていた。ミズにグッズを買わされたら足りないけど。……来月の食費分を充てるとしよう。
受付でくじをひいて、固まった。
アプリワールドは最近できたばかりのテーマパークなだけあってかなり混んでいた。数多くあるアトラクションへの行列の長さはもちろん、茂みや道端をうろうろしている客も多い。アプリ画面をパーク内オブジェにかざして宝探しが出来るらしいので、たぶんそれだろう。誰かが「あった!」と声を上げるとそこに一気に人だかりができる。
……話をもどそう。ここはそんな人だかりがいくつもできた通りの一番奥にある「RPG迷路」。迷路内を巡る間、くじで決まった役職になりきって迷路内の難題をクリアしながら協力してゴールを目指すストーリーアトラクションだ。役職ごとに異なるチップが配布され、それをIDリングに取り付けることで役職にあった服装と装備がつく。さらには効果音も付くらしく、たった今変身した海賊男は動くたびにザザーンザザーンと波音がたっていた。すぐ横の妖精姿のお姉さんはシャラシャラと何やら神々しい音と光を放っている。
「ちょっとタカ、何バグってんの」
迷路に入る前から世界観に取り込まれてしまったミズに引っ張られて通路を開ける。海賊男と妖精のお姉さんが仲良く迷路に入っていく。「よっしゃ何か出た」キョースケが軽く拳を握った。
「何かって、何だよ……」
「ウィザードって、何だっけな。確か、何か強いやつだろ?」
「……お前英語……」
「これ英語なの? 苦手なんだよなー。一年の英語Ⅰの講義もっかい受けてんだけど、全然身につかなくてさー」
中学からやり直せ。
「私はこれ」
ミズが手にしたくじには「ナイト」の文字。剣士か。さっそくアプリでキャラアバターに着替える。うん、似合う。キョースケは魔術士の白い帽子とローブを着ていたが、ものすごく似合わない。そんなガタイの良い魔術士が居るか。「格闘家」にでもジョブチェンジしろ。
「タカは何引いたんだ?」
職業を間違えた魔術士に杖で肩をつつかれ、ため息をつきながらくじを見せた。
「えーと、これは犬」
「……正解」
犬って何さ犬って。ゲームはあまりやらないけど犬って登場キャラにカウントされるのかよ。笑い転げるなそこの剣士。噛みつくぞ。
「タカ、タカ。一回だけなら引き直していいって」
もちろん引き直す。半人半犬の姿で迷路を回りたくはない。さあ出ろ何か強い役! 祈るようにくじボックスに手を突っ込む。む! これだ……!
取り出したカードに浮き上がった文字は「ビレッジャーB」。
「ミズ、何だっけこれ」
「村人B」
「モブかよ」
犬よりはましだけどさ。IDリングにチップをはめると地味にもほどがある無地のTシャツと短パン姿になった。木の棒と鍋蓋ぐらい用意してくれてもいいじゃないか。ガチャガチャと無駄に金属音を鳴らしながらミズが先頭で入口をくぐり抜ける。さっそく行き止まり、炎が描かれた扉があった。
「俺に任せな」
格闘家もとい魔術士が杖を構える。
「闇の中より我に応えよ、汝この扉を焼き尽くせ……はっ!」
なんだそのくそ恥ずかしい呪文は。しかもキュインキュインと魔術っぽい効果音がするばかりで何も起こらない。「あれ、これで通れると思ったのにな」うん、キョースケなら魔術を使わずとも壁をぶち破って通れると思う。
「もっと簡単な言葉でいいんじゃない? 火を英語で言うとか」
「なるほど出でよ火!」
「……お前まさか「火」の英語知らないとか言うんじゃねーだろうな」
「ド忘れしちまってさ」
「ブレイズ」
そこはファイアを使ってあげてくださいミズさん。キョースケが覚えられないだろ。
ミズの言葉に剣が炎をまとい、それをかざすとガコン、と音をたてて扉が開いた。
「何かミズの方が魔術士みたいだなー」
「ミズが魔女……」
「何を想像しているのかしら村人さん?」
ヒタリと首に剣先が当たる。もちろんそれはただの立体映像だがそれなりの恐怖心が喉に張り付いた。恥ずかしい呪文を歌い踊る魔女っ子ミズを想像する力がこの僕にあるわけないじゃないか、はは、ははははは。立体映像の刀身が喉を横切っていった。
次に行きあたった扉はガーゴイルが番をしていた。間を抜けて通ろうとすると持っている二本の槍を精一杯伸ばして通せんぼ。NPCの特権なのか僕にだけ反応しないのでガーゴイルに目隠しをして二人を通した。別の扉には「エネルギー」の文字。キョースケは「破アァ!」と開けていたがそれ呪文だろうか。
RPG迷路をクリアした後、いくつもあるジェットコースターに片っ端から乗っていった。昔からある列車式の木造レールコースターもあるがミズのイチオシは「ファイアフラワー」。ファイアフラワーとはご存知の通り花火のことだが、もちろんジェットコースター上で花火を打ち上げるものではない。乗客は一人一人別々の、天井だけ開いたカプセルに乗り、打ち上げられるように急発進し暗闇の頂点で放り出されるように落下する。始め四人並びでくっついているカプセルがここでバラバラになり、落下後はそれぞれ違うルートで合流して発着場にもどる。コースだけでも怖いがミズのイチオシの理由は落下中の立体映像だった。はるか下に映し出されていた街並みがどんどん迫ってくるのだ。さすがにこれは叫んだ。キョースケはこれに乗った後、干物のようにベンチに横たわっていた。
次に入ったアトラクションは「グラビティ・ライド」という室内アトラクションだった。蜜柑のような楕円球型をした「UFO」に乗りこみ、全方向スクリーンに投影された遺跡を巡り、初めは観光、途中から古代生物やらミイラやらわらわら出てくるガンシューティングゲームになる。このガンシューティングにアプリが応用されていて、指で作った銃から光の弾が発射されるようになっていた。
「おいタカ、そっちそっちそっちいる、いる!」
「いやお前が倒せよ。助けを求めんな」
アプリショップで指からぷしゅーと光線ぶっ放してたのはどこのどいつだ。ミズを見習え、もうちょっとで百コンボだぞ……ってこら、こっち向けんな。
「バーン☆」
ウインクにやられて光弾が到達する前に僕は戦闘不能になった。
「次あれ乗ろ」
数々の絶叫マシーンをクリアしたミズが指差したのは観覧車だった。その昔ファミリー層に人気だった巨大遊具は今では全く列が無い。まあ、毎日飛空機で結構な高さを飛んでいたら観覧車に特に魅力は無いよな。全く並ばずに乗り込む。
徐々に地上を離れ、小さくなっていく街を眺めながらミズはアイスバーの包みを開けた。タカの視線に気づいて眉をあげる。
「一口食べる?」
「いい」
「お金出してくれたのタカだから、食べたって怒んないよ」
「ミント嫌い」
「あ……そう」
つまらなそうに四角いチョコミントをかじる。自分の分も買えばよかった。レモン味あたりで。
さっき乗った海賊船型ブランコが遠ざかっていく。パビリオンの向こうに水上ボートエリアが見える。あ、潜水した。ミズが「あれすごい」と指差した先を全座席がくるぐる回る、ジェットコースターにコーヒーカップを組み合わせたような乗り物が勢い良く横切っていった。あれだけ乗ってまだ乗る気か。
ここからはアプリワールドの全体をほぼ一度に見回すことができた。並んで乗り回したアトラクションの数々。どんな施設なのかもわからない建物もまだたくさんあって、ミズはライド系アトラクションに乗りたいようだが一つくらい落ち着いてショーでも見たくなった。
キョースケは座席から半分ずり落ちただらしない姿勢で窓の外をぼんやり眺めていた。ゆらり、ゆらりと風でゴンドラがたまに揺れる。しばらくして深く座り直し、席についたまま出入口のドアをいじり始めた。
「何してんだ、危ないだろ」
「もう降りる」
「上空何メートルだと思ってんだ」
「怖くてさ。俺もう無理だわ」
「飛び降りるほうが怖えよ。てかいつも飛空機でもっと高い所飛んでるだろ」
「だってこれあれだろ、一番上まで行ったら落下するんだろ」
どんな観覧車だ。
「もうやだ、高い、怖い、降りる」
「やだじゃねえよ、開けようとすんな、怖いのはお前だ」
観覧車は頂上を過ぎ、ゆっくりと降り始めた。ミズに「座って」と怒られて床にへたり込む。そのまま飛空機と観覧車を一緒にするなよ飛空機は自分で高度選べるけど観覧車は勝手に上がって勝手に下がるだろーと騒ぎ始める。ああ面倒くさい。
観覧車を降りてもヘロヘロなキョースケに係員が「たまにいらっしゃるんですけど……」と笑いをこらえていた。たまに居るというレベルで他にも居るということに驚いた。大変だな係員さん。ほらキョースケ、あんな小さい子でも平気な顔で降りてきてるぞ。
「観覧車ってロマンチックなイメージだったけど全然だったね」
「あー。誰かさんのせいで」
「俺? 俺のせいっ?」
「うんそう」
ミズのストレートな肯定にトドメをさされてうなだれる。
「でも……これが私たちだよね」
「……だな」
まあ三人揃えばこうなるよな。恋人同士のロマン的なものは地の果てに吹っ飛んでしまって三人でただ楽しいだけになる。いつか二人で来ようか。……それはそれでいいかもしれないけど、そこにこの楽しさは無いのだろう。
「次は何に乗るんだ?」
無言で押し付けられた荷物をつい持ってしまった。いつも思うが当然のように僕ばかりに荷物持ちをさせるのはやめて欲しい。そこにもっと荷物持ちに適した体格の奴が居るだろ。
「乗らない。帰る」
「え、まだ閉園までずいぶん時間あるぞ。夜のパレードもあるし……」
アプリに連動してパレードの立体映像を操れるんだとかで、ミズはずいぶん見たがっていたはずだ。けれどミズはきっぱり首を振った。
「帰りにモール寄りたいから」
絶句した僕に背を向けて、ミズは「行こ」とキョースケをこづいて急かした。
「買いたいものがある」
夕陽に照らされた運転席を、ちょっと眺めて特にため息もつくわけでもなく座席についた。望みの買い物を済ませたミズはご満悦で僕の斜め後ろに座り、真後ろにキョースケがモールで買った今日の夕食の食材とともに乗機していた。手早くエンジンと重力子装置を起動させスムーズに発進させた。思い付きだがまだ策はある。
「……上手じゃん」
「……」
言ったのはミズだった。初回に言われたら「お褒めに預かり光栄です」なんておどけてみせただろうか。酔うだのキョースケのほうがいいだのボロクソに言われた運転は、慣れてもう普通になってしまった。
……ここにするか。
ナビに逆らい手前の交差点で右折した。途端、ビーッビーッと警告音が鳴り響き機体が勝手に進入高度に下降する。続いて「経由地ヲ指定シテクダサイ」のメッセージ。そうだった。全飛空機に搭載されているナビは渋滞防止・事故防止のため、指定した最適航路を航行しなければならないことになっている。最適航路をはずれると操縦不注意か経路地未追加とみなされ強制停止する。
「何やってんだよー」
「あー、いや、ちょっと」
パニックになりつつ地図上の目についたケーキ屋を経由地に追加する。あの交差点を避けて黄色い線が走り、詰めていた息をそっと吐いた。航行高度に何とか戻してまた別の角を左折する。
「タカ」
「何」
「映画」
ハンドルに突っ伏しそうになった。今まで映画に行ったらアプリワールドの話を必ずしてたからアプリワールドに行ったのに、アプリワールドに行ったら行ったで映画に行きたがるんですか。
「そのうち配信されるだろ……」
「テレビ画面で見るのと映画館で見るのは全然違うでしょ」
「大きさ?」
キョースケが頬をひっぱたかれてバックミラーからフレームアウトする。
「臨場感とか! 音とか! わからずや!」
「言ったの俺じゃねえよお」
「タカは運転中。キョースケ頑丈だし身代わりにはちょうどいい」
「タカぁぁぁ……」
「……わーったわーった。ゲッチョーな」
ゲッチョー!、と嬉しそうな声。右折のため進入高度へ上昇する。「やったー」ニコニコ顔をミラーでながめる。
ぼんやり青信号を眺めていて、その向こうに見覚えのある機体が居るのに気がついた。これと同じ、白いレンタル機体。なぜ。あの交差点は、もう一本南のはず。「あ、そうだ」後ろでミズが何か思い出してカバンを探る。パ、パ、パ、と信号が点滅する。
「ねえタカ」
「うん」
アクセルを思いきり踏み込みハンドルをいっぱいに回す。乱暴に振られながら機体は勢い良く上昇、危険運転のアラームが鳴ったがコースアウトすることなく航行高度に入った。よし、避けた……。
ミズが何を言いかけたのか確認しようと見たバックミラーには、猛然と突っ込んでくる機体が映っていた。
ドン、と衝撃があって、世界は吹っ飛んだ。
#5・・・3
先輩、まだかな。
ずっと握りしめていたペンを机上に放り投げて缶コーヒーをすする。論文和訳と引き換えに院試の勉強を見てもらう予定だが壁の時計はもう夕方を差し日も暮れかかっている。外の蝉もかなり静かになった。今日は出かけると言っていたが加賀先輩の論文紹介は休み明けの火曜日だ。ちょっと顔出しに来るくらいするだろう。量子反転理論でどうにも考え方がわからない所があって、一ヶ月後に迫った院試本番を前にこんな所でつまづいていたくないのだが………。和訳だってたいして進んでいるわけではないけれど。
『……デ事故ガアリマシタ。コノ事故デ一人ガ死亡、二人ガ重軽傷……』
他の研究室メンバーのラジオがニュースを吐いている。なかなか近いな。衝突事故なんて珍しい。飛空機事故は大抵反重力装置の誤作動による浮上・墜落事故だ。反重力子研究室に居ると飛空機なんて怖くて乗れない。便利なのはわかっているがあんな不安定なもの……。
キュインと自動扉をくぐる音がして、宮瀬はあわてて机に投げ出していた足を下ろした。来たかな。博士課程の先輩のやたら嵩高い棚越しに様子を伺う。
「斎田先輩っ?」
入ってきた人物の状態に思わず声が跳ね上がる。頭は固定金具装着の上包帯でぐるぐる巻き、片腕は骨折したのか銀包帯をして肩から吊り下げていて、足どりもあっちへフラフラ、こっちへフラフラと心もとない。「キョースケなら来ねえよ」台本を読み上げるように言われたがそんなことはどうでもよかった。また足をもつれさせて近くの机にぶつかり、数枚のプリントが宙を舞う。
「……何が、あったんスか……」
「キョースケなら来ねえよ」
そうじゃなくて。いや、そうかもしれない。……もしかすると。さっき、ラジオで言っていたのは。
ふらふらとさまよっていた斎田先輩はいつの間にか加賀先輩担当の重力子反転試験機の操作盤の前に立っていた。何をするんだろう。かったるそうに画面にコマンドを打ち込んでいく。使い方を知ってる……?
「ちょっと、何やってるんスか。触らないでくださいよ」
しかし斎田先輩は完全無視で装置の中に入ってしまう。何やってるんスか、あきれつつ開けようとするが装置の扉は固く閉ざされてびくともしない。やがてウィーン、と稼働音がする。
「先輩! 危険です! 出てきてください!」
やがて試験機はガタガタと震え始めた。扉が軋み、苦しげに白煙が上がる。
「先輩! 斎田先輩!」
叫ぶ声に、返事はもう無かった。