2000年代から2010年代にかけて米国の教育経済学では、教員の付加価値(value added)の推定にかかる研究が盛んになされました。教員の付加価値における価値とは学力テストにより測定される子どもの学習成果を指し、教員の付加価値とは子どもの学習成果への教員の貢献分を指します。例えば、小学校に入学した子どもが1年間かけて国語や算数等を学習した際、その1年間における子どもの学習成果の向上にどの程度教員は貢献したか、を指します。もちろん、子どもの学習には、家庭環境や学校におけるインフラ環境等の様々な要因が作用していますので、教員の付加価値を推定する上では、それらの要因を考慮する必要があります。また、子どもの通う学校や、学校におけるクラス分けは、ランダムではありませんので、単に子どもの学習成果と教員の関係を見るだけでは、教員の付加価値を正しく推定することはできません。
教員の付加価値を正しく推定する上では、学校・教員・子どもに、それら3つを紐づけられる形でそれぞれIDを付し、毎年追跡調査を行うことで作成される、パネルデータが必要となります。米国では、1990年代から教育行政によるデータベース構築が始まり、教員の付加価値を推定する上で必要なパネルデータが研究者にとって利用可能となっていきました。パネルデータを用い、2000年代から2010年代半ばにかけての研究を通じ、教員の付加価値の推定方法が洗練されました。教員の付加価値の推定方法の説明には数式が必要となりますので本稿では説明を割愛しますが、ご関心のある方は、Koedel et al.(2015)がコンパクトにまとまっていますので、よろしければご参照ください。
さて、今回は、パキスタンにおける初等教員の付加価値について研究した、Bau and Das(2020)をご紹介したいと思います。Bau and Das (2020)は、Tahir Andrabi等により実施された “Learning and Educational Achievement in Punjab Schools (LEAPS)”と呼ばれる調査研究において収集されたデータを用いました。 LEAPSにおいて、2004年にパンジャブ州における初等3年生を対象として算数のテストを同学年末に実施したところ、1桁の引き算(8‒3)の正答率は65%、1桁の掛け算(5×4)の正答率は59%、3桁の引き算(238‒129)の正答率が32%等、多くの生徒が計算を習得できていないことが明らかとなりました(Das et al., 2006)。また、英語のアルファベットや単語の筆記、ウルドゥ―語の筆記も同様に正答率が大幅に低い結果となりました(詳しくは、Das et al.(2006)をご参照ください)。
Bau and Das(2020)は、LEAPSにおいて作成された、パンジャブ州における2004年時点の初等3年生を2007年にかけて追跡したパネルデータを用い、同州における初等教員の付加価値を推定しました(2006年にはその年の初等3年生を調査対象として追加し、2007年にかけて追跡調査が行われました)。推定の結果、教員によって付加価値は大きく異なり、Bau and Das(2020)は教員付加価値が下位5%のレベルにある教員の指導を受けていた生徒が、仮に上位5%のレベルにある教員から指導を受ければ、ウルドゥ語、算数、英語のテストスコアが0.49標準偏差向上するであろうと論じました。
Bau and Das(2020)は、パンジャブ州における教員の付加価値を推定した上で、教員の属性や給与と、教員の付加価値との関係を考察します。教員によって付加価値は異なりましたが、教員の付加価値のばらつきを教員の属性に回帰したところ、教員が大卒か否か、現職教員研修を受けたか否かは、教員の付加価値に関係していない一方で、教員の教科知識や、教員が2年以上の実践経験を有していることは教員の付加価値に統計的に有意に正に関係していました。他方で、教員の付加価値のばらつきのうち、教員の教科知識を含む教員の属性により説明できる割合は5%未満にとどまりました。
続いて、Bau and Das(2020)は、公立校の初等教員と、私立校の初等教員のデータを分け、それぞれの給与を教員の付加価値や属性に回帰します。公立校の初等教員については、大卒であることや現職教員研修への参加といった属性が給与の金額に正に相関している一方(統計的に有意)、教員の付加価値は給与の金額に全く相関していませんでした。対照的に、私立校の教員については教員の付加価値が給与の金額に正に相関していました。パンジャブ州政府は、教育予算を4億6800万米ドル(2001年)から16億8千万米ドル(2010年)に大幅に増加させましたが、公立校の教員の人件費は教育予算の約8割を占めます。公立校の教員の給与が教育予算の大部分を占める一方で、子ども達の低学力が顕著な中、教員の付加価値と教員の給与の額が関連していないことについて、Bau and Das(2020)は教育予算の配分が適切に行われていないのではないかと指摘します。
今回は、教員の付加価値にかかる研究手法が、開発途上国における教育問題の分析に応用された事例をご紹介しました。一般的に、子どもの学力テスト結果によって教員の付加価値を論じることに懐疑的な見方はあります。他方で、パキスタンのように教員給与が教育予算の大部分を占める一方、多くの生徒が低学力にある国について、子どもの学力テスト結果をもとに推定した教員の付加価値を用い、その国の教育について論じることに意味はあると思われます。
また、パンジャブ州における教員の付加価値のばらつきのうち、教員の属性により説明できる割合は、前述のとおり5%未満にとどまりました。このことは、教員個人によって実践が大きく異なっていることを示唆しており、その点に学習の危機(learning crisis)への対処のヒントがあるようにも思われます。
参考文献
Bau, Natalie, and Jishnu Das. 2020. “Teacher Value Added in a Low-Income Country.” American Economic Journal: Economic Policy, 12 (1): 62–96.
https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257/pol.20170243
Das, Jishnu, Priyanka Pandey, Tristan Zajonc. 2006. “Learning levels and gaps in Pakistan.” Policy, Research Working Paper, No. WPS4067. Washington, DC: World Bank.
https://openknowledge.worldbank.org/handle/10986/8866#:~:text=Levels%20of%20learning%20and%20the,with%20literate%20and%20illiterate%20mothers.
Koedel, Cory, Kata Mihaly, and Jonah E.Rockoff. 2015. “Value-added modeling: A review.” Economics of Education Review, 47:180–195.
https://doi.org/10.1016/j.econedurev.2015.01.006