気がつけば叫んでいた。何を叫んだのかもうわからない。頭が真っ白になって考えがまとまらず、砂に膝をついた。酷使したのどが悲鳴をあげ、息が通るたびに痛む。
アクア・チェスの街並み。列車で一緒に乗っていた人。飯堂に時々来ていたお客さん。街で出会った人。話した人。ロブ。ジョセ。あの街にたくさん住んでいただろうアンドロイド達。色んな顔が脳裏をよぎる。そして氏縞。ぼろぼろと、ドロドロとくずれていく灰色の塊。
「そん……な……」
伍長が呆然とつぶやいた。地面にへたりこみ、崩れていくレフトだったものを見つめる。
照らされていた残骸がだんだん影になり、見えなくなった。代わりに周りが明るくなる。何事もなかったかのように、いつものように、日照装置は日照装置として動き始めていた。
「しじ……ま……」
曹が口をぱくぱくさせる。もうレフトは見えないのにまだそこを見ている。不安になって肩をつつくと勢いよく振り返って「しじまあ!」といきなり叫ぶ。びっくりして思わず後ずさったけど曹は何かしてくるでもなくまたレフトが見えていた方を見あげた。
龐棐さんが伍長を見やる。首を振る。さっき言ってたっけ、飛行機はもうレフトに到着しているはずだって。隣で明日香が泣きだす。うそ、うそだよ、と声をもらしてひっついてきたので肩に手を回す。
伍長が立ち上がり、何かを決心したようにうなずき歩き始める。「伍長」龐棐さんが呼び止めた。
「待て。すぐにでも飛んで行きたいだろうが、ひとまず見守れ」
ぎゅっと口をひきむすぶ。眉間にしわが寄る。
「今行けばっ……まだ間に合うかもしれないですっ……!」
「伍長。待て」
「一機、あるんです! 車輪さえ直せばすぐにでも」
「伍長」
「龐棐様! あなたはレフトに残る人を! 助けたいとは思わないのですか!」
「……伝攏伍長」
走り出そうとする伍長の腕をつかむ。振り返った目は真っ赤に腫れていた。頰がひきつるほどに歯をくいしばって龐棐さんをにらみつけた。
「崩壊がおさまるまでは行っても何もできん。見守れ。六年前のバックシティーの時には、……伍長はまだ入隊していなかったか」
「本官はまだ訓練兵でした。……話にはきいています。崩壊のさなかに救援に入ろうとして多くの死者が出た、と」
「知っているなら」
「わかってます。わかってますけど、それ聞いた時正直なんて馬鹿なことやってるんだろうってあきれましたけど……あきれましたけど、それでも今は行かなくちゃって、でも」
ぎり、と歯ぎしりがここまで聞こえた。握りしめたこぶしが震える。龐棐さんは腕を離さない。
「伍長。とどまれ。今は行くな。ここで、他のすべきことをしろ」
伍長の肩が震え、ぼとぼとと涙が落ちた。砂にしみこんで跡がつく。
「スカイ・アマング他の駐屯地と連絡をとれ。レフト本部なしで仕事を回せ。組織をつくれ。ここに敵の侵入を許すな。守りを固めろ。……まずはここに居る者を守れ」
「……はい」
「それからレフトの状態を調べて、損壊状態や居住可能な区域があるかの確認が済んでから、救助に回れ」
「はい」
必死に泣くのを我慢するようにくしゃくしゃに顔面をゆがめたままぼろぼろ涙をこぼし、伍長は震える手で敬礼の姿勢をとった。
「リ区の者とは交流があるな? この際だ、しっかり頼れ。俺からも話はしておく」
「はい。……あの、龐棐様は」
「俺は彼らとともに行き、犯人と首謀者を突き止める。必ず戻ってくる。戻ってくるまで無事で居ろ。戻ったら俺を手伝え。いいな。お前はそのためにここに居ろ」
もう一度、しっかりと、びしりと敬礼する。龐棐さんが同じ敬礼を返し、僕らもつられるように見よう見まねで敬礼した。
基地へ戻る伍長を見送り、地下道に戻る。
店で待っていた店長と海瑠さんに事情を話し、栄蓮を回収してすぐに帰路についた。長い地下道を半ば走るように歩き、国境の門を抜け、ソン区に入る。覇さんに借りた部屋を目指す。慌ただしく走る僕らを道ゆくひとが驚きつつ迷惑そうによけていく。
階段から人影が走り降りてきてぶつかりそうになり、あわてて足を止める。
「冬人さん!?」
「しょ」
「修徒です。どこ行ってたんですか」
「……。あのねー外歩いてたらね急に暗くなってー。青いのがばーんってなってー」
なんか無理やりに見える笑顔の作り方をしてばーん、と腕を広げる。ぼろぼろー、とかどろどろー、とかいいながら手をパラパラ動かしてみせる。今日破が「それ俺も見た」と返すとうん、とうなずいてすっと顔から表情が消えた。
「しじまっ! しじま見なかった?」
曹が冬人さんに突然とびつく。勢いあまってバランスを崩し、壁に押し付けられた冬人さんが「ぐえ」と顔をしかめる。曹は構わずすがりついて顔面すれすれまで近づいて喚き散らす。
「しじま、しじまが見当たらないんだ! しらね? なあなあなあああ」
「曹……くん?」
「しじまどこに隠れてるんだよ、教えろよ」
「何いっ……やめ」
「曹」
龐棐さんが曹を引き剥がし冬人さんを救出する。曹はぎゃあぎゃあ泣き叫んで暴れ、それもかなり強い力で暴れて掴まれたまま腕をぶんぶん振り回し今度は龐棐さんが「痛っ」と目をつぶる。その隙に曹の手が離れて……喜邨君が捕まえた。両腕をまとめて絡めとり、力づくに座らせる。龐棐さんは首元に手をあててふらふらと座り込んでいた。怪我したとこだ。縁利が駆け寄っていく。
「つか……曹さん、落ち着いて」
「しじまかえせよおおぉ、隠してんだろ、うあああああああ」
狻がなだめてもまるで効果がなく枯れた声で叫んでじたじた暴れる。どう見ても関節がきまっている姿勢なのに身を乗り出しみしみしと腕がきしむ音がする。
昨日子が曹の大きく開いた口に何か錠剤をひとつかみザラザラと突っ込み飲み込ませた。曹は抵抗できずごくんと飲みくだす。
「あー! 昨日子だめだよ! 勝手に薬箱から持っていかないで!」
「睡眠薬。曹、寝る。静かになる」
「そうだけど! 静かになるけど! てきせつなようりょうっていうのがあるの! 多いと死んじゃうこともあるんだよ!」
まだじたじた暴れていた曹はだんだん動きがにぶくなり、白目をむいてがくんと力が抜けた。眠ったようだ。喜邨君がほっとしたように一息つき、手を離す。
曹はそのまま喜邨君がかついで部屋に戻った。凛が出迎えて龐棐さんの様子に気づき、器具を取りに行く。狻はロープを持ってきて喜邨君と一緒に曹を縛り始めた。明日香が包帯を出してロープで怪我をしないようにあちこち保護していく。
「……凛。日照装置は誰が操作している?」
道具を持ってきた凛に促されて龐棐さんは壁際に腰を下ろした。だらんと下がった手が力なく床にあたる。
「北方の……どの区かが担当しているときいています。……よかった、開いてはいませんね。肩がはずれてひっぱられて痛むのだと思います。ご自分でできます?」
「できなくはないが……。喜邨、手を貸してくれ」
「俺加減効かねーから他のやつに頼めよ。昨日子ならそれなりに力あるだろ」
「……了解」
外で人の声が聞こえて廊下をのぞきこむ。廊下はカーブしているので見える範囲には誰もいなかったが誰か居るようだ。楽しそうにはしゃぐ声が数人分、どれも聞いた声だ。だんだん近づいてくる。公正かな。
「で、真ん中にズドンだ。射撃手はすごいな」
……聞こえてきた言葉に耳を疑った。何に、ズドンだって? 射撃手?
「正確な位置がわからなきゃあの〈力〉でもああもうまくいかないよ。特定できたのは大きい」
「へへ、照れるな」
「いや本当に助かった。協力ありがとう」
「こっちこそ役立ててもらってうれしい。じゃあな」
「ああ、またな」「また」
誰かと会っていたようで見えない所で別れてこっちに来る。平静を装ってはいるが口角が上がっていて嬉しそうに見える。僕はどんな顔をしていいかわからず突っ立って公正を待った。
「あの、公正」
「ああただいま」
「今の、話」
「ああ。聞いてくれよ。俺の〈力〉が役に立ってさ」
嬉しくてたまらないとばかりに見たことないくらいの笑顔で胸を張る。ようやくレフトを討ってやったんだ、手回しもうまく噛み合ったと続く言葉が全部頭を素通りしていく。まさかアクアチェスの方だとは思ってなかったからなとか直接確認できてよかったとか、もう何言ってるかわからない。聞き取れるけど、意味わかるけど、理解したくない。
「あの、さ……。公正が、レフトシティーを爆破させたのか?」
「いや。撃ったのは日照装置に配置されてた兵士だけど」
「そういう意味じゃなくて」
「そいつ標的に狙い通り当てられる、百発百中の〈力〉持っててさ。どこ狙えば崩せるかわからないって言うから情報を提供したのさ。見ろ、一発でドーンだ」
「公正」
ああそうか。公正がレフトの弱点を……そこを崩されるとレフトシティーが丸ごと崩れるくらいの何かを見つけてライトの兵士に教えたんだ。国ひとつ滅ぼすほどの作戦の要になってそれが嬉しいと、そういうことか。
「何さ、変な顔して。レフトシティーはライトとの戦争中にさ、ライトの地上に残ってた集落や畑や牧場を根こそぎ破壊して回ったんだぞ。相当な戦死者も出してる。しかもそもそもの戦争の原因が見るからにありあまってる水をライトに提供するのいやだって言ってだぞ? 報いを受けるのは当然だろ。加えて大量のアンドロイドを匿ってた。それにほら六龍って兵士、あいつに追われることもなくなる。今後の安全のためにも、俺らの目的のためにも、まとめて処分しちまうのが手っ取り早くて確実ってことさ」
「なあ、それ本気で言ってんの」
「国一個潰すような兵器隠し持ってたのが悪かったのさ! 自業自得ってやつだな。撃ち込まれて自国吹っ飛んじまっ……」
ぐいっと横から押しのけられてたたらを踏んだ。割り込んだ冬人さんは無表情のまま公正を見下ろして
パン
思い切り平手打ちを食らわせた。
公正が軽く二、三歩よろめいてバランスをくずし、しりもちをつく。呆然と冬人さんを見上げる。冷たい蒼の目が刺すように睨みつけていた。
「──っ」
何か言おうとして口を閉じる。冬人さんが一歩近づくとぐっと身を固くして身構える。冬人さんは公正の襟首をつかんで無理やり立たせ、半ばひきずるように部屋に放り込んだ。公正はされるがままに転がされて地面にたたきつけられる。
「公正!」
駆け寄ろうとした明日香が冬人さんに睨まれてひるむ。龐棐さんの肩をいじっていた昨日子も凛も、喜邨君も栄蓮もみんな手を止めた。
「……ねえ。それってあの男が絡んでるんだよね」
いつもより低い声に背筋が凍る。怖い。この声が、怖い。
「てめ、やっぱりシュ……」
「答えて」
言いかけた言葉をのみこんで、うなずいた。おそるおそる顔を上げる公正を静かにみつめて何かを考えるように唇をかむ。
「なあ、公正が何したんだよ」
「レフトシティーの急所を……そこを打たれたら壊れるようなところ……大規模破壊兵器の保管庫を、ライトの兵士に教えた」
僕が答えて縁利が絶句する。曹は部屋の隅の椅子に縛り付けられて眠っている。ちらりとそっちを見て目をつぶった。
「公正。氏縞がな、肺に砂たまってもうてレフトの病院に運ばれたんや」
はじかれたように振り向く公正。ついさっきやったんやけどな、静かに付け加えて今日破は黙る。
「何してんだ、なんでレフトなんかに氏縞を送ってんだ」
「ここより医療が進んでいるからな。似たような症状の処置に慣れた医者もいた」
「それで氏縞は」
誰も答えなかった。部屋の中が静まり返る。
腕をひっぱって立たせ、部屋の隅で曹をしばった余りのロープで手をしばる。公正は落ち着きなく部屋を見回してみるみる青ざめていく。氏縞は、もういない。
「公正。レフトは報いを受けて当然だしアンドロイドを匿ってて危険だってえのはお前の意見か?」
「……。喜邨には関係ないだろ」
ぶん、と風音すらたてて飛んできたものを冬人さんがキャッチする。
「てめえ自分が何したかわかってんのか。関係ねーわけないだろ。俺あそこの大食い店の人たちによくしてもらってたし、お前だってあそこで関わった人がいるだろ。その人たちも全部まとめてっ……」
「だってさ」
「だってじゃねえ、お前が〈力〉にどうコンプレックス持ってるか知らねーけどな。使い方次第だろ? お前は使い方が」
「喜邨。その話はあとだ。今はとにかくここを出て、狙撃を指示したやつを探そう」
公正を曹の隣に転がして荷造りを始める。
数日お世話になったおかげでわりと荷物がとっちらかっていて誰のものかわからないタオルが出た。曹と氏縞の荷物は分けて余裕のある人が持つ。狻と凛に出ていく旨を伝えた。事情をきいた覇さんが備蓄のナッツバーを非常食としてくれた。
「龐棐さんあてはあるの?」
「いや。現状何もわからん。縁利」
「電話連絡が来て、狙撃手に命令してた。日照装置上にはいないと思う」
公正に視線が集まる。
「……俺は鴻基と結羽に報告しただけだ」
目をそらす。締め上げれば何か出てくるとも思えなかった。公正はたぶん、詳しいところは知らない。
冬人さんがため息をついた。何か考えるように腕組みをして、
「バックシティーに行こー!」
……突然元気にえいおー、と拳を突き上げた。
「なんだ急に。爆発事故で何もなくなってるのだろう、あそこは」
「えへーロースさん知らないんだー! あちこち壊れてるけど、一部は残ってるんだよー」
「龐棐だ」
残骸があることは知っているが居住可能な地域はほとんどなかったはずだ、と付け加える。ほとんど……?
「バックシティーの残骸がどう関係あるんだ」
「どー関係あるんだろうねー?」
にこにこと公正に目配せする。公正はキッと冬人さんを睨んでそっぽを向いた。
「……バックシティーに何かあるんやな?」
「今日破正解ー」
両手ピースなんてしてみせて、誰も笑わなくてがっかりしたようにすっと無表情になった。
「あの男」
ぴくりと公正が反応する。
「やっぱりそうか。できれば避けたかったけど、他に方法はもうないね」
公正と曹を椅子からはずして今度は互いにつなぎ直す。公正はもう抵抗しなかった。喜邨君が曹を背負い、腕を釣り上げられながら立ち上がる。
「あの男ってなんや、レフトが爆破されたんと関係あるんか?」
今日破の問いにうなずく。
「バックシティーの最高指導者、アニア。あの男は今でも研究所に残り、裏で糸をひいている」
六年前の崩壊以前、バックシティーは多くの工場や研究施設が立ち並び全都市中トップレベルの技術を誇っていたという。手城君の話にも出ていた高品質キャンセラーや飛行機や弾薬等の軍備の開発にも長けていた。その中で発達してきたのが「アンドロイド計画」で、機械を人型兵器にするA型が頓挫して人間ベースのH型の研究が進められていた。僕らがこちら側に来る原因となった地震と地割れを起こしたのはそのH型だという。
「だけど辻褄があわないんだよねー。その〈力〉を装備したタイプ、六年前の事件後に全部処分されたはずでー」
「全処分ってそこかよ」
「公正君ほんっとになんにも知らないねー」
「うるっせえな聞きかじりの情報しか無えんだよ」
全処分されたはずなのに発動したってことはまだ同じ研究所で作ってるってことだろうか。だとしたら……。
さっき通った廊下をまた歩いている。目指す先はまたリ区、レフト軍の駐屯地だ。公正は他と連絡をとれないようにキャンセラー付きの手錠をかけられていて、副作用で頭痛とめまいに襲われてまともに歩けず今日破に背負われていた。気分が悪いのかちょっとしゃべるとキレ気味で返事が来る。
「冬人はん詳しいな」
「僕誰かさんと違って物知りだからー」
「はいはい」
国境の門を抜け、さっき通ったばかりの地下道をいく。たくさんの絵が描かれた広場を抜け、民家らしい横穴のたくさんある通りを進む。
「……本当に、本人なんだな」
「偽物だよー? と、言いたいところだけどそうだね。どうきいてたの?」
「事件の時に巻き込まれて死んだって」
そう、と聞いたわりには興味がなさそうに返す。
アンドロイド計画。〈力〉をコピーして複数の〈力〉を使える兵士を作る研究。もしかして前に昨日子が話していた施設ってその研究所だったのかもしれない。昨日子は思い出せないようだけど。冬人さんもそこに……? レフト出身じゃなかったっけ。どういうこと?
「そうだショータ」
「修徒です」
わりと真面目に話してるくせに名前だけきっちり間違えるなよ。
「クリスに連絡つくー?」
「え? 僕別に連絡手段持ってないですよ。いつも突然出てくるんです」
「そっかー」
舗装された階段を登り、地上に出る。明るく照らされた砂漠にまっすぐ石の道がどこまでも敷かれている。そこをまっすぐ進み、見えない壁にぶつかった。
「はい、こちらレフト軍駐留部隊……」
まぶたが腫れているがキリッとした顔で伍長が敬礼する。
「もうお戻りで」
「いや、移動に機体を使わせてもらいたい」
「え、あ……。あの、今まともに動く機体は」
ずかずか入っていく龐棐さんに伍長が慌てる。「構わん、直せ」「いえ部品が無くてですね」構わずどんどん奥に進んでいくのを追いかける。
到着した駐機場には小型の輸送機が一機、ぽつんと残っていた。なんだあるじゃないかと近づいて違和感に気づいた。機体を支えるキャスターの車軸が一つ折れて無くなり、代わりに台をはさんで支えていた。これじゃ滑走できない。
「冬人。使えるか」
「んー。ちょっと見せてねー。燃料はあるー?」
「ありますけど、燃料を入れても……」
ぐるぐると機体の周りを数周して翼の状態を調べ、機体に乗り込んだり下にもぐったりして点検して回る。OK、と龐棐さんに親指を立てて見せた。整備はしっかりされてるみたいだけど……。
「乗ってー」
「いえ、それじゃ発進できませんよ!?」
慌てる伍長を横目に栄蓮たちが喜邨君や今日破に助けられて機内に乗り込んでいく。僕は伍長の困惑とは別の理由で乗りたくなかったけど明日香に引っ張られてしぶしぶ乗り込む。
「伍長、心配はいらん。冬人なら滑走は必要ない。……待機状態の機体をよく整備していたな」
「部品が届き次第、すぐ使えるようにと」
「よくやった」
ぽんと肩をたたき、龐棐さんも乗り込む。ドアがバタンと閉まる。
前に乗った機体より見た目は大きいのに中はずいぶん狭かった。閉空間拡張の〈力〉の兵士が死んだからだ、と龐棐さんが言う。軍部で丁重に護衛されて生活していたらしいけどレフトシティーごと吹っ飛ばされたらどうしようもない。低い天井に頭をぶつけそうになりながら詰めて座る。喜邨君は席に座れず通路に腰を下ろした。
ぶるんと起動音。ごごごごご、とエンジン音が轟き機体が震える。冬人さんはカチカチとあちこちの計器を調整して色々スイッチを入れ、
ビシッ
突然白い閃光に視界が塗りつぶされた。ふわっと浮遊感、落下する! と思った瞬間にドガンとすごい音がしてグゥンと座席に押し付けられた。……あーもう……。何か言ってから発進してほしい。
「わー! これエンジンすごいねー!」
「レフトとライトの駐屯地を結ぶ輸送機だからな。距離があるのでそれなりの出力のものを積んでいる」
「わーいはやいはやいー」
さらに加速させてはしゃぐ冬人さん。窓がガタピシ音を立て、外の翼がガタガタ震えている。やめて……やめてくれ冬人さん。飛行機が壊れる……!
窓の外は真っ暗だ。下の方に日照装置に照らされた砂色の大地、ライトシティーが見えている。すでにだいぶ遠くなっていた。別の方向に街明かりが見える。あれはスカイ・アマングだろうか。だとしたら、とついさっきまで青色の球体が浮かんでいた方を見る。やっぱり何も見えない。フロントシティーの方角はスカイ・アマングに隠れて見えなかった。
「バックシティーのどこか、行くあてはあるのか?」
「んー。とりあえずひとつかなー。死んだことになってたならほぼ確実」
「なんや冬人はん。バックシティーにも行ったことあるんか」
「バックシティー生まれだよ」
事件までは住んでたんだよ、と続ける。
「ああ、だから詳しいんやな」
「んー。バックシティー生まれだからっていうよりアンドロイド計画関係者だからねー」
「え」
「〈力〉コピーされてる」
「はぁ!?」
思わず声をあげると不思議そうな顔でこっちをチラ見した。なんだよ、僕は知ってて当然だとでも?
「クリスや他のアンドロイドが〈力〉使うとこ、見なかった? 〈瞬間移動〉はわかりにくいかな」
「〈プロテクター〉なら何度か」
プロテクター、と繰り返して冬人さんは黙る。計器の方を向いてしまって表情が見えない。何かひっかかることを言っただろうか。
「……僕とさ、昨日子ちゃん。〈音〉が通じないだろ。〈力〉をアンドロイドに写す時、強力なキャンセラーで出力を抑えて〈音〉の回路を利用して写すんだ。だから副作用で〈音〉がとんじゃう。アンドロイドが同じ〈力〉を使うところを見てないなら、言えるのはこれくらいかな」
「昨日子も?」
明日香が振り返って、つられて僕も振り返る。昨日子はいつもの仏頂面からさらに表情が抜け落ちていた。顔色が悪い。
「昨日子、大丈夫か」
「……ごめ、昨日子ちゃん。嫌なことだったね」
ううんと昨日子は首を振り、縁利が伸ばしてきた手を握りしめた。栄蓮が「私もー!」ともう片方の手を握る。あ、ちょっと笑った。
ちょっと首をのばして眼下に目をこらした。ここにもあった日照装置に照らされてうっすら明るい……が、スモッグだろうか白い靄に覆われてよく見えない。冬人さんが計器をいじったり機体を旋回させたりしたけど変わらない。まっしろだ。
「近くに降りれそうにないや。スモッグで高度もわからない」
「公正、場所を……やっぱいーわ」
冬人さんはいつもに比べるとずいぶん慎重に旋回を続けた。同じ場所をぐるぐる回りながら周囲を見回し「あれたぶん動力塔だから」「日照装置があっちで」と出来る限り位置を知ろうとする。ビー、ビー、と燃料残量の警告が鳴り始める。
「よし。みんなどこかに捕まって。先に言っとく。失敗したらごめん」
ぐん、レバーを押し機首を下げた。高度を下げながら速度も大きく下げ、ふらふらと不安定に霧に突っ込んでいく。窓の外が真っ白に塗りつぶされ翼をたたく風の音が急に強くなる。前の座席の背もたれをぎゅっとつかみ足を踏ん張る。体を強張らせて衝撃に備えた。
目の前に急に岩が現れて閃光が走った。一瞬後には別の岩や建物の屋根が見えた気がしてその度に強い閃光がバリバリと駆け巡る。窓の外に何か建物か岩が迫ったと思ったら視界が白飛びするのを何度も何度も繰り返し妙な浮遊感が断続的に続いて一気に気分が悪くなる。右に揺れ左に揺れ、浮き上がっては沈み目まぐるしく窓の外が切り替わる。最後にドン! と突き上げるような衝撃があって床に押し付けられた。
吐き気をこらえて体を起こす。着陸成功……? 縁利や昨日子もおそるおそる起き上がっていた。操縦席の冬人さんはハンドルに向かって突っ伏している。
「冬人はん大丈夫か?」
「うんー。でこぼこなんだもん着陸できないかと思ったよー」
「ちょうど岩山のある地帯に降下してしまったようだな」
窓の外に目をこらすと霧の向こうに切り立った岩肌がうっすら見えた。機体の周りは廃墟化した住宅街で、最初からここに降りられればよかったところをよく見えなくてあの岩山に突っ込みかけたらしかった。……無事着陸できてよかった……!
「では行くか。元凶はアニアとやらで間違いないのだな」
「他にいないからね。ここから研究所に行く道は僕も知らない。とりあえずあてに行こう」
あの人なら場所知ってるはず、言いながらふらふらと立ち上がる。立ち姿勢が安定せず椅子によりかかり、
「うぎゃ」
「おっと」
歩きだそうとして足がもつれ、近くにいた今日破の方に倒れこんだ。
「痛ったー……」
「冬人はんほんまに大丈夫なん? 歩けとらんで」
「へいき、座りっぱなしだったからなだけだからー」
「言うて数分やないか……待って待って待って? すっごいふらついとるやん」
立ち上がろうと椅子にしがみつく冬人さんを今日破がひきずりおろす。冬人さんはあっさりあきらめて「うー」と不満げにうなり拗ねたようにその場に寝そべった。
「……龐棐はん。冬人はんこの状態やし俺らも朝からの色々で疲れとるし、ちょっと休んでからでもええかな。急ぐ気持ちはわからんでもないんやけど」
龐棐さんは眉間にしわをよせてちょっと考えるような顔をしてからため息をつき、「そうだな」と腰を下ろした。栄蓮と明日香もほっとしたように息をつく。みんな疲れてたみたいだ。
「んん、でも早く着いた方がー」
「どうせまだ遠いんやろ。近くに人居らんで」
まだ起き上がろうとするので押さえつけて横たわらせた。じたばたと抵抗したかと思うと急にぐったりする。そうとう疲れているようだ。安静にしてくれ頼むから。
ソン区を出る時にもらったナッツバーをみんなに配る。曹はまあ、起きたら公正に手伝わせよう。冬人さんは寝そべったままうつらうつらし始めて今日破に叩き起こされていた。飯食ってから寝ろ、体力不足でダウンしてるのに栄養摂らなくてどうする。何度も揺すり起こされていたが結局あとひと口を残して寝入ってしまった。今日破が上着を脱いでかぶせる。
僕ももそもそと頬張る。うん。おいしくない。パサパサだ。ナーガ・チェスで食べてた明日香の手料理が恋しい……じゃなくて、ええと。明日香は栄蓮に食べ物をおいしくする薬がないかきいていた。
「明日香……。それ調味料っていうんだよ。わたしは持ってない」
「あれ? あは、あはは、そうだね……」
ちらりと喜邨君を見る。この数日でずいぶん痩せた喜邨君はナッツバーひとつで文句も言わずに包みを片付けている。……足りるんだろうか。
「足りるわけねーだろ。でもたっぷり食うならうまいもん食いたい」
「俺もだ」
後ろ手に手錠をかけられた公正が足で器用に包みを開けてナッツバーにかぶりつこうとしている。柔軟性が全然足りなくて届きそうになく、「ほらよ」喜邨君にくわえさせられようやくありついた。放っておけばいいのに。そんなやつ餓死してしまえ。
「なあ、はずしてくれよ」
「はずすわけないだろ。何したか自覚しろよ」
「俺は〈力〉でライトの復讐の手助けをしただけだ。氏縞を巻き込んだのは悪かったけど」
「てめ」
殴ろうとしたら喜邨君にとめられた。なんで止めるんだよ。むしろ普段なら喜邨君が殴り倒してるところだろ。予想外が過ぎて殴る気をなくした。ああもう、こんなやつ……。
「公正。お前は〈力〉使うしか能が無えのか。俺は食う以外にもできることあるぞここでは」
公正は何も言わず喜邨君を睨む。喜邨君は特に相手にせずナッツバーの残りを公正の口に押し込んで距離をとり、横になった。公正は口の中のものを噛み砕きながらまだその背中を睨みつけていたが一瞬表情がくずれて顔を伏せた。疲れたように壁に寄りかかる。休むみたいだ。
縁利と栄蓮はすでに寝入っていて昨日子が頭の下に枕がわりの着替えをあてていた。今日破は三連の座席に寝そべっている。それいいな。真似して寝そべってみたけど思ったより固い。うーん床よりはましだけどベッドか布団で寝たい。
「照明、照明……。これだな。切るぞ」
龐棐さんの声がしてパチンと明かりが消える。窓の外が薄明るいけど寝るには十分な暗さだ。寝返りをする。まだ、眠れる気がしない。
機内はすごく静かだった。外も風はふいていないようで全然音がしない。
いち、にい、さん……と日にちを数えて唇を噛んだ。何日経ったんだろう。みんなでカレー作ってバンガローでしゃべっていたあの合宿、数える途中でわからなくなってしまったけどずいぶん前だ。学校でみんなで授業受けてたのも抜き打ちテストに怯えたのも遅刻しそうになって通学路走ってたのも。放課後遊ぼうって約束して家に帰ったのも。なんかもうそんな場所で暮らしてたのが嘘みたいに思えてくる。ずっとこうやってこの世界で旅をしていたんじゃないだろうか。あの世界はもしかして僕の妄想で、どこにもなくて、だから帰る方法なんて。
寝返りをうつ。
地震と地割れをおこすような〈力〉を装備したアンドロイドは全部処分されたって冬人さん言ってたけど。もしその通りでアンドロイドを作っている研究所がバックシティーにあるならまたその〈力〉を持ったアンドロイドを作ってるのかもしれない。だったらそれを使って僕らは帰れる、帰れるんだ。
……でも。それって僕らは帰れても、またこっちに連れてこられてしまう人が出るんじゃないだろうか。そもそもどうして、そんな〈力〉をアンドロイドに、