2005年10月8日午前8時50分、パキスタン北部でマグニチュード7.6の地震が発生し、7万人を越える人々がなくなり、6万人以上が怪我を負い、280万人以上が家を失いました。(日本で1995年1月に生じた阪神・淡路大震災がマグニチュード7.3でしたので、阪神・淡路大震災と同程度の大きさの地震と考えてよいかもしれません。)今回は、パキスタンにおける大地震による子どもの学習や成長への中長期的影響について研究した、Andrabi et al.(2021)をご紹介したいと思います。
パキスタン政府は、地震発生後、地震復旧・復興庁を設立し、人道緊急援助の調整と、被災者への支援にあたりました。地震に被災した家計は、被災直後に現金給付25000ルピーと怪我や死亡への補償(怪我の場合は25000~50000ルピー、死亡の場合は100000ルピー)を受けました。また、続いてパキスタン政府は、被災した家計に追加の現金給付を行いつつ、仮設住宅建設用の資材を取り急ぎ配布するとともに、2006年春以降、壊れた家屋の再建にかかる支援(150000ルピー)を行いました。活断層付近に住んでいた人々は総額175000ルピーの支援を受けましたが、その支援総額は活断層付近から20kmを越えた地点に住んでいた人々の年間支出の1.5倍にあたりました。従って、被災した家計は、地震による被害と地震後の支援の両方を受けたこととなります。
パキスタンにおける2005年の地震から4年後、壊れた家屋は再建され、現地の人々の暮らしは一見、平常に戻ったようです。しかし、地震後に支援を受けたとしても、子ども達に何らかの負の影響を残っていないのでしょうか。
Andrabi et al.(2021)は、子ども達の居住していた家屋から活断層への距離を用い、地震後に支援を受けても残る、地震による子ども達の学習や発達への影響を推定します。家屋から活断層への距離を用いた理由は、活断層への距離が近いほど、地震による被害が大きかったためです。Andrabi et al.(2021)の調査において、調査対象の平均57%の家計の家屋が地震によって壊れましたが、活断層付近では家屋の壊れた割合が75%と高かった一方、活断層から20km以上離れた所では地震により家屋の壊れた割合が26%でした。
2009年から2010年にかけ、Andrabi et al.(2021)は、地震に被災した家計に対する調査を実施しました。調査は、地震による被害の最も大きかった4つのディストリクトから無作為に抽出された126の村落を対象としました。調査対象地域は、活断層からの平均17.5km、震源地からの平均36.4kmの距離にありました。
Andrabi et al.(2021)は、次の2種類の調査を行いました。第一に、28297家計(計154986名)を対象とし、居住地の位置情報(GPS座標)、家計の名簿、家計に対する援助にかかる調査を行いました。また、それら28297家計の中から無作為に20%にあたる6455家計を抽出し、子どもの教育、家の被害、公的インフラへのアクセス、心理的トラウマにかかる調査を行いました。
第二に、28297家計の中から無作為にその10%にあたる2456家計(15,036名)を抽出し(前述の6455家計と重複しない形で抽出)、子どもの健康・教育にかかる地震前後の状況等についての聞き取り調査を行いました(これを本稿では「詳細調査」と呼びます)。詳細調査における調査対象者15306名のうち、調査時点で4475名が3~15歳でした。調査は地震から4年後に行われていますので、調査時点で3歳の子どもは、地震の際には母親の胎内にいたことになります。詳細調査では、3~15歳の子どもについて身長や体重の測定、5歳~15歳の子どもについて就学状況にかかる聞き取り調査、7歳以上の子どもについて英語、ウルドゥー語、算数のテストを実施しました。
では、まずAndrabi et al.(2021)の分析手法における前提を確認しましょう。第一に、活断層から調査対象者の住んでいた家屋への距離が、調査対象者の地震の生じる前の属性と相関していますと、Andrabi et al.(2021)の方法では、地震による、子ども達の学習や発達への影響を推定することはできません。調査データをもとに、Andrabi et al.(2021)は、活断層から調査対象者の住んでいた家屋への距離が、調査対象者の属性と相関していないことを示します。
また、調査対象者の多くが地震前後で転居していた場合には、Andrabi et al.(2021)の方法では、地震による子ども達の学習や発達への影響を推定することはできません。Andrabi et al.(2021)は、調査対象者の9割以上が地震前からその地に住んでいたことを聞き取り調査を通じて確認しました。ただし、家計全体が転居している可能性は否定できませんが、書面上の土地の所有権が不明瞭であったことから、地震後に各家計の何者かが残って、土地と家財の管理にあたっており、家計全体が転居した割合は小さいのではないかとAndrabi et al.(2021)は論じています。
では、Andrabi et al.(2021)の分析結果を見てみましょう。家屋から活断層の距離が20km圏内と20km圏外を比べた時、地震発生時に14~20歳の人々については身長に相違が見られなかったのに対し、地震発生時に3歳以下の子どもたち(地震発生時に母親の胎内にいた子ども達を含む)については相違が見られ、家屋から活断層の距離が20km圏内の子ども達の方が、20km圏外の子ども達よりも身長が低いことが分かりました。回帰分析の結果、地震発生時に母親の胎内にいた子ども達については家屋が活断層に1km近いほど平均0.036標準偏差(30kmで1標準偏差に相当)、地震発生時に0~2歳であった子ども達については家屋が活断層に1km近いほど0.015標準偏差、身長が低いことが示されました。
続いて、子ども達の教育にかかる分析結果をみてみましょう。家屋から活断層への距離は、子ども達の就学や到達学年に相関していませんでしたが、学習の面では活断層に1km近いほど0.009標準偏差(30kmで0.27標準偏差に相当)、低い結果が示されました。地震から4年が経って子ども達の就学は正常化したように見えましたが、目に見えづらい子ども達の学習の面では、地震から4年が経過しても負の影響が残っていることが明らかとなりました。
地震は子ども達の学習に負の中長期的影響を残していますが、その影響は母親によって異なったのではないでしょうか。つまり、母親が初等教育を修了していれば、学校閉鎖期間中に子ども達への学習指導を母親が行う等し、地震による負の影響が緩和されたのではないかと、Andrabi et al.(2021)は考えます。下図の示すとおり、家屋の位置が震源地から20kmを越えますと、初等教育を受けていた母親の子どもと、受けていない母親の子どもの間に学習成果における明確な相違は見られませんが、20km圏内では、初等教育を受けていた母親の子どもの学習成果が、初等教育を受けていなかった母親の子どもの学習成果を上回っていました。
母親の教育水準と子どもの学習成果には様々な要因が影響していると考えられますので、両者の関係をみるだけでは、母親の教育水準による地震の負の影響の緩和の程度を識別することはできません。母親の教育水準に影響を与えるけれども、子どもの学習成果には直接影響を与えない要因として、母親が子どもの頃に住んでいた村における学校の有無をAndrabi et al.(2021)は挙げます(パキスタンにおける小学校は男女で分けられていました)。Andrabi et al.(2021)は、母親が子どもの頃に住んでいた村における学校の有無という変数を用い、母親の教育水準による地震の負の影響の緩和の程度を識別します。(母親が子どもの頃に住んでいた村における学校の有無が、村の何らかの特徴と相関していますと、その村の特徴を介して子どもの学習成果に影響を与えてしまうかもしれません。母親が子どもの頃に住んでいた村における学校の有無が、母親の教育水準を介して、その母親の子どもの学習に影響を与えるという、因果連鎖に関係しうる変数をAndrabi et al.(2021)はコントロールして回帰分析を行いますが、紙幅の都合により割愛します。)回帰分析の結果、母親が初等教育を受けていたことにより、地震による子どもの学習への負の影響が緩和されたことをAndrabi et al.(2021)は示しました。
今回は、地震による、子ども達の成長や学習への中長期的な影響を分析したAndrabi et al.(2021)をご紹介しました。Andrabi et al.(2021)は、地震後に支援を受けていても子ども達の成長や学習に負の影響が残っていることを示しました。このことは、災害後の緊急・復旧支援の段階において、子ども達の学習継続を支援することの重要性を示していると言えるでしょう。なお、そのことは、自然災害に限らず、紛争等の災害にも言えることであろうと思います。また、Andrabi et al.(2021)は母親が教育を受けていることにより、地震による子どもの学習への負の影響が緩和されることも示しました。このことは女子教育の重要性を示すと同時に、災害後の緊急・復旧支援の段階において、特に教育水準の低い母親やその子どもへの支援が重要であることも示唆していると思われます。
参考文献
Andrabi, Tahir, Benjamin Daniels, and Jishnu Das. 2021. “Human Capital Accumulation and Disasters: Evidence from the Pakistan Earthquake of 2005.” Journal of Human Resources: 0520-10887R1.
http://jhr.uwpress.org/content/early/2021/06/02/jhr.59.2.0520-10887R1.refs