「やあい登ってきてみろよ!」
木の下に灰色の髪の少年がいる。そいつははあ、とあきれたようにため息をついて「面倒くせえな、お前が降りてこいよ」と言いながら登ってきた。え、はやい。僕もっと時間かかったのに。
「まって、まってよ。ずるい、はやい。わかった、背がたかいからだ……わっ」
逃げようと枝を移ろうとして、移り損ねて滑り落ちた。ぼすんと草に転がる。
「お、おい大丈夫か?」
「へーき」
ちょっと擦りむいたけど痛くはない。パンパンと泥を払って起き上がる。
「あぶないことしないのぅ」
小さい女の子ににらまれて肩をすくめる。少年の妹だ。「見られてたな」と笑われて僕も口をとがらせた。うーん、かくれんぼも負けてこれも負けて、かっこわるいなあ。
「ははは。午後またあそぼうぜ。もういっかい勝負してやる。まあ俺が勝つけどな」
「うるせ……あ、今日午後はむりだ。兄さんのとこ行くから」
「じゃあ今日はお前のまけだ!」
「うるせ明日は勝つからな!」
「けんかだめえ」
あ、母さん迎えにきた。行かなくちゃ。
誰かに手を引かれている。僕よりひとまわり大きくて固い手……ううん、僕の手が小さい。その僕の手をにぎる人は腕に怪我をしたのか袖口から包帯がのぞいている。いたくないのかな。
商店街を歩いているようだった。人通りが少なく寂れているがどの店も開いている。おもちゃ屋ばかり並んだショーウインドウに目を奪われて半ばひきずられるように歩く。
「わあ、兄さんあれ! ゴー戦車! かっこいい!」
店頭にピカピカに磨かれた銀色の模型がちょこんと置かれていた。何かの紋様のように赤い筋の装飾が入っている。
「……実戦には使えないぞ。目立つからな」
「別につかうって言ってないだろー! あっ兄さんあれ!」
「トイガンだろ……。全然威力なくて鳥すら落とせないぞあれ」
「兄さん兄さん! ねねねあれ着るの?」
「着ない。そんな目立つ軍服だったら即敵に見つかるだろ」
ずれた反応を返してくる『兄』に構わずあっちこっちのお店のウインドウをのぞいていく。ひさしぶりの外だ。楽しい。
くんっと腕を引っ張られて足を止めた。赤茶色の髪の少年は乗り物の模型を置いているショーウインドウの前で立ち止まっていた。
「兄さん?」
「あ。なんでもない、行こう」
さっきより早足に歩きはじめたので頑張って横にならぶ。
……あれ、この人誰だっけ。無表情で全然笑わない。
「兄さん」
振り向いた顔ににこーっと笑って見せた。つられて笑うかと思ったのにちらっと見ただけでなんとも、ううんちょっと笑った。たぶん。ちょっと歩調を落としてくれたので小走りに歩幅分を穴埋めして横に並ぶ。なんだかそれで満足して手を握りなおした。
廊下を走っていた。ずいぶんと大きな建物で、天井がすごく高い。タンタンと床を蹴る音が響いておもしろい。母さんに見つかったら怒られるかも。怒られるのはいやだなあ。歩調をゆるめて歩き出す。
長い廊下の右側は大きな細長い窓がいっぱい並んでいて、左側は壁と管とところどころに普通の大きさの金属の扉がついている。窓がついているから中がのぞけるんだけど、僕の身長ではちょっと足りない。どこだろ兄さん。この本のここの話、兄さんに読んでほしい。聞きたいことがあるんだ。
何本か先の柱の影に黒いローブの人影が見えた。足音に気づいてこっちを振り向く。よく兄さんと一緒にいる女の人だ。あんどろいど……だっけ。この人も笑わない。
「兄さんはここですか?」
きいたけどここで間違いない。扉に走り寄って〈力〉で足元を盛り上げて、
扉の開く音でヒッと息をのんで、目が覚めた。薄暗い機内は静まり返って……はいなくて隅の方で何か言い争うような声がするがたぶん公正と曹だし放っておく。それ以外はまだみんな寝ている。
断片的で短い夢をいくつも見ていた気がする。特に最後の夢、何もなかったはずなのにすごく怖かった。まだ心臓がドクドクいってるし上がった息もおさまらない。ぎゅうっと肘を抱え込んで寝返りを打とうとしたら椅子から転げ落ちかけた。ああもう、変な姿勢になるから悪夢を見るんだ。
あれ。暗い機内に目をこらす。冬人さんがいない。……外かな。さっき扉の音がしたっけ。
扉は開けるスイッチを探すまでもなく開けっ放しになっていた。一歩外に出れば霧に包まれ、住宅街だなとぼんやりわかるくらいの視界になる。
冬人さんは開いていた出入り口の反対側にいた。機体に背中をあずけて休んでいる。
「おはようございます、冬人さん」
「おはよー。……誰ー?」
「修徒です。……ちゃんと寝ました? 隈できてますけど」
あれ。いつもならにこーって笑ってくれるところなのにな。無表情のままでなんだかすごく疲れてるみたいに見える。
「眠れなくてー。まだ居場所はバレてないとはいえバックシティーだからー」
「故郷じゃないですか。何かあったんですか」
「……故郷、か」
なんだかつらそうな顔をする。違う、いつも通りにちゃんと笑ってる。どうしてつらそうだなんて思ったんだろう。
「修徒君の故郷はどこー?」
「日本ですけど」
「……そっかー」
前も話したはずなんだけど。まあ冬人さんだから覚えちゃいないか。……ん? あれ? それも何か違う気がする。
「冬人さんはバックシティー生まれでしたよね」
「うん。故郷ってよべるほどの愛着はもうないけどねー」
「アンドロイド計画でしたっけ。それにずっと参加させられてたんですか」
「参加してたっていうよりそこの実験体だったっていうのが一番ぴったりくるかな」
「実験体?」
「H型の次のアンドロイドの考案に使われてたんだ。H型は一般人に機械を植えつけて戦闘機体化したものだから、次は戦闘特化型をつくるつもりだったみたい。基本は戦闘訓練だけど……医療班とタッグ組んでまあ、人体実験だねえ」
痩せてるわりには筋肉ついてるなあと思ってたけど。もしかして、と思って袖に隠れた右腕をぺたぺた触る。腕だ。普通に腕だ。アンドロイドみたいな操作盤は無さそうだ。腕じゃなくて他のところについてるんだろうか……? くすぐったがって手を剥がされた。
頬杖をついてどこかなつかしそうに笑う。
「どこも改造されてないよ。あくまで人の体に対しての実験だからね。あの頃は負傷で戦闘不能になる兵士が多かったから……例えば走る、立つ、座る、意識をたもつ、これが出血量にたいしてどのくらいからできなくなるかとか大怪我をした状態と普通の状態で水中に沈められた後行動できる時間がどう変わるかとか、そーゆーの」
そういうのってさらっと言っていいもんじゃない。何だそれ、下手すりゃ死ぬぞ。
「大丈夫だよ。お医者さんがちゃんと直してくれるし。治療過程も記録が入って丁寧にやってもらえるから」
そういう問題じゃない。
「レフトシティーに行ったのもその関係?」
「うん。あの戦争はタイミングがよくて。実地訓練」
その時に龐棐さんの、と言いかけて抱えた膝に頭をつっこんだ。しんどいなら寝てくれ頼むから。
「違う、あのころの訓練キツかったの思い出して」
「逃げ出せばよかったのに。〈瞬間移動〉で」
「それができなかったからあそこにいたんだよー。……あ、でも」
顔をあげた冬人さんがふっと笑った。今まで見たことないような、ずいぶんやわらかい笑顔だった。
「飛行訓練は楽しかったなあ」
遠くを眺めながらそう言って、「おじさんがさ」と話しだしかけて頭がぐらんとして飛行機の外壁に打ちつけかけた。危ないって。
「冬人さん眠いなら寝てくださいって。肩貸しますから。もたれていいですから」
冬人さんはまだ起きていたいとばかりに嫌そうな顔をしたけど結局僕にもたれた。ふらふらしてたのが安定して僕の方が安心する。
「修徒君の故郷ってー」
「日本です」
「うん……空っていうのが、あるんだっけー」
「はい。真っ青でどこまでも広くて。そうだ、そこ飛行機で飛んだら絶対楽しいですよ」
「おじさんが……言ってたの……きっとそれ……。いいなあ……。僕、も」
ついに睡魔に負けてずるりと体がすべった。引き寄せて持ち上げようとしたけどさすがに上がらない。どうしたもんかな。起きるまでこうして待ってるわけにもいかないし……。
「あ、居った」
飛行機の上からひょっこり今日破が顔を出した。慎重に飛行機の屋根から滑り降りてくる。
「なんで外に居るん」
「冬人さんがここで寝そうになってたから」
なるほど、と言いながら眠りこけて動かない冬人さんをひょいっと背負う。すごい、力持ちだ。
「力持ちっちゅうより冬人はんが軽いからやな。俺より小さいし。ほな中入って今日の予定詰めよか」
機内に戻ると公正が曹と大格闘を繰り広げていた。目を血走らせて公正の襟首をつかみ、もう一方の手で殴る。公正は腕で拳を防ぎながらなんとか拘束から足をほどこうと必死になっていた。一応曹の足をしばりつけているロープを引き寄せてそれ以上近づけないようにはしているけど誰も止めようとしない。やっとのことで公正が曹を突き放し、拳の届かないところまで離れた。腕や頰が痣だらけになっている。対する曹は無傷だ。……意外だった。殴り返さなかったのか。
「そこに居るだろ! 氏縞! なんで見てやらねんだよおお!」
「いや、だからさ曹」
「うるせええ! 黙れ! 氏縞どこいったんだよ出せよ! 早く場所言え!」
「曹、頼むから」
突然ケラケラ笑いだし公正の足に繋がるロープをつかむ。公正はあわてて近くの座席の脚につかまるがぐいっとひっぱり寄せられてグッと足首にロープがくいこんだ。支離滅裂に叫びながらつかんだロープを力任せに振り回す。引っ張られて公正の体が上下に振られ、曹の腕がきしんだ音をたてる。さすがにまずいと思ったのか喜邨君が曹の腕を捕まえて押さえ込んだ。曹は目を見開いたままゲラゲラ笑い続ける。指先はまだロープをつかんでいてぐいぐい引っ張っていた。
「ぎゃはははは! どうだ氏縞! 見たか我輩の力! うああああ返せよ! そこに居るだろ無視するな!」
「痛って、やめろ、曹……。わかったから、やめろって……」
曹が泡を吹き始めたので栄蓮が薬を飲ませて眠らせた。体から力の抜けた曹を縛り直し、公正は手当のため一旦ロープをはずした。湿布を貼り、足首にテーピングを当ててからまた縛る。公正は抵抗するどころか自分から足を差し出し、眠る曹の隣に座った。
深夜からずっと暴れ続けていたらしい。公正は放心状態で表情の抜け落ちた顔で「俺のせいだから」ばかりぶつぶつ繰り返して虚空を見ていた。さすがにまずいんじゃ、と声をかけようとしたところを「では」と龐棐さんが視線を遮るように座って邪魔され機会を逃した。
「移動は冬人が起きてからになるがとりあえず行動予定をたてる」
遠くにいた縁利と昨日子も近くに来て座った。龐棐さんは紙に四角や丸を書きながら説明を始める。文字も添えてくれているが読めない。
「まずは移動の担当について。公正は拘束の上自分で歩いてもらう。曹は眠らせて喜邨に頼む。まず大丈夫だろうが冬人が歩けなかった場合は今日破に運んでほしい」
「待って。俺より龐棐はんの方が力強いし持久力もあるやろ」
右首筋に手をあてる。……あ。まさか。
「肩、上がらんくなってな」
おさえる左手が震えていた。でも声は落ち着いていていつも通り穏やかに話す。
「肘から先はこう、問題ないんだがここからこれが支えんと上がらん。これもなかなか痛む」
「……ほんならわかった。運ぶわ。それ以上悪化させへんように大事にしてな」
それで、と紙にペンを走らせる手が左手なのに今気づいた。文字が読めないと思ったのはアルファベットだからだけじゃなかったんだ。傷を見ようと明日香が手を伸ばして「後にしろ」と払われる。
ひとまずは冬人さんの知り合いのところを訪ねる。そこでアニアだったかバックシティーの最高指導者の居場所とアンドロイドの研究所の場所を調べる。向こうに渡るような〈力〉を装備したアンドロイドが居ればそれを使って僕らは向こうに戻り、龐棐さんはレフト爆撃の元凶かどうか最終確認の後アニアを暗殺する。
「でも龐棐さん、その腕じゃ……」
「俺には〈発火〉の〈力〉がある。使い方次第だ。それよりもその〈力〉を持ったアンドロイドが居なかった場合どうするかだ」
みんな黙りこむ。そこに居なかったら他のところを探し回るしかない。今のところ手がかりもない。
「……とりあえず、冬人さんの知り合いのところに行ってみるしかないよね。その人がどんな人なのか、敵なのか味方なのかも全くわからないけど……行ってみないことには何も進まない」
「公正は何かないのか」
声をかけてみたけど反応がない。ぼんやりとどこでもないところを眺めてうなだれている。
「公正」
一番近い昨日子がドンと肩をたたくとハッと顔をあげた。キョロキョロと見回して集まる視線に肩を縮める。
「公正は向こうに渡る〈力〉のアンドロイドについて何か知らない?」
「……それが装備されたタイプは全処分されたとしか。冬人が言う通りならH型アンドロイド全部が処分対象になったというのは俺の勘違いだな。その〈力〉つけたやつらだけ」
「また作られてるってことはない?」
「知らない」
「そもそも何で処分ってことになったの?」
「……知らない」
やっぱり冬人さんにきくしかないか。みんなの視線が床で大の字になって寝ている人に集まる。前回のこともあるし起きる気がしない。叩き起こしたいのが本音だけどさっきの状態みるともうちょっと寝てて欲しいし……。今日破が「待って。寝かせたって」と他の人を通せんぼしてくれてるから、うん、寝かせとこう。
「……アニアの暗殺、手伝うよ」
気づけばポロリとつぶやいていた。視線が集まるがためらいもなく言葉が続いていた。
「いろいろと助けてもらったし、恩返しっていうのはなんだけ」
「修徒」
急に怖い顔をされて口をつぐんだ。え、何で。そんなに睨まなくても。
がしりと肩を掴まれる。低い声で名前を呼ばれておそるおそる顔をあげるとじっと見つめられた。何を言われるのかと硬直したまま待つが何も言わない。気圧されて僕も目を離せず見つめられ続ける。沈黙に耐えられなくなって「あの」と声を出しかけてまた黙る。龐棐さんも何か言いかけて一旦口を閉じた。
「……。お前が何を考えて言い出したかは知らん。しかし『手伝う』とはなんだ」
「力になりたいんだ。……僕らじゃ力不足かもしれないけど、何かできれば」
両肩を固定され正面からにらまれる。怖くて言葉が尻すぼみになって消えた。何なんだよ、手伝うって言ってるだけじゃないか。
「修徒。……お前のそれは『手伝う』ではないだろう。お前にアニアへの私情はないのか? レフトが爆撃されたのを見て、大声で叫んでいたあれは演技か? レフトで世話になった者がいたのだろう? 関わった者がいたのだろう? 『手伝う』というのは無関係のものが言う言葉だ。自分には関係ないけど他人がやるから手を貸すなどという身も心も入らん態度で臨むつもりなら邪魔だ」
「違う、そういう意味じゃない」
「いらん」
突き放されてたたらを踏んだ。踏みとどまり、腰を下ろそうとする龐棐さんの腕をつかむ。ギロリと睨まれて息をのんだ。そうじゃない……僕は自分の力に自信がないから『手伝う』っていう言い方をしただけだ。
「龐棐さん。僕も一緒に戦わせてほしい」
じっと見つめられる。真っ直ぐ見つめ返す。たいした戦力にならないのはわかっているので正直居心地が悪い。だけどいらないなんて言わないでほしい。僕は僕で理由がある。
「……好きにしろ」
返ってきたのはそれだけだった。少し考えてからうなずく。そうだ、来るなと言われようと僕はどうせ行くだろう。好きにさせてもらおう。明日香や喜邨君たちも互いに目を合わせてうなずきあっている。……みんな来るのかな。
「ところで昨日子。昨日の冬人の言葉を信じるとすると、お前はバックシティーでアンドロイド計画に関わっていたはずだが覚えはあるか」
首を振る。眉間にしわが寄り頭をおさえた。昨日子、と明日香に声をかけられて必死に首を振る。
「少なくとも〈力〉のコピー実験は受けたのだろう。他に……」
「やめろ!」
バリバリと大きな音がして床が裂けた。昨日子から伸びたヒビが一直線に龐棐さんに向かい、あわててとびのく。ヒビは後部座席の方まで走って止まり、みしりと機体が音をたてて割れ目を広げた。昨日子は震える声で「やめろ」とか何か言いながら頭を抱えてうずくまり、しゃくりあげて泣き出した。割れた床に涙が落ちる。栄蓮がハンカチを取り出して駆け寄るも蹴り飛ばしてしまい、床にたたきつけられた栄蓮が泣き出しても気に留めなかった。縁利が助け起こして栄蓮を泣き止ませる。昨日子からは距離をとり、部屋の隅に栄蓮をもたれさせた。
「龐棐。姉さんに何があったかは知らないけど今はあきらめてくれねえかな。絶対に必要な情報ってわけでもないんだろ」
「しかし情報が少なすぎてだな」
「やめてあげてよー。いやがってるでしょー」
むくりと冬人さんが起き上がった。さっきの騒ぎで目が覚めたようだ。目をこすってふわあ、となんとも気の抜けたあくびをする。むにゃむにゃと何か言いながら首の後ろをかく。はっきり発言したわりに寝ぼけているようでぽけんとした顔でまばたきをした。枕代わりにしていた誰かの鞄を見つめて横になり……、待て待て寝直すな。
「おはようございます冬人さん」
あいさつしてしまったけどさっき言わなかったっけ。
「あうん、おはよー? 誰ー?」
首をかしげられて凹みそうになったけどこれはいつも通りだ。いつもこうだ。
「修徒です」
「今日破や」
「明日香」
「龐棐だ」
「縁利」
「昨日子」
「栄蓮」
「喜邨。あっちが公正でその隣が曹、一緒に……。じゃねーな。それで全員」
そこで話が止まってしまう。氏縞は、もういない。冬人さんは気づかなかったようにひとりひとりに「明日香ちゃんおはよー?」とかにこにこ手を振りあったりしている。昨日のこときれいさっぱり忘れられるなんてうらやましいな。……あれ?
龐棐さんが上がらない方の腕を三角巾で吊り、自分の荷物を持って立ち上がった。いつもと逆向きに剣を装備し金具で固定する。
「さて、冬人。体調は……まだ良くなさそうだが動けるか」
「うーん歩くには問題ないよー」
「歩けるならよし。行くか」
「どこにー?」
「…………………………」
空気が凍りついた。龐棐さんに至っては目をむいたまま固まっている。冬人さんだけがにこにこといつも通りに楽しそうだ。
「思い出せ! 今すぐ思い出せ!!」
「冬人てめえが覚えてなかったら俺らまとめて迷子じゃねえか!」
「冬人、連れてきた。案内」
「ちょっとねえ、本気で言ってる? おくすり飲んだら思い出す?」
詰め寄られて耳をふさぐ冬人さん。気持ちはわかるし僕も怒鳴りたいけどみんなも落ち着け。相手は冬人さんだ。
「冬人。ここはバックシティーだ。知り合いを頼るという話ではなかったか」
「うーん……あー! うん! 思い出したよー!」
ごめん、何か思い出してくれたけど余計不安が増した。大丈夫かこれ。たどりつけるのかこれ。
気が進まないままカバンを背負って機外に出た。霧は相変わらずで数歩先は真っ白だ。「やっぱり俺が」公正が〈力〉を使おうとするが却下。キャンセラーを外すわけにはいかない。
「あっちが岩山でー。あっちに塔があったからーこっちー!」
れっつごー、と先陣切って走り出す。ちょっと待て、さっきまで寝込んでたくせにその元気はどこから来るんだ。案の定曹を担いだ喜邨君が遅れ始めて今日破が止めに走った。
「最初からとばしてどうするんや、まだ遠いやろ」
「うんー。でも疲れたら今日破が背負ってくれるってー龐棐さんがー」
「聞いとったん!? 聞いとったんやな? 聞いとったんなら起きて? あとその前に俺がバテるし勘弁してや?」
今日破に顔をもみもみされながらえへへーと冬人さんが笑う。あきれたのとつられたのとで僕もつい笑ってしまい、「あ」明日香もつられて笑って驚いたように口をおさえた。恥ずかしかったのか顔が真っ赤になる。かわいいなあ明日香。……じゃなくて、ええと。
さらにつられて縁利も笑いだし、栄蓮も喜邨君も、ついには龐棐さんまで「フンー!」と吹き出した。龐棐さんの笑い方がおかしくて僕と縁利がこらえきれなくなり、げらげら笑い転げ、それがさらに喜邨君たちの爆笑を誘った。
おさまるころにはひーひー笑い疲れて酸欠ぎみになってしまい、結局少し休んでからの再出発になった。
「水筒」
「浮き輪」
「輪投げ」
「ゲームセンター」
「たい焼き」
「機関銃」
「牛」
「湿布」
歩くのに飽きていつの間にかしりとりが始まっていた。特に縛りはないはずだが龐棐さんは軍備ばかりで銃や爆弾の名前を頻繁にあげて「何それ」と言われているし喜邨君はずっと食べ物の名前ばっかりだ。
「喜邨君おなか空いてるならナッツバーの残りが何本かあるよ」
「よ……よ……よせ、俺じゃなくてそこの細いのに食わせろ」
「龐棐さんー。もっとおいしいごはんがいいなー」
「何もないぞ。我慢してそれを食え」
「えー」
前にもしりとりをしたことがあったな。あれは合宿に向かうバスの中だったっけ。国名縛りで、喜邨君が間違えまくって面白かったな。あれ七並べだったっけ。車窓の街並みを思い出す。今思えばすごく明るくてきれいな街だった。
「本当に何にもないね」
歩き初めて数十分、霧に包まれた廃墟の中に人の住んでそうな建物は見当たらず誰ともすれ違わなかった……というか廃墟がそもそも人の住める状態じゃなかった。白っぽいコンクリート造の建物は屋根が抜けていたり一面の壁が無くなっていたり、果ては瓦礫の山になっていたりと無事なものが一つもない。戦争だってここまで念入りに壊すだろうか。爆発があったとか事故だとかいろんな言い方をされている事件は六年前だというから、それからずっと放置されているせいもあるかもしれない。
「ああ。その時に全部壊されちまった。これじゃどれがどの家だったかもさっぱりだな」
「見覚えもないかい?」
「だからそもそも原型とどめてないからさ、」
「あ、見えてきたー」
冬人さんが前方を指さす。ぼろぼろの街の中で目立つ、昔は巨大な倉庫か何かだったと思われる廃墟があった。大きな壁はあちこち破れて屋根も落ちている。人が住んでいるようには見えなかった。
「ここがあてですか」
「ううん、違うよー」
なんだよ。着いたのかと思ったのに。
「ここにはもう誰もいないよ。途中にあると思ったから寄っておきたかったんだ」
言いながらひょいひょい瓦礫をよけて中に入っていく。誰かが片付けでもしたんだろうか、天井が落ちた建物のわりには内部の瓦礫が少なかった。
中に入り奥へ進むと天井の残骸でつぶされた何かが見えた。冬人さんはもうその近くまで走って行っている。何だろうあれ。冬人さんが〈力〉で乗っかっている瓦礫を次々下ろしてだんだん全体が見えてくる。……ああ、飛行機だ。
隣にあるのも同じ機種のようで瓦礫の下の形が想像できた。ここは駐機場か何かだった、のだろう。二機しかないがこの広さ、実際に使われていた時は十機ぐらいは置いてあったんじゃないかと思う。
「ひょっとしてここ、冬人はんが飛行機の操縦訓練しとったとこ?」
「うん。そうだよ」
一機を完全に掘り出したはもののぐるっと見回しただけで頭をかいた。あちこちへこみ、片翼の先が折れている。もう一機は尾翼が見当たらないので掘り出すまでもない。
「帰りの機体か」
「乗ってきたのはもう使えないから。でもこれもダメそう」
「整備士はいないのか」
「ここにはもう誰もいない」
無表情に言い捨ててしまってからあわてたように笑顔を取り繕う。事件よりも前にこの駐機場は閉鎖されて、だから関係者は誰もいないのだそうだ。
「いい飛行機あったから乗ってみたかったのになー。ざんねんー」
「直せないのか」
「凹みくらいなら直せるけどこれは無理。部品も技術も必要だ」
行こう、と外に向かう。うーんそうか、帰りのことを考えていなかった。まともに動かせる飛行機のある他の飛行場が近くにあるだろうか。
外は先ほどより霧が薄くなっていた。とはいえまだ視界は悪い。公正によると昔はこんなに濃いことはなかったようで、冬人さんもこんなに濃いのは見たことがないと言う。ここが廃墟になったことと何か関連があるだろうか。
「ずいぶん古い施設だったな。建物の手入れもされなかったのか」
「訓練場だったのは本当に前だからねー。レフトとの戦争が終わって一ヶ月後くらいかなー」
遠くを見るような目で懐かしそうに言って、すうっと表情が抜け落ちた。
「いつも通り訓練に来たらみんな死んでて」
「な──」
「翌日には必要のなくなった寮が取り壊されて使わなくなった機体は他所に移転されて、使える整備用品も回収された。扱いが難しくて他で使えない機体だけここに捨て置かれたんだ」
「どうしてそうなる!? 彼らは……殺されたのか?」
「そうだよ。戦争が終わったからいらなくなった」
「戦争でなくても活躍の場は少なく無いだろう? 戦闘機、いや飛行機に関しては最高の技術者かつ操縦者の集団だぞ!?」
「いらなくなったんだよ。言わせないでよ」
「……すまん」
廃墟の建物の損傷が軽度になってきて、たまに崩れていない建物も見かけるようになってきた。通りに人はいないが明かりのついている部屋もいくつか見つけた。人が住んでいる。けれどお店も畑も見かけない。こんなところでどうやって生活してるんだろう。
喜邨君が目的地までの距離をきくと「ここからは遠くない」と返ってきた。疲れたのかと思ったがそうではなくあまりに遠いと曹にのませた薬の効果が切れ、起きて暴れだすかもしれないからだった。
「曹くんも診てもらおー。専門外だから難しいかもしれないけどー」
「冬人さん、知り合いの人ってもしかしてお医者さん?」
「そうだよー。昔さんざんお世話になった、ほらあれー」
先を指さしたけどどれも似たような建物ばかりだ。冬人さんは僕らを置いて小走りに駆け出していた。待ち切れないように一軒の家の呼び鈴を鳴らす。ふとアクア・チェスの一件を思い出す。全然関係無い人の家じゃないだろうな。しばらく待ってドアが開く。だいぶ後退した白髪の老人が出てきた。どうせ「どちら様?」とか言われて……
「……鷲也?」
出てきた老人が目を丸くして固まる。口が半開きになったかと思うとくしゃっと顔が歪む。
「ただいま」
すごいはやさでおじいさんが冬人さんを抱きしめた。力一杯抱きしめられ冬人さんが「きゃー」と間の抜けた悲鳴をあげる。
「……や、しゅうや、よく生きて」
「……今まで戻らなくてごめん。誰が敵かもうわからなくて」
ぼろぼろ涙を流し、何か言おうとするがしゃくりあげてなかなか言葉が出ない。ぬぐってもぬぐっても涙が出続け白衣の袖がびしょびしょになっていく。確かめるように腰から脇、背、肩と手をあてていく。腰から背をもう一度なで、またぎゅうと抱きしめた。冬人さんもそっと抱きしめ返す。
「大きゅう、なったな」
「うん。あれからすごい伸びた」
「無事でよかった」
「鷹先生も元気そうでよかった」
「あとずいぶん痩せた」
「うるさい」
案内されて中に入る。広めの玄関でスリッパに履き替えて奥へ進む。廊下はリノリウム張りだし長椅子も置いてあった。診療所、なんだろうか。
「患者さん今も来るの」
「あの頃の人はもう誰も居らん。今は近所の人で週に二、三人ってとこじゃな」
診察室は学校の保健室みたいな感じだった。デスクと丸椅子、あとはカーテンで仕切りのできるベッド。ベッド横に点滴台やベッド用机があるのは病院っぽいが部屋の隅に体重計や身長計が置いてある。
「さてと……」
お医者さん(鷹先生だっけ)が金属の大型冷蔵庫から大きめの袋を取り出した。管をとりつけて針を準備する。
「え。それやるの」
「当たり前だ。上手に歩いとるがフラフラじゃろ」
「これ〈力〉使いすぎただけだから平気……大丈夫だから!」
「いいから腕出しんさい」
「やだ、痛いからやだー」
「大怪我しても平気で歩き回る奴が何言うとるか」
強引に腕を引っ張られてぶっすり刺されていた。そのまま包帯とテープでぐるぐる巻きに固定し袋を点滴台に吊り下げる。特別な薬品とかではなく栄養剤のようだ。冬人さんはふてくされてベッドに寝転がり背を向けてしまった。やだっていったのにーとかなんとかぶつくさ言ってると思ったらすぐに寝息に変わる。元気そうだったけど疲れてたんだろうな。もうつついても起きない。
お茶を一杯いただいてまったりしてから龐棐さんの肩の診察にうつる。包帯とガーゼを取ったその下は赤黒く腫れてじゅくじゅくしていて、見るからに痛そうだった。丁寧に膿をとって消毒し傷を診る。結構深い。
「これは肩こう上げた状態でこうガチガチに固めりゃあ一週間ぐらいでだいぶ動くようになる。あとは無理な力をかけんかったら一ヶ月ぐらいで元どおりになるじゃろ。心配せんでええよ」
「それはよかった。……しかし先生、この腕は今動かないと困る。なんとかなりませんか」
鷹先生は「言うと思った」とばかりにため息をついた。とりあえず悪化させないための応急処置ということでさっき言った通りに龐棐さんの肩を引き上げて腕をテープで体に固定した。そして参考資料を探してくると言い置いて診察室を出て行った。
「参考資料?」
「鷹先生たぶん肩の構造はよく知らないんだと思うよ。今調べに行ったの。知らなきゃ直せないんだと思う」
明日香の補足に納得。そうか、明日香も栄蓮も知ってるものしか作れないなそういえば。ということは先生は身体組織を作れる〈力〉、なんだろうか。……ん。明日香どうした。中にご本人がいるとはいえ勝手に他人様の書庫に入るのは良くないと思うぞ。おーい。……入って行ってしまった。
「んん……」
曹がもぞりと身動きして、急いで喜邨君がそばについた。寝ぼけながら喜邨君におはようと挨拶したあと「しじまは?」と虚空に目を彷徨わせる。何を見つけたのか何もないところにおはようと声をかけ、先に言いたまえとなんだか偉そうに喋り始める。時々けたたましく笑い声をあげたりしている。わりとマシな方なのでうるさいけど放っておこう……と思った矢先に突然怒り出し壁を殴り始めたので押さえつけた。数発殴っただけなのに指の皮がむけている。喜邨君の力でおさえているのに唸り声をあげて動こうとする。見開いた目の焦点があっておらずあっちへ向いたりこっちへ向いたり落ち着きがない。口からよだれが溢れ意味のわからない言葉を叫ぶ。栄蓮が怯えて縁利にしがみつく。縁利は栄蓮を抱えたままずりずりと距離をとり、部屋の隅に納まった。曹は手足の拘束を解けないとわかるとぎゃあぎゃあわめきだし、後頭部を床にぶつけはじめた。慌てて今日破が頭と肩を押さえに行く。
「栄蓮、鎮静剤……」
「だめ、まだ時間たってない」
「修徒と公正、腕手伝ってくれねーか。こいつなんかおかしい。力強い」
喜邨君がおさえていた右腕をつかんで、いきなり吹っ飛ばされるかと思った。腕にしがみついて耐える。公正とタイミングを合わせて力づくで手を床につけ、ほぼ全体重をかける。それでも腕があがりかけ、ピンとのびた曹の肘がみちみちと音をたてた。
「修徒。違う。こう」
昨日子が割り込んで曹の二の腕を押さえた。離していいと言われて手を離すと肘からさきはバタバタするものの体は浮かなくなった。公正が真似をしてほぼ固定に成功する。身動きできなくなった曹はひたすらわめいて叫んで泣いた。声が頭にひびいてがんがんする。手ががくがくしてきた昨日子と交代し、全力でおさえつける。
「この馬鹿力さ、リミッターがはずれてんじゃねえか?」
「早く落ち着かせないと怪我しそう」
バタンと書庫の戸が開き鷹先生が戻ってきた。押さえつけられてわめいている曹とおさつけている僕らを見比べ、近づいてくる。
「その子の名前は?」
「ツカサです。一番仲よかった氏縞って子が、この前その……亡くなって」
今日破と交代して頭をおさえ、呼びかける。あいたもう片方の手でとんとんとんと規則的に胸をたたく。しばらくたたいているとだんだん落ち着いてきた。焦点はまるで合ってないが目があちこち向かなくなった。荒い息もだんだんおさまってくる。むせて咳をするので昨日子が水を持ってきた。恐る恐る腕を抑えていた力を緩め、でも肩はしっかり掴んだまま起こして口にコップを当てる。ごくりと喉が動いた。ぎょろっと目がうごいて先生を見上げる。
「はい。おはよう」
「だれ……」
「鷹だ。私は医者で、ここは私の医院だ」
「おいしゃさん」
「いっぱい暴れてあちゃこちゃ痛めたじゃろ。どこが痛いかな」
おいしゃさん、と口にはしたものの理解しているか怪しかった。何回かその言葉を口の中で繰り返してぼんやりしている。鷹先生はそっと腕をとり二の腕をもんだりし始めた。
「おいしゃさ。……あ、ねえしじまは」
「氏縞君は今他の部屋で治療中」
「あわせて」
「だーめ。今寝てるから。休ませてあげなさい」
「はーい」
鷹先生の許可が出て喜邨君も脚を離す。完全フリーになったのに暴れ出さない。先生すごい。鷹先生は曹の腕だけでなく足や背中も触ってほぐしていった。肩はあまりにがちがちに固まっていたので昨日子が呼ばれてもみほぐした。曹はだんだんうとうとし始め、マッサージが終わるころには舟を漕いでいた。床に敷いた布団の上に置き寝かせる。みんなでほっと胸をなでおろした。
「先生、彼はどうすれば」
「精神方面は専門外じゃけえなあ。私には落ち着かせるくらいしかできん。本人がどうにかして乗り越えんことにはな。肩出して」
バチッと閃光が散り龐棐さんが顔をしかめた。〈力〉?
「どうかな。動かしてみ」
そっと腕を持ち上げ、頭の上に持ってくる。スムーズだ。
「問題ありません。ありがとうございます。しかし……」
龐棐さんの首もとに近い肩の傷はそのままだった。どこをどう直したんだろう。
「そこの傷は筋肉まで行ってない。深いけどねえ。肩が上がらなかったのはこっちの腱が切れたからじゃ。痛むとこ同じじゃけ見落とすところだったわ」
傷にガーゼを貼り、包帯を巻く。
「それを調べていたんですな。これは〈力〉で?」
「〈再生〉じゃ。特に生物の傷口に似たような組織を作って傷を塞ぐようなことが得意でね」
「医者にぴったりの〈力〉ですな」
「これを活かしたくて医者になったんじゃけえ当然じゃ」
からから笑って龐棐さんをデスク前から追い払う。代わりに喜邨君が呼ばれた。食事や運動について注意されまくっていた。部屋の隅で昨日子が縁利と栄蓮の身長を計り、今日破は薬品棚を眺めていた。明日香はまだ書庫から帰ってこない。公正は……あれ、公正がいない。
思いつきで廊下をのぞいたらそこにいた。長椅子の端に座ってうなだれている。手錠ははずしていない。ドアを閉めて隣に座る。
「一人にしてくれ」
「駄目だろ、手錠はずすかもしれない」
「はずさないさ。信用ないのな」
「自業自得だ」
はは、と乾いた笑い声をあげる。疲れたように顔をそむけた。公正もなんかおかしい。大丈夫か。
「俺……さ。何やってんのかな」
ぼそりとつぶやく。診察室の方で栄蓮のはしゃいだ歓声があがり、今日破の笑い声が続く。少し考えてから床と壁から立体を生やして手前にもう一つ壁を作った。便利だよなそれ、と無表情に言われる。便利、確かにそうだ。けどただ便利なだけだ。
「曹、あれ戻んないんだろ」
「……まだわからない。先生のおかげで今回落ち着けたから、少しずつ落ち着いて大丈夫になる……と思いたいけど」
「どのくらいかかる」
「わかんないよ。一週間くらいかもしれないし何年もかかるかもしれない」
唇をかむ。あちら側に戻れてもあの状態なら曹は学校に戻れない。みんなで教室で勉強したり放課後に部活したり遊んだり、その日常に曹はもう戻れない。
「あの作戦に参加したのはさ、氏縞や曹や……喜邨が帰る助けになると思ったからでもあるんだ。あそこにはアンドロイドがたくさんいた。あの時はどのアンドロイドがあちらに渡れる〈力〉を装備してるのかわかってなくて、まとめて処理してしまえば手間が省けると思ってさ。バックシティーには居るだろうしそれでいいと思ってさ。けど……実際どうだよ。俺のせいで氏縞は死んで、曹は壊れてさ。あそこにその〈力〉のアンドロイドはいなかったようなことも言われるし」
「……なんでその〈力〉持ってたら処分しなきゃいけないんだ」
「そいつに喜邨たちを送らせたとしてさ、その後何もしないと思うか? そいつも向こうに行ったり向こうから人をさらってきたり、やりかねないだろ。向こうとこっちは分けないといけない」
座り直す。公正は目を覆ってため息をついた。ああしたのには他にも理由がある、それだけじゃない、と言ってからしばらく黙る。お前は、覚えてないんだよなとまた言われる。
「……鴒華に望まれていた役割を、俺が担いたかった」
「えっと確か」
「妹だ。六年前の事件で死んだ。液体を触って運べる塊にする〈固化〉の〈力〉だった。あの方に見込まれた〈力〉さ。あの方はレフトの水を固化して運ぶことを考えていたんだ」
この世界に浮かぶスカイ・アマング、ライト、レフト、フロント、バックシティーのうち、レフトシティーは水を引きつける性質が異常に強いらしい。どこで蒸発した水分でも一部はレフトシティーに行ってしまう。水を引きつける性質を備えているスカイ・アマングとフロントシティーはまだ良いがライトは皆無、バックシティーは弱いのでほとんどレフトシティーに吸い上げられているという。そこで水の提供と運搬の協力を求めていたが断られ続けたびたび戦争が起きていた。最後の戦争は八年前で、その二年後にバックシティーが崩壊している。
公正は水を引きつけるレフトシティーを壊すことで、ライトやバックシティーにも水が行くようにしたかったのだ。今朝の濃霧を思い出す。あれは、もしかして。
「あとはやっぱり自分の〈力〉はちゃんと役に立つって証明したかった。建物探すなら地図見るなりたずね歩くなりすればいいし、物を探すなんて〈力〉を使わなきゃならないほど苦労することはそんなにない。人によるけどな。わざわざ使わなきゃ使わないのさ、この〈力〉は。そのくらいいらないものなんだ。だから」
「……そんなの、僕だって」
「お前の〈力〉は直近だと砂漠で必要だっただろ。あの時柱の足場が無かったら全員無事では済まなかった。俺のはどうさ。ここに来るまで、俺の〈力〉があれば便利なところを案内いらずであっさり着いちまった」
また笑う。横顔は笑ってないのに声だけ笑う。公正、と呼ぶと笑いをおさめてため息をつく。
「みんなのためになる、鴒華に望まれていたことを俺がやる、それで自分の〈力〉が役に立つ証明にする、そのつもりでさ。そのつもりだったのにさ。なんだこれ。なんなんだろうなこれ……」
壁に背中をあずけてうつむく。ぼんやりとどこを見ているのかわからない。名前を呼んでももう「一人にしてくれ」しか言わない。
「シュウ? ちょっとこれ何?」
作った壁の向こうから声がきこえて、ぱっと〈力〉を解除する。
「ごめん。ちょっと話し込んでて」
「お昼ご飯にしよう。サンドイッチだけど」
「了解」
もう一度公正を呼んでみたが返事は「一人にしてくれ」だった。こちらの話を聞いていた様子もなくぼんやりと宙を見つめて動かない。
「……後で公正の分持ってくるから、必ず食べろよ。明日戦力にならなかったら困るからな。少なくとも公正のロープとロープ刃には助けられてるんだから」
帰ってきたのはやはり「一人にしてくれ」の一言だった。
昼食後は縁利と栄蓮が診察をうけていた。どちらも歳の割に背が低いが栄養状態は良好。これからものすごく伸びるはずだと太鼓判を押されて大喜びしていた。
「見てろ龐棐。てめえの身長軽々抜いてやるからな!」
話をきいていなかった龐棐さんは宣戦布告を「そうか」の一言で片付けてしまい頭をはたかれていた。
「廊下で公正と何話してたの?」
「公正、役に立ちたかったんだってさ。全部空回りしてこうなって、後悔して。今は休んでる。一人にしてほしいって」
「……そう。……あんなことしなくても公正にはすごく助けられてきたんだけどな……」
そうか。向こうで、誰にも理解されなくて困っていた明日香に声をかけたのは公正だったっけ。流刑地に知り合いがいて、そのつてで色々手をまわしてくれたのも公正だ。あとで、もうちょっと話をしよう。
診察室の掃除を手伝い、棚の薬品の整理をした後これまでのことを鷹先生にかいつまんで話した。こちら側に来たのはもうずいぶん前だ。地震でできた地割れに落ちて、岩から抜け出たら知らない世界で、そこからスカイ・アマング、レフトシティー、フロント、ライト、そしてバックシティーに来た。ここまで来て帰れる見込みはほとんどなかった。バックシティーにアニアというアンドロイドの製造を指示していた人がいて、おそらくそのアンドロイドがつかった機能であの地割れが起きて僕らがこちらに落ちたから、もう一度その機能で地割れを作って戻るためにアンドロイドを貸し出してもらう……というのが一番有力。でもまずその機能を持ったアンドロイドが全部処分されて残っていない可能性が高いし、居たとしても貸し出してもらえるとは……ちょっと思えない。レフトシティーの爆破を指示した本人だと思うと僕も冷静に交渉できるとは思えないし……。
冬人さんがようやく起きたので残しておいたサンドイッチを渡す。もりもり食べて「おかわりー」とのたまい、サンドイッチは残っていなかったのでナッツバーを差し出すと全力で断られた。そんなに嫌か。こんなんでも食べてほしいんだけど。
「明日、あの方の所に行くんじゃったな」
「はい。……あの。鷹先生はアニアっていう人とは」
「昔は医療班として関わっとったんじゃけど六年前のあの事件以来音沙汰ないね。あ、いや一度だけアンドロイドが訪ねてきたか。事件の後……三日後ぐらいかねえ。実験体の生死だけ聞きにきて、それきり。〈音〉での連絡すらない」
ならたぶん、大丈夫だ。アニアと裏でつながってはいないようだし……。
「告げ口なんかせんよ。メリットがないじゃろ」
見透かされて平謝りした。何もきかずに診察してもらってお昼までいただいておいて疑うなんて失礼にもほどがあったな。
「アニアってどういう人なんですか。バックシティーの実質的な支配者で、六年前の事件まではアンドロイドの研究に特に力を入れていたとは聞いてるんですけど」
「僕らの父親だよー」
「へえそうなんで…………はあ?」
にこにこと何を言い出すんだこの人は。あきれて力が抜けた。明日香も昨日子も目が細くなっている。全然信じてもらえてないぞ、冬人さん。
「修徒君じゃったかな。鷲也は嘘ついとらんよ。あの方はそいつの父親じゃ」
「え」
鷲也というのは冬人さんの本名らしい。偽名だったのか……っていうか春夏秋冬でそろった名前で案内人やってた時点で本名じゃないだろ。気づけよ。じゃなくて、ええと。
「ってことは、冬人さんはお父さんの指示できつい訓練させられてたんですか」
「あの人親子とか気にしないからねー。むしろ許可のいらない実験体だと思ってたんじゃないかなー」
アニアはバックシティーで代々幅広く工業を営む資産家の当主で、アニアの代になってから地殻キャンセラーの〈力〉制御キャンセラーへの加工、安全利用、〈力〉を使うアンドロイドの開発など〈力〉に関わる分野が特に発展していたという。いや、もっと前の代から〈力〉関係の研究はされていた。日照装置や航空機など機械の実用化が優先されて、アニアの代でようやく最優先で進められるようになったという方が正しい。ライトシティーを代理してレフトシティーに水の提供を要請し、叶えられず戦争に発展し軍事投入のためさらにアンドロイドや航空機兵器その他もろもろの開発が進み、結局戦争には敗北しその二年後にバックシティーで例の事件が起きて以後消息不明。『あのお方』からの指示が回っていたりするし生きてはいるのだろうけど。
「どんな人って言われるとなー。難しいなー。……どんな、人、か」
〈力〉制御用の安全なキャンセラーの開発、水問題への取り組み。戦争前提の開発以外は案外まともな気がする。今も「あのお方」とか呼んでる人もいて、結構慕われてるんだろうか。
「A型を作っていた頃はあんまりよく思われとらんかったな。故障するわ暴走するわで役に立たんし被害も出た。アンドロイド計画はやめてしまえという声もあったんじゃ。じゃけどH型に切り替えてからはそれもなくなった。兵士の半分近くをH型のアンドロイドに切り替えた、これが大きかった」
「全部アンドロイドに変えられたわけではないけど、戦争に人が行かなくても良いようにしたってこと? でもH型って」
そう、と鷹先生がうなずく。H型は人間を加工してアンドロイドにしている。それは結局人が行ってるしそもそも人間を加工するということ自体が人道的じゃない。
「確かに人間ベースではあるんじゃけど。彼ら死なんし傷を負ってもすぐ治るじゃろ。じゃけえ連続で何度も戦地に出られるんじゃ。結果的に戦争で犠牲になる兵士は減る」
なるほど。アンドロイドにされる人はいるけど大多数の人は恩恵をうけて平和に暮らせるんだ。……あれ?
「レフトとの戦争は何で負けたんですか。確かアンドロイドがたくさん参加したって聞いたんですけど」
「そのアンドロイドが、レフトでの戦闘中に大半が離反した」
「それ聞いたな。アンドロイドの管理フォルダが攻撃されて、管理をはずれたアンドロイドが次々に戦線を離れたって」
「管理フォルダ?」
「アンドロイドは兵器というか備品だからね。研究所で管理……生死の確認や直接の指示ができるようにしてあったんだ」
研究所の記録装置にあった管理フォルダから、その時戦地にいたかいないかに関わらずかなりの数のアンドロイドが削除されたらしい。管理といってもアンドロイドを製造する時に元は〈音〉を使うのに使っていた回路を利用して記憶装置に接続し直接の指示が通るようにしてあるだけのもの。しかし直接の指示で強制的にアンドロイドの腕にある装置を操作させることができた。自殺ボタンを押させることもできた。このフォルダから消されるということは、指示を守らなくても殺されなくなるということだ。多くのアンドロイドが隊を離れた。戦線は崩壊し、戦闘を続けていた残りのアンドロイドや兵士には撤退命令が出たが遅かった。バックシティー軍の損失は大きく、その戦争を最後にバックシティーからの派兵はなくなった。
「でも水は必要だしまた軍備を整えてはいたんだよ。二年後に事件が無ければまた戦争してたかもしれない」
この戦闘に冬人さんも参加していて大怪我を負った。治療のためベッドに寝かされ退屈だったのでクリスを呼びつけてこのあたりの話をきいたらしい。
「……そういえば戦争負けた後に演説があったな。アニアの」
思い出したようつぶやいて、鷹先生が「お前行ったんか。治療中じゃったんじゃないか」と驚く。冬人さんはぺろっと舌を出した。こっそり抜け出して遊びに出てたな。
「『空というものがある。皆の中にはおとぎ話として聞いた物もいるはずだ。あれは実在する。空があれば屈辱に耐え頭を下げなくとも、信念を曲げ他国を襲わなくとも水が手に入る。勝手に空から与えられる。だが空を手に入れるのは困難だ。我々は準備を進めているが後数年はかかるだろう。それまでの水が、今をしのぐための水が必要なのだ。今回も多くの死者と離脱者が出た。だが耐えてくれ。皆の努力は、あがきは、必ずこの先につながる』」
誰かの声真似のように朗々と唱えあげたのでびっくりした。え、冬人さんそんな長文覚えられたんだ。あれ?
「なんか聞けば聞くほど国のためを思って動く真面目な最高権力者さんって感じね」
「向こうに帰るためにアンドロイドを貸してくださいっていったら案外話きいてくれるかも」
「ごめ。それは期待しないで」
利用できるものは使い潰すまで使わないと気が済まない人なんだ、と言って冬人さんはなんだかいつもと違う感じで笑った。
夕食後、交代でシャワーを浴びた後ベッドで寝るか床で寝るかで揉めた。シャワーは譲り合いであっさり決まったのになぜ寝る場所だと揉めるのか。みんな僕にベッドをゆずってくれればいいのに。
「シャワーなら少しの間の辛抱だ。しかし寝る場所は一晩だ。この違いは大きい」
「龐棐がベッドで寝たら独り占めじゃねえか。俺と栄蓮なら二人で寝れるぞ」
「え、縁利と一緒いや」
「えっ」
ちなみに使えるベッドは二つ。冬人さんはまた栄養剤の点滴を打たれて別のベッドで寝ているし、曹は夜に起き出して暴れたらいけないので鷹先生の部屋。ということで九人で争奪戦である。あれ、公正棄権か。じゃあ八人だ。
「公平に腕相撲で決めよーぜ」
「喜邨君ずるうい。公平じゃなーい」
こらこら参加しようとするんじゃない昨日子。弟たちに腕相撲で勝つつもりか。おとなげないにもほどがあるぞ。
「公平ゆうたらサイコロで……」
どこからサイコロ出したんだ今日破。あとイカサマする気まんまんだろ、何で三つも四つも隠し持ってるんだよ。使っても二つだろ。
「変わったことしないでじゃんけんで決めよう」
「それはあかん」「じゃんけん、ダメ」「シュウ強いもん」「それこそ不公平じゃねえか」
なんか満場一致で拒否られた。え、なんでだよ。僕ズルしてないしじゃんけんの勝ち負けは完全に運だろ。なんで? 本当になんで?
「じゃあこうしよう。じゃんけんだけじゃシュウが勝っちゃうからあっち向いてほいしよう。勝ち数が一番目の二番目に多い人がベッド決定!」
「賛成」「OK!」「了解」
いやだからなんで?
結局僕はじゃんけんに勝ちまくり、たっぷり時間をかけた末にじゃんけんに負けた一回であっち向いてほいであっち向いてしまい負けるパターンを繰り返してあえなく敗退、ベッド権は喜邨君と昨日子が勝ち取った。くそう、明日香が余計なこと言わなければ僕はベッドで寝れたのに。ふと廊下に目をやると長椅子の上で公正が寝息をたてていた。ず、ずるい……。
昨日子は栄蓮と縁利にベッドを譲り床に寝そべり、さっき嫌だと言っていたはずの栄蓮は大喜びで毛布を独り占めして縁利に怒られていた。喜邨君が「床以外で寝るの久しぶり」とか言うので代わってほしいとも言えない。仕方なく僕もリュックを枕に横になった。
「電気どこ?」
「体重計の近く」
「あったこれや。切るでー」
「はーい」
パチッと音がして部屋が暗くなる。今日破の足音が止まり、寝そべる音。まぶたが下りる。
明日、アニアのところへ行く。明日こそ、帰る方法が見つかりますように。