「シュウー。シュウってば。起きれる?」
明日香の声で目が覚めた。まだ薄暗い……じゃない、地下だから暗いのは当たり前だ。暗闇にろうそくの火がゆらゆらと揺れている。他のみんなはまだ誰も起きていないみたいだ。
「何。何かあった?」
「寝てたのに起こしてごめんね。あの……ちょっと話をきいてほしいだけなんだけど」
ダメかな、と起き上がった僕を上目がちに見る。狙ってやってるような気もするがかわいいが過ぎる。半ば無意識に「いいけど。何?」と聞き返している。
「ほんと?」
「まっ……って近い近い」
「あっごめん」
顔を真っ赤にして座り直す明日香。僕も顔があつい。どういう話かわからないけどここだとまだみんな寝てるしな。廊下に出よう、と耳打ちして立ち上がる。
気がつけば昨日想像した通りひとつのキャンドルグラスの明かりを頼りに明日香と並んで歩いていた。ゆるやかにカーブする廊下を進み、みんなが寝ている部屋の入り口が見えなくなるところで腰を下ろす。
「……起きてよかった。昨日声かけても全然起きなかったから」
「ごめん。〈力〉使い慣れてないせいだって公正に言われた。加減がきいてないって」
「昨日はその公正に会ってたの? 夜」
「あー……まあ、うん」
答えながら顔を触る。ガーゼに湿布に包帯とフル装備だった。この状態じゃ公正と喧嘩したのもバレバレだな。
「手当てしてくれてありがとう」
「え? それ私じゃないよ。冬人さん。夜中にシュウ抱えて戻ってきてやってた。吐き気とか、目がよく見えないとか体の感覚のないところがあるとか、そういうことはない? 喧嘩した時に頭うって吐いてたから目が覚めたら確認しといてっていわれたんだけど」
「全然それは大丈夫だけど。……冬人さんが?」
「うん。明日香ちゃんは寝てていいよーって言われて、不安だったから見てたんだけどすごい上手に手当てするから安心して寝ちゃった」
僕が意外に思ったのはそこじゃない。どこから見てたんだ冬人さん。助けに入ってくれればよかったのに……いや、あそこは手城君や島田君が止めに入ると踏んで出てこなかったんだろうか。冬人さんってそこまで考えて行動する人だっけ。
「公正たちとどこ行ってたの?」
「手城君と島田君のところ。……あ、手城君と島田君わかる? クラス委員の」
「うん。鴻基と結羽でしょ。知ってるよ。……こっちに来てたんだね」
「名前で呼んでるんだ」
「同じ施設にいたから。ちょっとの間だけどね」
「え?」
思わず聞き返す。知り合いどこじゃなくて一緒に住んでた? どういうこと?
「あっちに行ってすぐの頃に同じ施設にいたの。私だけ移動前のこと何もわからなくなっちゃって里子に出されて。滝波さん家に引き取られて育ったんだ」
「……そうなんだ」
うん、と明日香がうなずく。隠していたわけじゃないけど一般的じゃないから言ってなかったんだ、と笑う。
「私も五年生になるまでは二人とも本当のお父さんお母さんだと思ってたよ。五年生の頃から時々ふっと思いだすことがあって、でもその話をすると友達もお父さんお母さんも変な顔するから自信なかったの。中学に入るまではね。中学入ってすぐの頃に〈音〉がして……。それを送ってきたのが公正だった」
懐かしそうに微笑んでろうそくの火を見つめる。頰で影がゆらゆらと揺れていた。
「『大丈夫カ?』って。雑音だらけだし耳鳴りみたいな〈音〉だし、何か病気になったんだと思ったよね。私まだその時〈音〉のことは思い出せてなかったから本当にびっくりした」
学校で明日香についてうわさがたっていたことを思い出した。何も無い場所に向かってひたすらしゃべり倒してたとか、宙を見つめてじっと動かなかったとか。それが気味悪がられていじめられるようになったんじゃなかったっけ。それってもしかして〈音〉でしゃべろうとしてた……?
「鴻基たちは私の記憶は戻らないと思ってて、もう連絡とらないつもりだったんだって。でももしかしたらって公正が〈音〉を送ってくれた。うれしかったよ。だって本当に覚えてるのに、どうしたって本当にあったことだって証明ができなくて、嘘言ってるわけでも妄想でもないのにどうにもできなかったんだもん。公正が私の記憶はまちがってないって、本当にあったことだって証明してくれた」
それから何度か連絡があり、一人だけ別の中学に通っていた公正が転校してくることになったという。
「公正本当は学年いっこ上なんだって。だから別の学校行ってたみたい。公正、初日すっごい不機嫌だったでしょ。学年下がるの落第みたいで嫌だから飛び級してほしいって無茶いわれたよ」
「手城君たちとは話しなかったのか」
明日香が首を振って下を向く。手城君たちとは施設で会ったがもあまり話したことがなく、こちら側の人だと思っていなかったらしい。昨日偶然姿を見かけて知ったのだ。
どうして言わなかったんだろう。一緒に移ってきた間柄とはいえ、ひとつ学年を落としてまで同じ学校に転校してくるとは思えない。目的は別にあったんじゃないか。手城君と島田君と何かしようとして……あ。
そういえば転校してきた日の朝、僕に〈音〉を送ってきた。何か関係あるのか。
「公正は周りのこと色々気にかけてるし、悪い人じゃないよ」
「悪い奴だとは僕も思ってない。ただしょっちゅう喧嘩ふっかけてくるだけで」
明日香が苦笑いする。何なんだ、明日香は僕と公正に仲良くしてほしいのか。僕は別に仲良くしたいとは思ってないけど、公正があの態度じゃそもそも無理だろ。
「あの、本題なんだけど……」
「あ、話ってこれじゃないのか」
「ちが、う……。えっと」
なぜか口ごもって顔を真っ赤にする明日香。何を言うか忘れたのか目をキョロキョロさせて口をパクパクする。忘れたなら後でいいよ、と立ち上がろうとすると必死で止める。何だよ。
「あのっ、えっと……」
「……」
また真っ赤な顔を伏せてしまう。
「あのね、……す、……す……すごく心配になるから、あんまり怪我しないでほしい」
……この怪我は不可抗力だったんだけど。全然抵抗できないまま殴られたんだけど。そういうなら公正をなんとかしてほしい。
「じゃなくて、えっと本当に大丈夫?」
「さっきも言っただろ、吐き気とかは無い。怪我したところは普通に痛いけど」
ぼそぼそと口ごもり、またうつむく。うーん、話したかった話って今ので終わりかな。よくわからない。
「……ところで何で声に出して呼んだんだよ。他の人たち起こしたくないなら〈音〉使えばいいだろ。それならここまで移動してくることないし」
「だって私がききたかったのは〈音〉じゃなくてシュウの声だもん」
口をへの字口に曲げてムッとして見せ、またバッと顔を赤くし、「じゃない違うごめん、二人になりたかっただけなの!」怪我人をばしばしたたいてダーッと部屋に駆け戻っていった。ちょっとおい、今言い直して余計なんか恥ずかしいこと言わなかったか。あぐらにキャンドルグラスをのせたまま動けない。僕今、何を聞いた……?
「おい修徒。いないと思ったらこんなとこで寝てたのか。どんだけ寝相わりーんだよ」
どのくらい時間がたったのか、揺り起こされて目が覚めた。少し痩せた気がする喜邨君は相変わらずの力の強さでゆっさゆっさとゆすってくる。待って待って、頰のガーゼこすれてる、痛い痛い。
「寝相じゃないって。ちょっと瞑想してたんだよほら座禅組んで」
「ただの居眠りじゃねーか。瞑想どころか意識とんでたぞ」
「あーわかったごめん、起こしてくれてありがとう」
「ん」
今日も配られたのはいつもと同じナッツバーだった。おいしくないしパサパサで水飲みたくなるし、味わう気にもならずみんな無表情に咀嚼する。
「公正は?」
「知り合いのとこに行ったって。今日戻ってくるかな」
「そうかそうか。では公正はこれいらないな?」
曹があまったナッツバーをとる。お皿にはまだ他に二本残っていた。
「もう一本食うの? 腹減ってるんだな曹」
「我輩が食うといつ言った? 早とちりはいかんな氏縞。これは修徒に授けようと思ってだな」
「なんで」
「貴様昨日は寝っぱなしで夕食しか食べてないだろう。起きたら何があったか知らんが大怪我しておるし。食って栄養つけておけ」
「いらない」
「何? 我輩のこの慈愛に満ちた施しをいらぬとは、貴様」
「曹の徳が足りないんじゃないか」
「何をぅ! 貴様我輩を誰だと思っている! 我輩は三国時代の魏の皇帝曹操、つまり、曹家の子孫! 苗字にはありがたき文字、徳の字が入っているのだ。充分に決まっているだろう!」
いや文字の話じゃなくてな。
確かに昨日はほぼ何も食べてないし、夕食分も吐いてしまっているので栄養不足には違いない。違いないが。
自分の分のナッツバーを見つめる。まだ半分も食べ終わっていない。正直もう残したい。おいしくないんだよこれ。もう一本とか絶対いらない。曹はもうナッツバーのことは忘れたようで氏縞と身体能力勝負を始めていた。逆立ちはできるのになんで二人ともブリッジができないんだ。おかわりは遠慮することにして自分の分をなんとか口に押し込んだ。
「龐棐さんから今日はリ区に行こうって。シン区とは反対方向で、こことは仲が良い国だよ」
「リ区に何かあるのか?」
「レフト軍の駐屯地が近いとの情報を狻にもらった」
「……ライトシティーの人に直接きいたんか? 勇気あるなあ」
「終戦から七年……いや八年か。今となってはそこまで表立って敵対しているわけではないぞ」
リ区までの案内は狻がしてくれることになった。正装ということで柔らかい素材の長ズボンを履いて立襟の上着を羽織ってきてくれたが狻に似合っておらずジャージみたいだった(実際昨日子が一目みて「ジャージ」とつぶやき狻をめちゃくちゃに凹ませていた)。
「龐棐はん、お隣の国の近くやったらここからでも〈音〉通じるんちゃうか? 〈音〉使うてみた?」
「軍事施設だからな。駐屯地の周囲はキャンセラー素材を含んだ壁で囲んであって、外から〈力〉では何もできないようになっている。通信は基本電話だ。電話も盗聴されやすいので話したい相手に壁の外に出させて話すことになる」
電話、と言いながらのジェスチャーに目が止まる。それはコップ持ってないか?
「やったら公正が駐屯地見つけられへんかったのもそのせいか。なるほどなあ」
「ん? むしろそこにある物がわからない場所が広がっていて違和感があるはずだが。何も言ってなかったか」
みんな黙る。誰もきいてなかったんだ。
部屋を出発し、土壁の廊下を進む。天井にキャンドルグラスが据え付けられてどこも明るい。最初の廊下には誰もいなかったが進むうちに話し声が聞こえ始め、大通りに出るとかなりの人が歩いていた。行き交う人たちは僕らがここに来た日より元気そうだ。食料が回るようになったのだろうか。おじいさんが荷物を積んだリヤカーをひいて通り過ぎ、人々が道路わきに避ける。道行く人に「一杯どうだい」と声をかけるおばさんたちもいた。時々子供が細い通りから通りへ走り去っていく。すれ違う人に混じって時々頭や手足に包帯をした人とすれ違った。彼らだけ妙に暗い感じがして目が鋭い。
「ああ。シン区の捕虜になった人たちですよ。今回の戦闘で解放されたんです」
「なんか怖い……」
栄蓮の言葉に昨日子がちょっとためらいつつ頭をなでる。ひしっと撫でた手をつかまれて困惑し、ひっこめようとして栄蓮を吊り下げてしまったので笑いそうになった。力強すぎだろ昨日子。
「大丈夫だぞ栄蓮。お兄ちゃんたちがついてるからな」
「氏縞、貴様だけでは心もとない。しかーし! 我輩も居る! 安心したまえ!」
「お兄ちゃんたちって言っただろうが」
「我輩はお兄ちゃんではない! お兄様だ!」
「いや兄俺なんだけど」
「縁利、我らはみな君たち兄弟のお兄様だ、安心したまえ。あと氏縞。変なところでむせるな我輩も傷つく」
「いや悪いげほっ……。あとお姉様もなって言いたかったけほっけほけほっ、ちょ待っ」
だんだん横穴が減って人が少なくなる。外へ出る塔への横穴を通り過ぎる。
やがて木材でできた円形の門が見えてきた。リ区との国境だ。ずいぶん古い門のようで紋様が一部はがれて黒ずんでいる。近づいて行くと門番が二人、すっと間を詰めた。
「こんちはっす。ソン区領主覇の息子、狻です。リ区の新しい領主さんにこの人たちを紹介したいんで通ります」
「この者たちは?」
「異国の人で、どちらかっていうとレフトと関わりが深いみてえです」
門番が顔を見合わせる。片方が首を傾け、もう片方が首をすくめた。うなずく。
「そうですか。狻様がお連れということでしたら大丈夫でしょう」
「もし彼らについて何かあった場合には……」
「わかってるわかってる。俺が責任とりますよ」
たぶんよくやる形式的なやりとりなのだろう。簡単にいくつか確認をとるだけとって門番は狻に札を渡した。そして門が開かれた。
門で隔たれてはいるもののリ区の地下道もソン区と対した違いはなかった。天井の岩盤を支える木材がところどころ新しいものに替えられていたり、壁の削り方がソン区より滑らかでまっすぐな気がするぐらいだ。ソン区の人のほうがちょっと几帳面なんだろうか。
「リ区。領主、新しい?」
「ああ、ちょうど数日前に代わったばっかなんですよ。ずうっと腰の曲がったじいさんがやってて、代替わりしたいけど良い人が見つかんねえって言ってたんすけど。俺一回もう会ってんですけど良い人ですよ。良い人……いや、普通かな。本当に驚くくらい普通の人で。でもみんなで支えてあげてえなってなる不思議な領主さんで」
「ふーん」
「あれ、そんなに興味があったわけじゃなかったんすか……?」
きいた昨日子はもう飽きたように天井のキャンドルグラスを眺めていた。
新しい領主さんが悪い人じゃなさそうなのはすれ違う人の顔を見るだけでもわかる。道を歩いていると姿は見えないけど楽しそうな笑い声だって聞こえる。人が多く行き交う通りから広場のように広くなっているところに出て驚いた。土壁と地面に絵が描かれていたのだ。小さい子たちが色のついた砂を地面や壁につけて遊んでいた。大人たちはそれを眺めながら腰を下ろして休んでいる。
「この広場、領主さんが新しい人になってから落書きしていいことになったんですよ。壁や地面に手を加えても、岩盤がしっかりしてるから崩れないし、もし弱くなってきても支える杭がうちやすいから構わないって。……まあ、領主さんが仕事投げ出してここに逃げこんでお絵描きしてたのが最初って説が強いですけどね」
「……なんかずいぶん庶民的な領主はんやな」
「案外そこが領民に人気みたいで。わからねえもんですよ」
親しみがもてるゆうことかいなあ、と今日破はあごを描く。仕事投げ出して僕らについてきている龐棐さんは色の砂で遊ぶ子供たちを眺めながら「レフトにもこういう場所があるといいかもしれんな。落書きに悩んでいる地区があるときいた」とぼそぼそつぶやいていた。ああそうでしたね。情報集めを兼ねた極秘任務のため単独で動いてるんでしたっけ。
「すごく優秀な付き人連れてて、領主さんよくサボっちまうんですけど付き人に叱られるとすごく頑張るって、付き人の方も人気です。どちらも区内をよく見回りして、住民の意見もよく聞いてて……見習わねえとですね」
ははは、とどこか乾いた笑い声をたてる狻。きっとソン区はリ区のようにはいかないのだろう。食糧難のようだし、隣国とずっと戦争が続いているし。
廊下を進み、少し立派な木戸に到着する。木戸には国境の門に似た紋様が描いてあった。ここが領主の部屋のようだ。
「失礼しまーっす」
ぞんざいな挨拶とともに狻が中に首を突っ込む。入っていかないで立ち止まっているので脇からのぞきこむと中は真っ暗だった。いない……?
「領主様ならお店の方で料理教室やってるよ」
通りがかったおじいさんが声をかけていった。
「料理教室」
「あー、領主さん料理うまいんすよ。料理教室まで始めてたなんて知らねかったです」
「料理。ごはん」
「あ、昨日子さんおなかすきました? ちょっと早えですけどお昼にしましょうか。せっかくだし領主さんのお店で」
横目で喜邨君を見る。喜邨君はきょろきょろ物珍しそうに天井を支える杭や梁を見ているばかりで話に興味をもった様子はない。ごはんの話なのに。どうしたんだろ。喜邨君から目を離した拍子に明日香と目がばっちりあってしまい二人して顔を見合わせて、見つめあってしまっていることに気づいてあわてて別の方を向いた。顔があつい、何やってんだよ。いやだって、明日香がかわいかった……じゃなくて、ええと。
ここですよ、と先頭を歩いていた狻が足を止めた。頭上に看板が下がっている。看板といっても板に塗料の分量をなるべくケチってかろうじて店の名前が読めるようにしてあるくらいのものだ。その文字に目がクギ付けになった。
……飯堂。
「ごめんくだせえ! 領主さんこっちに居るってきいて……」
「いらっしゃいませー」
中に居た人たちが一斉に振り向いた。一つのテーブルを十人以上の年齢も男女もバラバラな人が囲んでいて、バラバラの中にやっぱり見覚えのある顔がいた。営業スマイルをとりあえず作って狻を迎え、その目がこちらにするっと動く。
「一号!」
……名前覚えてもらえてなかった。
「一号じゃないか! 向こうの店をたたんでから会っとらんかったから心配しとったんじゃ。元気そうで何より」
「……」
精一杯の抵抗として思い切りしかめつらして知らないフリしてやった。狻が「え? 知り合い?」と僕と店長を見比べるので「ショタイメンデス」と首を振っておく。店長がものすごく泣きそうな顔をするが知るか、他に何人もアルバイトが居たわけじゃあるまいし名前くらい覚えてくれ。
どうやらみんなでパンをこねていたようだった。こぶし大のまるっこい塊が料理教室の生徒たちの前にひとつずつ並べられていて、みんな何かを待っているようだった。
「あれ? 修徒君?」
店の奥からその待ち人……太い棒を持った海瑠さんが出てきた。ナーガ・チェスで見たのと変わらないエプロン姿だ。おひさしぶりです、と海瑠さんには返事をしたので店長がもっと泣きそうな顔をする。店長の訴えるような目に気づいて海瑠さんが僕と見比べ、棒を手にあててぱん、ぱんと音をさせる。もう殴るために持ってきたようにしか見えない。
「店長まだ修徒君の名前覚えてなかったんですか。そんなだから生徒さんから人気がないんですよ」
「人気がないわけじゃなっ」
「はいみなさん、お待たせしました。この棒で生地と領主様をのばしていきまーす」
はーい、と元気よく答える生徒たち。やっぱりというか料理教室の先生をしているのは店長ではなく海瑠さんのようだ。店長は意外にもさぼるわけでなく生徒と一緒にパンをのばしているけど。
「あの、領主さん。ソン区の領主、覇の息子の狻です。今日はレフトと関わりがあったってえうちの客人と一緒に挨拶に来たんですが」
「また今度にしてくれ。わしは今忙しい」
不自然に手を早める店長。棒の順番待ちをしている生徒さんの生地まで奪って伸ばしはじめる。ちょっとちょっと、それじゃ料理教室の意味がないだろ。生徒にやらせなきゃ。
「それと食糧生産協力についていくつかおしえてもらえねえですか」
「忙しいと言っておるだろう」
「……領主様?」
がしっ、と棒を海瑠さんがつかんだ。そのままするっと店長の手から抜き取る。慌てて取り返そうとじたばたするが海瑠さんの方がだいぶ背が高いので全然届いていない。
「こちらはやっておきますから。領主様は自分の仕事してください」
「これだって、わしのっ……!」
「ソン区の件のほうが重要でしょうが。さてみなさん、棒をまわしますので領主様を……じゃなくて生地をたたいてのばしてくださいね」
はーい、と元気な返事で棒が順に回されていく。店長は狻に連行されていった。
「知り合いなの?」
「うん。ナーガ・チェスのバイト先の店長と店員さん」
「それってあのめちゃくちゃに荒らされてたお店だよね。なんでここに居るの」
「僕にきかれても」
全員が生地をのばし終わり、あとは発酵ということで今日の料理教室はお開きになった。生徒たちは海瑠さんにいくつか質問をしたりした後みんな一緒に帰っていった。
「さて。何から話そうかな」
生徒たちの生地を布でくるんでどこかに持っていった後、海瑠さんはそう言って僕らを見回した。立ったままでは難だからと生徒たちが使っていた椅子をすすめられて座る。座面が石ではなく何か繊維で編んだ網なので狻の家の椅子よりもかなり座り心地が良い。座るなり狻は「ふぉお〜」とかおたけびを上げていた。
「無事、だったんですね」
「うん。何も言わないでお店閉めちゃってごめんね。連絡が急だったものだから」
「連絡?」
「アンドロイドの集会で決起の話が出ていたし、暴動を起こしてるグループもあったしそろそろたたみ時かなとは思っていたんだけど。早かったね」
ため息まじりに笑う海瑠さんを前に困惑する。え、どういうこと? 気になってるのはお店のたたみ時がどうとかじゃなくてアンドロイドの集会でって、海瑠さん集会に参加したたのか?
「海瑠といったか。もしかしてコレか」
龐棐さんが自分の右袖をつつく。海瑠さんはにっこりとうなずき長袖をそっとめくってみせた。
「……うそだろ」
海瑠さんの腕にはテレビのリモコンのような機械が埋め込まれていた。ボタンの配置はクリスの腕にあったやつと全く同じで、鼠色のボタンが並ぶ中にオレンジのボタンが一つ目立っている。
「だから知ってたの?」
明日香の問いにうなずく。高官たちがナーガ・チェスに来る日も、それに反発するアンドロイドたちが暴動を起こすことも、海瑠さんがアンドロイドで集会に出ていたから知っていた。
「一般人に混ざって普通に一般人のように過ごしているアンドロイドは少なくないとは聞いていたが……。黒いローブはどうした」
「好みではなかったので。それにお客さんを怖がらせてしまいますしね」
レフト軍駐屯地に近いリ区とはナーガ・チェスにいた頃から交流があったらしい。レフト軍を通じてリ区やその他の区の代表者が店に食事に来たこともあったとか。食事に来たお偉いさんに心当たりがあって居心地が悪くなり説明をきく喜邨君の後ろにこっそり隠れた。だってまさかそういう繋がりの人とは思わないじゃん? 普通に金回りの良いお客さんだと思って接客してたよ。そのツテでこっちに呼ばれてリ区の前領主に気に入られて後継いでって話はわかるけど。わかるけどさ。
良い時間だしお昼を作ろうか、と海瑠さんは厨房に入っていく。何か手伝いをしようと追いかけると顔面に台拭きがとんできた。相変わらずの扱いだった。代わりに明日香が手伝いのため厨房にはいっていく。
「修徒は料理もよそうのも苦手だからな」
「うるさいな。曹は手伝いもしないだろ」
「上手い者に任せた方がいろいろと良い」
粉の散ったテーブルをきれいに拭いて、台拭きを厨房へ持っていくと途中でスプーン入りの缶が飛んできた。だからいちいち投げるなって。結局台拭きは持ったまま戻ってスプーンを配った。
調理の終わったものを明日香が持って出てきた。数個の小さい皿にほとんど具のないソースが入っている。あんかけっぽいのと、麻婆豆腐っぽいのと、きのこのクリームにこみっぽいの。他にも数種類持ってきたけどどれも小さい。持ってくるたびに明日香がうきうきし始め今日破と昨日子がわくわくし始める。
「はい、お待たせ」
海瑠さんが持ってきた大皿には平たいパンが載っていた。あ。スカイ・アマングの明日香の家で食べたピタパンに似ている。ソースをつけて食べるのも同じだ。
「いただきます」
テーブルを囲んでみんないっせいにパンをちぎり合う。ピタパンよりさくっとちぎれる。試しにそのまま口に入れてみるとかなりパサパサだった。食べにくい。あんかけっぽいのに浸してみると柔らかくて口の中ですっと溶け、かなりおいしかった。
「ピタパンみたいやと思ってたんやけど、ずいぶん違うな」
「これもおいしいよね。もちもちはしてないけど口の中に入れたらすぐ溶ける感じ」
麻婆豆腐みたいなやつは試してみたらめちゃめちゃ辛かったのでみんな避けていた。昨日子は気に入ったようでほぼそればかり食べていて独り占め状態で、海瑠さんにピーマンと合わせるとおいしいはずだからとピーマンを要求していたけどさすがになかった。
「これってもしかしてさっき料理教室で教えてたパンか?」
縁利がクリーム付きのパンをかじりながらきく。
「そうだよ。発酵が終わったら地上の砂に包んで、砂の熱で焼くんだ。木材が無くても十分焼ける」
サラダになる野菜がまだあんまり採れてないから、と量は少なめだったがレタスやキャベツの青菜盛り合わせも出された。
「氏縞、貴様食わないのか」
「腹減ってなくて」
「久しぶりのまともな食事だぞ? 海瑠さんが作ってくださったのだぞ?」
「いいって。曹食えよ」
氏縞は調子が悪いようで曹が取り皿に勝手に載せたパンに一切手をつけていなかった。疲れたんだろうか。せめて水は飲んどけ、とコップを押し付けられていた。
食事を終える頃になって店長と狻が戻ってきた。テーブルの上のパンとソースがあらかたなくなっているのを見て呆然と足を止める。
「わしらの分は……?」
「ああ、大丈夫ですよ。狻様の分は別に作ってありますので」
厨房へとって返す海瑠さん。「わしの分は……?」と店長は涙目になっている。
しばらくして戻ってきた海瑠さんの手にはちゃんと二人分のパンがあって、安心したのか店長の目からついに涙がぽろっとこぼれた。
出されたパンをむっしゃむっしゃと食べながら狻もおいしいおいしいと連発して海瑠さんと店長を褒めたたえた。
「へえ、すげえですね! 火が無くてもこういうものって焼けるんですねえ! そうか、それでうちに鶏の生産を勧めてきたんですね! ええですね! 作ってやりますよ! 卵!」
昨日子が「これおいしい」と麻婆豆腐っぽいめっちゃ辛いソースを指さしたので勢いよくパンを突っ込み、たっぷりつけた状態で頬張った。ああ……。
「どれもうまいっすね……んむ! んむう! んむう!」
顔を真っ赤にしてわたわたとテーブルに載っていたコップをひっつかんで一気に飲み干した。それでも足らなかったのか店長の前に置かれていた水も一気飲みする。
「か、からっ……」
まだ口の中が辛いのか涙目でげほげほと咳き込む。大丈夫か。
薦めた張本人は何も見なかったとばかりにしれっと明後日の方向を向いて退屈そうにしていた。
「それ、昨日子は好きなんだけど辛すぎて他の人誰も手をつけてないの」
「か、辛えの好きなんですね……」
まだ涙目のまま新しく一枚ひきちぎり、……またさっきの激辛ソースをつけた。さすがにさっきほどたっぷりつけてはいないけど。他のもあるだろ。懲りろよ。その間に店長が他のソースを自分の方に全部引き寄せている。
「ちょっとずつ慣らしていけば……きっといけるようになるんで……。んむう!」
顔を真っ赤にしてばんばん机をたたく狻を海瑠さんが「水には限りがありますからほどほどに」となだめる。ちょっとは心配してあげてほしい。
海瑠さんを手伝って厨房を片付ける。小鍋から残ったソースを小さな壺にに移し、壺は調理台にまとめて置いておいて小鍋は洗う。洗うといっても流しではなく、専用の砂場に持って行って砂で洗う。これで本当に汚れがおちるのかって思ったけど意外や意外、むしろ水で洗うより簡単だった。ソースのうち油っぽいやつなんかは特に砂がひっついてぱらぱら落ちてくれるのであっというまにきれいになった。二次洗い用の砂ですすぎ、砂を払い落として終了。細かい砂はどうしても残ってしまうので、やっぱり水がほしいなと思った。
洗い物を終えて部屋に戻ると、龐棐さんと店長、狻と海瑠さんが話し込んでいて他のみんなはそれを待って退屈していた。縁利と栄蓮は待ちくたびれて床でいねむりしていた。
「縁利。また、キャンセラー」
「そういえば借りとる部屋に置きっ放しやったな」
眠りが深いようで、昨日子が栄蓮の頭をなでても目を覚ます様子はない。ううん、と頭を傾けて今日破を見る。
「起こす?」
「そうやなあ……って待って待って。殴るんはあかん」
「置いていかれては? なんでしたらこちらで見てますから」
海瑠さんの言葉に、昨日子は少し考えてからうなずいた。
龐棐さんたちの話が終わって、ソン区の政策の参考にしたいという狻の強い希望でリ区内を見学することになった。案内は海瑠さん。寝てる二人を店長に任せて大丈夫だろうか。
「畑見てえです! 葉物野菜をみんなに食わしてやりてえんすけど難しくって」
「うーん葉っぱはあまり作れてないな。育ちにくいですからね。この土地なら豆の栽培をおすすめします。それなりに保存のきく食料になるし、土壌にも良い」
「豆ならやってるんすよ。もっと種類がほしくて」
「でしたら……」
話している二人の後ろに巨体がぴったりくっついてふんふんと真剣に聞き入っている。喜邨君さっきもおかわり要求しなかったしどうしたのかと思ったけどうん、いつも通りだった。
ついた畑はやはりというか、地上ではなかった。地下道の横穴の先が広場になっていて天井が高く、その中央からまぶしい光が部屋に広がっていた。
「え? あれ……電灯じゃ無いよね?」
「うん。あれは電気使ってないよ。これはね……これ」
広場の隅に置かれていた瓶を持ち上げる。丸いガラス瓶で、中に少し濁った水がたっぷり入っていた。いやそれ全然光ってないけど。
「あそこには穴があいてるんだ。そこにこれを置く。そうしたら外の光がこれを通して入ってきて部屋全体に広がる。地上側が土に埋まらないように対策は必要だけど、風避けながら光とりこんで作物を育てたかったらこういう方法もあるよ。あと大事なのは通気口で……」
畑の広場は工夫だらけで、狻は途中で頭を抱えてしまった。覚えきれない。
「ま、待ってくだせええーと……」
「まだ一番大事な水路の話をしていませんよ。続きを……」
「ひいぃもういっそうちに来て整備してくだせえよ」
「ソン区まで面倒見切れませんよ。自分の区でしょう、がんばってください。何度来ていただいてもかまいませんから」
「はい先生……」
畑には地下水路から直接水をひいていた。他区との戦闘があった時に簡単に断線しないように水路を通す位置を考えて複数通し、急な増水時に備えて遊水池を整備してあった。これらは就任前から前身となる設備があり改良したものらしい。ソン区にも似たようなものが残っていればいいが無ければ時間がかかる。
「これ俺にできるかな……」
どんどん自信がなくなってくる狻に「無理」と即答する昨日子。わかりやすくショックをうけて狻がうなだれる。海瑠さんがなだめてくれるかなと思ったら海瑠さんまで「まあ無理でしょうねえ」と付け加えた。
「これはあなたではできませんよ。区内の人と協力して少しずつ少しずつ完成させていくものです。設計は得意な人に頼んだ方がいいし、作業は力仕事の得意な人に頼んだ方がいい。あなたは技術を運んでそれぞれ得意な人を探す。あなたがた、ならできます」
うん、と狻がうなずいた。海瑠さんがにっこり笑った。
「ではさらに技術を学んでいきましょう♪」
「うわあ待ってくだせえええ」
「狻様は技術をたくさん持っていかなければなりませんから! 頑張ってください! ささ、いきますよ」
「ひいい」
「待って」
急に曹の声があがって足をとめた。振り返って息をのむ。氏縞がぐったりして倒れかけ、曹によりかかっていた。全く体を支えられていなくて足どころか全身から力がぬけている。ほぼかつぐ形になっている曹がしゃがむとずるずるとすべるように床に倒れた。
「氏縞、氏縞! 貴様ここで倒れるとはなさけな……、氏縞! おい!」
もがく氏縞の背をたたいて名前を呼ぶ。顔を真っ赤にしてのどをかきむしっていた氏縞がげほ、と咳をしてひゅうと息を吸ったかと思うとげほげほと激しい咳に襲われて縮こまった。咳が止まらずごぽごぼと変な音が咳の合間にまじり始める。胸を押さえて苦しがり、無理やり起き上がろうとするが座ることもままならずどさりとまた地面に倒れる。咳の音がにごっていく。一旦おさまってあえぐような息をしたが、すぐにまた咳が止まらなくなり苦しそうに喉をつかむ。
龐棐さんが額に手をあてて顔をしかめた。「氏縞」と声をかける。答えようと口を動かすが咳で声が出せない。無理に声を出そうとして窒息しかけ、トントンと背中をたたいてやるとぜえぜえとひどい音のする息を数回してまた咳き込み始めた。
「しじ……」
「触るな。病気だったらまずい」
手をのばしていた曹が一歩離れ、龐棐さんが抱え上げた。明日香にマスクを出させて氏縞の顔にかぶせる。氏縞はそれも苦しがってとろうとするがマスクを固定する指をはずせないまままた咳きこんでしまい、マスクをはずすのをあきらめてぐったり体を預けた。
「海瑠。医者はどこだ」
「お医者さんはまだ見つかってなくて。病人が出た時はレフト軍にお世話になってるんです」
「駐屯地はどこだ」
「こちらへ」
廊下を走り、数ブロック通過し角を曲がって階段を登る。石で整備された階段を駆け上ってその先も舗装されていた。砂まみれの石の上を走る。日差しが眩しくて暑い。ずっと石の道が続いていて建物など何も見えない。どこに駐屯地が……と思ったら海瑠さんが急に立ち止まった。何もないように見える空間をノックし、すうっと目の前の景色が四角く切り取られてスライドした。中から兵士が出てきて敬礼する。
「こちらレフト軍駐留ぶた……、!?」
出てきた兵士が龐棐さんの顔を見るなり目を丸くして口があんぐり開いた。「なんだ」と不機嫌に言われてあわてふためき「いえ! ししし失礼しましたようこそおこしくだしゃいました!」とビシッとガチガチの敬礼をしてみせた。
「こんな辺鄙なところにいらっしゃるなんて! お目にかかれて光栄でありますイーロンの龐棐様っ! なんなりと! ご命令を! お役に立ちたく思います!」
キラキラした目で龐棐さんを見つめる駐屯兵。龐棐さんは若干ひきつつ「レフトの医療機関にこいつを送りたい」と答える。「はっ!」とこれまた嬉々として指示を受け転びそうな勢いで奥へ突っ走っていった。
「……龐棐さん人気なんですか」
「なんだその言い方は。修徒お前軍内部で俺の人気がないと思っていたのか」
「だってほら、職務怠慢動物じゃないですか」
兵士は数分で戻ってくるなり息をきらしながら「空輸の手続きは! 済ませましたので! 中へ!」と叫んで招き入れた。わかったから落ち着いてほしい。
氏縞の咳は止まった……のではなく体力を削られて咳すらうまくできず必死で息を吸おうとしている状態だった。息がうまくできていないせいだろうか、白目をむいて泡を吹き、体が細かく震えている。曹がさっき近づくなと言われたことも忘れて氏縞にすがりつき名前を呼び続けているが反応がない。
外からは何もない空間だったが何かの方法で見えなくしてあったらしい。中は普通の施設だった。似たような扉がいくつも並びプレートで何の部屋か示してあってちょっと学校みたいだった。その建物を突き抜けて反対側から外に出る。高い壁にかこまれたかなり広い広場に出た。飛行機が数機停まっていて、ちょうど一機がこちらに向かって移動してくるところだった。
「……あの。この人に本官の〈力〉を使うことに許可をいただけますか。この状態では運んでいる間に亡くなってしまうかもしれません」
機体に氏縞を運び込む直前になってようやく落ち着いた兵士が唐突にそう言った。氏縞のこの症状は駐屯地に来た新兵にも時々見られるもので、肺に砂が入ってたまり呼吸困難に陥っている状態らしい。早く肺の中の砂を出してやらないと窒息死してしまう。
「何の〈力〉だ。治療系か」
「……いえ。対象物ひとつの〈時間停止〉です。本官の〈力〉を支えば一定時間、この人の時間を止められます」
「何時間止められる」
「最大で六時間です。ナーガ・チェス中央病院までなら往復しても十分時間があります」
「任せる」
「はい!」
敬礼し、氏縞に手を触れる。バチっと閃光がはしって氏縞の呼吸が止まった。曹が慌ててすがりつき名前を呼ぶがもちろん返事はない。
「大丈夫なのかそれは」
「指定時間後にまた動きだしますからご心配なく。制御についてはいつもこちらの生物を研究用に送る時に使っているので、自分で言うのもなんですが手慣れてますよ」
あの研究所か、と龐棐さんが眉間にしわを寄せる。兵士が不安そうに見上げる。
「……ああ、その研究所は不正が見つかったのでな。取り潰しにした。仕事を奪ってしまって申し訳ない」
「不正……? どういうことですか? 本官がまさかお手をわずらわせてしまったのでありますかっ」
「レフトの生物調査は研究所本来の仕事の一つだ。取り潰しは伍長殿のせいではない。研究所の組織内に素行の悪い者がいたのだろう」
頼んだぞ、と氏縞を引き渡す。伍長は氏縞を機内に横たわらせ、パイロットと短く言葉を交わしてから機体から離れた。扉がしまる。小さな輸送機はすべるように滑走路を走り、ふわっと浮き上がって旋回し、高い壁の外へ出ていった。
「氏縞……」
曹が心配そうに壁の上を見つめる。日照装置に照らされた灰色の壁の先は真っ黒な闇だ。
「大丈夫だろ。心配ねーって。〈力〉使って時間止めてまでして一番技術のある病院に送ってくれるんだ。すぐに戻ってくるさ」
喜邨君が肩をたたき、「ほら」と促す。曹は出口に向かいながらまだチラチラと上を見上げていた。
基地の外に出ると真っ暗になっていて驚いた。日照装置が地上を照らしていない。見上げるとあらぬ方向を……ちょうどレフトの方向に向いていた。青い球体が顔ほどの大きさに見える。本当はもっとずっと大きくて、もしかしたら空間拡張されて地球ぐらいの大きさがあるかもしれないのになんだか不思議だ。
日照装置に照らされるレフト・シティーはコゥと不思議な感じに輝いていた。透き通ってるわけじゃないけどつやりとまぶしい。外から見るとこんな感じなんだ。地球も宇宙から見るとこうなんだろうか。
「修徒。置いていくぞ」
「あ、すみません。レフトがきれいで」
「……ああ」
輝く球体を見上げて、龐棐さんは目を細めて少し笑った。
「うわ、すげえっすねこれ」
積み上がったレンガを一つ拾いあげて狻がはずんだ声をあげた。床には相当な数のレンガがまとめて積まれていて、それぞれ台車に乗せやすいように大きくて丈夫な板がしいてある。
「日干しレンガです。地上に作業場を増やそうと思って、まずは風除けに。そろそろこれを搬出して壁を作って、地上での作業に移ろうと思っています」
「ああそうか。地上に生活圏広げられたら助かりますよね」
部屋の中では十人近い人が土を篩にかけたり型に流し込んだりそれを板に並べたりしていた。レンガの元がぎっしり並べられた板は四人がかりで外へ運び、日照装置の直射日光でじっくり焼く。
「でも上に建物作っても砂嵐で埋まっちゃいません?」
「心配ないですよ。埋めちゃえばいいんです」
「え?」
砂に石の棒でまっすぐな線をひく。その上にいくつも四角を描き、塔を一本立てて外から丸く覆った。なるほど、建設中は砂を除きながら作って、完成したら空気穴の塔を残して埋めてしまうのか。地上を使うんじゃなくて今の地上を地下にするんだ。
「地下のもっと深い方を攻めることも考えたんですけどね。このあたりは岩盤が硬いみたいで掘れなくて。ソン区はどうですか? もしよかったらこれ、持っていきます?」
指差したのは部屋の隅で転がっていたスコップだった。大型で木材でできていて、先だけ金属になっている。
「も、木材で道具作ったんすか? 高級品ですよ? 机か椅子か、重要なもの入れる箱にするべきでは」
「でもそれが一番掘れるんです」
もったいないですよ、と叫ぶ狻に首をかしげる。木でできたスコップってそんなにおかしいだろうか。
「木材は輸入品やからなあ。狻はんから見れば金でスコップ作っとるようなもんなんやろ」
スコップに加工された木材をどうしたら分離できるか必死で観察し始めた狻の肩を海瑠さんがぽんとたたいた。
「狻様。あなたには一見無駄遣いに見えるかもしれませんが、この高級品はただ見て楽しむだけではなく新しい価値を生むのですよ。これでさらに深い場所を開拓できれば人々の居住域が広がり、新しい畑や畜産につながり、隣の地区との戦争で使う備品の工場も倉庫もできるでしょう。木材がこの姿になったことでどれだけの価値を生むのか、そこまで見えていますか」
はじかれたように振り返る。木のスコップを受け取り、まじまじと見つめた。
レンガ工場を出て地下道に戻る。前を歩く曹がうるさい。氏縞がいないので喜邨君を相手にしゃべり倒している。本人がいないのをいいことに言いたい放題だ。
「ふはははは! あやつめ軟弱な! 我輩といつも競っている身で情けないぞ! ナーガ・チェスでばっちり治してもらえ! ついでに身長縮められてしまえ!」
「身長お前と一緒じゃねーか。縮める必要ねーだろ」
「我輩の方が高いと気分がいい」
腕を組んでふふんと笑ってみせるがそんなに必死で爪先立ちしたって喜邨君の身長にはまったく届いていない。ぷるぷると足が震えている。
「貴様頭が高い! 頭が高いぞ座れ!」
「座ってたら遅れるだろ……お前が頑張って背え伸ばせよ」
「我輩はそんなに身長高くならない未来が見えているのだよ」
そんなセリフを格好つけて言わないでくれ。
ここで周る場所は最後だったようで、歩いているうちに見覚えのある通りに戻ってきていた。あの辺に畑の部屋がある。地盤が硬いなら畑つくるのも大変だったろうな。前の領主さんがだいぶ進めてくれていたとはいうけど、ここまでやっちゃう海瑠さん(と店長)はすごい。
「……あの」
狻がスコップを握りしめて足を止めた。
「俺んとこ、バリケード作るのうまいんすよ。突破されたことほとんど無えんです。きっと物を積み上げて物作るのが得意なやつが何人か居るに違えねえです。その人たちに地下を手伝ってもらって……そのうち海瑠さんのところの地上の建築、手伝わせてくだせえ」
「もちろん。そのためにも狻様は人をよく見て、物をよく見て、必要なところに必要な技術を持っていけるよう自分を育ててくださいね。あなたならできます」
「俺にはできねっす。俺らにはできるけど。海瑠さんももうちっと領民のアドバイスを聞いた方がええんでないですかね。門番ひまそうにしてましたよ」
一瞬ぽかんとした後、海瑠さんが笑い出す。めんどくさいなあ、それは領主様の方が得意だから任せちゃおうなんて言う。狻もそういえば海瑠さんは領主じゃ無えんでしたと笑い出す。
「昨日子さん、見ててくだせえよ。俺、親父殿の後継いで……いや継ぐ前からできることいっぱいやってソン区を最高の国にしてやりますから!」
なぜか昨日子に宣言して意気揚々とスコップを掲げる。昨日子も流されてえいえいおーととりあえず片手を適当にあげてるけど。
「龐棐!」
前方の角から子供が飛び出してきた。そのまま勢いよく突っ込んでくる。縁利だ。一瞬迷って行き先を切り替え、昨日子にしがみつく。
「ねえ、さ……きのこ、レフ、げほっ」
げほげほと咳き込み始めて昨日子がわたわたする。龐棐が「落ち着け」と背中をさすり水筒を出して水を飲ませてようやく咳が落ち着いた。全力で走ってきたようで上がった息の方はなかなかおさまらず、そのまま「レフトが」「レフトが」と龐棐のマントの裾をひっぱった。
「なんだ。レフトがどうした」
「俺、見たんだ。レフトが爆破される」
「何を言って、……〈力〉か!」
「日照装置、乗ってる奴にっ……指示が出た。撃てって。あの方からの命令だって。そいつ緊張してた」
「あの方……?」
「早く、早く行けって。レフトの人に伝えねえと、逃げてって、駐屯地行って、逃げてって伝えねえと」
走り出す。待って、と後ろで声がするが構ってられない。だってさっき、氏縞が。
既に先を曹が走っていた。あいつこんなに速かったっけ。僕にはもう道が思い出せなかったけど曹が先行してまっすぐ走っていくので後を追う。少しして縁利をかついだ龐棐さんが追いつき、明日香がさらに遅れてついてくる。
今から行ったってレフトの人が逃げるには間に合わないだろう。でも、だけど。
階段を駆け上り、真っ暗闇の中砂だらけの石畳を走る。曹が突然何かにぶつかって跳ね返されてしゃがみこんだ。四角いドアが出現してスライドする。
「こちらレフト軍駐留部隊、本官は輸送部伍長……」
「レフト軍の人か! 伝えてくれ! レフトが危ない!」
「どちらさまで?」
出迎えた伍長が困惑して龐棐さんと縁利を見比べる。
「お子さんですか? 聡明そうな……」
「違う。……伍長。さっきの機体呼び戻せるか」
「できません。〈音〉が届く範囲はとっくに出ています。もう到着している頃でしょう。何か不都合があったのですか」
話になんねえ、と縁利が龐棐さんの上で暴れて床に落ちる。
「機体ってなんだよ。そうじゃねえだろ、レフトに爆弾つっこまれるんだぞ。早く伝えて逃げてもらわねえと。そこの兵士、レフトとの通信機出せ」
〈音〉が届く可能性はゼロじゃないと必死にとばす。氏縞、氏縞……。見つからない。そうだ、氏縞には〈音〉がない。ならパイロット、と思ったが顔すら見ていない人にどう送ればいいのかわからない。
「龐棐! お前の故郷だろうが! なんとか手段を……」
一瞬周りがまぶしいほどに明るくなった。見上げるとそこにスウッと光の線がまっすぐ伸びていく。伸びて、その先、その先は……。目が光の行く先を追う。
突然ゴッ! と爆音が耳をたたいて何も聞こえなくなり、急に巻き起こった暴風に襲われ砂が吹き付け視界が砂で真っ黒になり、たまらず耳をおさえてしゃがみこむ。ごうごううなる砂嵐はなかなかやまずばちばちと砂が体にあたる。早くおさまれ、みんな埋まってしまう。
とおくで轟音が響いた、気がした。
思わず耳から手を離す。まだ砂が吹き荒れているけどもうふさぐ気にならなかった。少しおさまった砂嵐の向こう、操作ミスで日照装置に照らされた青い球体……
レフトシティーが、えぐられてあいた穴から茶色や灰色の塊を噴出させ、どろりと形を崩し、ぼろぼろとくずれていった。