チチチチチチ……
鳥の鳴き声で目が覚めた。手元の時計はまだ五時だが外はもううっすら明るい。そのまま時計を隣に寝てるやつの耳元に置いて布団を出る。
玄関の郵便受けに刺さっていた新聞を抜き取り広げ、購読者投稿欄「ゆうひ」を探す。また同じ話題でクラスメイトが賞をとっている。ネタの尽きたところで僕らが帰ってきたからそれが書かれるのは予想の範囲だけど。ここの記事がきっかけでいろいろ援助もらえたからすごく助かったけど。僕らのこと使って小遣い稼ぎされてるようでちょっと複雑だ。公正も読むだろうし椅子に新聞を投げておく。
今日の朝食担当は僕じゃないんだけど……起きるまで待ってるのもな。明日代わってもらおう、とエプロンをつけて冷蔵庫を開ける。あー、卵買ってこないともう無いな。
フライパンを火にかけ油を敷き、卵を割り入れる。混入した殻を箸で取り除き大さじで水を一杯放り込んで蓋をする。じゃーっと激しく油がはねる音を聞きながらまた冷蔵庫を開ける。どっちがレタスだったけなあ。
「あー! 勝手に作んなよ、今日卵焼きの予定だったんだぞ!」
やっと起きた公正が台所に来た。寝癖でアホ毛が三本に増えている。
「早く起きないのが悪い」
「目覚ましより早く起きるとか反則だろ。ていうか耳元に置いていくな鼓膜破れるかと思ったぞ」
コンロの上に置きっぱなしになっていた鍋からお茶パックを取り出し火をつける。昨日の夜からだしをとっておいたらしい。ということは味噌汁か。
「ごめん目玉焼き……もう焼いてる」
「いいって。旅館の朝食もだいたい味噌汁に目玉焼きがセットだしおかしくないさ」
焦げてると指摘されてあわてて止める。固茹でには程遠いカチカチの黄身になってしまった。皿に移してフライパンを洗う。
「あれ豆腐無いな。これでいいか」
冷蔵庫をのぞいていた公正が何か取り出す。ぱぱっと包丁で切り分けて……ってちょっと待て何入れてんだお前。
「味噌汁にチーズ入れんな絶対まずいだろっ」
「白っぽいし豆腐と同じ発酵食品だしさ、問題ないだろ」
「いや問題しかないけど!?」
手持ち無沙汰に目玉焼きに塩をかけようとしたのか粉砂糖を手にとったので腕をつかんで止める。同じ白い粉だからいいとか言うなかけるのはお前の分だけにしてくれ。
「公正まだ寝ぼけてるだろ……。顔洗ってこいよ」
「ばっちり覚めてるわお前の目覚まし爆弾のせいでな」
「いーや寝ぼけてる。いいから洗ってこいって」
まあ顔に書いてあるしな。
数秒後。洗面所から「ねぼけだいまじん」公正の怒声が響いた。
「シュウー! 遅いよー!」
坂の上で明日香が手をふっている。袖のない黄色いワンピース。かわいいなあ……じゃなくて。ええと。今日破たちの姿も見えた。手を振り返して坂を駆け上がる。
「ごめんごめん、公正が身支度時間かかって」
「お前のせいだろ。まじありえねえ顔に油性マジックで落書きとかまじありえねえ」
「起きるの遅いから」
「お前が早すぎだって言ってるだろうが」
他のメンバーは全員そろっていた。僕らドベじゃないか。顔面に「まじん」の文字が薄っすら残る公正をにらむ。にらみかえされた。はいはい僕が落書きしてなけりゃもっと早く出られましたよ。
今日破はまだ義足に慣れきれていなくて松葉杖をついていた。今は就職して、製造業らしいが事務仕事をしているらしい。昨日子はアルバイトをしながら日本語学校に通い文字を習っている。後ろで大きいポニーテールにしていた髪がばっさり切られて肩までの長さになっていたので驚いた。学校で流行りの髪型なんだとか。憧れるけど癖っ毛だから同じ髪型ができないと明日香が口をとがらせていた。
「縁利身長伸びた?」
「ううん、全然。きいてくれよ、俺クラスで一番小せえの。体育の授業いっつも一番前で当てられやすいし移動の時も目印にされるし」
「それは背の低い者の宿命だ! 背を伸ばすしかないな! まあ我輩のぐんぐん伸びる身長には追いつかないだろうがな!」
「お前俺に追いついてないくせによく言うよな!」
「貴様この前の身体測定たった一ミリ多かったことまだ言ってるのか、おととい保健室ではかりあった時我輩の方が高かったことを忘れたか」
「昨日は俺のが高かっただろ」
「最新を計らねばならん背比べだ氏縞よ」
「望むところだ……ってお前ちょっと上行っててずるいぞ」
「言いながら先に登るな貴様頭が高い」
我先にと坂を駆け上っていく二人を見送る。うん、今日も元気だ。
「それでこちらはどちら様?」
栄蓮を肩車している男に目を向ける。だいぶというかかなりぽっちゃりしているが記憶にある人物とずいぶん姿が違うような。肩とかかなり筋肉ついてるし。
「わかっててきいてんじゃねーぞ修徒」
目が怖いけどちょっと嬉しそうな喜邨君。何度もリバウンドしつつもだいぶ体重が落ちてきて、最近ボディービルダーに憧れてさらに熱が入っているらしい。両腕を広げて胸筋を見せつけつ力こぶを見せるポーズ。肩の上で栄蓮がきゃあきゃあ声をあげて喜ぶ。
「栄蓮、お前のクラスのやつらはそろそろ肩車してもらえなくなるけど心配すんな。俺が鍛えていくつになっても肩車してやるから。縁利もな」
「おっ……俺はいいって! いいから! まじで!」
「縁利顔真っ赤ー。恥ずかしがらなくてもいいのにね?」
明日香が僕の服を引っ張る。集団から少し離れた位置までずらされて、
「よし! 坂の上まで競争ね!」
言うなりだっと駆け出した。待って何いきなり。
さすがに負けられないので僕も駆け出す。僕が追ってくるのを見て、明日香がスピードアップする。
あの日と同じ坂を、また駆け上がっている。
手を合わせ、うつむいて黙祷する。横で栄蓮が真似をして黙祷した。明日香からひまわりとコスモスと、あと何かわからない色んな花の混じった束を受け取り花瓶に挿す。
「お経は簡単に済ませよう。冬人はんやったら丁寧にやったとこで途中で飽きてどっか行くやろ」
今日破の一声で本当に短く、いくつもあるうちの一番短いお経をひとつだけ読んでおしまいにした。灰に突き立った二本の線香から煙が立ち上る。
「……冬人はん。みんな元気やで。仕事とかは……いろいろ大変やけど……まあなんとかやってる」
今日破がぽつりと墓石に話しかけた。毎日知らんもんにたくさん出会うんや、星って知ってるか? ここから見てるかもわからへんけど。空ってな、朝から晩までずっと青いわけじゃないねん。夜になるとあっちみたいに暗なって、けどめっちゃキラキラしたのがな……
気づけば今日破の頰を次から次へと涙がつたっていた。言葉は止まらずこの前出張でジャンボジェットに乗った話を始め、目を覆った。
今日破、と呼びかけ明日香がハンカチを差し出す。受け取ってしゃがみこみ、今日破はそのまま泣き続けた。だって絶対冬人はん喜ぶ思て、でもその顔見れへんのやって、ほんまにでっかいんや、見て欲しかった、見て欲しかったんや。
縁利がしゃくりあげる背中をぽんぽんとたたく。栄蓮が困ったように昨日子を見上げ、昨日子は何も言わずに栄蓮の頭を撫でた。「今日破は修徒の兄貴と仲が良かったんだ」喜邨君が説明して、栄蓮もうつむいた。
「あー今日破。ちょっといいか。この供え物を供えたくてだな」
「俺もだ。この渾身の傑作をだな」
「おい二人とも。なんだそれは」
「見てわからぬか公正! ……紙飛行機だ」
すちゃっと紙飛行機片手に決めポーズをする曹。それは見ればわかるけど。
「供えられるものって俺ら買えるほどまだお金貯まってないし、何か作って供えようと思って。折り鶴を考えたけど冬人さんは折り鶴じゃない気がして」
「そ・こ・で・この発想の天才曹様がだな。紙飛行機を供えることを提案したのだ!」
説明する氏縞の前に割り込んで無いめがねをスチャッとする曹。氏縞はむう、と睨むなりあごに手をあててキメ顔をして見せた。二人そろってこっちを見るな。
「珍しく良い案だから乗ってやろうと俺も作ってきた。ざっと50機ほど」
「ははははは! 氏縞貴様はあまいな! 見ろ俺は60機だ! しかも全部形が違う!」
「何をう! この氏縞様を舐めるなよ俺だって形も大きさもよりどりみどりだ!」
「そんなに墓に供えられるか! 墓が埋まるだろどれか一個にしろ!」
公正に怒鳴られて沈静化……と思いきや曹と氏縞の間で目線が火花をあげていた。のぞむところだ、と背負ってきたリュックの口をバッと開ける。中からざくざくと大量の紙飛行機があふれてくる。え、冗談じゃなくて本当に何十機も作ってきたのか。
「氏縞勝負だ! より遠くに飛ぶ機体を供えるぞ!」
「曹が作ったやつになんか負けねえぞ! それっ」
「よく言う! 我輩の方が手数は多いぞえいっ」
色んな形の紙飛行機が次々飛んでいく。途中でつんのめって落下する機体、スムーズに行ったと思ったら一回転して地面に突き刺さる機体、ぐいーっと右旋回してもどってきてしまう機体。いつの間にかみんな紙飛行機を目で追いかけてそれぞれ好きな方の応援をはじめていた。がんばれ、イカっぽい飛行機。曹の妙にほっそ長い飛行機に負けるな。うわでっか、翼広い。これは飛ぶんじゃ……、あ〜重すぎて落ちた。おお速い! 爆速で地面に突き刺さる! 曹の飛ぶなあ。敷地の端の方までいったぞ。
「あっ」
「あ」
すうっとうまく風をつかんだ一機がそのままふわーっと敷地を出ていく。坂の方へ。あわててみんなで追いかけたけど坂に出た時にはもう見えなくなっていた。
「……行っちゃった」
見下ろす景色があまりにきれいで、僕らは思わずその場に立ち尽くした。少し遠くまで広がるごちゃごちゃした市街地。その先に海。水平線を境にして空。日の光を反射して海面がきらきら光ってまぶしい。真っ白な橋が島をつないで見えないほど遠くまでのびているのも見えた。
「……冬人はんが乗っていったんかもしれんな」
今日破が言って、なるほど、とみんなで納得した。こんだけきれいな風景ならさっさと手頃な機体選んで近くまで見に行っちゃうだろう。「わーすごいすごいー! ちょっと見てくるー!」とか言って。
「今回は俺の勝ちだな曹」
「なら供えるのは我輩の機体だ。次は負けん」
墓地に戻り散らばった紙飛行機を回収しながら今度は紙飛行機のデザインのことで言い合いを始める曹と氏縞。あーもうわかったから片付けてくれ。一機一機説明するな頼むから。
今日破がちらっと目配せしてきた。にこにこしながらほいほいと手で追い払うような仕草をする。ありがと、と手をあげて応えて「行こ」と明日香の手を引っ張った。
「えっ? ちょっとシュウ、まだみんな残って」
「いいから来て。下まで競争!」
「ちょっと、ずるーい!」
「バス来ちゃうからはやくー」
ゴンドラが降りてくる。前の子供連れが乗り込むのを見送って、一歩前に進む。
ショッピングモールは空いていた。混んで長蛇の列のこともある大観覧車も今日は人が少なくて、もう次が僕らの番だ。さっきの親子からゴンドラをひとつあけて係員が手招きした。乗り込む。
「急になんなの。後でみんなここに来るじゃない。待ってたって……」
「みんなで来たら意味ないだろ」
「意味がないって何よ」
むう、とむくれながらさっき観覧車横の売店で買ったアイスをなめる。すごく物欲しげに見てたから買ったけど、栄蓮や縁利がいたら買わないぞそれ。
ゴンドラがゆっくり上がっていく。今日は天気がいい。うまくいけば海の方、もしかしたら本州の方も見えるかもしれない。
「あのさ明日香」
「あーーーーーー!」
「もがっ」
何かを察した明日香は突然声をあげて言いかけた僕の口に食べかけのアイスを突っ込んだ。待ってつめたい、っていうかこれ間接キスじゃないか何するんですか明日香さんんん!??
「待って、待って言わないで先に言わせて」
顔を真っ赤にして手をめちゃめちゃに振る明日香。視線をあちこちさまよわせて「高い」と縮こまり落ち着かなげにピンで留めた前髪をなでつけたりして……席に座り直した。指でイルカのキーホルダーをいじくりまわす。
「……何も言わなひならこれほうにはひへふへないかな」
「ご、ごめん」
アイスのコーンだけ回収される。アイスの方は僕が頑張って口に入れた。コーンの方は中身がないことにも気付かれず明日香にぽりぽりかじられている。
「……言っていい?」
「あっ待って、待って今言うからちょっと待ってまだまとまんない」
「乗車時間15分だけど。頂上着いちゃうよ」
「待ってってば」
「僕に言われましても」
えーといつから、えっどうしようどこがって言われても、ストレートに言っちゃっていいのかなこういうのとかなんとかごにょごにょ言いながら髪をいじる。かわいいなあ……。
「あのさ明日香」
「待っっっっって!」
「はい」
「だって私が先に言おうとしたもん! 好きになったのは私が先だから私に先に言わせてよ! あの時バンガローで言えなくて、言えないまま……」
言いながらみるみる真っ赤になっていく。予想はついてたけど僕も顔が熱くなる。
「ままま窓開けようか暑いから」
「やめて怖い!」
開けようとした僕の手をひっつかんで勢いのまま僕の方に乗り上げた。目の前に明日香の顔がある。近い。
「好き」
明日香がぼそっと言って、どちらかというと宿敵でもにらむような顔で僕を見つめた。
「……僕もだよ。僕は明日香が好き」
ぽろっと明日香の目から涙がこぼれたのでびっくりした。え、泣くの。嫌だった……とかじゃないよな大丈夫か? ハンカチハンカチ……腕を明日香につかまれてて出せない。
「よかった。私、好きな人に好かれて好きな人と一緒にいられるんだ」
「言っただろ。そばにいるって」
うん、とうなずいてぎゅっと一回抱きしめられた。
隣に座りなおす。並んで景色を眺める。
……ああ、空がきれいだ。