教育を通じて人々は自らの能力を向上させますが、教育は同時に競争を通じた選抜の側面も有しています。教育における選抜の側面の代表例は、入学試験でしょう。高等教育機関を卒業したかや、どの学校を卒業したかといった学歴は、子どもが大人になり、社会生活を営んでいく過程で大きく影響します。入学試験は公平かつ公正であるべきですが、試験結果が人生に大きな影響を与えうることから、不正が行われる可能性があります(Heyneman, 2004)。不正により試験結果が歪められれば、教育を通じてかえって社会の不公正や不平等が拡大することになってしまいます。では、試験における不正が蔓延している国において、どのようにすれば、その不正を減少させることできるでしょうか。今回は、東欧のルーマニアにおいて、バカロレア(Baccalaureate)とよばれる高校修了資格試験における不正減少のための方策に関し、その効果を検証したBorcan et al.(2017)をご紹介します。
2003年に世界銀行がルーマニアで行った調査において、公立学校では不正が行われていると回答した人の割合は67%に上りました。ルーマニアにおいて、バカロレアは大学入試の一部を構成したこともあって、とても重要な試験でしたが、2010年5月にルーマニア政府が財政難の中で公務員給与を急遽25%カットしたことを背景として、同年6月のバカロレアにおける不正が増加し、社会問題となりました(Borcan et al., 2014)。賄賂を受けた教員や校長等が、別途印刷した正答で生徒の回答を差し替える例が数多く確認され、”Xeroxed exam”と揶揄されました(Borcan et al., 2014)。
バカロレアにおける不正には、試験に先だってクラスの生徒間で集金が行われて教員等の試験官に賄賂の贈られる形式(collective bribes)と、個々の生徒あるいは少人数のグループの生徒から個別に教員等の試験官に賄賂を贈る形式(individual bribes)がありました。前者は、試験官が試験中のカンニング等の不正行為を見逃す、あるいは試験官が試験におけるカンニングを支援する形式、後者は、試験後に対象生徒の成績を引き上げる、あるいは回答を差し替える形式の不正でした。
2010年にバカロレアにおける不正が社会問題となったことをうけ、2011年にルーマニア政府は次の2つの方策をとりました。第一に、バカロレア試験において賄賂を受け取った教員等の学校関係者に対し、給与カットや禁固刑が科されることとなりました。また、不正に関与した生徒に対しては、不正の程度に応じ、バカロレア試験を受けることのできない期間が定められました。第二に、2011年5月にルーマニア教育省は全国42の地方自治体(County)に対し、バカロレアの試験会場に監視カメラを設置するように提言を行いました。(バカロレアは例年6月に行われますので、監視カメラ設置の提言は試験1カ月前に行われたこととなります。)ただし、監視カメラは試験会場における不正を取り締まるものでしたので、Collective bribesには有効な方策でしたが、Individual bribesには有効な方策ではありませんでした。
2011年6月のバカロレアにおいて、25の地方自治体(County)において監視カメラが設置された一方、残る17の地方自治体(County)では監視カメラはまだ設置されていませんでした(監視カメラ設置は各地方自治体により行われることとされましたので、監視カメラの設置有無は地方自治体により異なりました)。不正に対する厳罰化は全国の教員に対して図られた一方、監視カメラの導入は地方自治体により異なったこととなります。地方自治体間の監視カメラの設置有無の相違に着目し、Borcan et al.(2017)は、不正に対する厳罰化のみが導入された地方自治体と、厳罰化と監視カメラの両者が導入された地方自治体を比較することにより、監視カメラを厳罰化に組み合わせることによる、バカロレアにおける不正の減少効果を推定しました。効果推定は、差分の差(Difference in Differences)が用いられています。
下図は、2004年から2013年にかけてのバカロレアの合格率の推移を示しています(黒の実線は2011年に監視カメラを導入した地方自治体、赤の破線は2012年に監視カメラに導入した地方自治体のスコアの推移を示しています)。2011年にまだ監視カメラを導入していなかった地方自治体に比べ、同年に監視カメラを既に導入した地方自治体では、バカロレアの合格率がさらに減少しました。2009年から2010年にかけ、黒の実線及び赤の破線ともに合格率が減少していますが、2010年のバカロレア試験科目の構成変更によるものと考えられます。2010年には、多くの生徒が従来、高得点を取得していたルーマニア語の口述試験と、選択科目1科目(多くの生徒は体育を選択していたようです)が、バカロレアの試験科目から除かれました。ただし、バカロレアの構成科目から除かれた後もルーマニア語の口述試験は行われていました(本分析で用いられる、2011年、2012年には、バカロレアの1週間前にルーマニア語の口述試験が行われました)。
差分の差(Difference in Differences)による効果推定では、仮に2011年に監視カメラが導入されなかった場合、上図における2010年から2011年にかけての黒の実線の推移は、赤の破線に平行であったはずという、平行トレンドを想定する必要があります。上図において、黒の実線と赤の破線に関し、2011年までのバカロレア合格率の推移が平行であることは、平行トレンドをサポートする材料です。
なお、2009年から2010年にかけての合格率の減少が、バカロレアにおける試験科目の構成変更によるものであることを示すため、Borcan et al.(2017)は、バカロレアの対象全科目のスコアと、ルーマニア語(筆記試験)のスコアの推移を示します。ルーマニア語(筆記試験)については試験問題の形式に変更がありませんでしたので、2009年から2010年にかけて試験スコアは減少していないはずです。他方で、バカロレアの対象全科目のスコアは、試験科目の構成変更をうけて2009年から2010年にかけて減少しているはずですね。
ルーマニア語(筆記試験)のスコアの推移は下図のとおりです。2009年から2010年にかけてスコアに減少は見られません。
他方で、バカロレアの全科目のスコアの推移は下図のとおりです。2009年から2010年にかけて大幅に減少していますね。
差分の差による分析の結果、厳罰化に加えて監視カメラが導入されることにより、バカロレア合格率が平均9.5パーセントポイント減少したと推定されました。監視カメラの設置そのものは、試験を受ける生徒の学力に影響を与えませんので、厳罰化に加えて監視カメラが導入されることによりCollective bribesが減少したことにより、バカロレア合格率が減少したと考えられます。
では、教員等に対する厳罰化はバカロレアにおける不正に対し、効果があったのでしょうか。教員等に対する厳罰化は全国で一斉に行われましたので、厳罰化のみの効果量を測定することはできませんが、Borcan et al.(2017)は厳罰化による不正への効果の有無をデータから推測するため、2010年以降もバカロレアの構成科目であったルーマニア語の筆記試験の結果と、2010年以降にバカロレアの構成科目から除かれたルーマニア語の口述試験の結果を取り上げて分析を行います。教員等に対する厳罰化が不正を減少させたとすれば、バカロレアの試験科目であったルーマニア語の筆記試験では厳罰化前の2010年に比べて厳罰化後の2011年と2012年には同試験結果が下がり、バカロレアの試験科目ではなくなったルーマニア語の口述試験では厳罰化後の2011年と2012年にも試験結果は下がらないはずです。分析の結果、厳罰化のみによる不正減少効果の存在が確認されたとBorcan et al.(2017)は論じます。
また、前述の平行トレンドの仮定が成立するのであれば、ルーマニア語の筆記試験ではバカロレアにおける不正対策の強化により試験結果が下がり、ルーマニア語の口述試験では、2011年以降後も試験結果が下がらないはずです。ルーマニア語の筆記試験では厳罰化に比べて厳罰化後には同試験結果が下がり、ルーマニア語の口述試験では厳罰化後にも試験結果は下がったことは、前述の平行トレンド(差分の差による分析の前提)を支持するものでもあります。(この他、分析手法の妥当性について、様々な検証をBorcan et al.(2017)は行っていますが、紙幅の都合により割愛します。)
さて、教員等の厳罰化に加えて監視カメラを導入することにより、バカロレアにおける不正は減少したと考えられますが、貧困層の生徒に対する効果と、貧困層ではない生徒に対する効果は、異なるのでしょうか。下図は、貧困層の生徒と、貧困層ではない生徒に関し、バカロレアの合格率の推移を示したものです。
2011年に監視カメラの導入された地方自治体では、左の貧困層の生徒の方が、右の貧困層ではない生徒よりも、2010年から2011年にかけてバカロレアの合格率が減少しています。分析の結果、教員等の厳罰化に加えて監視カメラが導入されることにより、貧困層ではない生徒よりも、貧困層の生徒のバカロレアの合格率がより減少したことが確認されました。この結果は、貧困層の生徒による不正が、貧困層ではない生徒による不正よりも減少したことを示唆しています。バカロレアにおける不正には、Collective bribesとIndividual bribesの2つがあると述べましたが、貧困層の生徒の家計はIndividual bribesを行うだけの財政的余力がありません。教員等の厳罰化に加えて監視カメラが導入されることによりCollective bribesが減少した一方で、Individual bribesが残ることで、予期せぬ形で社会経済格差を拡大させる結果をもたらしたと言えます。
今回は、ルーマニアの高校修了資格試験(バカロレア)における不正減少のための施策の効果を検証したBorcan et al.(2017)をご紹介しました。人は人から見られることにより、不正を働きにくくなる、あるいは規則を守るようになることが、これまでの社会心理学の研究から示されていますが(Dear et al., 2019)、ルーマニアにおける監視カメラ導入の施策は、人から見られることにより不正を働きにくくするという、人の行動原理に着目したものとも言えるでしょう。
大学入試の一部を構成するバカロレアは子どもの人生に大きな影響を与えますので、不正をなくするための取組みはとても重要ですが、その取組みにより、社会経済格差を拡大させる結果が生じました。その結果は皮肉なものでしたが、施策効果の検証を通じ、不正減少のための施策にかかる重要な課題の把握につながったと言えます。教育分野における汚職は、バカロレアのような重要な試験の不正にとどまらず、下図の示すとおり様々な種類のものがありますが(Curbing corruption)、それら汚職防止にかかる実証研究は必ずしも十分に行われてきていないことから、今後の重要な研究テーマと言えるのではないでしょうか。
参考文献
Borcan, Oana, Mikael Lindahl, and Andreea Mitrut. 2014. “The impact of an unexpected wage cut on corruption: Evidence from a ‘Xeroxed” exam.’” Journal of Public Economics, 120, 32–47.
https://doi.org/10.1016/j.jpubeco.2014.08.003
Borcan, Oana, Mikael Lindahl, and Andreea Mitrut. 2017. “Fighting Corruption in Education: What Works and Who Benefits?” American Economic Journal: Economic Policy, Vol. 9 (1): 180–209.
https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257/pol.20150074
Curbing Corruption. “Education.”
https://curbingcorruption.com/sector/education/ (Access date: Aug. 19, 2022).
Dear, Keith, Kevin Dutton, and Elaine Fox. 2019. “Do ‘watching eyes’ influence antisocial behavior? A systematic review & meta-analysis.” Evolution and Human Behavior, 40: 269–280.
https://doi.org/10.1016/j.evolhumbehav.2019.01.006
Heyneman, Stephen P. 2004. "Education and corruption." International Journal of Educational Development, 24: 637–648.
https://doi.org/10.1016/j.ijedudev.2004.02.005