家の裏に鷹先生を埋葬した後、クリスに「事件」の話をきいた。思い出したばかりの記憶が補完され、目の前の状況とつながる。兄さんがアニアの〈力〉を受けて倒れ、僕が暴走し、クリスは兄さんを搬送。その後僕を連れてバックシティーを出た。
「じゃあ、俺の家ぶっ壊して母さんと鴒華を殺したのは」
「修徒様ではありません。暴走したアンドロイドの一団によるものでしょう」
公正が僕を振り向く。「あ」「えと」言葉にならず目を泳がせた。
「……僕は見てただけだった。助けてって言ってるのに、見つかりませんように見つかりませんようにってずっと願って隠れてた。公正は謝らなくていい。あの時は……ごめん。僕も何が何だかわからなかったんだ」
あわてたように何か言おうとして、何も思いつかなかったようで目を伏せた。小さく「悪い」と聞こえた気がした。
クリスは暴走した僕の叫び声を聞いて駆けつけ、プロテクターで僕の〈力〉をおさえてみんなを守り、僕に声をかけ続け手錠をかけ、押さえ込んで暴走を止めてくれたらしい。
「クリス。ありがとう。みんなを守ってくれて」
「いえ。修徒様をお守りし、修徒様の大事な方々も守る。これは本分ですから」
本分とかじゃなくて。ええと。
突然悲鳴があがり、冬人さんが体を突っ張らせた。がくがく震えて歯をくいしばり眉間にしわが寄る。腕が持ち上がって腹に乗り、とたんに呼吸が荒くなる。乗せた右腕がぶるぶる震え、苦しそうにあえぐ。ベッド脇の機械がピーピーとアラームを鳴らし表示が赤くなる。龐棐さんが腕をとって腹からどけると少し表情がやわらいだ。急にふっと力が抜けて頭がうつむき息が止まる。あごを持ち上げて気道を確保し、突っ張って伸びた脚を曲げて立てる。痙攣がなかなか止まらない。機械の方もまだ警告音を出している。
「……鎮痛剤も麻酔もありったけ入れてるんだがな」
「あの、横向きの方が窒息しにくいんじゃないですか。学校で習ったんですけど確か回復体位って言って」
「横向きはそうとう痛いらしくてな。暴れて逆に危ない」
湯で温めた血液パックを交換する。ぽたぽたと速い速度で管に液体が送られていく。時々苦しそうにうめくけど冬人さんが目を覚ます様子はない。もしかしたら本当にこのまま……
「スカイ・アマングって病院あったっけ。冬人さんそこで治療できないかな……」
「あの病院でなんとかできるか? 特に今はレフトシティーの生き残りの手当てで手一杯やろ。どうせ死ぬ言うて放置されるのが関の山やわ」
「だけど……っ」
冬人さんの額にういたあぶら汗を拭く。触れた肌が冷たい。あと数時間。数時間でなんとかしないと。いや、あ何時間も冬人さんはこうやって苦しみ続けるってことになるのか。そんなの……じゃなくて。それじゃだめだ。
「あっちに連れていかねーか?」
「あっちって」
「ここで一番医療が発達してたのはレフトシティーだったんだろ? 一番冬人を助けられる〈力〉の持ち主はさっき死んだところで同じ〈力〉を持つ人はまずいない。他に使える〈力〉を今から探すのは現実的じゃねーよな。だったら今望みがあるのは日本の医療だろ。あっちなら臓器移植とか、何か手はあるかもしれない」
「しかし向こうに渡る手段をまず手に入れないことにはな」
唇をかむ。交渉がうまくいって渡るための〈力〉をもつアンドロイドを貸してもらえるとは限らない。
「冬人を傷つけた〈力〉の主を殺せば冬人の怪我治るんじゃねえのか?」
「縁利。確かに〈力〉で作ったもんは作った人が死んだら消えるんやけどな。〈力〉の影響で変わったもんは戻らん。昨日子のは「解除」て概念が無くて壊したもんは壊れたままやし、修徒のも柱は消せても柱が生えた時に壊したもんは戻らんのよ。絶対とは言わんけど……」
「まず治らねえ、てことか」
今日破がうつむく。龐棐さんも喜邨君もため息をついて下を向いた。
「……修徒。体が動くならもう行くか」
公正が唐突に言って立ち上がった。ぱたぱたとズボンについた埃を払う。
「あの方を殺すとかどうとかはともかくさ、とりあえず向こうに渡る手段をもらわなきゃ冬人は助からないし曹や喜邨も戻れないだろ。やってみなきゃわからないさ。冬人には時間がない。急いだ方がいい」
うなずく。そうだ、ここでじっとしていてもどうにもならない。動かなきゃ。
さっきの部屋から鞄を回収し、ほどけた靴紐を結び直す。公正はロープの付いた斧みたいな形の刃物を鞄から出してチェックしまたしまっていた。久しぶりに見たそれ。
アニアのところに向かうメンバーは僕と公正、龐棐さんと昨日子と今日破。喜邨君は曹が暴れた時のため、明日香は冬人さんの看護、縁利と栄蓮はその手伝いで診療所に留まることにした。龐棐さんはまた肩があがらなくなってしまい利き手で剣を握れないので僕らの戦力はだいぶ下がる。スムーズに交渉できて向こうに戻れればいいんだけど……いや、僕にとっては「向こうに行く」ってことになるのか。
「行っちゃうんだ」
明日香が口をとがらせた。かわいいなあ……じゃなくて。ええと。
「必ず戻ってくる」
にらまないでほしい。一番全員無事でいられる可能性が高いのがこの分け方なんだってば。
「ええと……必ず戻ってくるからここで待っててほしい」
言い直したけどあんまり変わってないな。明日香もすごく渋い顔をしている。あー……かっこわるい……。
「シュウ。それなんか死亡フラグっぽい」
「あ、そうか。ちょっとちゃかした感じにした方がいいんだっけ。えーとじゃあ、帰ったら一緒にハンバーグ食べよう」
「ハンバーグ!」
「なんでもう一本立てるの! 喜邨君もそこで反応しないで!」
「僕戻ったら明日香と料理の練習するんだ……」
「ダメ!」
「僕は先に行ってる。またどこかのキッチンで会おう」
「やめて!!!」
何ならいいんだよ。
診療所を出て歩くこと十数分、もう足が疲れてきた。起きた時はなんともなかったけどやっぱり〈力〉を使いすぎた負荷は残っている。今日破たちがペースを落としてくれているおかげで置いてけぼりにはなっていないけど、時々龐棐さんが振り返るから遅いのだろう。
「龐棐。遠い?」
「遠いとはなんだ。距離ならまだ半分もきていないが」
たどりつくか心配になってきた。だんだん暗くなってきてるし早くしないと研究所に着く頃には夜になってしまう。
「クリス。〈瞬間移動〉あるんだろ? 冬人みたいにさ、全員を一気に移動とかできないのか」
「私どもにはあれほどの技量はありませんよ。一人二人抱えたくらいまでなら可能ですが。出力もオリジナルのレベルには到底届きませんから、数回とんだ後は走った方が速いくらいです」
そうか。かなり強いキャンセラーで出力を下げて、それで〈音〉の回路を利用した〈力〉のコピーができるようにしてるんだっけ。
公正も疲れたと言い出して、脱落者を出すよりはと全体のペースを少し落とすことになった。前の方を歩いていた公正が横に来る。しばらく黙って並んで歩く。今日のTシャツは何か英語がいっぱい書かれたやつで、ズボンは足が長く見えるとかいう灰色の縦縞のやつ。相変わらずなんかイマイチな着こなし……とか思ってたらこっちを振り向いた。
「修徒。お前さ、向こうに渡る手段ができたらどうする?」
「どうするって」
「行くのか。こっちに残るのか」
……そういえばまだ決めてなかった。
これまではあっちに「戻る」としか考えてなかった。学校でみんなと一緒に授業うけて、放課後遊んで、家に帰ったら母さんが待ってて。母さん? いや、あれは……いや、今はいい。こっちが僕の故郷なら、僕はここにとどまるべきなんだろうか。だけど。もう、ここには。
思い出す。長い廊下のある施設の一角。扱いやすいように改造された銃を構えて教えられた通りに引き金を引く。父さんがすごく褒めてくれたっけ。本が好きだと言ったら書斎を開けてくれて、色んな本が読めた。時々兄さんが遊んでくれたし家の近所には幼馴染の兄妹が住んでいてそっちとはよく遊んでいた。
明日香と自転車でのぼった坂の先、海まで見渡す開けた景色。青い空と夕焼け。当たり前みたいに学校の窓からも見えてたっけ。クラスメイトと休憩時間や時々授業中にも話したりして時々怒られて。僕は、
「僕は戻るよ」
だいたい予想していたらしく公正は驚かなかった。「うん」と生返事だけが返ってくる。またお互い何もしゃべらず歩く。戻ろう。あの場所に、あの学校に帰りたいと思って今まで旅をしてきたんだ。……。
言ったことをもう後悔しはじめていた。道の両側にあっただろう建物はどれも崩れ、半分瓦礫の山になっている。ここに住んできた人がいただろう。その人たちがここに戻ってくることはもうない。その原因は直接ではなくても僕にある。
「……公正。これは逃げになるのかな」
「何が? ……ああ。バックシティー壊滅の一因だったことまだ悩んでんのか。お前どうしようもなかったんだろ。おおもとの原因はあの方だ。修徒じゃないさ。それにお前は向こうに行きたくて行くんだろ。それを逃げとは言わないさ」
でも、と口ごもる。何か言い返したかったわけじゃない。何かここでしていかないといけない気がして気がひけた。
「で? まだ明日香なのか」
「まだってなんだよ」
「好きなんだろ? 明日香のこと」
ななな何を突然言い出しますかね? とっさに言い返せなくて口をぱくぱくさせる。そういえばさっき抱きしめちゃったっけ。一気に顔が熱くなる。わかりやすーとか言うなああもう。
「す……好きだけど」
「言っとくけどさ。俺、お前が暴走してる間頼りにされてたから。嫌だ、怖いってぎゅーってされてたからな」
なんだと。
「負けないからな? 覚悟しとけよ」
にやにやしながら指さしてくる公正。……ってもしかして。
「え、公正も明日香のこと好きなのか」
「なにさ。悪いか」
「悪い。明日香は僕が好きだ」
「まだ決まってねーだろ」
がつっと何かにつまずいてこけそうになった。公正がぶっと吹き出して足をひっこめる。このやろ……!
「ひっかかってやがんのバーカ」
「危ないだろアホ」
「気づかねえの本当に抜けてんなトリ頭」
「Tシャツに翼はやしといて何言ってんだぺたんこ頭」
「俺のファッションセンスにケチつけんじゃねえ、お前なんか犬に踏まれて足跡つけられてしまえ」
「服にツッコミどころ満載なんだよ猫に踏まれろ」
「馬に蹴られろ」
「鹿に蹴られろ」
「金属パイプでぶったたかれろ」
「大根でぶったたかれろ」
「明日香に振られろ」
認めてるじゃないかよ。適当に「閻魔大王に振られろ」と返して黙る。後ろから必死に笑いをこらえるような声がきこえる。僕らはいたって真面目に口論をしていただけなんだけどな今日破と龐棐さん? どうかした? 腹痛? ちゃんと息して?
「仲ええなあんたら」
「良くはない」
そういえば昨日子に途中でとめられなかったな。曹と氏縞が喧嘩してる時はよくうるさいって言って止めてたのに。
「悪くない」
何それ? 微妙ににこっとしないでほしい。これは大事な口論だったので邪魔されなかったのは助かるけどね? クリスはフードで表情見えないけどどうしてふるふる震えているのかな。顔かくすなよもしもーし。
また黙ってしばらく歩く。廃墟の景色に変化はない。このあたりは昔商店街だったのだろうか。ボロボロになった鞄がいくつも瓦礫にまじっていたり黒く焼け焦げた跡に一軒にしては多すぎる食器が散乱していたりする。足元もガタガタだけど舗装されていたようで時々タイルの破片が飛び出ていたりする。
「……冬人はんが目え覚ましたって」
明日香から〈音〉を受信した今日破が報告。良かった……と思ったが今日破の顔が暗い。まだ何か聞き取っている。眉間にしわが寄る。
「何度も血ぃ吐いとるって。それもたくさん」
龐棐さんがぎゅっと眉をよせてため息をついた。
「吐血したなら傷が開いている。もたんな」
「すごい苦しんどるみたいで」
「あんまり苦しむようなら楽にしてやれって伝えろ」
「龐棐はんが自分で伝えてや。俺は嫌や」
「俺だって嫌だ!」
急にでかい声を出したのでびっくりして足が止まった。クリスに気遣われて大丈夫、と手をふる。龐棐さんも自分の声に驚いたのか口を押さえた。
「龐棐お前、あいつに奥さんと子供殺されたんじゃなかったっけ。どうして助けてやって、今も死なせろって言えないんだ」
「……わからない。確かに冬人は仇だ。あいつさえいなければ妻も息子も。だがあの時は目の前の死にそうなやつを救うってそれでいっぱいいいっぱいだった。仇とかなんとか関係ないんだそういうのは。あと俺は助けたわけじゃない。少し死ぬのを遅らせただけだ。少し苦しむ時間を延ばしただけだ」
「だからなんでそれが何でだって言ってんだ。今日破よりお前の方が言いやすいはずだろ、なのにらしくないことしてさ」
「わからない。俺は、……俺は冬人に、」
声が濁る。助からないのはわかってる、わかってるんだと繰り返して龐棐さんは目を覆った。手が震えている。公正が「言いすぎた」と謝る。龐棐さんは片手で軽く公正をどついてそれからポンと背中をたたいた。
「え、俺……」
「言いすぎは確かだが構わん。お前の言うとりだ。……今日破。『できるかぎりのことをしろ』に変更だ」
「やから自分で伝えてや……」
言いながら目をそらし〈音〉を送る。僕も何か言おうと送ってみたけど反応がなかった。今手一杯だからといった感じの着信拒否。また後で送り直そう。
クリスが「急ぎましょう」と急かし、僕らは歩調を速めた。
「ここか」
なんだか校舎を思い出す雰囲気の建物だった。白いコンクリート造りで装飾もなくシンプルな印象。周りは原型をとどめないほど崩れているのにこの区域の建物だけ崩れてない。新しく建て直したんだろうか。
「中、誰も居らんけど……」
「とりあえず入ろう」
スチールの引き戸を開ける。鍵はかかっていなかった。半歩進んであ、と思う。新しくなっているけどなんとなく覚えのある構造。左側に窓。右側に一定間隔で木戸が並び、天井はそんなに高くない。……書庫だ。
薄っぺらいカーペットを踏んでつばをのんだ。覚えている。よくここを走っていて怒られたっけ。いくつも扉を通り過ぎながらだんだん早足になりついには走り出して、途中の扉で足を止めた。龐棐さんたちが「突然走るな」と怒りながら追ってくる。
ここで間違い無いよな。
思い切ってドアを開けて……そこに兄さんはいなかった。しっかりした造りのデスクの前に置かれた固そうな椅子は空っぽで、部屋のほとんどを埋めつくす本棚の間をのぞいてまわったが誰もいなかった。当たり前だけどなんだか居るような気がしてならなかった。建て直されているはずなのにすごくそっくりだ。
「覚えがあるのか」
「うん。よくここで兄さんが勉強してた。僕もこの辺から本を借りてた」
もしかしたらあの日読んでいた本が無いかなと思ったけど見当たらない。クリスも「修徒様がお探しの本はこの書庫にはございません。破損のため処分されました」と言っているし探しても出てこなさそうだ。
「修徒。進む。時間ない」
昨日子にせかされ書庫を出る。つい夢中になってしまった。もしかしたらと思ってしまった。何年経ったと思ってるんだあれから。
廊下を抜け天井の高い別の建物の中に入った。一瞬で体に緊張が走る。靴を履いているのにコンクリート打ちっ放しの床が冷たく感じた。なんだこれ。怖い。
「修徒。この先の二つ目と三つ目のドアがつながる部屋に人が何人か……うん? これ人か? ……って昨日子? どしたんや、大丈夫か」
振り返ると昨日子が目を見開いたまましゃがみこんでいた。くしゃ、と顔を歪めたかと思うと突然声をあげて泣き出した。今日破がなだめても立ち上がれず「ごめんなさい」「いやだ」「ごめんなさい」と繰り返す。
「昨日子、」
「思い、だした。ここ。訓練。実験。〈力〉と戦闘」
「……うん。兄さんもここで戦闘訓練してた」
もしかして昨日子もあの時兄さんが訓練していたようにアンドロイド相手に戦闘訓練してたのか。六年、いやそれ以上前だ。それじゃ僕より年下の頃どころか栄蓮くらいの歳じゃないか。
「実験って……」
「〈力〉の範囲。伝わり方。いろんなもの。〈力〉流して、こども。同い年くら、い」
しゃくりあげてうずくまる。やだ、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返して泣きじゃくり龐棐さんが引っ張りあげても足から完全に力が抜けていて立ち上がれない。
「昨日子。手どけて目え開けて。今は俺が居るから。そんなことさせへんから。立ってや」
今日破が後ろからそっと肩を寄せて頭を撫でた。パン、と鋭い音がしてはねのけられる。
「痛った、なんやなぐさめようとしたのに」
ふるふると震える昨日子。あれ。怒ってる……?
「……、撫でられる、いや」
にらみつけた顔が真っ赤だった。涙の跡を残したままいつもの仏頂面にもどる。
「触らないで」
「わがままやな、気い使ったのに」
「いらない。特に今日破の」
「なんやて?」
あーもうこんなところで兄弟喧嘩を始めないでくれ。時間ないんだから。
誰か居るという部屋の扉を開く。中は照明はついていなくて真っ暗だった。おそるおそる足を踏み入れる。寒いくらい温度が低い。部屋じゅうに大きな機械がいくつも並んでいて床や壁を無数のコードやチューブが這っていた。クリスの手元でパチっと音がして視界が真っ白になる。だから他人の顔面に向けてライトをつけるなって前も言っただろ……。
「な、なんやこれ……」
筒状の水槽に人が……いや、人みたいなものがいた。姿形は人体そっくりだけど頭や背中や腕から無数のコードが出ていて、水から出ている頭が半分ドス黒く溶けて腐り、水面を油のような黄色いものが漂っていた。20体は軽く超える数が並んでいてほとんどの水槽がそんな状態で、無事なものはどれも中の水が静かに循環しているような音をたてていた。
「これは……何だ?」
「H型アンドロイドです。一通り整備を済ませた後、起動せず休眠処理されたものかと。おそらく電力不足により一部は生体維持を中断されたようですが」
不思議な感じだった。確かに人の形をしているのに人が目の前に居る気がしない。すごく精巧に作られた人形みたいだ。
「生きて……るのか?」
「さあ。どちらでしょう。心臓が動いているという意味では生きていますよ。〈力〉のコピーは〈音〉の回路が生成されないとできませんから、アンドロイドへの加工は基本的に生体を用いますし」
クリスが言うにはスカイ・アマングやライトシティー、かつてのバックシティーでの重大犯罪者や政治犯を記憶を消して使うことが多いらしい。もっとも、クリスのように前の記憶を残してしまうものもかなりいたようだが。
「鴒華の〈力〉はこういうことのために使われようとしていたのか」
「悪いことばかりではありませんよ公正様。戦争でひどく傷ついて体を動かせなくなったところを、アンドロイド化して自由に動き回れるまで回復した者も居ます」
だけどクリス。君は人間に戻りたいって言ってたじゃないか。普通に食べて眠って夢を見て、人間としての終わりが欲しいって言ってたじゃないか。不死じゃなかったけどこのアンドロイドにされたまま腐って死んだ人たちは全部取り上げられて人間としてでもアンドロイドとしてでもない終わり方をした。こんなことを許しちゃいけない。
キィ、と奥の扉が開いて光が差し込んだ。今日破が「人」とつぶやいて身構える。コツ、と靴音を鳴らして男の人が入ってくる。黒髪で真っ黒な丈の長いマントを羽織っていて靴まで黒い。こちらを見下ろした目と目があって息をのんだ。冷たい……蒼色。
足元がざわつく。落ち着け、相手はまだ何もしていない。
「来るとは思っていたけど。ずいぶん遅いんじゃないかな。お茶を準備していたんだけどね。冷めたから下げてしまったよ」
おだやかな低い声。僕が仕事場に遊びに行くといつもお茶やお菓子を準備しててくれたっけ。僕が何かおねだりすると時々叶えてくれたっけ。……ああ違う、目の前に居るのは。兄さんを殺しかけて、レフト爆破を指示してたくさんの人を殺して、人間を改造してアンドロイドを作った男だ。間違えるな。……間違えるな。
「翔太」
目をそらしていたのについ反応してしまった。ふ、と微笑まれてまた記憶にある笑顔を思い出す。違う、いや違わないけど。集中しろ、僕らは何のためにここに来た?
「アニア。向こうに帰る手段をかしてほしい」
「……あいさつくらいしなさい。教えたはずだ」
あきれられた。公正も「お前単刀直入にもほどがあるだろ」とつついてくる。話は早い方がいいだろ、文句言うな。ここではなんだからこっちに来なさい、と踵を返し隣の部屋に入っていく。後を追って扉を抜けた。
入った部屋はかなり広くて、廊下と同じくらい天井が高かった。二階建て、いや三階分ぐらいある。あの時の部屋と同じだけど少し大きい。部屋の一角に隣の部屋にあったものと似た見覚えのある水槽が置いてあった。水槽は空だし一回り大きいし水槽の上に何か黒い装置がついているし色々違うけど。ナーガ・チェスで見たような……。
「うん。こっちの方が明るくていいね。それで? 何が欲しいのかな。言ってごらん」
部屋の真ん中にテーブルと椅子が置かれていた。お茶を準備していたというのは冗談ではなかったようで、テーブルクロスがかけられティーカップがふたつ置かれていた。ティー皿にクッキーを一枚添えて。アニアは椅子に腰掛け足を組む。椅子はあと一脚しかないが僕にその席を勧めてくる。椅子は無視してアニアに向き直る。
「向こうに。流刑地の裏側に行くための〈力〉を持つアンドロイドをかして欲しい」
すっと目が細くなる。すぐにかい? ときかれてうなずく。アニアはちょっと目をそらしてふっと微笑み足を戻した。
「つれないな。久しぶりに会ったのだしお茶をお供におしゃべりくらいしたかったのだけど。まあ、君がそういうならしかたない。良い素材もちょうどあることだし」
パチンと指を鳴らすとパッと黒いローブがすぐそばに現れた。……〈瞬間移動〉?
黒いローブの男は抱えていた二人を下ろしてフードをはずす。……あ。
「H-1363、個体名トーマス。ここに」
「鴻基、結羽、任務完了により帰還いたしました」
二人の顔を見てぞわっと怒りが噴き上がってくる。落ち着け、今じゃない。だけどこの二人は鷹先生を。つまり冬人さんを。
「トーマス。翔太をそっちに。鴻基と結羽は鸛正を」
「はい」「はっ」
気づいたら腕を掴まれていた。驚いてばたばた暴れる。ブン、と音がして僕をつかんでいる人ごと何かに閉じ込められる。〈プロテクター〉の壁だ。
「はなせっ……!」
「ダヴノーニージェリシ。よく来たじゃないか」
すごく力が強くて振りほどけない。足元から柱を出して突こうとするけどプロテクターに阻まれて全然効果がない。
「何のつもりだ!」
声がきこえて振り向くと公正が島田君の〈縄〉で縛られて反対側の水槽の方に運ばれていた。暴れても〈力〉が相手では何もできない。
「何のつもりだって? ちゃんと仕事してたんじゃないのかー? ここにあいつをちゃんと連れてきたんだ、これはご褒美だろう?」
──え。
ちゃんと連れてきたって、何?
「……ち……違う修徒! 信じてくれ……信じてくれ、俺はもう、今回は俺は……っ」
「はい静かに。もう決まったことだから」
水槽のカバーが開いたのか、後ろでモーターの駆動音がしてふわっと少し熱をもった風がきた。公正の水槽の方からどぼどぼと激しい水の音がする。
「とう……さん。これどういうこと……」
「向こうに行く手段が欲しいのなら、作らないとね」
……もしかして。
首を限界まで回して後ろを見る。覚えているのより一回り大きいけどやっぱりナーガチェスの博物館にあったのと同じだ。〈力〉をアンドロイドに写す機械だ。アニアは、……僕の〈力〉を公正にコピーしてアンドロイドを作ろうとしている。
「……アニア。これはどうしてだ」
「境界を開けるにはキャンセラーの影響を受けない〈力〉が必要だ。控え室の個体だけでも十分だが少し古くてね。彼のように新鮮なものの方がもちがいい」
「そうじゃない」
「境界は彼らに開けさせればいい。それで君たちと一緒に迷い込んでしまった子達を帰してあげられる」
「そうじゃない」
「今は休眠状態の子達しかいなくてね。もっと素材を準備できればよかったのだけど……」
「そうじゃないっどうしてアンドロイドを作る必要があるんだよ!」
きょとんとしてでどうしてって? と首をかしげる。まるで当たり前のことのように「だって必要じゃないか」と言う。
「せっかくここまで来てくれたんだ。なるべく多くのアンドロイドに写して、みんなで向こうを目指そう。向こうの技術も人も水も空も、手に入れられる」
何を言ってるのかよくわからず脳内で言葉を反芻する。みんなでって誰だ? 空を手に入れられるって何だ?
「翔太。君の〈力〉をたくさんのアンドロイドたちに分けなさい。向こうへの道を拓くんだ」
たくさんのアンドロイドでたくさんの柱を立てて、向こうに通じる穴を作るってこと? それで技術と人と……取りに、奪いにくるってことか……!
公正が水に沈んだ。叫んでいた声が聞こえなくなる。
「公正。ここまで翔太を連れてきてくれてありがとう。これで計画は最終段階に入れる。これは君へのご褒美だ。君は新型アンドロイドS型第一号となる」
ピィイィーン
『違ウ、俺はそんなつもりでここに来たんじゃなイ! 信じてくレ!』
耳を〈音〉が貫いた。そこまでするか。もう完全に水に沈んで息もできないだろうに。頭上で水槽の蓋が閉じ始める。アニアの合図で僕を拘束していたトーマスが消える。公正を押さえつけていた二人も浮上する。
『……いまさら公正の言うことを信じると思っタ?』
『────ッ』
『舌噛むなヨ』
視界端に黄色い閃光、二ヶ所指定で思い切り〈力〉をぶち込んだ。尻にするどい衝撃、白緑色の閃光で何も見えなくなる。
「修徒様っ」
がしっと力強く抱き寄せられて声の主がもう一人を空中でつかむ。下で何かが爆発するような轟音が響き建物全体がドドンと揺れた。ふわっと地面の近いところに移動させられていて着地する。
二機の水槽……〈力〉転送装置はボロボロに崩されていた。どちらも真っ二つに割れ衝撃で前面が粉々に砕けている。公正が居た方はまだ水が吹き出していた。瓦礫の山から手城くんと島田君が這い出てくる。
「無事」
「無事! 昨日子ありがとへぶっ」
水槽を壊した本人にお礼をいったら張り手をくらった。ありがとうを言う相手が間違っているらしいが叩かなくてもいいだろ。
「クリスもありがとう」
「いえ、お二方の連携が良かったのです」
「おい修徒、尻! 尻打った尻! もうちょっとさ優しくできないのかあれ」
「尻痛いぐらいで済んだんやから感謝せんかい」
水槽の崩壊が落ち着き、アニアがこちらに振り向いた。さっきまでの薄ら笑いは無い。手城君、島田君、トーマスが側に戻る。
失敗をトーマスが必死に謝っている。興味を示さないアニアにひたすら頭を下げ、何度も申し訳ありませんと繰り返す。すがられてアニアが迷惑そうに振り払い床に転がる。
「……H-1363。アンドロイドに失敗は」
冷たく言われてトーマスが固まる。真っ青になりながら震える声で「ありません」と絞り出した。わかっているじゃないか、とため息をついて自分の袖に手をつっこんだ。トーマスが叫び声をあげる。
ビシ、とトーマスの顔にひびが入った。
嫌だ、やめてください、お許しくださいと叫ぶ間にもどんどんヒビは広がっていく。頭が耳から崩れていく。すがる腕がぼろりと落ちる。足が粉になりひざまずき、バラバラと金属の部品が床に散らばる。そして最後にゴトンと重たい音をたて、操作盤が床に落ちた。
……強制終了(デリート)……? でもトーマスの操作ボタンには触らなかった。もしかしてフォルダってやつの……。
手城君と島田君がぼうぜんと立ち尽くす。
「なぜ……なぜですかアニア様。彼は俺たちと鸛正を保護し、養っていたのですよ。翔太を連れ帰ることに関して功労者であるはずです。なぜ……!」
「トーマスがアンドロイドだからだ。私にとってアンドロイドは道具にすぎない。いらなくなったら処分する。当然のことだ」
「しかし……!」
「……まあ君たちにとってどうかは知らない。思うところがあるならそれを外に出してきなさい」
あごでしゃくられ、二人はおそるおそるトーマスの残骸を拾い上げた。アニアに急かされ部屋を飛び出していく。二人の背中を見送ってからアニアがこちらに振り向いた。
「クリス。どうして君は残っているのかな。一緒にデリートしたはずだけど」
「私の主はアニア様ではありません。既に変更されています」
バリッと音がして閃光が走った。当たる! と思った瞬間に鼻先すれすれをかすめて炎の壁が立った。驚いて飛びすさりたたらを踏んで大きい手に支えられる。
「ごめん、龐棐さん。ありがとう。鼻焦げるかと思ったけど」
「龐棐様、ありがとうございます。とっさのことでプロテクターが間に合わず」
「いいから相手に集中しろ」
アニアを中心に四方八方にヒビがのびていた。床は同心円を描くように粉々になっていた。 アニアが一歩踏み出し、昨日子が威嚇するように〈力〉でヒビを入れる。アニアに届く前に透明の壁が立って阻まれた。マントの裾についた火が生き物のように一気に広がった……が、体にもえうつる前に脱ぎ捨てられる。
何だあれ。
拳から肘にかけて、右腕につるんとしたごつくて丸い金属体がついていた。手が中にほぼおさまるサイズで、それをこっちに向けて
「修徒っ!」
ピュンと耳元で音がしたと思ったら押し倒されていた。銃声っ?
「修徒様! 無事ですか修徒様! あの銃弾、プロテクターをつきぬけて」
「大丈夫、公正がタックルしてくれて、……!」
見えた。煙の上がる手元、金属体とそれに隠れる手の隙間から細い銃口。銃内蔵式ガントレット……!
間髪入れずに柱を突き上げた。銃弾の弾かれる音がした後、黄色い閃光が走って柱を崩される。……あれ? アニアの〈力〉って……。
「俺の予測だがあれはアンドロイドの操作盤だ」
「事件の時に負傷していましたからアンドロイド化しているのは予想範囲内です。大丈夫、恐れることはありません、アンドロイドの機能はみな同レベルです」
冷たい目が僕をにらんでいた。鋭くて、何度も怖いと思った青色に似ている。でも何かが違う。
「おいアニア、さっきまで修徒を利用しようとしてたのに急に殺そうとし始めて、何のつもりだ」
「わからないかな公正。君は〈力〉関連の学習は優秀だったはずだけどね。同じ〈力〉を持つ者は同時には存在しないんだ。だから、」
息をのんだ。ピリっと首の後ろから背中が冷えて急にみんなの動きがゆっくりになる。アニアがいない。
「使い物にならなくなったものは処分しないとね」
耳元で声がした。必死で身をねじる。衝撃があって銃声が鼓膜をたたく。しまった〈力〉を使うんだったと思いながら地面を転がる。じわっと左肩が熱をもったかと思うとバッと熱くなった。……かすったどころか袖が破けて肉が見えていた。確認したとたん激痛が走り悲鳴をあげる。
「修徒様! 修徒様!」
「気を、つけて……。瞬間移動、してくる……」
必死にこらえて起き上がる。痛いが今はそれどころじゃない。アニアが腰のサーベルを抜いた。
他全員の近くに柱を立てながらその場をとびのく。昨日子のところに出たアニアに龐棐さんが剣で応戦し、二、三発受け止めて炎を出す。またアニアが消えて今度は今日破。必死で逃げ回り追いかける背中を柱で突こうとしたらまた消える。公正が刃のついたロープでアニアを捕まえたが黄色い閃光が走って慌てて手を離し、銃声。柱は間に合わなかったが当たらなかったようで公正は無事なまままたアニアが消える。至近距離に居た。焦って次々に柱を出すが避けられる。走って逃げるがすぐ瞬間移動で先回りされる。火や瓦礫が飛んでくるがアニアは僕にターゲットを定めたようで他の人のところに行かなかった。
やばい。息はとっくにあがってるけどくらくらしてきた。左肩が痛い。けっこう血が出てるもんな……
足がもつれて転んだ。慌てて起き上がりながら柱を手当たり次第出してその場を逃げる。さっき居たところを銃弾が集中砲火し煙があがる。また足から力が抜けて転ぶ。うそだろ、力が入らない、動け、逃げろ。
ガチャ、と金属音。銃口が目の前にあった。「修徒!」「シュウ!」声が聞こえてアニアが一瞬目をそらす。今の声──思い切り〈力〉を足元に打った。
ガン、と音がしてアニアの体がふっとんだ。数メートル上がった後ふっと消えて少し離れた場所に出る。アニアが口元をぬぐって構え直す。あごのあたりがぐにゅっとして元に戻った。サーベルが落ちてカランカランと音をたてた。
クリスに回収され部屋の隅に運ばれる。くらりと目眩がして視界が暗くなる。場違いに強烈な眠気に襲われる。やばい、意識がとぶ……
「シュウ、シュウ!」
誰かに必死に呼びかけられてなんとか目をこじあける。左肩を触られて激痛が走り思わず悲鳴をあげた。さすがに眠気も吹き飛んだ。
「ごめんシュウ、すぐ終わるから」
明日香が包帯を巻いていた。閃光が走り、必要分だけ巻きついて後は消える。
振り返る。縁利、栄蓮、喜邨君……曹も居る。
「何で来てるんだ、冬人さんは?」
「冬人さんまだ来てないの?」
涙でびちゃびちゃの顔と見合わせる。どういうこと? 意識戻ったってきいたけど。
「冬人さん、あの後出て行っちゃって、だから追いかけて」
「明日香離れて。巻き込まれる」
明日香を突き飛ばして走り出す。足元を弾が跳ね、明日香が悲鳴をあげる。龐棐さんが落ちていたサーベルを拾ってちょうど現れて僕を撃とうとしたアニアに斬りかかった。刃が当たる寸前、またアニアが消える。
僕をクリスが抱え、龐棐さんと昨日子が前後に立つ。アニアはまた数メートル離れた場所に出た。睨み合う。
「シュウーっ! これーっ!」
明日香が何か投げてきた。馬鹿、そんなことしたら絶対とられる……。
案の定間にパッと瞬間移動してきて空中でそれをつかむ。輪っかになったそれがくるっと回転しつかみそこねて
ガチャン。音がした。アニアがその場に落ちた。数秒うずくまったまま動かずもしかして、と希望を持ちかけたところで顔をあげる。アニアは起き上がったかと思うとすごい速さで追ってきた。壁を立てたが避けて龐棐さんとつばぜり合う。すっとアニアが反対の手を腰に伸ばし……クリスが龐棐さんの前に体をねじこんだ。ざしゅっと切れる音。もう一本持ってたのか。
「クリス! 大丈夫か! クリス!」
「ご心配なく。切れました」
クリスは平然と返してローブを整える。血のつたっていた腕や裂けた腹部がずるっと元に戻る。アニアは舌打ちをして数歩下がり構え直した。龐棐さんも二歩さがりサーベルを構え直す。アニアの腕についているものをようやく確認する。手錠だ。細い糸が絡みついて食い込んでいる。明日香、ナイスコントロール。
アニアが龐棐さんに斬りかかる。サーベルで応戦するが利き手じゃないせいかうまくいなせず顔や腕に次々に傷が入り始めた。間をとろうにもアニアの踏み込みが早く防げない。
「龐棐様!」
クリスが割って入り龐棐さんが吹っ飛ばされた。……いや、瞬間移動で転送された。勢いがつきすぎて壁に激突し、崩れる。オリジナルほど技量はないとは言ってたけど。何やってんだよクリス。
今度はクリスがアニアと剣戟を繰り広げる。プロテクターを使いながら頭を狙い、足を切られて腕を浅くかするだけになり、再生して今度は胴を狙ってもぐりこまれて下から切り上げられる。そのままサーベルが走り両腕が落ちる。クリスはその場に崩れ落ちた。すぐに再生が始まるがナイフを拾うには間に合わない。
「修徒! 逃げろ!」
縁利の声にはっとして身をひるがえし、飛んできたサーベルを避ける。こけそうになりながら走り、振り返る
そこにアニアが居た。銃口が光る。〈力〉は間に合わない────
パァン
鋭い音が響いて、視界からアニアがかききえた。妙な浮遊感が一瞬、地面にしりもちをつく。
「修徒!」
公正がすぐ後ろにいた。アニアはさっきまで僕がいたところにガントレットを突き出した格好のままだ。そのあたりからさっと影が消えて僕の隣に現れた。赤茶色の髪に白いシャツ。高くはない身長に細い体。
「冬人さん……!」
「無事でよかった」
鋭い目を細めて笑い、僕の前髪を軽くなでる。よかった、冬人さんが来たならもう安心だ。冬人さん強いし……。
「……冬人さん?」
何か心臓に刃物を当てられたような感覚がした。その血だらけの口元と手はなんだよ? 声をかけようと背中に手を伸ばしたら「ぐ」と小さくうめいてボタボタと地面に血が落ちた。がくんとバランスをくずし、
「待っ」
冬人さんの姿が搔き消える。アニアのすぐ近くに出て至近距離でナイフで切りつけ衝撃波を次々に放ちアニアのサーベル攻撃をかわし流し返して瞬間移動で距離をとる。
激しい攻防の応酬に思わず見いってしまう。バン、と冬人さんの〈衝撃波〉の音がして二人の距離が開いたと思ったらアニアはサーベルを手に飛ぶように間を詰めている。が、まるでアニアが突っ込みすぎたかと思うような〈瞬間移動〉で冬人さんがアニアの背後を取り、ナイフで切りつけると同時にアニアが振り向きざまに空を薙ぐ。カンカンキンと激しく金属がぶつかる音が響きアニアと冬人さん双方の頰や腕から血がとんだ。アニアのガントレットに大きく切り傷が入って唾をのんだその時、唐突に冬人さんがふらついて壁に背中を打ち付けた。腹をおさえて歯を食いしばる。そこにアニアがガントレットで殴り込んで、
「冬人さん!」
轟音が響いた。もうもうと煙が充満する。煙はすぐに晴れ、壁に拳をめり込ませたアニアが小さく舌打ちした。
「がっ……は」
タイミングよく避けるかたちになった冬人さんはまだその場でうずくまっていた。げほ、ともう一度咳とともに血を吐く。うめき声をあげ苦しそうに胸をつかむ。床に広がった血の量に背筋が冷える。何が無事でよかった、だ。あんたが無事じゃないよ。
「死んだものと思っていたのだけど。ずいぶん元気に動くものだね」
「誰かさんの訓練のおかげだよ」
「けれどその体で邪魔に入るとは。相変わらず判断が甘い」
アニアが壁から手を引っこ抜き、同時に冬人さんが消えた。アニアのすぐ後ろにパッと現れ〈衝撃波〉を放つ。アニアは素早くガントレットで〈力〉を遮り、別の方向に現れた冬人さんに銃口を向けた。アニア直上に移動した冬人さんからまた〈衝撃波〉が放たれ、床にヒビを入れた。けれど次の移動に失敗してその場で落下し、蹴り飛ばされて吹っ飛び壁に激突する。
アニアのガントレットはもはや原型を留めず、むき出しの配線がずるずると床を擦る。外装は割れてはずれ、中に仕込まれていた銃身が見えていた。真っ二つに切り裂かれて中の銃弾が見えている。
少し離れた場所に落ちた冬人さんは横たわったまま腹部を押さえてうめいていた。蹴られて悪化したのか口からかなりの量の血があふれて床にひろがっていく。力が入らないようで立てた肘がすべりまた地面に突っ伏す。もがきながら咳き込みまた血を吐く。そうだ、意識が戻ることなく死ぬかもしれない、あと半日もつかどうかと言われているはずなのだ。死んでしまう。冬人さんが、死んでしまう。
アニアが迫る。冬人さんは必死で閃光を散らすが集中がきかないのか移動する様子がなく、地面に突っ伏したまま苦しそうに体を突っ張らせた。アニアがサーベルを振りかぶる。
「冬人さんっ!」
足元に思い切り〈力〉をぶちこみ遠隔でアニアの攻撃を遮る。その隙に冬人さんが〈瞬間移動〉を成功させ、たがアニアの真後ろに出てしまいアニアに蹴り飛ばされる。冬人さんはまた吹っ飛んで反対側の壁に激突して落ちた。しばらくぴくりともしなかったがやがて体をがくがく震わせながらかろうじて体を起こした。
「冬人さん」
何か言おうとして意識を失い床に倒れる。びち、べしゃと血を吐き出し力なく突っ伏した。走り寄って助け起こすと数度血混じりの咳をしてやっと息をする。顔は真っ青、もともと白っぽい肌はさらに血の気を失って冷たい。ぐったりともたれかかり抵抗する力も無いのかされるがままに顔をあげる。がくがくと体の震えが止まらない。うぅ、とうめいて苦しそうに顔をゆがめ、くぐもった咳をしてまたごぽりと口から血が垂れる。
「はな……せ、はなれろ、攻撃されるぞっ……!」
息をするのもやっとのくせに何言ってるんだ。
口を引き結んで足元に集中した。床から大きな直方体がずん、と突き出す。
「翔太やめろ、お前は手を出さなくていい……っ」
「僕は修徒です。冬人さん」
アニアを囲むようにざんざんざんざん、と直方体を出現させる。すぐ消えてしまうから簡単に避けられていまいち攻撃にならない。逃げられ避けられまるで当たらない。
「……一度にたくさん出してみて……」
小さくなった声をなんとか聞き取る。
「近くに、たくさん。同時に一本ここから勢いよく、けほっ……勢いをそのままにして下の方を切る」
「……こう?」
集中する。アニアの周りに壁をつくるようにドッと盛り上げちょっと遅れたけどはずれに一本、勢いをそのまま〈力〉を止める。直方体はそのままアニアに向かってすっ飛んでいく。すごい、飛び道具になるんだ。地面を離れたそれの形状維持を意識しながらうっかり解除したさっきの壁を作り直す。
壁にはさまれて逃げられなかったアニアがボロボロのガントレットで飛んできた柱の残骸を防御し、防御しきれず勢いのまま壁に衝突する。なるほど。これならいける。負担が大きくて何度もはできなさそうけど。短期決戦なら。
「冬人さん。すぐ戻りますから」
話しかけながら壁際に下ろしたがすでに気絶していて座れずに崩れ落ちてしまう。早くしないと。
みんなで、戻るんだ。
「龐棐さん! 火お願いします!」
「おう」
サーベルを片手にアニアが突っ込んでくる。正面を優先に大きめに囲うように柱を出し、隙間を龐棐さんの火が埋めた。そこに柱弾を飛ばす。弾速が遅いからほとんど避けられる。くら、と目がかすんで倒れかけ、壁になっていた柱が消えた。慌てて生やし直そうとしたが焦りすぎて何も出ない。
「修徒様っ」
クリスがパッと現れて僕をかっさらい突っ込んでくるアニアから距離をとった。
「クリス。下ろして。地面に繋がってないと〈力〉が使いにくい」
「ですが、その状態では……!」
「大丈夫だから。みんなが居る」
龐棐さんが炎で壁をつくってアニアを誘導し、昨日子が床をくずして威嚇、全員でかたまって走り回りなんとかアニアの猛攻から逃れていた。
「修徒! 壁お願いできる?」
今日破が何かを投げようとぶんぶん腕をふる。手で丸を作って応え、〈力〉をそそぐ。耳鳴りがするのを耐え、がんじょうに、隙間を少なく。広めからちょっと倒して狭くして、上の隙間からぽんと何かが投げ入れられた。そこ目掛けて外から柱を飛ばす。
ドム!
凄まじい爆発音の後ゴォッと吹き荒れた爆風に煽られて尻餅をつく。バラバラと瓦礫がふりそそぎたまらず頭をおさえてうずくまる。ズズンと地面が振動する。こんなに威力あるなんてきいてない。砂煙で何も見えない。
「修徒様!」
クリスに突き飛ばされて転んだ。頭上でボン、と何もないのに爆発音がする。アニア本来の〈力〉……〈爆発〉。アニアのキャンセラーがはずれた……!
砂埃が落ち着いてきてアニアが見えた。黒いマントは焼け焦げて、体の方もあちこち傷を負って少しふらつきつつゆらりとたたずむ。顔や手にヒビが入っている。デリート……? でも広がる様子がない。明日香たちは無事。龐棐さんが守ってくれたみたいだ。だけど手榴弾を投げた今日破は大きい瓦礫に足をはさまれ身動きがとれなくなっていた。〈力〉で押しのけようとしたが柱が瓦礫にあたった途端別の大きい瓦礫がぐらっとくずれて今日破を埋めそうになったので引っ込める。そのまま今日破をひっぱり出さなきゃだめだ。だけどアニアが近すぎる。
アニアを突き飛ばそうと柱を突っ込んだら途中で先端がみしりと音をたててバリッと閃光がはしりボン、と爆発した。砂煙にまぎれて破片がいくつか飛んでくる。ふらりとこちらを振り返って指さされあわててとびのく。また何もないところが弾けて爆風が吹き付ける。あれをくらったら即死だ。どこに逃げたらいい。どうしたらいい。柱を作って隠れるとそれが爆発して吹っ飛ばされた。地面を転がり壁にぶつかる。明日香に助け起こされ手元でガチャリと金属音がした。僕のカバンだ。中に何か……ああ。これか。
「いい加減にしなさい。……また探すのも手がかかる、殺さないからこっちに来なさい。まだ予備機がある。時間もとらないし済んだら帰してあげるから」
まっすぐ構える。撃鉄を起こし、照準をだいたい合わせる。ブレないようにしっかり固定して、肩には力を入れすぎずリラックスして。
「翔太。それを下ろしなさい」
引き金を引く。アニアが体を折り、遅れて銃声。銃弾は確実にアニアの胸を貫いて……
「うそ……」
「痛いじゃないか。ひどいな。ほらそれを下ろしてこっちに来なさい」
崩れ落ちると思ったのにアニアはするっと姿勢を戻した。確かに今撃ち抜いて、その証拠に胸に穴が開いているのに。すたすたとこっちに歩いてくる。穴が血を飛ばしながらギュルっと塞がった。操作盤ははずれてアンドロイドのデリート寸前っぽいヒビもあるのに機能が残ってる……? あわてて構え直して照準をあわせて、ガチンと空撃ちした。そんな。ガチン、ガチンと何度も撃つ。弾が無い……!
カラカコン
『修徒! 明日香連れて逃げろ!』
脳内に〈音〉が鳴り響いた。今日破が手榴弾を持った手を振りかざしている。はっとして明日香の腕を乱暴に引き寄せ、アニアを〈力〉で突き飛ばして出口に走る。アニアがこっちに来る。出口まで間に合わな、