薄暗い部屋だった。だいぶ雑に床に転がされて、パチッと部屋の灯りがついた。黒いローブの人は持ってきた荷物をどさどさと床におろし、無言であちこちに片付け始める。
「ねえ、ここはどこ?」
きいたけど返事はない。さっき何かを押し込まれた小指が痛くて反対の手でにぎりしめた。これが入ってから頭がぼうっとする、さっきまでどこに居たんだっけ。目の前のこの人は誰? ローブの人は全然雰囲気の違う服に着替えて戻ってきた。僕もその人が持ってきた服に着替えさせられる。
「修徒様。いいですか、これからあなたは修徒という名前です。苗字は神永。神永修徒です」
しゅうと、と復唱する。僕の名前はこれじゃなかったような気がする。だけどローブの人が修徒です、と全然表情を変えずにもう一度言うので僕は修徒なんだと思った。
本を渡される。見覚えのある挿絵なのに文字が違う。この国の文字にほんやくされた本だっていう。ほんやくってなんだろう。
「これからこの世界で生きるために必要なことを教えます。この世界に生まれた時から住むあなたぐらいの歳の子供が持つ知識を、最短で性格に教えます。覚えてください。いいですね」
何を言っているのかわからない。でも大事なことなんだと思った。
「じゃあ最初に、あなたは何て呼んだらいいですか?」
聞いてみるとその人はちょっと目を大きく開いて何か少し考えた。
「そうですね。許されるなら……母さん、とでもお呼びください」
無表情なのになんだかちょっと困ったように笑ったような、そんな気がする顔だった。
何度も名前を呼ばれている。眠気をこらえて目をこじあけた。
「シュウ! シュウ! 起きて!」
揺すられている。眠いんだってば。やめろって。
「起きてる……。何」
明日香だった。僕をゆする手をつかみ返すと「あ」と声をもらしてはーっと肩をおろした。
「よかった……。急に子どもみたいになっちゃうから」
「子どもみたいって何」
「何の対策もしないでいきなり機外に出たから地殻性キャンセラーの影響をもろに受けちまってさ。幼児退行おこしてたぞお前」
言いながら公正がお母しゃーんとか小さい子の動作のモノマネをしてみせる。僕がそんなことするわけないだろ。……みんな真顔だ。マジか。
「ここは?」
「俺の部屋。久しぶり。フレッドの友達、だったな?」
そこそこ歳のいった痩せ型のおじさん……アランが玄関布を払い部屋に入ってきた。持ってきた皿を中央に置く。狭い部屋に九人も詰まっているのでスペースを開けづらい。皿には何かの葉っぱが敷かれていてミンチ肉みたいなものの塊が載っていた。
「支給品の缶詰だけど。ちょっと食って行きな。久しぶりの再会だ、せっかくだし祝杯もあげるか」
「ああいやアラン、俺らまたすぐ出ないといけないからさ」
「なんだ、そうなのか。つれないな。次はいつ帰ってくるんだ? 先に言っておいてくれるなら何か準備しておくぞ」
「あ……。いや、もう来ない」
アランが固まる。
「……そうか。今度はもう、戻ってこないんだな」
うなだれてつぶやく。公正が頭をかいた。
僕が変なことになっている間、アランの部屋にお世話になっていたようだ。急に暴れ出す可能性のある曹、地面に下ろすとキャンセラーの影響で〈時間停止〉が解けてしまう冬人さんとその見張りで氏縞と喜邨君が機内に残り、他の全員が今ここにいる。僕らがここに来た時に通った亀裂がこの近くにあって、アランにその周辺の人払いをしてもらおうということらしい。亀裂を広げるはずの僕がおかしなことになったので部屋にお邪魔してもてなされたりなどしてしまっているけど。
「む? 公正、お前は残ってもいいんだぞ。向こうに身寄りも居まい」
「……迷うけどさ。やっぱ俺は修徒たちと一緒に向こうで暮らしたい」
そうか、とアランが肩を落とす。公正は気まずそうにアランを見つめ少し考えて
「アランは一緒に来る気あるか?」
沈黙。アランはぽけんとして聞き流し、「は!?」と聞き返す。
「俺たちと一緒に向こうにさ、」
「はっはっは! 行くわけないだろバカ!」
笑い飛ばされた。気をつかったつもりの公正がむくれてそれがアランのツボに入ったか笑い転げる。
「ま、まあそりゃあな。話きけばずいぶんと過ごしやすそうで魅力的ではあるがな。……いいか? 聞いて驚けフレッド。今俺には嫁さんが居るんだ」
「いつのまに」
「まあ連れ合い亡くした子連れだがよ。あいつここの生活をすごく気に入ってるからな。悪いが離れるつもりはない」
そうか、と公正も笑った。
公正は六年前、アントニオやトーマス達とここを訪れた。追跡対象が渡った亀裂を特定するまでの間フレッドという偽名でアランのところにしばらく預けられていたらしい。ジャックとサムはどうしているか聞かれたけどきっと委員長たちのことだろう。他の任務で首都に戻ったことにしておいた。
出されたコンビーフのようなものを食べ終わり外に出る。僕らが来た亀裂は徒歩数分。乗ってきた飛行機が置いてある空き地から少し離れた場所にあった。瓦礫が山のように積もっていて周辺はでぼこぼこしていて、あきらかに何かがある場所だけどはっきりわかる裂け目はない。
「開けれるか」
「どうだろ。実際見ると自信なくなってきた」
どこを起点に柱を立てればいいんだかさっぱりだ。瓦礫の中だとは思うけど……
「いた! 修徒様!」
突然呼ばれてびっくりして足元をすべらせ瓦礫の山をすべりおちた。声の主があわてて追いかけてくる。
「修徒様ご無事ですか!」
「無事だよ。無事だけどやめてくれよ驚かすの……」
土に埋まった足を引っこ抜いて起き上がる。ボロボロのローブをまとった女の人が今日破を抱えて立っていた。
「今日破……!」
「はい、修徒様」
クリスが微笑んだように見えた。
昨日子が走ってきた。遅れて明日香も走ってくる。今日破を地面に下ろし斜面にもたれさせた。うっすら意識はあるようで時々目が開く。
「今日破!」「今日破!」
「あす……か? そっち、は……きのこ、やな……?」
かすれて小さく声もきこえた。
「クリス……」
「はい。修徒様の意を汲み、今日破様を救出してまいりました」
あの崩壊して燃え上がる研究所の中をか。僕は頼みかけて言えずに言葉を切ったのに。
「ありがとう、クリス。……ごめん、怖くなかったか?」
「私はアンドロイドですよ。怖いなどという感情はありません。あの程度、負傷してもすぐ再生しますし」
助け出された今日破もボロボロで、あちこちにやけどを負い服も一部が焦げ、……右足がなくなっていた。膝のあたりでズボンごと切れていて、たくさんの布できつくしばってある。はさまれてつぶれた足が抜けなくてやむを得ず切断したらしい。今日破は明日香に話しかけられて何か答えていたが突然気絶し動かなくなる。
「シュウ。今日破も早く病院に運ばないと。あんまり状態がよくない」
「わかった。公正、喜邨君たち連れてきて。行こう」
「了解」
公正を見送り、瓦礫の山に手をつけた。きっとこの下に裂け目がある。イメージしろ。
ここじゃない、もっと下だ。これも石が動くだけだ。まだ下か。動かないな……? 岩の中かもしれない。
後ろでアランとアランの仲間たちが人が来ないように道案内をしてくれているのが聞こえる。興味をひいて人が増える前に終わらせなければ。公正はもう見えるところにいない。飛行機を降りて〈時間停止〉が切れたら冬人さんにはもうあとがない。早く見つけないと。
「修徒様。ここです」
横から手がのびてきて右にずらされた。そのまま〈力〉を入れようとした場所もずれ、ぼこっと音がして地面が揺れた。……あった。そのまま少しずつ、少しづつ柱を伸ばし本数を増やして広げていく。〈力〉の閃光がだんだん瓦礫から漏れて見えるようになってくる。
「修徒様、ゆっくり。ゆっくりです。人数が多いのでより広く、長く保つ必要がありますから」
ついに覆っていた瓦礫が崩れ、裂け目が表面に見え始めた。裂け目の先は何も見えない。真っ暗だ。
ふと思い出す。誰かに抱えられて下を見ている。下はぼこぼこした黒っぽい地面。箱のついた手の先で閃光がパチパチ散り、ゆっくりゆっくり地面が開いていく。あまりに暗い穴に僕がおびえて泣いているのにその誰かは全く気にせず穴を広げていく。……あれは。
「ねえ。クリスは来ないのか?」
「行きません。……いえ、行けません。私ももうそろそろですから」
言いながらローブの腕をめくってみせる。アントニオがデリートした時に現れていたヒビが腕にいくつも走っていた。
「損傷回数が特に多かったのでここから始まっているのでしょう。じきに脳にきます」
「……こわく、ないの」
「……こわいです」
クリスは今はっきりと泣きそうな顔で無理やり笑った。機械的な無表情なんてどこにもなかった。やっぱりそうだ。アンドロイドだって死ぬし怖いし泣くし笑うのだ。手だって震えている。
「……クリスは人間だよ」
もう少し向こうを広げて、と指さしていた手が中途半端な位置で止まる。「え」「あの」ととまどうような声を出して手を引っこめる。
「いいえ修徒様。私はアンドロイドです。負傷してもすぐに再生します。ボタンひとつで〈力〉が使える機能が装備されています。戦闘能力も一般人よりもかなり増強されていますし思考回路も補正が」
「けどさ、それだけだろ」
ぼこ、ぼこぼこっと裂け目が伸びてやっと自分が〈力〉で作った柱が見えるようになってきた。ちょっと細すぎたな。もっと太いのと入れ替えてさらに〈力〉をこめる。
「クリスは人間だよ。ちょっと体いじってあるだけの人間。違う?」
「いえ、私は……」
「まだ何か言って欲しいのか、母さん」
今度こそクリスは固まった。目を見開いて僕の顔を凝視する。
「何驚いてるんだよ。ちょっと考えればわかることだろ。あの日兄さんを鷹先生のとこに連れて行ってから、クリスは僕を連れてここから向こうに行った。その後情報改変だっけ、そういう機能を使って向こうの世界に紛れ込んで生活してた。そうだろ? ……だったら、いつも寝坊しそうな僕を叩き起こして、朝ごはん食べさせて弁当作って学校に送り出してくれたのは誰かって、そんなのもう答えは出てるだろ」
「仮の母です。母さんなどと呼ばれる資格など。一般的な理想の母親像を模倣しただけの……」
「母さん。人間はね、怒って泣いて笑うんだ。僕は全部見たことある。僕の母さんは人間だ。だからクリスは人間だ」
僕があまりにがんとしてゆずらないのでクリスはあきらめたように「わかりました」とため息をついた。しょうがないね、と口調がくだけて昔やってくれたみたいにわしわし頭をなでてくる。
「母さん、またロールほうれん草作ってよ。あれおいしかった」
「自分で作りなさい。もう作れるでしょ」
うーん、いまだにまともな料理を作れた覚えがないのだけど。
喜邨君と公正が二人がかりで冬人さんを運び、氏縞が曹をおんぶして走ってくる。一方の裂け目の方はだいぶ開いてきたのに途中で突然抵抗が強くなり動かなくなってしまった。
「これ以上は〈力〉の出力を最大に引き上げないと開きませんでした。持っていたものが一回かぎりのものでしたので、そこで使いきるつもりで使ったら開くぐらいのイメージです」
「じゃあみんなが集まってから最後に大きい柱をのばそう」
視界がちかちかする。もうすでにかなり負担がきている。ここから最大出力で〈力〉をぶちこむなんて正直やりたくない。でもやらなきゃ。明日香たちを呼び集める。
「もう行くのか」
「うん。アラン、もう少し人払いお願い」
「おう」
飛行機方向のかなり離れた位置に立つ龐棐さんが手を振っている。龐棐さんはこの後レフトの復興事業に戻るらしい。縁利に「根を詰めんじゃねえぞ!」と叫ばれて微妙な顔をしていた。「お前もよく寝ろ! 背が伸びんぞ」と返ってくる。「うっせえ!」と返しながら縁利が笑う。
クリスもアランの隣まで離れて立つ。
「アラン! その人アンドロイドでクリスっていうんだけど」
「アンドロイド?」
「ここでよく暴れる廃棄品とは別型だから安心して。……その人もうすぐ終わるんだ。終わった後、遺体を……お墓に埋葬してあげてよ。普通の人とおんなじように」
「いえ、そこまでしてもらうわけには……」
「了解」
だいぶ開いた裂け目に向き直り、しゃがみこむ。膝をつき地面に手をあてる。
そこに全集中力を集めていく。
さよなら、アラン。
さよなら、龐棐さん。
さよなら、父さん、鷹先生、バックシティーの人。ライトで会った人。フロントシティーでお世話になった人、レフトですれ違った人。スカイ・アマングで同じ祭を楽しんだ人。
さよなら、クリス。
さよなら、世界。ありがとう。
「行くよ。閃光が散ったら迷わずに飛び降りて」
一言言って、〈力〉を爆発させた。
閃光で何も見えなくなり地面が大きく脈うち跳ねて、半ば投げ出されるように宙に舞い、それでも〈力〉を全力で注ぎ続ける。
落ちていく。落ちていく。
耳鳴りがしてもう音が聞こえない。〈力〉に吸い取られるように手足の感覚が消えていく。それでも白緑色の光はまぶしいまま光り続ける。何も見えない。だけどどこかにある地面に〈力〉を注ぎ続ける。
真っ白な中を僕は落ち続けて、
はっと気がついた。ゴウゴウと水の流れるような音が聞こえる。手元は暗くて何も見えない。ここは……? だんだん頭がはっきりしてきて記憶も戻ってくる。頭上に手をのばすと固い岩に手が触れた。瓦礫の中に埋まっているようだ。これは動かせるだろうか。力の入らない体にむちうって全力で押し上げる。すごく重くて悪戦苦闘しやっとのことでずらすことには成功した。外の光が差し込む。頑張れもうちょっとだ、このでかい石さえどければ外に出られる。指がすべり手を擦る。力任せに、体重を乗せて石を押す。ずりずりと少しずつ少しずつ動かしていく。
声が聞こえた。ずいぶん遠くて、何を言ってるかわからない。足音がこっちに走ってくる。立ち止まって誰かを呼んでいる。
ここにいる。僕はここにいる。見つかりますように。見つけてもらえますように。助けて、まだ他に何人もいるんだ。その人に気づいて欲しくて必死で石を押し、ずるっと大きく動かした。これだけ開けば這い出せる。声はまだ聞こえる。間に合え。周囲の石の突起を手がかりになんとか体をもちあげる。頼む、気づいてくれ……
がしっと腕をつかまれた。遠いと思っていた声の主はすぐそこにいた。
「頑張れ! もうちょっとだ! 今助けるからな!」
ぐいっと力強く引っ張りあげられる。眩しい日差しが目に入って、
ふっと気を失った。