目覚ましに起こされていらいらしつつコンビニに向かう。胸くそ悪い夢を見た。ったく、今日の予定をオールトレースしやがって。サンドイッチが無かったのでとりあえずメロンパンを購入し、眠い目をこすりながら部屋に戻る。夢の中ではソーセージドッグを買っていた気がするが、まあいい。夢をわざわざトレースする理由は無い。あくびを垂れ流しながら身だしなみを整えても時間にはまだ余裕があった。
今日の集合は八時、大木駅前。駅前再開発とかでつい最近無駄におしゃれに小綺麗になった。大きな電子時計のモニュメントが立ったおかげで待ち合わせには便利になったがバス停が複雑化して、しばらくは誰もがIDリングの地図情報をお供に宝探し状態だ。実際に携帯片手にさまよう女性を見かけて「こっち」と手を振る。
「あーもうやっと見つけた! 何でこんな分かりにくい所に居るのよ」
「ミズが指定したんだろ」
「駅着いたら集合場所がお出迎えしてくれればいいのに」
一人のわがままのために地球を変形させるな。
ため息をつきつつミズが押し付けてきた端末を受けとる。ミズの携帯カードは黄緑を地の色にクリーム色で植物の芽が描かれたシンプルなデザインだ。持ち手を認識して空間投影画像がこっち向きに切り替わる。画面には「アプリワールド」ホームページトップ画面。
「何これ」
「先月波江崎(はえのさき)にできたテーマパーク。ここ行こ!」
「いつ」
「今日」
待てい。映画はどうした、映画は。上映開始してからというもの毎日のように連れてけ連れてけ言ってただろうが。画面をスクロールしていくとお高い入園料が目に入る。金あるのかと聞けば予想通り「おごって!」の一言。絶対行かない。
ミズはタカの彼女だ。ふたつ下の後輩で、学部は違うが同じテニスサークルに入っている。流行りの色に染めた中途半端な長さの髪を無造作に肩に流し、青系濃色をメインにセンスよく服装をまとめていて見た目は大人っぽい。おごりを断られて口を尖らせる表情があまりにも子どもっぽくちぐはぐだ。
「キョースケは?」
「まだ見てない。また遅刻だろ」
「運転手が遅刻なんて。私とタカの大事な時間をなんだと思ってるのよ……ってあれじゃないの」
ミズが指さした先で大柄の男がぶんぶん手を振っていた。
「おーい。気づけー。悪い遅れたー」
高身長のマッチョが大声で手を振って目立たないわけがあるか。人ごみから頭二つ分くらい飛び出た短髪の四角い頭が周囲の注目を集めつつこっちに近づいてくる。ただでさえ目立つのにスプレーで染めてきてやがる。今日は緑か。「お前、ちょっとは落ち着いた格好しろよな……」何度言ったか数えても無いセリフをつぶやいて軽く睨んだが、気にする風もなくキョースケが到着した。「やー悪い悪い、電車乗り過ごしちゃってさー」どうりでツンツンの短髪がひどい寝癖なわけだ。飛空機の運転任せる予定じゃなかったら置いていきたいところだ。
「身だしなみくらいちゃんとしてこいよ……。髭残ってんぞ」
「んん? そうかー? まあちょっと髭蓄えてるくらいのが渋みが出て……」
「行こ」
キョースケの言い訳を華麗(かれい)に無視してミズは駐機場へ歩き出す。レンタルしておいた白い機体に乗り込み、利用者IDを登録してナビを設定する。安全ベルトの装着を確認して「オッケー。じゃあ頼むわ」親指をたてるとキョースケは頷いて桿(かん)を握った。
「何か居心地ワリーな主演陣に紛れ込んだエキストラ的な」
駐機場で飛空機から降りて歩きながら、キョースケが盛大にため息をついた。さっきからタカとミズが話していて時々キョースケの意見もきく、みたいな会話パターンの繰り返しになっているからか。仕方ないだろ。毎日話してる仲ってのは会った瞬間話題が尽きているものだ。
「安心して。キョースケはタダの運転手だから。メインキャストが回って来ることは一生無い」
タカが運転できたら良かったんだけど、と視線を流されて軽く首をすくめた。一応免許は持っているが取りたてだ。非常に心もとない腕なので運転は遠慮させていただく。
目的の映画館は駐機場から徒歩数分、モールの中心に位置する。ドーム状の画面張り建物で壁面を大写しになった俳優たちの顔が流れていく。壁の平らな所ならまだしも、球面を通過するとうねうねと結構グロテスクに変形する。だから映画俳優って憧れないのかな、などと考えていたら置いてけぼりにされていた。
手首のIDリングをチェッカーにかざしてゲートをくぐり、中で待ち伏せしていたミズに引きずり込まれてド真ん中の席に着席。ちなみにミズの隣でなく真ん前だ。キョースケはタカの左隣。予約上仕方なかったわけでもこれまでの映画デートで何かあったわけでもなくつきあい始めた最初からこのフォーメーションだ。つまらない時は容赦なく二人が蹴りをくらって御退席となる。
やがて照明が落ち、天井と床下のスクリーンいっぱいに荒野が映し出されて見覚えのある映画タイトルが駆け巡った。ミズがくいいるように見いっているから初めて見るもので間違いないはず……まあいい、気のせいだ。最新式の劇場システムで、画面内で風がふけば実際に微風か顔にあたり、雨が降れば水滴が軽く散る。原作読んだんだっけな、とストーリーを追いながら考えたがデジャヴの理由はいっこうに見つからなかった。
「すっ……ごい映画だった! さすがデニーロ! いつものアクションも凄かったけど表情がもう役になりきってるのよね臨場感どころか自分もそこに登場しちゃってて話しかけてあげたくなっちゃえそうな」
興奮冷めやらぬ勢いでまくし立てるミズに若干ひきつつ、出口付近の記念品売り場に目を走らせた。俳優が大写しになっているパンフレット、サウンドトラックデータ販売。ミズがウキウキと映像データ予約ブースに走っていく。その横で原作も売っていた。スキャナーにIDリングをかざそうとして、紙本があるのに気がついた。書籍が電子化されてずいぶん経ち、最近では紙版の出ないものがほとんどだ。図書館ですら古い蔵書の電子化データ無料配布施設になりつつある。なかなかリングをスキャンしないタカに、「あのぉ」店員が声をあげかけた。
「こっちください」
持った重さにデジャヴは無かった。
電子書籍の五倍の値段を払って何も買えないキョースケと合流する。今月のバイト代はどうした。「いやあ家賃とか光熱費とか諸経費で消えちゃって」言いつつ胸ポケットからタバコをだした。絶対それだろ。一箱いくらするか知らないが、色々規制かかってきて最低販売価格も結構なお値段になっているはずだ。何度やめろと言ったんだか、本当懲りないなこいつは。
ミズが合流した後モールで服を見て回った。まだ真夏日も残る季節だというのにもう長袖の在庫一掃セールをやっていた。ミズがよく着ている、ブランドとまでは言えない安い服の店、ちょっと変わったデザインの小物を多く置く店。猫特集と銘打って猫柄ばかりを取り扱う量販店の一角。それらを端から端までくまなく回って、それで終わりかと思いきやまた戻ってきて目についた服を手に取りあっちの方がこっちの方がと悩み始める。あー、どうして女の人ってのはこんな買い物に時間をかけたがるんだろう。いや、そういうものなんだってのはわかってるけど。これだから大抵ショッピングモールの服売り場って大半が婦人服で申し訳程度どころかオマケレベルで紳士服売ってる感じになるのだ。しかもだいたい高価(たか)い。
「あ、ちょっと待って待って。これ見させて」
またか。十数回目になる呼び止めに内心ため息をつく。「NEW arrival」とポップのついた棚から一枚取り出して広げ、眺め回す。ジャケットの値札がチラリと見えた。うん、その値段だとさんざん悩んだ末結局買わないな。
「……ミズ、まだ見るか?」
「何。疲れた?」
「いや、僕は僕で見たいもんあるから、後で合流にしよう」
「えー。何見るの」
「一階にできたアプリショップ」
「何それ。私も見たい。ちょっと待って」
ミズはもう一度ジャケットを胸にあてて自分の立体鏡像とにらめっこして、「この金額払って買う程じゃないや」とラックに戻した。ほらな、と内心勝ちほこって、……ちょっとむなしくなった。
アプリショップを堪能した後フードコートで遅い昼食を済ませ、今日の夕食の材料を買うべく食品売り場をまわる。普段一番食にうるさいはずのミズは「あっちに気になる服が」と再び婦人服売り場に消えていき近くにいない。
「で? タカは今のところどーなんだ?」
囁(ささや)き声とともに工場産の安いキャベツがかごに放り込まれる。セール品の玉ねぎを入れつつ「何が」と返す。
「何が、じゃねえだろ。ミズのこと。お前ら付き合って長いじゃん? 何か進展あったんじゃねえの? 名前呼んでくれるようになったとか家に遊びにくるとかさー」
「いや、最初からあんな感じだし」
「……よく会うようになったとか」
「部活一緒なんだから知ってんだろ……。毎日会ってる。前から」
遊びに来るどころか玄関閉め忘れた日に帰宅したら侵入者が居たくらいだ。世間一般でいう彼氏彼女のようにもぞもぞとぎこちないやりとりはいっさい無く、付き合って三ヵ月にして兄妹のような、幼なじみのような、腐れ縁のような……。青春どこ行った。
豚ミンチを二パック、餃子の皮、そして飲み物。あとは……とお菓子売り場に立ち寄る。
「まずこれな」
ねりねりねりね。同封の粉と水を混ぜてつくる、数十年前からある知育菓子だ。
「いや、それはねーだろ」
「絶対要るってー。後これも」
グミの森。枝の先についたグミをいちいちもいで食べるこれまたお子様用菓子だ。
「お前三人で酒飲んで駄弁りながら手元でねりねりすんのか」
「いいだろ?」
「何がだ、小学生の放課後じゃあるまいし」
「タカはいらないかもしんねえけど、俺には必要なんだよ……。お前ら二人がいちゃこらしてる間にさー、『の』の字書いたり花占いしたり……」
「花占い」
「俺にも彼女がー、できるーできないーできるー」
グミをちぎりながら食べる動作。『できない』で終わるのが見えた気がする。
「三人で一緒に食えるもんにしよう。ポテチとか」
「カレー味なー」
「勝手に決めんな」
他にもいくつか選んでレジを通り、スーパーを出ると紙袋を抱えたミズが待ちくたびれていた。携帯ゲームにのめりこんで返事が無い。今話しかけると鉄拳が飛んできそうなので透過スクリーンに映るゲーム画面を裏から眺めながらキリがつくのを待った。
「……遅い。いつまで遊んでんの、食品売り場で」
遊んでねえよ。ゲームに夢中で他人を五、六分待たせておいて何を言う。キョースケが「買えた?」ときくと頷いて手を差し出した。「今かよー」と言いながらいくらか現金を支払う。
「持ってんじゃん……」
「やー、今週マジでピンチなんだって。どーしよ明日給料出なかったら」
「潰れそうな居酒屋で働くもんじゃねーな」
「だなあ」
はははと笑いつつ飛空機に乗り込む。バイト先の採算が悪くまともに給料がもらえない、というのは今に始まった話では無いのだが何度話をしても結局キョースケは同じ店でバイトを続けている。「いや、いーんだよ俺はさ。俺はあの人と店が好きでやってんだ」といつも言う。
発進しようとした所で運転席のキョースケが振り返る。
「タカ、練習がてら運転してみるか?」
「僕は免許取りたてだっつってるだろ。やめとく」
「練習しないと上達しねーぞ? ほら代わる代わる」
座席から引っ張り出され運転席に押し込まれる。広がる視界。いくつかの計器類と操縦桿(そうじゅうかん)に胸が高鳴る。ハンドルに手をかけ、操縦桿をにぎるとブルン、とエンジンが唸った。上空に他機がいないのを確認して桿を引く。ウィン、と電子音。機体が地面からわずかに浮く。高度を指定してアクセルを踏み込むとぐうんと上昇した。スムーズに侵入高度、そして航行高度へ。「うまいじゃん」キョースケはそう言うが、桿を握る手は汗だくだ。ミズはいつも通り「酔いそう。キョースケのほうがいい」と一蹴。
「ねえタカ見習い運転士」
「なんですかミズ教官」
「アプリワールド」
「え、今からかよ」
「ダメ?」
バックミラーごしにミズがわざとらしいおねだり顔をする。ねーねー連れてけ! とでも書いてあるようだ。運転初心者に行ったこともない場所まで、それも長距離走らせる気か。
「ダメというか…… 。あんまり時間無いぞ、今からだと」
「今からだと?」
あ、しまった。「行かない」という選択肢もあったのか。ミズはしてやったりという顔でにまにましてIDリングを起動させた。「えっと、今週空いてるのは……」行くとも言ってないのだが。
「……わーったわーった。ゲッチョーな」
「ゲッチョー!」
パッと目を輝かせる。対するキョースケは見るからにガックリした顔でナンダヨー俺も連れてけヨーと拗ねた。いじけるぐらいなら金貯めとけ。
「ゲッチョーゲッチョー」
ふざけてキョースケをぺちぺち殴るミズをバックミラーに眺めながら、青に変わった信号に合わせて発進する。
「ねえタカ」
「ん?」
一瞬バックミラーに目を移し、前に戻すとフロントガラスいっぱいに他機が迫っていた。
ドン、と衝撃があって、世界は吹っ飛んだ。
#1・・・2
それは夢だったのか。
真っ白な天井を見上げて、呆然とタカは考える。
夢だったならなぜ助けられなかった。同じ夢なら、僕が運転することも、迫る飛空機も、わかっていたはずだ。さっきまで聞こえていたラジオはもう切られてしまったが、三名死傷のニュースは嫌でも耳に残った。そして前にもあったようなデジャヴ感。事故の相手機の情報は、まだ入っていない。
起き上がると頭が少しふらついたが足にも腕にも銀包帯は巻かれていなかった。看護師もタカが起きたのを見てインカムに一言二言伝えただけで他の患者の点滴作業に戻った。お窓には見覚えのある夕暮れの風景。軽い脳震盪を起こしただけらしく、立ち上がるにも何も問題は無かった。
「おじさん、さっきのラジオの人?」
病室出口横のベッドで中学生が呼ぶ。前と同じに、気だるげに壁にもたれて。
「ひま。何か面白い事やってよ」
無視して部屋を出る。記憶の通りにエレベーターに乗り、階下に降りる。このまま進むと霊安室に着いてしまうんだっけ。ラジオの『三人死傷』のフレーズが脳裏をちらつく。ミズがそんなところに居てたまるか。居るはずがない、戻ろう。
……戻ろう。
病院内は広くない。ぐるぐる考え事をしているうちに着いてしまい、足を止めた。目の前にそびえる鉄扉のプレートを、呟くように読み上げる。れいあんしつ、れい、あんしつ。いやきっと読み間違いだ、れいぞうしつだったのだ夢の中では。だからミズはここに居はずがない。戻ろう。戻ろう。
がちゃり。右手はすでにドアノブを回していた。
視界の両側を同じ扉がいくつも流れて行く。この階でよかったっけ。どの階もよく似てるもんな。ぼぉっとした頭の、けれどどこか遠くで声がするようだ。リノリウムの廊下を早足で歩きながら病室のネームプレートを目で追っていた。
加賀(かが)恭介(きょうすけ)。
その名前はタカの病室からかなり離れた場所にあった。引き戸の取っ手をつかんで手が止まる。少し考えてからやめた、戻ろう。と手を離す。けれどそのまま足が動かずネームプレートを眺めることになった。
どのぐらい時間が経っただろう。おそらく数十分程の待ち時間の後キョースケの方が部屋から出てきた。病室の前でぼんやり立ち尽くすタカに「何してんだお前」と至極当然に驚いて横を通り過ぎる。それからまた数分して缶コーヒーを手に戻ってきて、「まだいるのか」と言いつつ招き入れてくれた。キョースケの病室は個室だった。
キョースケには左腕が無かった。タカが思わずハンドルをきって機体が大きく右に振れた結果、機体左側面から相手機がめり込んだらしい。キョースケは後部座席右だった。左はミズ。「ミズは、見に行ったのか」という質問に小さく首を振る。キョースケは、とは訊かなかった。
「タカのせいじゃねえよ」
僕は答えられず椅子を見つめる。
しゃべらないタカを前に、キョースケは一人しゃべり続けた。明日には最新の義手がつくんだとか、さっきカタログ見せてもらったけどカッコいいんだわこれがとか。病院内ってさー、禁煙なんだよ。退院まで耐えられるかな俺。担当医男だよがっかりだよ。病院食食った? あれ話には聞いてたけどほんと味気無いのな。
ついに話題が尽きてキョースケも黙った。沈黙したまま数分が過ぎ、「一旦戻る」タカは席をたった。
降車ボタンが光り、バスを降りる。国民の移動手段が地上を去っても公共交通機関の大半はしぶとく地面を這いずっている。いつもはそののろさにイライラするものだが今日は気がつけば目的のバス停に着いていた。毎日見ている風景が迫る夜闇のせいか灰色に暗く沈んでどこか味気ない感じがした。
隣にミズはいない。キョースケもいない。歩く僕は一人だった。
大学の通いなれた大通りを渡り、工学部研究棟に入る。老朽化しているが費用の関係で建て直せずに残るコンクリート打ちっぱなしの建物だ。徐々に足が早まる。一階廊下の突き当たり。「量子力学専攻反重力子研究室」の文字が、扉の上に浮かんでいた。