18日目:よそ者は災いを呼ぶ

「うわ、いきなり雨か」

「曹雨男だろ。お前のせい」

「雨男は貴様だ、我輩は太陽の化身なり!」

「晴れ男って意味なら雨男の勢力に負けてることになるんじゃ」

「断じて違う! ちょっと休んでいるだけだ!」

 二人の言い争いで目が覚めて、体を起こす。寝た時間が遅かったせいか少し頭がふらふらするが睡眠時間的には問題ないはずだ。しわになった服を適当に伸ばして洞窟の入り口へ向かう。外を見てあれ、と目を疑った。

 雨が降っていた。

 しとしとと懐かしいくらい久しぶりに思える音をたてて草木の葉と地面を水滴が跳ねていた。見上げても雲は無く真っ黒な空間があるだけだ。でも一歩外に出ると普通に服に染み込んでくる。本当に雨だ。

 起き出してきた公正も音に気づいてこっちに出てくる。驚いたように雨を眺め、不思議そうに頭を突き出して上を見上げ、目を細めて何かを探す。見つからなかったようで濡れた髪を整えながら頭をひっこめた。

「日照装置から散水でもしてんだろな。だから植物も育つんだろ」

「移木式どうなるんだろう。この雨じゃ中止かな」

「さあな。あれだけきっちり準備してたし、すぐ止んで、移木式には影響ないようになってるんだろ」

「わざわざ日照装置を操作して降らせてて、移木式前に終わるようにしてあるってこと? それだったらそもそも移木式の日に降らせない気が……」

「なんやこれ! 水が降っとる!」

 今日破が横を通りすぎて慌てて戻った。なんやこれーなんやこれーと言いながら腕を雨に濡らしている。スカイ・アマングは雨降らないのかもしれない。続いて昨日子、縁利、栄蓮が起きてきてそれぞれ三者三様に雨に驚いていた。昨日子は手で器をつくってしばらく雨にうたれた後、何を思ったか溜まった水を今日破にぶっかけていた。栄蓮ははしゃいで飛び出して行き、水たまりを跳ね回って泥だらけになり縁利に怒られていた。明日香は雨だあ、とつぶやいた後しばらく眺めるだけだった。一番反応が面白かったのは龐棐さんで、雨を見るなり「水漏れはどこだ! 各部署に連絡しろ、俺は応急処置にあたる!」と叫んで走り出そうとしたのでここはレフトじゃないし軍隊でもないとみんなで止めた。

「こんにちは、みんないる?」

 雨にはしゃいでいたらキリが来ていた。居ると答えてみんなを呼ぶ。栄蓮はまた雨の中に走り出してしまっていたので縁利に連れ戻してきてもらった。

「あいにくだけど雨だから移木式開始時間を遅らせるって」

 キリの言葉に了解、と答えてから首を傾げる。あれ、移木式までに雨終わらないのか。

「雨は何時にやむんだ?」

「何言ってんだ。雨なんだから勝手に降るしいつやむかわからないだろ」

 公正が何か続けかけた言葉を飲み込んだ。

「いつやむかわからねえの?」

 代わりに縁利がもう一度きいて「しつこいな。わからないって。雨が降るってそういうもんだ」と返されていた。公正は表情がまだ固まったままだが何か考え込んでいる。

 そういうもんだ、確かに向こうの世界の雨ならそうだろう。『科学びっくり大百科』には太陽の熱で川や海の水が蒸発して上空で冷やされて雲になって降ってくる、としっかり説明がついていたけどここでそれは通用しない。雲ひとつない空間から降ってきているのだ。太陽だってどこにもない。

「なあ。ここの人はさ、雨がどうやって降るとか日照装置を誰が動かしてるとかそういうことは気にならないのか?」

「気にならないな。生まれた時はもうあった昇って沈む日照装置、こっちの都合おかまいなしの通り雨。当たり前だろ」

 当たり前にあるものを何で不思議に思ったりするのかと、むしろそっちを不思議そうな口ぶりだった。公正は少し遅れぎみに「そうだな」と返して肩をひいた。 



「……キリが言ってたの、どういうことなんだ?」

 さすがの氏縞も疑問に思ったらしく公正にきいていた。

「あの日照装置ってここの人たちが自分たちで動かしてるわけじゃないってことか? だったら誰が」

「さあな。けど心当たりはある。ツタ長老が言っていた「研究者」だ。ここに〈力〉を持たない人を集めて何か調べているっていう……」

「研究者がここの人たちの生活のために雨降らせてるっていうんなら、雨降る時間は別にランダムにしなくていいんじゃねえの」

 曹が横入りして公正がうなずく。

「毎日決まった時間に決まった量降ってれば管理もしやすいだろうしな」

 植物の水やりかよ。

 喜邨君がやっと起きてきて僕らの横で思いっきり伸びをした。でかい腹が半分以上服の裾からはみ出してもどらない。「お前太ったろ」とそれを見た曹がため息をついたが「たいしたことねーよ」とパツパツに張った服をぐいと押し下げた。パンパンに膨れ上がった腹を苦しそうにかかえて歩きまわり、「腹減った」「メシは?」とひさしぶりの雨に興味も示さない。まだだとわかると腰を下ろしてまた服をひっぱって直している。絶対太っただろ、前はそんなにずり上がってなかったと思うぞ。

「冬人はんは? まだ起きてきとらんけど……」

「え? 湯豆腐?」

「冬人はん。さっきまだ寝とったから起こさへんかってんけど」

「起きたときには誰もいなかった。またどっか行ってんじゃねーの?」

 あのなあ、と龐棐さんが頭を抱える。誰のせいでここに長居することになったんだか。出発の時に戻ってきてればいいけど冬人さんのことだからあんまり期待できない。

 キリがおすそ分けしてくれてさつまいもを包み紙で包み(これもキリが持ってきた)、焚き火の火を復活させてぽいぽい放り込む。みんなでわくわくしながら焚き火を囲んでいたら喜邨君が間に入ろうとしてきたので撃退した。喜邨君には余ったら渡すから待ってろ。先に取りに来られるとみんなの分がなくなる。

 明日香が隣に座り、いきなり僕のTシャツをめくった。

「!? な、何するんだよ!」

「昨日殴られたとこ、なんともない?」

「そりゃああちこちあざになってるけど……。先にそれ言ってよ」

 背中を手でなぞられてズキンと痛み、思わずびくっと反応してしまった。そのままそこをさすられて耐えられずのけぞる。

「痛たたたたやめろって。あざできてるんだろそこ。触るなって、痛い痛い」

「ごめん、あざがあんまりひどいから心配になって。骨には影響なかったみたい。大丈夫だよ」

 今僕が大丈夫じゃない。バチンと閃光が走って背中に冷たいものが張り付き、その冷たさがさっきさすられたところに食い込むような感覚があって「痛っ!」とまた声をあげた。やめろって言ってるだろ、腹がたったけど張り付いたそれは湿布だったようで最初の食い込む痛みの後すぅっと楽になっていった。冷たさが心地いい。

 曹と氏縞が火の中の芋を棒でつついて転がしている。転がした方がうまい焼き芋ができると意見が一致してしまったらしく、どっちが上手に芋を転がせるか勝負しているようだがどっちがどう上手なのかさっぱりわからない。見ていると曹が転がすのに使っている棒に焚き火の火が燃え移り大騒ぎを始めた。氏縞の棒も火がついていて結構な炎が上がり始めていたのだが全く気づかないで雨に当てろとか土に突っ込めとか言っていた。自分の棒は燃えているのに気づいた時に広場の方向に思い切りぶん投げていた。

 焼きあがって焼き芋を受け取り明日香に渡す。自分も受け取って包み紙の熱さに火傷しそうになり慌てて服のすそ越しに持ち直した。何も考えずに明日香に渡してしまったことを思い出して隣を見ると明日香はタオルでくるんで持っていた。ああ、準備がいい。ちなみに喜邨君の分は無かった。焼き芋をはふはふしながら平らげる間、いつもだったら「よこせ」と割り込んでくるだろうに今日はおとなしく壁にもたれていた。

 食事の後、時間もあいていることだし日照装置のこととか雨のこととか気になることをききにいくことになった。龐棐さんの案内で雨の中を歩き、あまり地面がぬかるんでいない道を歩く。歩いているうちに日照装置の光がだんだん強くなり、雨は弱まっていった。

「昨日子、あれ!」

 昨日子に抱えられた栄蓮がぱっと上を指さした。

「何。離さない。すぐ水たまり、走っていく」

「違うよ、上見て! なんかきれいなの!」

 栄蓮が指さした先でキラッと水滴が光った。降ってくる雨が日照装置の光を反射してキラキラ輝いている。「違う、もっと上」言われて視線をさらに上に向けると真っ暗な空間に赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫の光の粒がふわっと浮いていた。思わず足を止めて見上げる。

「虹だ……」

「にじ? あれ、にじっていうの?」

 栄蓮がはしゃいでもっと高く、と昨日子にせがむ。「届かない」と返しながらも精一杯腕をのばしてやり、栄蓮もおもいっきり腕をのばしてバタバタさせる。さすがに腕力が足りなかったか落としそうになり龐棐さんが受け止めた。そして昨日子よりずっと高く、勢いよく持ち上げた。栄蓮はきゃあきゃあと悲鳴をあげて笑い、龐棐さんは何度も下ろしたり持ち上げたりを繰り返した。

「あんた子供と遊んだりできるんだな」

「まあ子供いたからな。縁利はいいのか」

「え。……馬鹿、俺はいいって! 俺の年でそれはおかしいだろ!」

「やってほしげな顔してたからな」

「いらねえ! 腰気をつけやがれよおっさん!」

 叫んで喜邨君の影に隠れる。喜邨君は後ろ手にひょいっと縁利をつまみあげて肩車した。

「な、下ろせ喜邨! 何すんだよ」

「本当はやって欲しーんだろ。おっさんと違って俺は若えから大丈夫だ」

「わー! 縁利おそろい!」

 龐棐さんの肩に乗った栄蓮が喜ぶ。縁利は顔を真っ赤にしながら言いかけた文句をのみこんで……スネた。

「素直に喜びなはれや。めったにあらへんで」

「俺をいくつだと思ってるんだよ」

「12だろ? 十分子供だ」

「子供いうな、たいして違わねえだろ」

「でも俺より年下だ」

 雨がやみ、ツタさんの住む木が見えてくる。まだ遠いがツタさんの家からぱたぱたとカシワが出てくるのを見て、栄蓮が龐棐さんに「下ろして」という。

「もういいのか」

「だって私の方がカシワよりおねえさんだもん。カシワが乗りたいっていったら乗せてあげて」

 龐棐さんの背中からずり降り、「カシワー!」と走っていく。カシワもこっちに気づいて走ってくる。栄蓮と同じくらいどろんこだ。どうしたんだろう、と考える必要もなく目の前であっちをぱっちゃんこっちをばっちゃん、水たまりを踏み回り始めた。昨日子がため息をつく。

「ねー、えんりくんは?」

「あっち」

 指さされて縁利が慌てて身を隠そうとし、バランスを崩したので喜邨君が肩に乗せ直す。カシワからバッチリ見える位置になる。

「あれー? えんりくんお兄さんなのにかたぐるましてもらってるー」

「う、うるせ乗せられたんだよっ! もういい下ろせ!」

 喜邨君の後頭部をげしげし殴って転げ落ち、ぬかるんだ地面にべしゃっと落ちた。

「あー……暴れるから」

「う、うるせえよ……」

 むくりと起き上がった縁利は栄蓮たち以上に泥んこになってしまっていた。昨日子にものすごく嫌そうな顔で「……自分で洗って」と言われて「はい」と肩をすくめた。

「これこれカシワ! 遊んでないで早く着替えな! 祝詞読師が来ちまうよ!」

 ツタさんが家から出てきてカシワを呼び、僕らに気づく。ちょうどキリを呼びにやろうと思ってたんだよ、準備してると思うから〈子孫の森〉に行っといてくれとパッパと手で払われてしまった。忙しそうだ。仕方なく踵を返し、広場に向かう。

 広場には昨日マツなんとかさんたちが組み上げていた舞台が完成していて、ステージ上に溜まった水をみんなで手分けして拭き取っていた。舞台のすぐ近くの木の葉の水滴をはらい落とし、いくつも花輪を載せている。あれがカシワの木か。どんぐりの若木だ。

 僕らは観客席になる丸太の水気を拭き取ってまわる。舞台袖で飾り付けの準備をしている中にココさんたちの姿が見えて緊張する。大丈夫、みんな一緒にいるから手出しはしてこないはず。広場にだんだん人が増えてくる。観客席の丸太はその人数に全然足りていなかったので僕らは座りそびれて近くの若木にそれぞれ登った。ここ数日でちょっと登るのうまくなったかも。観客席よりこっちの方が舞台全体がよく見えて案外特等席だった。

 群衆の中から簡素な着物っぽい服(狩衣っていうんだろうか)を着た人が出てくる。あれが移木式を執り行う神官らしい。ちなみに日替わり当番制。遅れて別の着物っぽい服を着た人が舞台上に上がった。この人が祝詞読師で、着ている着物は赤生地に金の細かい刺繍が入っていてかなり豪華だ。頭の上には烏帽子に似た冠を載せている。祝詞読師が奥の座布団に座ってから、舞台袖の階段を子供が一人駆け上がってきた。カシワだ。

 祝詞読師と似たような形の黄色い生地で銀の刺繍の服を着ている。サイズがあっていなくてぶかぶかなまま、腰の帯で裾をたくし上げている。帯も長すぎたようで大きなリボンの先が床を引きずっていた。

「カシワの服……サイズ合わせしなかったのか?」

 公正がため息まじりにつぶやいて、キリが「ああいうもんだ」と即座に返す。移木式の服は、子供が大きくなれるように願ってわざとサイズの大きい服を着せるんだそうだ。いつか帯でたくし上げたりしなくても、背中で結んだリボンを床にずるずるひきずらなくても、その服を着られるようになるようにと。

「あの服は昔からある伝統的な民族衣装。移木式ではみんな着たんだ。俺も着た」

 カシワが神官に一礼し祝詞読師の前にひざまずく。祝詞読師はおもむろに立ち上がり低い声で祝詞を読み上げ始めた。何を言ってるのかなんとなくわかるのに、耳慣れない発音の言葉がいくつも混じっていて文を追えない。騒がしかった群衆はいつの間にか静まり返り、祝詞読師とカシワに注目が集まっていた。

「我らは晴れ渡る○※■の下●□らの根源たる地を這う者どもなり……」

「そしてこのわたし、かしわもそのひとり。このたびはおんみにこれよりすむことの、ゆるしをえにまいりました」

 祝詞読師の声を追ってカシワの幼く高い声が続く。時々言葉に詰まって思い出そうとしていて、舞台の向こう側に隠れたケヤキさんとヤナギさんに「頑張れ!」とエールを送られている。長い台詞につっかえつっかえなんとか言い切り、反対に祝詞読師はちょっと早口にすらすら唱えて式は進んでいく。途中カシワが立ち上がってお辞儀をしたり、神官が立ち上がって鈴を鳴らしたり、祝詞読師がカシワに座るよううながしたりして、最後にカシワが群衆に向かって深くお辞儀をした。しばらくの沈黙の後、舞台の奥にスタンバイしていた集団が各々楽器を取り出して急に演奏が始まる。同時に舞台袖から何人もの踊り子が躍り出て舞台上を舞い始める。踊り子の衣装もカシワたちが着ている着物みたいなやつと似たような形だったが帯の形が派手で長くて袖が無く、色も全部違って華やかだった。手首に紐を巻いている人と足首に紐を巻いている人がいて、どうやら男の人は手首と決まっているようだった。女の人の中にココさんとリンゴさんを見かける。踊りの途中できれいに宙返りしてみせ、観客の歓声に照れて笑いながら後列と交代していく。あの人笑うんだ。

「わ、すごい」

 舞台上で男の人たちが組んだ人間タワーに明日香が歓声をあげた。三人並んで四つん這いになった上に二人、その上にさらに一人。それがパッと解散すると今度は数人が肩を組んだ上にさらに乗り、その上にも人が乗って立ち上がる。最後に一番上の人がパッと両腕を広げてから思い切りジャンプし、広場で一番大きい木の枝に飛び移った。下の段は順番にしゃがんで降りていく。

「ふふふ冬人貴様枝を揺らすな」

 震え声が聞こえて顔をあげる。冬人さんが大きい木の枝に座って足をぶらぶらさせていた。その枝のもう少し先の分岐近くに曹が座って、いやしがみついていた。冬人さんは「えーそんなのつまんないー」とさらに足をバタバタさせる。

「やめろ貴様、この高さに慣れたばっかりなんだぞ」

「おいこっちも揺れてる! 揺れてるから! 足バタバタさせんな!」

 曹をからかうかと思ったら氏縞も近くの枝に張り付いていた。冬人さんは面白がってさらに足をバタバタさせて、

「おい」

 ずるっ。 ぱし。

 勢い余って滑り落ち、間一髪両手の先を枝に引っ掛けることに成功した。

「ふ、冬人はん……」

 助けようと思わず立ち上げりかけていた今日破が腰をおろす。冬人さんはだいじょぶだいじょぶーと言わんばかりにニコニコして片手を離し、そのまま勢いをつけて前後に体を振り始めた。曹があわてて木にしがみつく。

「何すんだ怖え! やめろ冬人!」

「こっちも揺れてんだよ曹ンとこだけ揺らせよ!」

「貴様俺をなんだと」

 ぶうん、と勢いがついたタイミングで手を枝から突き放し、そのまま飛んでってトン、と近くの背の低い若木に着地した。「八点!」とかいいながらバンザイポーズ。新体操かよ。冬人さんはその木の太い枝に移ってそこから見物を再開する。

 どこの木にいたのか龐棐さんが降りてきてその木に近づきコンコンと幹をたたいた。

「おい冬人。……右腕見せろ」

「……わー龐棐さんだー。おはよー?」

「おはようとか言ってる場合か、降りてこい」

「やだー」

 しびれをきらして龐棐さんが幹を登り始め、冬人さんがパッと姿を消し別の木の枝の上に移動した。渡った先の枝にいた今日破が落ちそうになり悲鳴をあげる。

「ちょっと。冬人さん」

 明日香にもたしなめられているけど気にした風もなく木を登り直す龐棐さんを楽しそうに眺める。その肩をがっしと手がつかんだ。

「捕まえた」

 昨日子が仏頂面のまま冬人さんの肩を固定する。今日破も枝を這ってきて冬人さんを捕まえにかかり、さすがの冬人さんも降参して抵抗せず右袖を剥かれる。袖をたくしあげ、ぐるぐる巻きの包帯の一部に血が滲んでいるのを見て昨日子が冬人さんを睨んだ。縫い合わせた咬み傷の一つが開いてしまったようだ。たぶん、さっきぶらさがった時に。

「あーあ……。治りかけやしこれなら心配ないと思うけど……。ほんま気をつけてや……」

「ごめ……」

 縮こまって大人しく座り直した。

 広場の方はいつの間にか組体操が終わり人がまばらになっていた。観客席として並べられていた丸太まで片付けられて、ぽっかり空いた広場の中央に数人が集まって待機している。キリが「行かなくちゃ」と木を滑り降りていった。

「何だ? あれ」

「きょうそうだよ」

 公正のつぶやきにカシワの声がして驚く。

「え、いつの間に登ってきたの」

 きいた栄蓮にふふん、と胸を張ってみせる。

「さっき! いぼくしきがおわってすぐきたんだよ。見てて。にーにはやいんだから」

 それぞれ色の違うタスキをかけた四人が一列に並ぶ。よーい、の後にドォン、と楽器隊の太鼓が響き一斉に走り始めた。うーん、みんなそんなに速くないなあ。

 と思ったら途中で木に跳び移り、するすると登って次々に枝をつたい木から木へとびはじめた。広場一周を競うはずが広場周りの木を飛び移る競争になっている。そっちの方が速いからだろうけど……いいのか。選手たちは次々に僕らの横を跳びぬけていき、地上のゴールラインへ飛び降りていった。キリは二位。次の出走グループが広場中央に集まり始める。

 木の上にいると選手の邪魔になりそうなので今度は下に降りて見物した。スタート後みんなすぐに手近な木に登ってしまうので下からだとあまり競争の様子は見えない。木から木へ飛び移ろうとして他の選手と同じ枝に乗ろうとして空中でぶつかり、落下した選手もいたが上手に着地してゴールまで後数メートルなのにわざわざ登り直してレースに合流していた。

「お兄ちゃんたちもやる?」

「いや……。勝てる気しないしな……」

 公正に断られて、不満げにカシワが僕らの方を見る。みんな首を振る。あんな速く木登れないよ……。

 “競走”が終わり、今度は広場の真ん中に二人の長身の男がそれぞれ先端にカゴのついた棒を持って立った。玉入れだ。

「……なんか高くない?」

「10メートルくらいあるよな?」

「投げて届く気がしねーぞ」

 玉入れの陣地の周りに大小様々なボールが転がされ、広場は静まり返る。選手らしき人は誰も広場にいない。ピー、と笛が鳴った。

 ばっ、と一斉に木々の間から人が飛び出し我先にボールに飛びつく。ボールを取った人から手近な木にするする登りその勢いのまま樹上から次々にカゴめがけてボールをぶん投げる。色違いのボールがかごに入って応援している人たちの一部から歓声があがり、他方からはブーイングが出たり、地面の上でボールの取り合いが始まったりして、数秒後にはどちらのかごにも同じくらいたくさんのボールが入った。笛が鳴り、木に登っていた人たちがぞろぞろと広場に降りてくる。かごがおろされひとつずつ数え始める。

 べちゃっ

「あ、すまん修徒」

 振り向くと泥団子片手に曹が謝った。背中をさわるとでろっと泥がつく。……お前ら。

「何してんだよ。応援しろって」

「暇なんだよ」

「だってつまんねえだろ、みんな木に登って競技しててさ。俺らにも参加できる競技一個くらい用意してくれっての」

 氏縞に加えて公正まで援護に入り、「俺も暇でさ。混ぜて」と泥団子を作り始める。

「修徒も一緒にやろうぜ。三人じゃ対戦できないしな」

 曹にほらその辺ぬかるんでるだろ、と足元を指さされる。公正がそこからひとにぎりの泥をとってぎゅっぎゅっと握り始めた。

「いくつ作ったら始める?」

「そうだな、一人5個くらいか?」

「だな。最初は平等にしねえと」

 既に六個作っていた氏縞が一つ僕に投げてよこす。壊さないように慎重にキャッチしてしぶしぶ足元の泥を拾って固め始めた。

「じゃあまずは俺と曹チーム対公正、修徒チームな。おっとレフェリーがいない……」

「やる」

 昨日子がぱっと手を上げて

「よーい。始め」

 合図するなり思い切り顔面めがけて飛んできて慌ててしゃがんでよけた。くそ、と曹が舌打ちしたので仕返しとばかりに二個連続でぶん投げた。全然違うとこに飛んだけど一つは流れ弾で氏縞にあたったので結果オーライ。氏縞に追いかけられながら拾った泥で新しい団子をつくる。公正は曹に追いかけられ泥団子を乱発されたかと思うと今度は公正が泥団子を投げまくって曹を追い回したりしていた。痛って、一発足にもらった。

「へえ。面白そうなことしてんじゃん。俺もまぜてよ」

 縁利が泥団子をつくりながら曹&氏縞チームに参加。「私も」栄蓮は僕らのチームに参入。えい、と縁利めがけて大きく振りかぶったがすぐ近くにぼてっと落ちる。団子を小さくしたり下手投げしてみたりするけどやっぱり飛ばない。「うー……。私泥団子つくる係になる」泥団子を作って渡してくれるようになった。

「面白そうやな」

 今日破が栄蓮から泥団子を受け取って曹と氏縞に連続でぶち当てる。ナイスコントロール。反撃をするっとかわして屈んでいる間に作った三つをぽいぽい投げて見事縁利と曹にヒットさせた。素早い。

「今日破投げるのうまいな」

「趣味の関係で投げるんは得意なんや」

「賭けに勝つのは苦手だけどね」

 何かスポーツやってたっけと思ったらサイコロ賭博のことだった。まさかの明日香敵側。待って待って待ってなんか僕ばっかり狙ってませんか明日香さん。

「俺もやる。弾よこせ曹ぁ」

「自分で作りたまえよ」「自分で作れよ」

 喜邨君が曹&氏縞チームに乱入、豪速球のでっかい泥弾が飛んでくるようになった。必死で逃げ回り、その巨体にばちばち当てる。攻撃力高いけどでかいから当てやすい。うおっと危ない、当たるとこだった……。すっ飛んで行った泥弾は木の幹に当たってどーんとぼろぼろに崩れていた。怖え。あれにあたったらただじゃすまないぞ。

「うぇぷっ」

「わ、ごめん顔に当たると思わなくて……」

「やったな明日香!」

 泥団子を作り直すもそこそこに明日香を追いかけ回し泥をにぎっては投げまくる。時々反撃や横槍が飛んできてあっという間に僕も明日香も泥だらけになっていく。

「何やってんだあんたらは。楽しそうだな」

 今回は競技者ではないらしいキリが暇をもてあまして様子を見にきた。長い指で器用に泥団子を作り、指で挟んで何弾も同時に飛ばす。何それずるい、というと「あんたらは地上走るの速いだろ。逆にやらなきゃ不公平」と返された。キリを呼びにきたらしいマツ……なんとかさんが泥だらけで泥団子を投げ合う僕らを見て興味を持ったらしく「面白そうだな」と泥団子を作りだし、観戦していたお姉さんがその様子を見て「私も私も」と泥団子を投げ始め、気づいたら4チームぐらい対抗で泥団子を投げ合う大合戦になっていた。メインでやっていたはずの玉入れ道具はボールを数える途中で放置され、いまや広場内でも泥団子が飛び交っていた。

 レフェリーをしていたはずの昨日子が大量に泥団子を積み上げていて次々に人が来てもっていっていた。仲間どうしだったはずの曹と氏縞は違いにどっちが当てたかという喧嘩を始めて、どっちも覚えていなくて責任を押し付け合いお互いに泥団子を投げつけ合い敵同士になっていた。喜邨君はさっきまで玉入れをしていた男たちに大きめの泥団子をどんどん投げてぶち当て、地面に突っ込んでいったものすら怖がられていた。龐棐さんは別の集団の指揮をとり、泥団子を作るメンバーと投げるメンバーのバランスをうまくとって“進軍”していた。もう何個あてたとかあたったとか誰もわかっていない。投げまくりあてられまくり泥だらけになって森の中を走り回っていた。長老であり村で一番偉いはずのツタさんまでも泥だらけにされ、「やっほー」「ヘーイ」とかテンションの高い挨拶っぽい声に振り返ったら見ず知らずの人から泥団子を浴びせられるようになった。

 避けるのは縁利がうまかった。ちょこまか動き回るので全然あたらない。反撃に投げてくるけど飛距離がかせげず全然こっちに飛んでこない。あまりしつこく追い回さずあきらめて他の人を狙う。あ、冬人さん見っけ。ぶん投げたらひょーいとおどけたポーズをとりながらよけられた。このやろ。泥団子を補充していたら頭にポーンと草まじりの団子をぶつけられる。む、これは公正か……。裏切ったな公正いいいいい!

 草むらに隠れて影から公正を狙う。待つ間に泥団子の備蓄ができていく。来た、それっ!

「わ」

 まさかのココさんだった。殺される、と足がすくんだところをどかどかと泥団子を当てまくられて慌てて逃げる。こらー待てー、とこの前とはうって変わって楽しそうな声が追いかけてくる。逃げていると木の影から飛んできた泥弾に被弾した。クワさん、そんなとこに隠れてたんですか。手持ちの泥団子を全部投げてしまっていたので急いで一つ作って追いかける。

 しばらく森の中を走っているとどこかで「せーの」という声が聞こえていきなり横から大量の泥団子が飛んできた。べちゃボス雨あられと浴びせられる泥団子にたまらず足を止め、泥団子の残骸から泥団子を再生産して反撃。すぐに反撃の反撃が来る。っていうかこれ多勢に無勢すぎないか? 反撃をやめて相手をよく見たら龐棐さん率いる泥団子軍団だった。

「クワさん、ナイス誘導だ」

 親指をたてて健闘をたたえられ、クワさんも親指を立てて返す。はめられた悔しさに八つ当たりぎみの弾をクワさんめがけて数発ぶん投げたが遠すぎて届かなかった。その間に準備万端整った泥団子砲撃隊がこっちを向く。……ちょっと待って。みんな僕を追ってくるのかよ! ちょっとこれ、不利すぎるだろ!!

 泥団子の集中砲火から逃げ回り、自分が投げる分を作る余裕もなく森の中を走り回った。砲撃隊は逃げ回る僕に泥団子を投げ続けたがだんだん備蓄が尽きてきたようでいつの間にか追ってこなくなった。近くに誰もいなくなったのを確認してから隠れ場所を探す。木の上は逆に見つかりそうなので薮のそばに腰をおろした。

 胸にはりついたTシャツの襟首をつかむとボロリと泥が滑り落ちる。ひどいなこれ。洗って落ちるんだろうか。最悪捨てることになりそうだ。着替えはまだあるけど後何枚残っているだろう。

 がさ、と少し離れた薮が揺れた。よく見ると灰色の頭がのぞいている。ふふふ公正、見つけたぞそこを動くな……?

 大急ぎで泥団子を量産しじりじりと公正がいる薮に近づく。息をひそめて様子をうかがっている公正がこっちを見る瞬間に持っていた全部を一気に投げつけた。

「うおわっ?」

「さっきの仕返しだ! 裏切り者ー!」

「裏切り者っていうかさ、もう敵味方ごちゃごちゃだったじゃねえかよ」

 言いながらびしばし手持ちを投げてくる。避けながら残骸を集めて団子を作る。

「てかさ、修徒お前泥すごくね? どうしたんだそれ」

「クワさん追いかけてたら罠だった。龐棐さん軍団に囲まれて」

「うへ……おとなげねえな」

 噂をすればなんとやら、クワさんがなんの警戒もなく通りがかるのを見て二人揃って薮に身を隠した。うん、とうなずきあって泥を集める。近づいてくる足音に焦りながら泥団子を足元に積んでいく。来た。

「おりゃー!」

「うわっ」

半分を一気にあびせ、残りをばしばし当てる。クワさんも手持ちを投げ返してくる。

「二人がかりかい……?」

「さっき僕を龐棐さん軍団に突っ込ませた人に言われたくないです」

 ぼすぼすと追加攻撃を加える。

 唐突にピリリィーーーーっと高音が森中に響き渡って急に静まり返った。誰かの〈音〉かな。けれど〈音〉が聞こえないはずのクワさんが「終わりの合図だね」と言いながら服の泥を払っている。実際に聞こえた音だ。見ると、他の木の陰からも結構人数がぞろぞろ出てきて広場を目指していた。その中にキリを見つけた。向こうもこっちを見つけて走ってくる。

「お父さん! ここにいたんだ。泥団子ぶつけたいから探してたんだ。見つける前に終わるからすげえ悔しい」

「後半の競技時間、予定の競技全部放り出してずっと泥投げっこしてたね」

 ぴょんぴょん跳ねるながらキリが次は絶対探して当てにいくから! とポーズを決めた。

「ねえお父さん、次からは泥合戦をメイン競技にしたらどうだろ」

「ははは、雨が降らないとできないよ」

 広場が見えてきた。みんな結構遠くまで行っていたのか終了の合図が鳴ってからだいぶ経つのに人はまばらだ。今朝よく磨いたはずの舞台はたったいま出土したように泥だらけになっていた。先に到着していた喜邨君がこっちに手を振る。近くに明日香たちも見えた。

「なあキリ、打ち上げっていうかお疲れ様会? みてーのやんの? メシ出る?」

「……」

 うきうきしながらきく喜邨君にあきれながらキリの答えを待つ。まだ鍋も何も準備してないけど、

「キリ?」

 キリは僕らからだいぶ離れたところで立ち止まっていた。

「どうした?」

 何か様子がおかしい。じぃっと広場の一点を見つめていたかと思うとふらふらと視線がさまよい、何かを探すような表情になる。まるで僕らが視界に入っていないようで焦るように目が走らせる。

「キリ。どうしたってきいてるんだ。何か探してんのか?」

 縁利が乱暴に肩を揺さぶられ、少し間があってから泣きそうな顔を縁利に向けた。

「カシワ知らない?」

「カシワ? そういえば泥合戦中には見なかったけど……。栄蓮は見たか?」

「ううん。玉入れの時に見たけど……その時はみんないたよね」

「我輩も見てないな」「俺も見かけなかった」

「友達とまだ遊んでいるのではないか?」

 みんなが答えているのにキリは全くきいていなかった。「ない」「俺の木がそこだから」「ない」ぶつぶつと繰り返し続け、とりあえず広場に行こうと促しても歩き出そうとしない。

「なあキリ。何がないんだよ。早く行こう」

 公正がいらいらとキリの腕をひっぱり無理やり歩かせる。

 キリの木は周囲にある他の若木よりそれなりに大きい。成長の早い品種で植えて数年で大木に成長するらしく、今は青々と人の顔ほどもある巨大な葉をいっぱいつけた枝を大きく広げている。キリの木がこっちだから配置的にカシワの木は舞台向こうにあって、今日は移木式なので飾り付けがしてあって

「え……?」

 僕も声をもらし、隣で今日破が息をのんだ。飾りつけのある木が広場にない、代わりに舞台奥の、舞台に隠れそうなほど低い位置に黄緑の葉の塊が見えていた。特徴的な葉の形。秋になったらどんぐりがなるんだよって、カシワ言ってなかったっけ。どんぐりの木の葉の形ってどんなだっけ、これじゃなかったよな? これじゃ、なかったよな?

「まさかあれ」

 喜邨君がつぶやくと同時にキリが走り出す。縁利が後を追う。僕もつられて走り出した。

 近くに行くまでもなかった。大きめの枝が落ちたり幹に大きな傷が入ったりとひどい状態の木が並ぶ中一本の木が、見覚えのある木横たわっていた。根の近くですっぱり切り倒され、その根の部分は一部土ごとえぐれ、切り倒された方の幹は大きな金づちで叩き潰されたような折れ方で真っ二つになっていた。丁寧に飾り付けられていたのに飾りは葉と一緒に泥に埋まっている。葉っぱの形に目が釘付けになる。『科学おどろき辞典』になかったっけ。どんぐりの探し方、こんな形の葉をつけた木を探すと近くにいっぱい落ちてるよってキャラクターに吹き出しついてなかったっけ。

「カシワは……?」

 明日香がきいてくる。予想がついたけど僕は答えられずに脳内で『科学おどろき辞典』をめくり続ける。人がみんな〈子孫の森〉を素通りして〈弔いの森〉の方へ歩いていく。

「……キリ。今日の当番は誰だ」

 公正が低い声できく。

「強い人。男の人。離れたとこに住んでいるから普段はあまり会ってない」

「そいつにやめてくれって頼めないのか」

「どんな人でも当番は必ずやるよ。ここのルールだ。仕事はちゃんとやらなくちゃ」

「おいキリ」

 龐棐さんが口を挟んだ。

「ルールならなんでもやるというなら、そのルールがおかしいと今までなぜ言わなかった? 変えようと提案したこともないのだろう?」

「ああそうさ! おかしいなんて思わなかったさ! だけどカシワは何もしてない! なのに切られた、その理不尽はゆるせないんだ」

「理不尽はお前もだ。自分に都合の悪い時だけ理不尽というのは虫が良すぎだ。諦めろ。それがここのルールなのだろう。ここに暮らしているのだからここのルールに従え」

「ちょっと龐棐さん」

 明日香が止めようとして龐棐さんがあごで周囲を示す。数人が立ち止まってこちらを睨んでいた。さっきの発言がきかれたのだろう。このままキリが理不尽と言い続ければキリの木も切られてしまうかもしれない。

 行かなきゃ、と再びキリが走り出す。僕らも追いかけるように〈弔いの森〉を目指した。

 何が起こったのか考えたくないけど理解が進んでしまう。カシワの木が誰かに切り倒されたのだ。木の住人であったカシワは家を失くした。重要なのは、移木式が済んだ後だということ。何に許しを願っていたか知らないがカシワは許しを得てあの木に住むことになったのだ。──この国では、家である木を失くした者は木とおなじように殺されることになっている。

 ああ、やっぱりか。〈弔いの森〉の広場を背の高いフェンスがぐるりと囲んでいた。移木式の準備の時は何日もかかっていたくせに、ずいぶんと手際がいいじゃないか。

 フェンスの周りは人だかりができていて、みんな何か楽しいことが始まるのを待つように興奮気味に話している。人だかりを押しのけて竹製のフェンスをつかんだ。フェンスの向こうにそびえ立つ装置が見えた。斜めの巨大な刃が日照装置の光をギラリと反射している。歴史の資料集で見たことがある。……ギロチンだ。

 隣でキリが「カシワは? カシワは?」と叫びながら探している。まだフェンスの中に人影はない。周りの人たちは「木が切られたんだ、諦めろ」というばかりでどこにいるか教えてはくれない。公正と僕も人混みをそれらしき人がいないか探すが見当たらない。

 僕らに遅れてみんなが到着する。昨日子は到着するなり人をかき分けてフェンスに近づき手を伸ばした。ぐっと手のひらに力を入れてバチっと一瞬閃光がとんだ所で明日香が引っ張り戻す。

「ダメ、昨日子」

「何で」

「フェンスにどれだけの人が寄りかかってると思ってるの、今壊したら何人も怪我することになるでしょ」

「でも壊さないと。カシワ。助ける」

「……昨日子。スカイ・アマングの時と違ってフェンスにいっぱい人がくっついてるのよ。あなたはフェンスにしがみついている人に〈力〉がかからないようにフェンスを壊せる?」

 数秒の間があって昨日子の仏頂面がふっとくずれ泣きそうな顔になる。何か言おうと口を動かすが声が出ずついに頰を涙が流れた。諭した明日香も「ごめん」と一歩足をひいた。まだ何か言おうとしながら昨日子はその場に座り込んでしまい、明日香は「ごめん、ごめんね」と謝りながら昨日子を抱きしめた。

「くそ、昨日子の〈力〉は物を伝ってヒビを入れるだけってことかよ」

 公正がいらいらとフェンスを蹴りつける。

「フェンスでなけりゃ……」

「どういうこと?」

「フェンスってさ、網目になってるだろ。だから昨日子の〈力〉で壊そうとすると網を伝ってヒビを入れていかないといけない。……となると範囲が広くなってどこかしら人が触れているところを通る可能性が高い」

 喜邨君が力づくでフェンスを壊そうと引っ張っているがびくともしない。曹と氏縞がそれを手伝うように体重をかけて引っ張っているがそちらも壊れそうにない。竹のくせにうまく作ってあって頑丈だ。蹴っても喜邨君の体重をかけても歪みもしない。

 遅れて到着した冬人さんがフェンスを見て目を見開いて足を止めた。冬人さんなら中に入れると思ったのに呆然と眺めてから踵を返してどこかへ行ってしまう。入れ替わりに今日破が「冬人はん? どこいくんや?」と言いながら人混みへ入ってくる。

「今日破! カシワはどこ?」

「ちょい待って」

 バチバチと今日破の横で青い閃光が浮遊する。人混みに目をくばり「小さい女の子ならあっちとあっちと、そっちにも居る」と回答。

「“小さい女の子”じゃなくてカシワを探して!」

「そないな細かいところまではわからへん。万能やないんやで」

「今日破。そっちの方向なら大きい箱があるな。もう一つ、そっちにも大きい袋がある。どっちも移動中だ」

 公正も閃光を走らせて言う。カシワが入れられて運ばれてるかもしれないってことだろうか。

「あ」

 唐突に曹が指差した。キリがその先を見て叫び声をあげる。カシワがいた。手足を縛られて斬頭台に運ばれていく。当番らしき男が台の横にたち、補助だろうかマツなんとかさんたち〈苗〉がカシワの縄をほどく。カシワは気を失っているのか僕らの呼ぶ声に反応しない。

 誰か、誰かカシワを助けて。人混みを振り返って青いマントが目に入った。いったい今までどこにいたんだ、こみ上げた怒りを飲み込んで「龐棐さん!」と呼ぶ。

「カシワを助けて! このフェンス、〈力〉でなら壊せるだろ」

「馬鹿か。ここで火を出したら一気にフェンスに火が回るだろうが」

 う、と声を詰まらせる。くそ、どうすりゃいいんだよ。

 フェンスを掴んで体重をかけ、思い切りゆらす。フェンスの向こうでは斬頭台の上にカシワを置いて体をロープで縛りなおしている。カシワの名前を叫ぶ。反応はない。

 龐棐さんが隣に来てフェンスを腕力で壊そうとし、壊れないのを見て剣を抜いた。即座に近くに居た男たちが一斉にとびかかり組み伏せられる。

 カシワを縛り終えた〈苗〉が斬頭台から一歩下がって当番の男に向かってこくりとうなずく。歓声があがる中、当番の男はストッパーに手を伸ばす。

 カシワの名前を呼ぶ。

 カシワを呼ぶ。

 繰り返す。

 ぴくりと頭が動いた。

 

 ピン、と高い音がしてロープの先が跳ね上がる。


 しゃああああ…… ざくっ


 刃の滑る音が耳元でしているくらい大きく聞こえて、目をそらしたはずなのに、目をつぶったはずなのに、赤色が目に焼き付いて離れなかった。毒々しい赤色が、どろりとこぼれる赤色が、ごろっと転がった何かに糸を引いて草を濡らし、土へとこぼれていった。




糸の切れた操り人形は

二度と動くことはなく

惜しまれることもない

ただ一人惜しむ者がいるが

それを

愛すべきものという


燃え尽きたろうそくは

二度と燃え上がることはなく

水をかけられることもない

ただ一人水をかける者がいるが

それを

恨むべきものという


地に墜ちた流れ星は

二度と流れることはなく

輝くこともない

ただ一人輝かせるものがいるが

それを

照らすべきものという


母なる■□よ 父なる森主よ

家無き者がそちらへ向かいます

どうか

その御心で

聖なる家をお与えくださいますよう

お祈りいたします





 〈弔いの森〉の適当な所に適当な穴を掘って適当に小さな亡骸を埋めた。さっきのフェンスもギロチンも準備した時と同じで素早く片付けられて、広場にはもうほとんど人はいなかった。弔歌を歌う巫女“当番”は無表情に澄んだ声で淡々と歌い上げている。歌詞は亡くなった人に語りかけ、逝く先を案じる歌なのになんだろう、ずいぶん皮肉にも聞こえる。当番だからと言わんばかりに感情をこめず歌われるせいか、ここには「愛すべきもの」も「恨むべきもの」も「照らすべきもの」も無いのだと言っているようで。

「シュウ?」

 明日香に心配そうな顔で呼ばれた。ちょっと怖い顔してたかもしれないと思って表情を緩めたらもっと心配そうな顔をされた。そうだ、笑うタイミングじゃなかった。どういう顔をしていいのかわからなくなり目をそらした。埋めた跡に目印代わりに刺された小枝をただただ見つめる。巫女当番たちは最後に小枝の周りの土を固めるようにたたき、弔歌が終わった。

 歌が終わるなり当番たちは今日の夕飯やどこの〈苗〉が来て何を持ってきたとか全然関係無い話を始めて笑い合いながら〈弔いの森〉を去っていった。何もなかったように。

 彼女たちにとっては当たり前のことなんだろうなと思う。昔からそうだったから当事者にならないとわからない。

 弔歌の間押さえつけられていたキリが龐棐さんの手を離れて墓に近づいた。足を止めて見下ろし、そのまま座り込む。遺体を覆った土をそっと撫でて唇を噛み、何を思ったか急に掘り返し始めた。

「何してんだ、やめろって」

 縁利がひじをつかんで地面からひきはがす。キリは簡単にバランスをくずして頭から土につっこみ、起き上がらないままひくっとしゃくりあげて大声で泣き出した。

「キリ……」

 ひじを離しても突っ伏したまま顔をあげない。ヤナギさんは放心状態で動かず、クワさんはおろおろと二人を見比べていた。

 しばらく無言で墓前にたたずむ。

「……修徒。何考えてるか当ててやろうか」

「なんだよ」

「この国の制度はおかしいって何で今まで言わなかったっていうさ、龐棐の言葉思い返してるだろ」

「そうだけどそれが何か?」

「それお前もだからな?」

 無言で公正を睨み返した。そんなことわかってるし、それを僕に言って何のつもりなんだろう。

「キリ。それ、何」

 昨日子がキリのそばに何か小さなものを見つけた。キリはやっと顔をあげてそれを拾い上げる。ぐず、と鼻をすすって涙を袖口でぬぐい、手に取ったものを大事に持ち直した。竹とんぼだった。

「誕生日プレゼント……。カシワのために、作ってた……」

 すっと立ち上がって棒の部分を両手にはさんだ。

「一年くらい前だけど新しいの欲しいって言ってたからさ……。せっかくだからよく飛ぶやつをあげようと思って。やっと飛ぶやつできたんだ。……カシワにも見せたかったよ」

 しゅるっとこすって放すと、竹とんぼはふわりと浮いた後高く高く上がっていき、上がりながら回って次第に回転がゆっくりになっていき、ポトリと墜ちた。


 切り倒された木々の枝を片付けるため、広場に戻った。根の方までえぐれているのはカシワの木だけだったが、他にも幹が真っ二つに割れているものやかなり深く傷の入っているものがあった。地面には枝に混じって木の食器類がいくつも落ちていて、カシワの木が切られた時にこの場に何人か人がいたようにも思えた。けれどいつもならこの時間誰かしら外で作業しているのに、村の住人は一人も近くを通らなかった。何が起こったか、誰か知ってるはずなのに。

「ねえキリ、今日処刑されたのはカシワちゃんだけ? 他にも何本も切られてるように見えるけど」

「カシワだけ。移木式済んでたの、カシワだけだったんだ」

「移木式の済んでない子はどうなるの?」

「予備の木があればそっちに。無かったら〈苗〉になる」

 栄蓮がえぐれた根のあたりを埋め始めていたが何か思い出したように手を止めた。薬箱を取り出し、何本か小瓶を手にとってからまた戻し、困ったように眺めていた。色々入っていそうだが木を治す薬は無いだろう。

「この切り口……」

 龐棐さんが幹を触って眉間にしわを寄せた。途中で折れたように皮だけでつながり、その先は地面についている。するりと刀を鞘からひきぬき、近くの枝をパッと切り落とした。

「修徒。こっちへ来い」

 手招きされて近づくと切り口をよく見ろ、と切り落とした枝を渡された。すっぱり切れた枝は割れひとつない。一方折れた幹はいくつも縦割れが入っていて、切り口付近の皮がべろっとむけていた。折れたような形だなと思ったけど本当に折れたような割れ方だ。けどこの太さの幹をどうやって……。

「もしかして、リウロン……?」

「おそらくな。近くに隠れている可能性があるな」

「僕たちを追ってきたってことですよね」

「そして追いついた。今の所ここしか倒してないのは、木を倒した後広場に居た者がリウロンを無視して一斉に〈弔いの森〉に移動したからだろう。あいつはなかなかに好奇心が強い」

「じゃあ早く出ないと、葬式も終わって意味がわかったら……」

「我々を探し出すためにどんどん木を切ることも考えられるな」

 みんなで顔を見合わせる。飛行機は移木式があるから邪魔だと言われ〈弔いの森〉に移動させられたが燃料がない。ここは都合よくアンドロイドに連れ去られるか冬人さんに全員を瞬間移動してもらうしかないがどっちもあり得る話に思えなかった。

「なあちょっと」

 キリが割り込んできて龐棐さんを睨む。

「リウロンっての知り合いなのか?」

「仕事の同僚だ。早とちりしやすいやつで、今回もそれで追ってきてる……」

「それじゃカシワは、お前らが殺したようなもんだよな?」

 絞り出すような声に息をのむ。

「カシワを返せ! どうしてなんだ! なんでカシワが、殺されなくちゃいけないんだ! お前らのせい、お前らのせい、お前らがいなければ! よそ者がいなければ! カシワは死なず済んだのに!」

「キリ」

 うなり声をあげて縁利に襲い掛かった。意表を突かれて押し倒され、どかどかと容赦なく拳を突き込む。昨日子がすぐにキリを蹴り飛ばして縁利から引き剥がした。キリはこちらをにらみながらさっと昨日子から距離をとる。

「縁利、大丈夫」

「痛ってくそ、あいつ……」

「うああああああ!」

 火事場の馬鹿力と言うのか、足元のやたら太い枝を拾い上げて思いっきり投げた。たいして高く飛ばなかったがそれはまっすぐに昨日子めがけてすっ飛んで行き、

ゴッ

 重い音がして昨日子の頭にぶちあたった。昨日子が頭を押さえてしゃがみこむ。

 今のうちにとまた縁利を標的に小枝を振りかざして走りこんできたキリを喜邨君がつかんで止めた。

「このやろ離せ! みんな死ね! お前らのせいなんだ! お前らがいなければ!」

「お前卑怯なんだよ。栄蓮をのぞけば一番小さい縁利ばっかり狙いやがって。俺らのせいじゃねーとは言わねーよ。けどな、カシワを殺したのは俺らじゃなくてこの国の制度だ。よそ者がどうこう言う前にお前がそこ変えろよ」

「うるさいな、お前らは何したら殺せるんだよ! 木が無い奴ら、何したら殺せるんだよ!」

 叫びの矛先が僕らではなくなり、喜邨君の手をふりほどいたキリが遅れて広場に来たクワさんに駆け寄っていく。クワさんは泣きじゃくるキリを抱えあげ、キッ、と暗い目でこちらを睨んだ。

「早く出て行ってください。あなた方を受け入れてしまったのが私の妻とはいえ……よそ者は災いしか呼ばない。本当に」

 行くぞ、と公正に腕を引っ張られて広場を離れた。


 森は静まり返っていた。この時間は結構人通りも多く生活音もしていたはずなのに誰もいない。ただ突き刺すような視線がどこからともなく向かってきていて、見張られているような居心地の悪さがあった。

どぉぉおん……

 どこかで何かが崩れる音がした。続けて三回。一瞬閃光がはしるのも見えた。

「龐棐さん、今の」

「……リウロンだ」

 急がないと。昨日子が栄蓮をおんぶし走り出す。

「シュウ危ない!」

 突然目の前に人が飛び出てきてぶつかった。条件反射で「すみません」と謝ってから凍りつく。光をぎらっと反射する刃が降ってくる……!

「修徒!」

 公正が体当たりしてその人がよろめき、ナタはぎりぎり僕にあたらず土に刺さった。ヤナギさんはすぐにナタを広いあげ、今度は公正めがけてぶん、とナタを振るう。ぬかるみに足を取られてたたらを踏んだところをさらに詰め寄られ、

「失礼」

 龐棐さんが割りいって鞘で手首を叩き落とした。嫌な音をたてて変な方向に手首がまがり、ヤナギさんが座り込む。ナタは取り上げて昨日子に割らせた。ヤナギさんは目を見開いたまま涙を流し、何も言わなかった。

 また崩れる音。〈弔いの森〉の方からだ。早く行かなくちゃ。

 小道を抜け、森を抜ける。途中何本か折れた木を見かけた。見覚えのある低木が倒れているのが見えた。確か、ココさんに連れられて一緒に行った……。誰だっけ。いや、今は考えている場合じゃない。x

 〈弔いの森〉の広場に入る。飛行機はあった。そして見覚えのある軍服姿。手元でパッと閃光がはしる……!

「リウロンやめろ!」

「ああ、やっときた」

 リウロンが振り返り、こっちに風の塊が飛んでくる。炎の壁を出して難なく吸収したが足元の草むらに燃え移って一気に燃え広がった。

「おい龐棐!」

「すまん、つい……」

 幸い木の密集地からはまだ距離はある。「昨日子!」と声をかけると通じたようでこちらにうなずきかえして地面に手をあて、燃えている草むらの範囲の地面に地割れを起こして表面を崩した。僕は足元に集中して土を盛り上げる。数十本を一度に持ち上げるイメージ。ぐぐぐ、と小さい柱が頭をもたげる。ある程度の長さが出たところで昨日子がもう一度、僕の作った柱ごと地面を壊して草むらは土に変わり、鎮火した。うまくいった……。

 ふう、息をついたところでぐらっと視界が傾いてこけそうになり冷や汗をかいた。誰にも気付かれずに済んだみたいだけど、なんだ……?

 リウロンは一部始終を面白がるように眺めてからこっちに拳を向けた。

「伏せろ!」

 龐棐さんの声の後、押さえつけられて地面に伏せる。ゴッと風音がして空気の塊が頭上を通過し、後ろの何かにぶちあたる。少し間をおいて、ギギギ……と軋む音。また誰かの木を倒しかけている。

「やめろリウロン、木を倒すな! その木は……」

「倒すと拠り所にしている住人が殺されるのだったな?」

「お前わかっていて……!」

「俺の管轄じゃ無いからな」

 聞いたようなセリフを口にしてふっと笑う。

「ここはレフトじゃない。だから俺はここの住民がどうなろうと特に興味はない」

「無関係の者を巻き込むなと言っているんだ!」

「どの口が言ってるんだかな」

 また空気の塊が飛んできて、今度は僕が柱を横にたくさん並べて壁みたいにして遮った。でも強度が足りずにくだけ、霧散する。勢いは弱まったが目に見えない塊が後ろへとんでいき、誰かの木の枝を折る。

 誰の木なんだ、今度は誰を殺すことになる。もうやめてくれよ。

 リウロンが放った次弾を太い柱を一本たてて防ごうとする。微妙にずれていて柱は途中で折れて空気の塊の勢いを殺せなかった。その間に龐棐さんがリウロンに近づき斬りかかる。

 これで空気の塊はとんでこなくなった。しかし見ていると勝負は龐棐さんの方が分が悪い。加えてリウロンさんの腰にはホルスター。剣の他にもう一つ武器がある。

 援護しようと足元に集中する……

「っ、おい修徒」

 肩をつかまれて集中がとぎれ、伸びかけていた直方体が消えた。

「なんだよ、邪魔するなよ」

 住人が襲ってきたかと思ったら曹だった。氏縞も遅れて肩をひっぱる。なんなんだよ。

「お前顔真っ青だぞ、大丈夫か?」

「へ」

「俺ら〈力〉使えないから分かんないけど、〈力〉ってそんなバカスカ使って大丈夫なもんなのか?」

「いや、僕もわかんないけど……うわ」

 さらに肩を引き寄せられてバランスをくずし、こけそうになって慌てて曹につかまって立て直す。確かにかなり頭がぐらぐらする。

「慣れないくせに使いまくるからだ」

 公正がため息をついて何かを投げてくる。うまく受け取れずに尻もちをついた。僕のリュック……?

「明日香たちが取りに行ってきてくれたのさ。ここは任せてとりあえず飛行機に行こう。ちょっとでも燃料が残ってればいいけど……」

 頭上をまた空気の塊が通過した。あおりを食らった龐棐さんが地面にひっくり返り、リウロンがそこに襲いかかる。とっさに柱で邪魔しようとしたがズキンと頭痛が走って集中がとぎれてしまい、何も起こらなかった。龐棐さんは地面を転がって刃を避け、数メートル離れてリウロンと向き合う。


「こっち! 早く!」


 声が響いた。冬人さんが飛行機の方から走ってきていた。ここにいたのか。

 縁利たちがバッとそちらへ走り出す。行かなきゃ。でも、リウロンさんを止めないと。

 ブン、と頭上を空気の塊が通る。

 縁利、栄蓮、明日香が次々に飛行機に乗り込む。冬人さんはそこからこちらには来ず、早く来いと僕らを呼ぶ。氏縞と曹。喜邨君も飛行機に向かい、喜邨君は乗り込み口に体を持ち上げられなかったので冬人さんにタッチされて姿を消していた。

 空気の塊は何度も飛ばされ、広場の周りの木の何本かが倒れ始めていた。大きな一発がまた別の木にあたりバキバキと轟音をたてながら他の木をまきこみ大木が傾く。

「待て、こいつを何とかしなくては……」

「早くしろ!! 僕たちがここにいなければ、そいつも木を倒す意味は無いんだよ!!」

 叫び声になぜか背筋が凍りついた。冬人さんの蒼い目がこちらを睨んで光っているのが怖くて、なぜか怖くて足がすくむ。

「龐棐はん、リウロンを相手にしとる場合やない、はよ行かな」

 くそ、とうなってリウロンの剣を勢いよく刀ではじき返し、全員で走り出す。追ってくる足元を昨日子が壊して時間をかせぐ。

 僕らの飛行機の向こうにもう一機飛行機が見えた。もう少し大型のレフト軍機……リウロンさんの飛行機だ。そうか、そこから燃料を。

 今日破と公正が機内に乗り込む。龐棐さんは追ってくるリウロンさんに足止めされてなかなか進めない。僕と昨日子もサポートに入ってるので置いていくわけにもいかず応戦する。龐棐さんは追ってきたリウロンさんを見て僕に一言「頼んだ」」とだけ言ってどでかい火炎弾を放った。慌てて大きい壁を作って避けられた後の残り火から森を守る。頼んだ、だけでわかるか。昨日子がその壁をくずしてさらに追い打ちをかけようとしたがうまくいかなかった。

 冬人さんがパッと至近距離に現れて全員をタッチし、いきなり飛行機まで数メートルのところまで移動させられた。リウロンさんが驚いたように広場を見回しこちらを見つけると同時に冬人さんが現れて問答無用で機内へ瞬間移動させられた。座席から数十センチも上だったので落下してしばらく悶絶した。機外でボンと爆発音がして窓にびたびたと泥がかかった。たぶんリウロンさんが空気砲を地面にうったんだろう。

 数秒後、操縦席に冬人さんが現れる。バチンとかなり強い閃光が数回走ってからエンジンの起動音があり、空中で急発進した感覚があった。シートに押し付けられて息がつまる。苦しさをこらえて顔をあげ、横目で窓を見たけど既に森は見えず真っ暗だった。

「修徒、心配するな。あんだけ何度も撃ち続けてて、俺らがいなくなってしまえばあんな疲れるもん撃つ必要なくなるからあれ以上木が倒されることもないさ」

 公正が何を勘違いしたのかそういってリラックスしとけとばかりにだらっとした座り方に座り直した。確かに前みたいに離陸直後から空気の塊が追ってくるようなことはないけれど……。

「おい冬人」

 龐棐さんがため息まじりに操縦席に声をかける。

「何ー?」

 少し疲れてはいるけどいつも通りの口調が聞こえてちょっと安心した。さっき感じたあの怖さは、きっと気のせいだったのだ。

「操縦代われ」

「えー」

 見ると右の二の腕がざっくり裂けて結構な量の血がぼたぼた垂れていた。腕をあげていられないのか操縦桿に手の甲をのせるようにして器用に動かしている。あーもう、どこでやらかしたんだそれ……。

「龐棐さん飛行機運転できるの?」

 龐棐さんはうなずいて栄蓮の前に両手を広げて見せた。

「飛行機の運転は軍学校の必修項目だからな。同期で10本の指に入るくらいの腕はあるぞ」

 冬人さんがしぶしぶ龐棐さんと席を代わる。運転したいのに……とかいうから明日香に頭をたたかれていた。運転したいなら利き手を怪我してくるんじゃない。幸い見た目のわりに傷は浅かったようで、止血用にガーゼとテープをはりつけ包帯で固定して処置は終了した。さっきのリウロンさんの攻撃を食らったのかと思ったがどうみても刃物傷だ。

「この怪我、どうしたの」

「んー。ちょっとねー」

「ちょっとじゃないから。これ浅いけど縫ってもいいぐらいの傷だよ」

「明日香ちゃんが止血してくれたでしょー。大丈夫だよー」

 にこにことはぐらかし「ありがとー」と頭を傾けるので聞きづらくなり、明日香は不満そうに口を閉じた。

 たぶんココさんだなと思う。僕にもよそ者は何とかと言って襲ってきていたから同じように襲われたんだろう。冬人さんなら怪我することもなく簡単にあしらえそうなものだけど。

「目的地はライトでよかったな?」

「ああ」

 操縦席から声がして、公正が返事をした。レフトはリウロンさんにまた追われそうだからダメだし、戦乱続くスカイ・アマングで何かできるとは思えないし。ライトしかない。

「そうか。では都合もいいしレフト軍の駐屯地へ向かおう」

 龐棐さんが何やら手を動かして機体を傾ける。たぶん旋回してるんだと思うけどずいぶん大きい音がブンブンしている。と思ったら急に普通の向きになり一度上下にふらりと大きく揺れた。うーん酔いそう。

 窓の外は真っ暗で何も見えない。上も下もさっぱりわからないのにどうやって飛ぶ方向をとらえているんだろう。また上下にふわりと揺れる。

 よそ者は災いしか呼ばない、か。そうだなと思ってしまう。僕たちがあそこに来たせいでリウロンさんが来てしまい、木が倒されてカシワが処刑された。色々言いようはあるだろうけど僕らが殺したようなものだ。たぶんあの後倒された木の主も何人か処刑されるだろう。

 飛行機はさっきから急加速と失速をくりかえし、時々ガタガタと上下に揺れたりと不安定な飛行になっていた。機体もガタミシしていて何かの表紙に分解しそうで怖い。喜邨君はとっくに酔って隅でのびている。今日破も気分悪そうに座席でぐったりしていた。冬人さんは寝ていた。

「……龐棐さん同期で飛行機の操縦、十人に入ってたんですよね?」

「下手な方の十人だ」

 ……急に心配になってきたよ。

 龐棐さんの返事をきいて曹と氏縞が慌てて冬人さんを起こそうとゆすり始める。今日破は寝させてあげてというけどこれ下手したら僕ら永眠な気がするんだよ。結局冬人さんは死体みたいに全く動かず起きる気配がないまま窓の外に黄土色の地表が見えてきた。ぐるんと機体が回転して目が回った。縁利が通路でこけて昨日子に回収される。

「すまん、席についてシートベルトしてくれ」

 操縦席からの言葉に首をかしげる暇もなく機体が大きく横にふれた。続いてぐうんと急加速して座席から転がり落ちそうになる。わたわたとベルトを取り付ける間に三回席から落ちそうになった。喜邨君はベルトの長さが足りなかったので背もたれにしがみついていた。ぐいんと上下反転した機体の窓の外を何かが高速で通過する。

「リウロンが追ってきてるのか?」

 氏縞が窓にはりついて外を見てつぶやいた。

「いや、違うな。飛んできているのは弾丸だ。ライトに防衛施設があった覚えはないんだがな。……いつ作ったんだ」

 また窓の外をひゅんと何かが通る。ぞっとしながら機体が向かう先を見て思わず悲鳴をあげた。地表真正面ってどういうこと!?

「ろろろろ龐棐さん速度落として、っていうか前見てますか! このままじゃライトシティーに激突しますよ!」

「重たいのがいるから特大のクレーターができるな」

「作んないでください! いやどうするんですか本当に!」

 思いっきり真っ逆さまに落ちる方向に飛んでますけど!?

 急に機首を上げて滑り込むように着地。窓の外で砂が巻き上げられ真っ暗だった外が抹茶色になるなか僕らにはGがかかって上から思い切りおさえつけられるような感覚だった。席に体が押し込まれる……! しばらく砂上を滑走して飛行機は停止した。機外で翼がもげて飛んでいくのが見えた。

「ふう……」

 操縦席で止まってよかったみたいな感じで龐棐さんが後ろ頭をかくので今更ものすごく怖くなった。うまく着陸する自信無かったんですか……?

 ベルトをはずして飛行機から降りる。冬人さんはゆすっても起きなかったので龐棐さんが担いで降りた。

 飛行機を降りると外は意外にも寒かった。かなり暗くよく見えないが少し遠くに何かの施設が見える。レフト軍の駐屯地って言ってたっけ。あれがそうだろうか。公正が眉間にしわをよせて〈力〉で周辺の建物をさぐる。

「龐棐。ここはどこだ」

「わからん」

「……」

 一同沈黙。縁利が無言で飛行機を指差す。うん、戻ろう。暗闇の中むやみに進んでも迷うだけだ。龐棐さんは「すまん……。銃弾を避けるのに集中しすぎて方向を見失った」と言っているが完全にこれは遭難だ。幸い割と近くに建物見えるからたぶん大丈夫だと思うけど。明日辿り着けなかったら僕らピンチだぞ。

 明かりをつけたままの機内で座席を二つ使って横になる。寝心地は悪いが仕方ない。

 一応減灯にしておくぞ、と声がきこえて眩しかった明かりが非常灯のような明かりだけになった。ああこれなら眠りやすい。どこからともなく寝息が聞こえ始め、僕も眠気に誘われて目を閉じた。