教育を通じ、子どもは読み書きや計算等の様々なスキルを習得しますが、子どもが成長して社会で暮らしていく上で、非認知スキルの重要性が論じられています(Kautz et al. 2014)。以下のウェブサイトに掲載されているとおり、非認知スキルには様々な体系・分類がありますが、他者と話し合って合意を形成する交渉スキルは、非認知スキルの一つと言えます(UNICEF 2019)。
http://exploresel.gse.harvard.edu/
開発途上国における女子の就学を阻む要因として、家事労働等の家庭における要因が挙げられますが(UNICEF 2015)、女子の交渉スキルを高めることで、女子が自らの教育について保護者と話し合い、就学を継続することが可能となるのではないでしょうか。Ashraf et al.(2020)は、ザンビアにおける女子生徒(8年生)を対象としたランダム化比較試験を通じ、交渉スキルの研修による、女子の就学継続等への効果を検証しました。
Ashraf et al.(2020)は、ザンビアの首都ルサカにある初等学校41校を調査対象とし、そのうち29校の女子生徒(8年生)について、①コントロールグループ(780名)、②Safe spaceグループ(785名)、③交渉スキル研修グループ(801名)に無作為に割り当てました(注1)。
(注1)29校における介入の割当は、学校単位ではなく、生徒単位で行われました。41校のうち他12校の女子生徒(8年生)については、④コントロールグループ(780名)とされましたが、Ashraf et al.(2020)における分析は主に①と③や、①と②の比較により行われましたので、本稿では①から③のみを取り上げます。なお、生徒単位でランダム化を行う場合、介入を受けた生徒と介入を受けていない生徒の間の交流により、介入を受けていない生徒にも介入効果が及ぶ(介入効果がスピルオーバーする)可能性がありますが、Ashraf et al.(2020)は後述するゲームの結果をもとに、介入を受けていない生徒に介入効果が及んだ可能性はなかったと論じています。
さて、交渉スキル研修は、ロールプレイやグループディスカッション等の活動からなる、計6つの2時間のセッションからなりました。研修では、女子生徒は年長者への敬意という文化的慣習を損なうことなく相手の判断に影響を与えることが可能であることや、自身と相手の双方に利益のある形で合意を見出すことが可能であること、保護者に対して敬意を損なうことなく代替策を提案することが可能であることを学びます。女子生徒が自らの就学継続について保護者と話し、合意を見出せるようになるため、交渉スキル研修のカリキュラムは、以下の①Me、②You、③Together、④Buildという4点から構成されました。また、交渉スキル研修は、女性講師により行われました。
第一点目の①Meでは、女子生徒は自らの置かれている環境から離れて自らのニーズや価値観を認識するとともに、感情をコントロールする方法を学びます。第二点目の②Youでは、女子生徒は、交渉相手の視点に立って相手の関心を理解することや、保護者の関心を把握するために直接的な問いでは保護者への敬意を損なう可能性がありますので、間接的な問いの立て方を学びます。第三点目の③Togetherでは、女子生徒は、交渉相手との共通の価値観を認識するとともに、相手の判断が相手の置かれている環境・制約により生まれているものであることを学びます。その上で、第四点目の④Buildでは、相手の置かれている環境・制約を考慮に入れながら、相手とともに解決策について考える(ブレーンストームする)ことを学びます。女子生徒は、①Meから④Buildまでの研修を通じ、話し合わなければ生まれなかった方策を保護者との話し合いを通じて見出すことを学びます。
次に、Safe spaceグループでは、交渉スキル研修は行わないものの、それ以外の点ではできる限り交渉スキル研修に似た環境を作ります。Safe spaceグループでは、女子講師の監督のもと、女子生徒が集まってゲームや宿題等を行います。交渉スキル研修と同じ女性講師がSafe space介入の監督者を務め、Safe space介入は、交渉スキル研修と同じ長さの時間行われました。Safe spaceグループ、交渉スキル研修グループともに、介入に先立ち、昼食の他、ノートブック、ペンが参加者に配布されました。交渉スキル研修を除いて交渉スキル研修グループと類似したSafe spaceグループと、交渉スキル研修グループを比較することにより、交渉スキルを習得することの効果をより厳密に推定することができます。なお、Safe space介入への女子生徒の出席率は交渉スキル研修と同程度でした。
さらに、Ashraf et al.(2020)は、女子生徒に対する介入の行われる29校における、①コントロールグループ、②Safe spaceグループ、③交渉スキル研修グループに関し、それぞれ約半数を無作為に情報提供の介入を割り当てました。情報提供の介入では、教育の収益率(就業の機会等)や健康(HIVへの感染リスク、女性の教育と子どもの健康の関係等)に関する情報が女子生徒に対して提供されました。情報提供の介入を組み合わせることにより、情報提供の介入と他の介入との相乗効果や、情報提供のみの介入との比較において交渉スキル研修の効果を推定することができます。
ザンビアでは、9年生(前期中等教育)から10年生(後期中等教育)に進学する上では全国試験を受験し、良い成績をおさめる必要があります。また、保護者は、9年生の段階では試験受験料、10年生への進学する段階では入学金をおさめる必要があります。従って、女子生徒が中退するリスクは9年生から10年生にかけて高まると考えられます。また、ザンビアでは10年生から12年生に関し、成績のよい生徒が午前シフト、成績の低い学生が午後シフトに割り振られました。
Ashraf et al.(2020)は、ベースライン調査時点で8年生の女子生徒を3年間にわたって追跡し、同女子生徒の就学状況(就学している場合には午前シフトかを確認)についての調査を行いました(注2)。
(注2)上記の他、各女子生徒に関し、①保護者が学費を支払ったか、②全国統一試験を受験したか、③全国統一試験における算数と英語の点数が合格点を越えたか、④平均出席率(第8学年第2学期及び第3学期、第9学年第1学期及び第2学期)、⑤妊娠の有無についても調査が行われました。
介入が行われてから3年後、介入を受けなかった女子生徒(③コントロールグループ)に比べ、交渉スキル研修により、11年生に就学していた女子生徒の割合は4.4%ポイント向上しました(注3)。(コントロールグループの女子生徒のうち同時点で11年生に就学していたものは42.4%でしたので、交渉スキル研修は、11年生に就学している女子生徒の割合をその1割程度、向上させたと言えます。)交渉スキル研修の効果は、時間の経過に伴ってフェードアウトせず、持続しました。また、交渉スキル研修により、午前シフトに就学する女子生徒の割合が4%ポイント向上しました。(コントロールグループの女子生徒のうち同時点で11年生の午前シフトに就学していたものは25.1%でしたので、交渉スキルにかかる研修は、11年生の午前シフトに就学している女子生徒の割合をその1.6割程度、向上させたと言えます。)
(注3)実験開始時に介入の行われなかった①コントロールグループについては、10年生の間に介入が行われましたので、本実験により識別される効果は、8年生から10年生に至る過程で生じたものと考えられます。
上記の結果は、交渉スキル研修により11年生に就学した女子生徒の大半は、午前シフトに就学していたことを示していますので、比較的勉強のできた女子生徒が交渉スキルを習得することで、保護者と自らの教育について話し合い、就学の継続が図られたことを示唆しています。Ashraf et al.(2020)は、ベースライン調査時点での英語、現地語(Nyanja)のアセスメント結果をもとに、交渉スキル研修グループについて、比較的勉強のできる子ども(同グループの4割)と、比較的勉強のできない子ども(同グループの6割)に分け、11年生に就学した女子生徒の割合や午前シフトに就学した生徒の割合に関し、それぞれ効果を推計したところ、交渉スキル研修は前者に対してのみ効果を持つことが確認されました。
では、Safe space介入は、女子生徒の就学に対し、どのような効果を持ったのでしょうか。Safe space介入の効果の大きさと、交渉スキルにかかる研修の効果の大きさを比較したところ、11年生に就学していた女子生徒の割合については両者の間で統計的に有意な差が見られなかった一方、11年生の午前シフトに就学していた女子生徒の割合については、Safe spaceグループには効果が見られず、交渉スキル研修グループに対する効果との間で統計的に有意な差が見られました。この点は、Safe space介入と交渉スキルにかかる研修が、11年生の女子生徒の就学に関し、異なる経路で影響を与えていたことを示唆しています。なお、情報提供の介入については女子生徒の就学や午前シフトへの就学への効果は確認されず、他の介入との相乗効果も見られませんでした。
では、交渉スキル研修は、どのようなメカニズムにより、女子生徒の就学に作用していったのでしょうか。Ashraf et al.(2020)は、この点を考察するため、介入から約3カ月後、女子生徒とその保護者によるゲームを行いました(以下、「教育投資ゲーム」と呼びます)。保護者はゲーム開始時に10トークン(2米ドル相当)を受け取ります。保護者が女子生徒にトークンを贈与する場合、その2倍の数のトークンを女子生徒は受け取ります(女子生徒は保護者からのトークンに加え、ランダムに2~4トークンを受け取りました)。女子生徒は保護者からのトークン(ランダムに決定されたトークンを含む)を受領した後、保護者に何トークンを贈与するかを決定します。
上記の教育投資ゲームに関し、Ashraf et al.(2020)は、保護者及び女子生徒が相手に贈与するトークンの数を決める前に一度コミュニケーションをとることが認められるもの(「教育投資ゲーム(保護者・女子生徒間のコミュニケーション有)」と呼びます。)の他、コミュニケーションをとることが認められないもの(「教育投資ゲーム(保護者・女子生徒間のコミュニケーション無)」と呼びます。)の二種類を行いました。さらに、上記の二種類のゲームの他、保護者が女子生徒の贈与するトークン数を決めた後に女子生徒から保護者へのトークンの贈与というプロセスのないゲーム(「教育投資ゲーム(女子生徒からの贈与無・保護者・女子生徒間のコミュニケーション無)」と呼びます)が行われました。
教育投資ゲーム(保護者・女子生徒間のコミュニケーション有)で、仮に交渉スキル研修を受けた女子生徒の保護者による贈与トークン数が他グループの保護者による贈与トークン数よりも多い場合、その現象についてありうる要因として、①女子生徒による保護者との交渉の結果という可能性の他、②保護者の利他性が高かったという可能性や、③女子生徒との交渉がなくとも保護者が女子生徒に対して見込む保護者への贈与トークン数が高かったという可能性の3つが考えられます。
次に、教育投資ゲーム(保護者・女子生徒間のコミュニケーション無)では、女子生徒が保護者と交渉する機会がありませんので、仮に交渉スキル研修を受けた女子生徒の保護者による贈与トークン数が他グループの保護者による贈与トークン数よりも多い場合、その現象についてのありうる要因として、②保護者の利他性が高かったという可能性と、③女子生徒との交渉がなくとも保護者が女子生徒に対して見込む保護者への贈与トークン数が高かったという可能性のいずれかと考えられます。
そして、教育投資ゲーム(女子生徒からの贈与無・保護者・女子生徒間のコミュニケーション無)では、女子生徒が保護者と交渉する機会や保護者への女子生徒からの贈与がありませんので、仮に交渉スキル研修を受けた女子生徒の保護者からの贈与トークン数が他グループの保護者からの贈与トークン数よりも多い場合、その要因は②保護者の利他性が高かった点と考えられます。
すなわち、教育投資ゲーム(コミュニケーション無)や教育投資ゲーム(女子生徒からの贈与無)において、交渉スキル研修を受けた女子生徒の保護者からの贈与トークン数が他グループの保護者からの贈与トークン数と同程度であって、かつ、教育投資ゲーム(コミュニケーション有)において、交渉スキル研修を受けた女子生徒の保護者からの贈与トークン数が他グループの保護者からの贈与トークン数よりも多い場合、それらの結果は、女子生徒の交渉スキルの向上により、保護者からの贈与トークンが増加したことを示すと考えられるでしょう。そして、3種類のゲームの結果は、女子生徒の交渉スキルの向上により保護者からの贈与トークンが増加したことを支持するものでした。
今回は、非認知スキルの一つである交渉スキルに着目し、同スキルの研修を女子生徒に対して行うことにより、女子生徒の就学の継続が図られるかを検証した、Ashraf et al.(2020)をご紹介しました。Ashraf et al.(2020)は、長い期間にわたって女子生徒を追跡調査することに加え、女子生徒の就学継続にかかる保護者の意思決定をモデル化し、そのモデルをもとに女子生徒とその保護者によるゲームを設計して行うことにより、介入効果のメカニズムを考察しました。Ashraf et al.(2020)は、交渉スキルによる女子就学に対する効果とともに、その効果のメカニズムに迫るための工夫が参考になると思われます。
参考文献
Ashraf, Nava, Natalie Bau, Corinne Low, and Kathleen Mcginn. 2020. “Negotiating A Better Future: How Interpersonal Skills Facilitate Intergenerational Investment.” The Quarterly Journal of Economics: 1095–1151. https://doi.org/10.1093/qje/qjz039
Kautz, Tim, James J. Heckman, Ron Diris, Bas ter Weel, and Lex Borghans. 2014. “Fostering and Measuring Skills: Improving Cognitive and Non-Cognitive Skills to Promote Lifetime Success.” OECD Education Working Paper. Retrieved from
UNICEF. 2019. Comprehensive Life Skills Framework Rights based and life cycle approach to building skills for empowerment. Retrieved from
https://www.unicef.org/india/media/2571/file/Comprehensive-lifeskills-framework.pdf