サブサハラアフリカ地域を対象として教育開発の仕事を始めますと、多くの国では教授言語として、英語やフランス語、ポルトガル語といった植民地期の公用語が用いられていることに気づきます。植民地期の公用語による学習は、子ども達にとって負担が大きいであろうことは想像に難くありません。例えば、読み書きを植民地期の公用語で学習するとしますと、子ども達がその言語の意味を理解しながら学習することは容易ではないでしょう。では、植民地期の公用語による学習は、人々の識字能力の獲得にどの程度影響してきているのでしょうか。今回は、その問いにかかる研究として、Laitin and Ramachandran(2022)をご紹介したいと思います。
まず、植民地期の公用語を教授言語として用いることによる、人々の識字能力の獲得への影響はどのようにして推定しうるのでしょうか。その方法を見てみましょう。
現代のサブサハラアフリカにおける国境線は、19世紀のベルリン会議等の植民地分割に起源がありますが、植民地分割の過程で人為的に引かれた国境線により、同じ民族を異なる国々に分ける形となりました。Laitin and Ramachandran(2022)は、サブサハラアフリカ地域における植民地分割後、同じ民族が異なる教授言語政策を有する国に属することとなったことに着目し、教授言語政策による人々の識字能力獲得への影響を推定します。
Laitin and Ramachandran(2022)は、サブサハラアフリカ47カ国の中で、現地語を用いて書く伝統がもともとあったエチオピアとエリトリアを除く45カ国を分析の対象としました。現地語を用いて書く伝統がもともとありますと、公用語として現地語が用いられる可能性が高まります。公用語は教授言語政策に影響を与えますね。もともとの現地語にある書く伝統により公用語の選定を介して教授言語政策が決定されるとしますと、そのような国を分析に含めることで、Laitin and Ramachandran(2022)の関心である、教授言語政策の相違による人々の識字能力の獲得への影響を正しく推定できません。
Laitin and Ramachandran(2022)は、先行研究をもとに、分析で用いるデータを以下のステップで作成しました。
① サブサハラアフリカ地域における民族がもともと住んでいた地域(以下、”homeland”と呼びます)を表記した地図を用意する。Laitin and Ramachandran(2022)の参照した資料は、約800の民族を対象。
② 2000年以降に各国で実施された人口・保健調査(Demographic and Health Survey)データ(本ブログ記事執筆者注: USAIDの支援により実施された調査を指すと思われます)を収集し、調査対象者の位置座標(GPS)のあるものを分析用のデータに残す(45カ国中、調査対象者の位置座標データが利用可能なのは33カ国)。
③ 上記の①と②のデータを重ね合わせる(調査対象者の位置座標をもとに、homelandの情報と接合する)。
Laitin and Ramachandran(2022)は、homelandの民族をもとに、調査対象者の民族を仮定します(民族iがもともと住んでいた地域の人々の民族をiと仮定します)。その上で、homelandが国境線によって区分され、異なる言語政策をとる国にある人々のうち、国境線から150km圏内に居住する人々のデータを分析の対象とします。
識字能力獲得の有無について、Laitin and Ramachandran(2022)は、上記②の各国で実施された人口・保健調査(Demographic Health Survey)で実施された識字のアセスメント結果を用いました。同調査では、調査対象者が初等教育に就学していない、あるいは就学していても中等教育に進学していない場合、調査員は調査対象者の用いる言語で書かれた文章を調査対象者に提示し、識字のアセスメントが行われました。識字のアセスメントにおいて、調査対象者は、①全く読めない、②読めるものの、文章全体を読めない、③文章を読めるに区分されました。調査対象者は、③の場合には識字能力を有している、①あるいは②の場合には識字能力を有していないと、Laitin and Ramachandran(2022)はみなしました。(中等教育以上の教育段階の学歴を有する人々は、識字のアセスメントを行われていませんが、その学歴からLaitin and Ramachandran(2022)は識字能力があるとみなしました。)
次に、サブサハラアフリカ地域の全ての国々では、植民地期の公用語が中等教育・高等教育で用いられていますので、初等教育における教授言語政策に関し、Laitin and Ramachandran(2022)は次の3種類に区分します。
・ 英語やフランス語、ポルトガル語といった、植民地期の公用語のみを教授言語として用いている国(Colonial language system)
・ 植民地期の公用語と現地語を併用している国(Mixed language system)
・ 現地語のみを用いている国(Indigenous language system)
Laitin and Ramachandran(2022)は、homelandが国境線によって区分され、異なる教授言語政策をとる国にある人々を分析の対象としていました。ある民族は国境線により、植民地期の公用語のみを教授言語として用いている国と、現地語のみを用いている国に分けられました。それらの国々の国境線付近の人々を比べることにより、植民地期の公用語のみを教授言語として用いている国の人々との比較において、現地語のみを用いている教授言語政策の識字能力獲得への影響を考察することができますね。また、ある民族は国境線により、植民地期の公用語のみを用いている国と、植民地期の公用語と現地語を併用している国に分けられました。それらの国々の国境線付近の人々を比べることにより、植民地期の公用語のみを教授言語として用いている国の人々との比較において、植民地期の公用語と現地語の併用する教授言語政策の識字能力への影響を考察することができますね。
では、Laitin and Ramachandran(2022)の分析結果を見てみましょう。回帰分析の結果、初等教育に就学したものの中等教育に進まなかった学歴の人々に関し、植民地期の公用語のみを教授言語として用いている国との比較において、現地語のみを用いている国では識字能力を有している人々の割合が34%多いことが示されました。また、同様の比較において、植民地期の公用語と現地語を教授言語として併用している国においては識字能力を有している人々の割合が17%多いことが示されました。換言しますと、植民地期の公用語のみを教授言語として用いている国で初等教育を受けるよりも、現地語のみを教授言語として用いている国で初等教育を受けることで、識字能力を習得できる確率が34%高まったと言えます。同様に、植民地期の公用語と現地語を教授言語として併用している国で初等教育を受けることで、識字能力を習得できる確率が17%高まったと言えます。生まれる場所が識字能力の習得を左右していたと言えるでしょう。
Laitin and Ramachandran(2022)は、homelandが国境線によって区分され、異なる教授言語政策をとる国にある人々を対象としてましたが、教授言語政策にかかる3区分が、各国の制度環境、例えば政府の汚職度、経済水準や医療状況等と相関していますと、Laitin and Ramachandran(2022)の手法では教授言語政策による人々の識字能力への影響を正しく推定できません。その点を検証するため、Laitin and Ramachandran(2022)は、政府の汚職度、経済水準等の指標をコントロールして分析を行ったところ上述の分析結果はほぼ変わりませんでした。
また、教育システムの特徴が教授言語政策よりも大きく識字能力の獲得に作用しているかもしれません。Laitin and Ramachandran(2022)は、各国の1教員あたりの生徒数や、政府教育支出、教員養成課程を修了した教員の割合といった指標をコントロールして分析を行ったところ同様に上述の分析結果はほぼ変わりませんでした。Laitin and Ramachandran(2022)は、他の観点でも、分析結果の検証を行っていますが、ご関心のある方は論文をご参照ください。
Laitin and Ramachandran(2022)は、homelandが国境線によって区分され、異なる教授言語政策をとる国にある人々を分析の対象とし、植民地期の公用語のみを初等教育の教授言語として用いることで人々の識字能力の獲得が阻害されたことを示しました。
では、現地語を初等教育の教授言語とすべきとしますと、全ての科目・学年において現地語を導入すべきなのでしょうか。また、植民地期の公用語と現地語を併用するとすれば、どのように併用すべきなのでしょうか。現地語と植民地期の公用語の橋渡しはどのようになされるべきなのでしょうか。そうした問いを、Laitin and Ramachandran(2022)は、サブサハラアフリカ諸国の教育関係者、教育開発援助に従事する人々になげかけているように思われます。
参考文献
Laitin, David and Rajesh Ramachandran. 2022. “Linguistic diversity, official language choice and human capital.” Journal of Development Economics, 156: 102811.
https://doi.org/10.1016/j.jdeveco.2021.102811