教育を受けることで個人は自らの能力を培い、経済活動における生産性を高め、所得を向上させることができると考えられています。また、個人が教育を受けることで社会における知識・技術の伝播が促される、あるいは社会において教育を受けた人々が増えることで社会的に経済活動が活発化することから、教育の便益は教育を受ける個人にとどまらず、社会全体に及びます。さらに、教育は、教育を受けた個人の子どもにも便益をもたらします。例えば、個人が教育を受けることで高まった所得を用い、子どもの教育投資を増やすこと等が考えられます。教育は、教育を受ける個人にとどまらず、社会全体、そして次の世代の個人や社会に便益をもたらすものと言えるでしょう。では、教育を個人が受けることによる社会への便益や、次の世代への便益は計測できるのでしょうか。今回は、西アフリカにある、ベナンという国の植民地期における初等教育による便益の世代を越えた伝播(「初等教育の世代間効果」と呼びます。)を研究した、Wantchekon et al.(2015)をご紹介したいと思います。
まず、Wantchekon et al.(2015)における、初等教育の世代間効果の推定にかかる基本的な考え方を直観的にご理解いただくため、極端に単純化した例を用いてご説明したいと思います。初等教育に就学した人をAさん、その子どもをaさんとします。また、初等教育に就学しなかった人をBさん、その子どもをbさんとします。そしてAさんの親をAAさん、Bさんの親をBBさんとします(図1)。
さて、Aさんは初等教育を受けてから大人になって小さな会社を設立して事業が成功してAAさんよりも裕福になりました。他方で、Bさんは初等教育を受けずに大人になって農夫となり、所得水準はBBさんから変わりませんでした。そして、aさんは、初等教育に就学しましたが、bさんは初等教育に就学しなかったとしましょう。
上記の事例において、
・ 初等教育に就学したAさんが仮に初等教育に就学しなかったらBさんのように農夫となっていたのではないか、
・ 初等教育に就学したAさんが仮に初等教育に就学しなかったら、aさんもbさんのように初等教育に就学していなかったのではないか、
と考えることができれば、AさんとBさん、aさんとbさんを比較することにより、初等教育の世代間効果を推定できると言えるでしょう。
しかしながら、そもそもAAさんが教育に熱心である一方、BBさんは教育に熱心でないとしたらどうでしょうか。また、初等教育の便益がAAさんにだけ知られていて、BBさんに知られていなかったとしたら、どうでしょうか。親の特徴が異なりますので、Aさんが仮に初等教育を受けていなかったらBさんのように農夫となっていたのではないか、とは言えませんね。初等教育の世代間効果の推定のためには、親の特徴が似ていて、たまたま初等教育の就学機会が与えられるという設定が必要となります。果たして、そんな都合のいい設定があるのでしょうか。Wantchekon et al.(2015)における調査対象の選定方法を見てみましょう。
現在のベナンにあったダホメ王国は、19世紀末にフランスにより植民地化されました。ポルトノボ等の沿岸部の都市では、植民地化以前からヨーロッパ諸国との交易関係があり、バチカンの宣教師が活動していましたが、内陸部の都市ではダホメ王国の影響により植民地化後になって初めて宣教師の活動が開始されました。内陸部の都市において宣教師が宣教活動を進める過程で、初等教育が導入されていきました。
Wantchekon et al.(2015)は、フランスによる植民地化の直後に、宣教師の活動により初等教育が導入された、ベナンの内陸部の村をまず調査対象とします(以下、「植民地化直後に初等教育が導入された村」と呼びます)。宣教師の活動開始前にヨーロッパ諸国の影響を受けておらず、植民地化直後に初等教育が導入された村を調査対象とすれば、初等教育の導入時点で、その便益は村の人々に知られていなかったはずです。また、宣教師は予め村を特定して宣教活動を行う村を選んでいませんでしたので、たまたま宣教師がその村で活動を始めたことにより、初等教育の就学機会がその村に生まれたと考えられます。
植民地化直後に初等教育が導入された村における現地調査を通じ、Wantchekon et al.(2015)は、小学校の名簿、植民地行政の記録、家族の有する記録、古くから住む人々への聞き取り調査をもとに、初等教育導入直後に就学する機会を得た人々を特定します。続いて、初等教育導入直後に就学した人々の子ども、孫、兄弟、ご近所を特定し、それら人々の特徴について聞き取り調査を行いました。
では、比較対象の村はどのようにして選定されたのでしょうか。Wantchekon et al.(2015)は、植民地化直後に初等教育が導入された各村から7~20km圏内にある村をリストアップし、その中から比較対象とする村を無作為に抽出しました。なぜ20km圏内としたのでしょうか。宣教師は予め村を定めて活動地を選択したわけではなかったので、植民地化直後に初等教育が導入された各村から20km圏内の村は、宣教師による活動地となった可能性がありました。次に7km以上離れた村をリストアップした理由ですが、植民地化直後に初等教育が導入された村に近すぎますと、周辺の村から小学校に通うことが可能であったかもしれません。その可能性を排除するため、比較対象の村の選定にあたって、植民地化直後に初等教育が導入された各村から7km以上という条件が付されました。植民地化直後は、村の間は舗装されておらず獣道でしたので、子どもの足で7km離れた村から小学校に通うためには3~4時間要し、7km以上離れた村から小学校に通えるとは考えられないためです。なお、初等教育の導入直後の時点では、小学校に寄宿施設はありませんでした。
Wantchekon et al.(2015)は、比較対象の村の人々(調査時点で40歳以上)の名簿を作成します。その名簿の中から無作為に調査対象候補者を選定し、続いて、調査対象候補者への聞き取りを通じ、その調査対象候補者の親を特定します。Wantchekon et al.(2015)は、調査対象候補者の父親や祖父が、植民地化直後に初等教育が導入された村で就学機会を得た人々の年齢に近い場合、調査対象者としました。そして、その調査対象者の特徴について聞き取り調査を行います。
また、植民地化直後に初等教育が導入された村では、植民地化直後に初等教育への就学機会を得なかった人々もいました。当然のことながら、就学しなかった人々については小学校に名簿はありません。植民地化直後に初等教育が導入された村で就学機会を得なかった人々を特定するため、Wantchekon et al.(2015)は、調査時点で村にいる人々からさかのぼっていく調査手法をとります。まず、調査時点で40歳以上の人々の名簿を作成し、その名簿の中から無作為に調査対象候補者を選定します。続いて、調査対象候補者への聞き取りを通じ、その調査対象候補者の親を特定します。調査対象候補者の父親や祖父が、初等教育への就学機会を得た人々の年齢に近く、初等教育への就学機会を得ていない場合、調査対象者としました。そして、その調査対象者の特徴について聞き取り調査を行います。
Wantchekon et al.(2015)は、上記をもとに以下の3つのグループの比較を通じ、初等教育の世代間効果を明らかにしようとします。
① 植民地化直後に初等教育が導入された村で就学機会を得た人々と、その子ども達等(子どもの他、姪や甥を含む)
② 植民地化直後に初等教育が導入された村で就学機会を得なかった人々と、その子ども達
③ 比較対象の村の人々とその子ども達
例えば、①と③を比較することにより、初等教育の就学機会を個人が得ることによる世代を越えた便益の伝播を明らかにすることができます。続いて、②と③を比較することにより、初等教育の就学機会を個人が得ることによる社会への便益の伝播や、その個人の次の世代の社会への便益の伝播を明らかにすることができます。
では、Wantchekon et al.(2015)の分析結果を見てみましょう。
まず、初等教育の就学機会を得た個人やその個人と同じ世代の社会に対する効果を見てみましょう。初等教育の就学機会を得た人々は、その機会を得ることにより、農夫となる割合が64.1%低くなった一方、自宅において水へのアクセス可能な割合が11.2%、自転車・自動車等の移動手段を有している割合が29.4%高まる等、生活水準の向上が見られました。他方で、植民地化後に初等教育の導入された村において、初等教育の機会を得なかった人々の生活水準に変化は見られませんでした。また、初等教育の就学機会を得た人々は、その機会を得ることにより、政治活動への参加や、政治家として立候補する割合が高まりました。
次に、植民地化直後に初等教育の就学機会を得た人々の次の世代についての分析結果を見てみましょう。植民地化直後に初等教育が導入された村では、小学校が村にできたことで、初等教育の就学機会を得ていなかった親の子どもに対しても初等教育の就学機会が広がりました。また、初等教育の就学機会を得ていなかった親の子どもが大人になってからの生活水準に向上がみられました。例えば、初等教育の就学機会を得ていなかった親の子どもが大人になった際、比較対象の村の同じ世代に比べ、電気にアクセスできる人々の割合が42.6%、電話を有する人々の割合が22.8%高いことが示されました。
では、植民地化直後に初等教育が導入された村で、初等教育の就学機会を得た人々と、就学機会を得なかった人々の次の世代では、教育や生活水準に差はみられたのでしょうか。
植民地化直後に初等教育が導入された村では、親が初等教育の就学機会を得ることにより、子どもや甥、姪の就学が促される結果が明らかとなりました。植民地化直後に初等教育の就学機会を得た人々の子どもや甥、姪は、親あるいは近縁が初等教育の就学機会を得ることで、植民地化直後に初等教育の就学機会を得なかった親の子ども達よりも、初等教育への就学割合が14.4%、中等教育への就学割合が16.6%、高等教育への就学割合が6.7%高まったことが示されました。また、植民地化直後に初等教育が導入された村では、植民地化直後に初等教育の就学機会を得ることで、その人々の子どもや甥、姪が大人になった際、初等教育の就学機会を得なかった人々の同じ世代に比べ、自宅で水にアクセスできる人々の割合が11.8%、電気にアクセスできる人々の割合が14.2%、電話を有する人々の割合が21.1%高いこと等が示されました。
今回は、ベナンにおける初等教育の世代間効果についての研究、Wantchekon et al.(2015)を取り上げました。教育、なかでも初等教育は国の発展の基礎と言われますが、Wantchekon et al.(2015)の地道な研究は、初等教育の開発における重要性を示唆するものと思われます。
参考文献
Wantchekon, Leonard, Marko Klasnja, and Natalija Novta. 2015. Education and Human Capital Externalities: Evidence from Colonial Benin. The Quarterly Journal of Economics (2015): 703-757.
https://doi.org/10.1093/qje/qjv004