頭が重い。眠気に抗い目をこじ開けると埃まみれのリノリウムの床が見えた。手首に金属の感触。締め付けるようなサイズじゃないのに痛む。だんだん暗さに目が慣れてきた。ああこれ手錠だ。公正がつけてたやつ。顔をあげるとベッドが二つ。窓にはビリビリに裂かれたカーテンが下がっていた。診療所……?
「おう。目が覚めたか」
部屋の反対側から声がした。パチッと音がして部屋が明るくなる。まぶしい。
「……公正」
びくりと人影が反応し、少し間があってから詰めた息をゆっくり吐いた。にらみつけるというより怯えるような目がこちらを刺す。警戒されている。これ、と手錠を見せるとああ、と応えながら僕から少しでも距離をとるように立ち上がった。
「悪いな。効かないのはわかってんだけどさ。おまじないというか。気絶して止まってくれたのは助かったけど」
「いや、いいよ」
……暴走したのか。また。
地面から次々に突き出す柱を思い出す。あの時も、そうだった。切れた瞬間に〈力〉が足下から吹き出してそのまま止まらず、見るもの触れるもの何からでも直方体が生えてもとの物体を破壊していった。僕自身も止めようなんてかけらも思わずむしろどんどん突き上げて全部壊してしまおうと思っていた気がする。あふれる〈力〉を全部ぶちまけて、何もなくなってしまえばいいって。知らず知らずまた床に〈力〉を込めようとしていて手を離す。しばらくは手錠を持っていた方がいいかもしれない……いや、僕の〈力〉には効かないんだっけ。
「体は平気か? すごくだるかったりとか」
ない、と首を振る。あれだけ〈力〉を使った後なのになんともない。もしかして長いこと寝てたんだろうか。
「いや。数時間だけだ。立てるな」
「あの……にい、冬人、さんは」
「生きてる。まだ、な。応急処置終わって診察室で寝てる。……大丈夫か?」
うなずく。大丈夫。もう暴走させない。手錠をぎゅっと握りこむ。耳鳴りがしたので少し手をゆるめた。大丈夫……。
診察室にはみんな集まっていた。右手に包帯をした明日香、泣きじゃくる栄蓮をなだめる縁利、暗い顔でうつむく昨日子、喜邨君、今日破。曹は部屋の端で何かに怯えていて龐棐さんは疲れたように壁にもたれていた。
冬人さんはベッドに仰向けに寝かされていた。足を曲げ、上半身を微妙に起こした体勢で腕に点滴がつながっている。昨日見たのと違う赤いのと透明なやつ。他にも手やシャツのすきまにコードが繋がっていてベッド脇の機械が何か表示していた。服は着替えたらしく汚れていなかったがベッドや床には血が飛び散って場所によっては滑るほどになっていた。これ……全部冬人さんの……。
鼻の前に手をかざす。息は……してる。ペースが速くて浅いしすごく苦しそうだけど。助かったん
「修徒。よく聞け。冬人はもうもたない」
「え」
「内臓がぐちゃぐちゃでどうしようもなくてな。出血量も多い。応急処置はしたがもってあと数時間といったところだ。……こいつのことだから半日もつかもしれんが」
息をのむ。そうだ。さっき思い出したのが本当にあったことなら、兄さんと呼んでいたあの赤茶色の髪の少年が冬人さんであってるなら、あの日冬人さんはアニアに〈力〉で腹をえぐられて死んでいるはずで。じゃない死んでない。死んでなかったのは、──〈再生〉。
「っ、先生は、鷹先生はどこにいるんですか。鷹先生なら直せるはずじゃ……」
「せんせ。うた、れた。ぐひひっ、うたうたうたうたうたれた。いいんちょがじゅじゅうでいぃひっぐ」
「曹が言うには委員長たちがここに来て、鷹先生を銃で撃ったらしいの。……シュウ。もうわかるよね。〈力〉の効果や〈力〉で作ったモノは」
「〈力〉を使った本人が死ぬと解除され……る……」
頭が真っ白になった。 震える手で冬人さんのシャツをめくる。細い腹部の真ん中、みぞおちから下腹部まで一直線に生々しい縫い目ができていた。あちこち小さな古傷はあるがへそあたりから脇腹にかけて特に目立つじぐざぐした傷跡があった。ああここだ。あの時ここから中身が……思い出した途端気分が悪くなりシャツを下ろした。
あの後冬人さんは先生に〈再生〉を施されて生き延びて、でも〈再生〉したところを自分の組織に置き換えていなかったのだ。だから……
鷹先生、今朝いってらっしゃいって、必ず戻ってきなさいって、そんな会話をしたのに。信じたくなかったけど部屋の隅に横たえられた遺体が視界に入ってしまった。手を組んで仰向けで動かず、無表情の額にそこそこ大きい穴が開いている。疑いようがなかった。
「シュウ。こっち来て」
明日香が呼ぶ。明日香の右手の包帯と記憶が今さら結びついて足が出なかった。飛び散る血と悲鳴。皮を突き破って伸びた白い棒。あれは。
「来て」
おそるおそる近寄る。ベッドに腰掛けた明日香はうつむいていて表情が見えない。無言のまま少し離れて立ち止まる。明日香がまだ何も言わないのでもう少しだけ、半歩だけ近寄る。
「もっと近くに」
「で、でもその怪我、僕が」
「〈力〉使いすぎて疲れてるのっ。もっと近くに来て」
踏み出すなりシャツの裾を引っ張られて引き寄せられた。つんのめってこけそうになりあわてて踏みとどまる。ぎゅうっと腰がしまる感覚。……明日香に抱きしめられていた。
「あ、明日香?」
ひくっと肩が動く。明日香は僕の腰を抱きしめたままぐすぐす鼻をすすったかと思うと急に声をあげて泣き出した。「ちょ、明日香」あわてて離そうとするも結構強い力でつかまれていて離れない。
「……明日香、僕は」
「戻ってきた、戻ってきてくれた。それだけでいい、それだけでいいの」
ぎゅうう、とさらに強く抱きしめられる。指が食い込んでちょっと痛い。
「その手の傷は僕の〈力〉でそうなったはずだ。怖くないのか」
「怖いよ。怖くないわけないよ。だって全然別の人みたいになっちゃうんだもん。……だけど冬人さんがどんどん弱っていくのを見ててすごく怖くて、誰かに頼りたくなった時、誰かに助けてほしかった時、シュウがいないのが、あの状態のシュウでも隣にいないのがもっと怖かった。怖かったんだよ」
明日香が顔をあげる。涙でぐちゃぐちゃで、頰やまぶたは腫れてるし髪が顔にはりついてひどい顔になっていた。見上げてくる目と目が合う。
「……おかえり、シュウ。もうどこにもいかないで。そばにいて」
はりついた髪を左右によけて頭を撫でる。また顔がくしゃっとなって涙がぼろぼろこぼれる。泣かないでって……。腰に巻きつけた手がゆるんだ隙を狙ってしゃがみ、明日香の肩に手を伸ばす。抱きしめた。
「……どこにも行かないのは無理だけど。そばにいる。できるだけ、そばにいる」
明日香の手が背中にまわる。明日香は僕の肩に顔を押し付けてまた泣き出し、そのままなかなか泣き止まなかった。