低所得国では、人口の約19%が衛生的なトイレの未整備等の理由により、屋外排せつを行っていると推計されています(World Bank 2020)。人間の排せつ物には、細菌が多く含まれていることから、子どもの暮らす環境やその周辺における屋外排せつにより、免疫力の低い幼い子どもは下痢となる恐れがあります。下痢は、低所得国における5歳以下の子どもの死亡や栄養失調の主な原因の一つであることから(World Health Organization 2017)、屋外排せつの減少は低所得国の開発における重要な課題です。
屋外排せつは、人々の健康に悪影響を及ぼしますので、ある家庭がトイレを整備して利用することは、その家庭のみならず周辺の人々の衛生にも正の効果をもたらすと考えられます。他方で、ある家庭が自らの家庭のトイレを整備しても、他の家庭がトイレを整備しなければ、屋外排せつに伴う疾病リスクは減少しないでしょう。また、ある家庭の視点からは、他の家庭がトイレを整備・維持管理して屋外排せつが減少するのであれば、自らの家庭のトイレを整備せずとも、便益を受けることができます。(従って、その家庭は、自らの家庭のトイレを整備せずに、周辺の家庭によるトイレ整備の便益に「ただ乗り」する可能性があります。「ただ乗り」が生じますと、トイレを整備しても維持管理する家庭が減少する恐れがあります。)
このように、社会全員が協力して実施すれば社会的に望ましい結果が得られるにも関わらず、協力が得られない問題は、”collective action problem”(集合行為問題や集合行動問題と訳されます)と呼ばれます。また、個人が自己にとって望ましい合理的な行動をとることにより社会として望ましくない結果を生じさせることは、”social dilemma”(社会的ジレンマ)と呼ばれます。
個人や家庭に、トイレ整備を強制する組織・制度があれば(例えば、トイレの整備・維持管理を家庭に義務付け、政府機関が定期的に監査を行い、整備していない家庭に整備を行わせる等)、集合行為問題は克服されますが、そのような組織・制度を低所得国のコンテクストで実現することは容易ではありません。では、どのようにすれば、低所得国において、衛生環境改善のための集合行為を実現しうるのでしょうか。今回は、バングラデシュをフィールドとし、衛生環境改善のための集合行為問題をテーマとして実証研究を行った、Bakhtiar et al.(2023)をご紹介したいと思います。(なお、本論文の著者であるGuiterasらは、新規トイレ整備を目的とした介入についての研究を別途行っており(Guiteras et al. 2015)、本研究は新規トイレ整備よりも既存のトイレの改善・維持管理を目的とした介入についてのものです。)
Bakhtiar et al.(2023)は、バングラデシュ北東部の4ユニオン(同国の最小村落行政単位)にある107村落の19,271家庭を対象とし、家庭によるトイレの修繕・維持管理を図るための介入の効果に関し、ランダム化比較試験により検証を行いました(注)。同研究のベースライン調査時点で、調査対象家庭の約3割の成人が屋外排せつを行っていました。
(注)Bakhtiarらは、本研究に先立ち、クジによりトイレ整備のための補助金を交付するランダム化比較試験を実施しましたが、同研究の調査対象村落の約半数を対象とし、本研究を実施しました。本研究のベースライン調査は、前研究の介入から1年以上の期間をあけて行われました。
Bakhtiar et al.(2023)では、調査対象の107村落の全19,271家庭は、1グループあたり14~17家庭からなる、計1,236グループに分けられ、84の村落(計980グループ)が介入群、23村落(計256グループ)が対照群とされました。さらに、Bakhtiar et al.(2023)は、家庭におけるトイレ修繕・維持管理を促す計3種類の介入を設け、それら介入の組合せに応じて介入群を9つの群に分けました。
介入群の9群に共通する、第1種類目の介入は、NGOの保健分野担当が14~17の家庭からなるグループを対象として月1回の会合を計3回開催し、衛生、屋外排せつ及び、それに伴う病気のリスクの啓発に加え、衛生的なトイレや、トイレの修繕・維持管理について講習を行うことでした。衛生的なトイレの主な条件は、①トイレにスラブがあること、②スラブから便槽へのパイプがあり、そのパイプがU字の形状を含むこと(ガス抜きのため)、③便槽の蓋等が整備されていること、④清潔に保たれていることでした。
第2種類目の介入は、対象家庭が条件を満たした場合の金銭的あるいは非金銭的報酬でした。家庭への報酬は、①当該家庭が衛生的なトイレを有していること(NGOが家庭を訪問して衛生的なトイレであるかの確認が行われました)、②グループにおいて衛生的なトイレを有する家庭の割合が目標値を越えていること、の2つの条件を満たした場合に与えられました。目標値は、当該グループの所属するユニオンのベースライン調査時の状態に応じ、比較的達成しやすいものと困難なものの2種類の目標が定められました。
NGOによる家庭の衛生的なトイレにかかる調査(月例会合を開催したスタッフとは別のスタッフが担当)は、介入開始から4カ月後(3回目の月例会合の開催の翌月)に行われました。金銭的な報酬は、上記①に加え、上記②について低めの目標値を達成した場合に250タカ(約3.33米ドル相当)、高めの目標値を達成した場合に500タカ(約6.67米ドル相当)が与えられました。他方で、非金銭的報酬では、地方政府による証書が家庭に与えられました。
第3種類目の介入は、対象家庭による、衛生的なトイレ整備・修繕にかかる誓約でした。誓約は、対象家庭により、公的あるいは私的な形で行われることとされました。公的な形の誓約とは、衛生的なトイレ未整備の家庭については、月1回開催される会合にて他の家庭の前で期限を明示しながらトイレ整備・修繕を宣言する形で行われるものでした。他方で、衛生的なトイレを既に整備している家庭については、トイレ未整備の家庭に対し、トイレ整備・修繕にかかる支援を行うことを宣言するものでした。私的な形の誓約とは、NGOの保健分野担当による各家庭訪問時に、各家庭がNGOのスタッフに対し、トイレ整備・修繕を宣言する形で行われるものでした。
3種類の介入のうち、第1種類目の介入は介入群(9群)全体に対して行われましたが、第2種類目の介入(reward)については金銭的・非金銭的報酬・介入無の3パタン、第3種類目の介入(commitment)については私的・公的誓約・介入無の3パタンでしたので、介入群は下図(3×3の9群)のとおり示されます。なお、このような異なる介入を複数組み合わせることによる、ランダム化比較試験のデザインは、ファクトリアル・デザインと呼ばれます。
さて、上図において、金銭的報酬にかかる介入を受けた群(Monetary reward)は、誓約にかかる介入を受けなかった群(D)、私的誓約の介入を受けた群(E)、公的誓約の介入を受けた群(F)の3群からなります。また同様に、非金銭的報酬にかかる介入を受けた群(Certificate reward)も、誓約にかかる介入を受けなかった群(G)、私的誓約の介入を受けた群(H)、公的誓約の介入を受けた群(I)の3群が含まれます。
Bakhtiar et al.(2023)は、金銭的報酬にかかる介入を受けた3群に着目して、それら3群への金銭的報酬の平均効果を推定しますが、具体的には、
・ 月例会合・金銭的報酬のみの群(D)、
・ 月例会合・金銭的報酬・私的誓約の介入を受けた群(E)、
・ 月例会合・金銭的報酬・公的誓約の介入を受けた群(F)に関し、
金銭的報酬にかかる平均効果を推定する方策を取ります。(従って、識別される金銭的報酬にかかる平均効果には、金銭的報酬とあわせて実施された介入との交差効果が含まれます)。非金銭的報酬にかかる平均効果の意味合いも同様です。
また、Bakhtiar et al.(2023)は、公的誓約にかかる介入を受けた3群に着目して、それら3群への公的誓約の平均効果を推定しますが、具体的には、
・ 月例会合・公的誓約のみの群(C)、
・ 月例会合・金銭的報酬・公的誓約の介入を受けた群(F)、
・ 月例会合・非金銭的報酬・公的誓約の介入を受けた群(G)に関し、
公的誓約にかかる平均効果を推定する方策を取ります。(従って、識別される公的誓約にかかる平均効果には、公的誓約とあわせて実施された介入との交差効果が含まれます)。私的誓約にかかる平均効果の推定も同様です。本ブログ記事では以下、Bakhtiar et al.(2023)にそって、金銭的報酬等の各介入にかかる効果を、上記のような意味合いで表現しますので、ご留意ください。
介入直後の時点で効果が見られても、介入からかなり時間が経過した後の時点では効果がフェードアウトしているかもしれません。Bakhtiar et al.(2023)は、介入の約5カ月前にベースライン調査、介入が終了して1~2週間後にエンドライン調査、介入が終了して約12~15カ月後にフォローアップ調査と、計3回の調査を行いました。以下、エンドライン調査における結果を短期的効果、フォローアップ調査における結果を中期的効果と呼びます。
では、ランダム化比較試験の結果を見てみましょう。Bakhtiar et al.(2023)は、第1種類目の介入(月1回会合開催)のみを実施した群(上図におけるA)への効果を基準として、第2種類目の介入(金銭的または非金銭的報酬)、第3種類目の介入(公的または私的誓約)の効果を示します。(第1種類目の介入は、介入群9群全てに対して行われましたので、第2種類目の介入により介入効果がどの程度変化するか、第3種類目の介入により介入効果がどのように変化するかをBakhtiar et al.(2023)は示します。)なお、第1種類目の介入(月例会合の開催)のみの場合、効果は見られませんでした。
短期的には、金銭的報酬、非金銭的報酬、私的誓約、公的誓約の中で、金銭的報酬の効果が最も大きく、グループにおける衛生的なトイレを有する家庭の割合は、金銭的報酬により7.8%ポイント増加しました。金銭的報酬に続いて、公的誓約の効果が大きく、グループにおける衛生的なトイレを有する家庭の割合は、公的誓約により4.5%ポイント増加しました。(調査で得られたデータから、Bakhtiar et al.(2023)は、介入が新規のトイレ建設を促したというよりは、既存のトイレの修繕・改善を促したと論じています。)他方で、非金銭的報酬や私的誓約については効果が見られませんでした。
では、介入が終了して約12~15カ月後、金銭的報酬や公的誓約の介入効果は維持されたのでしょうか。金銭的報酬の効果は中期的にフェードアウトし、グループにおける衛生的なトイレを有する家庭の割合が減少し、ほぼ介入前の水準に戻りました(つまり、金銭的報酬では、衛生的なトイレの持続的維持管理が図られなかったことを示しています)。他方で、公的誓約の効果は中期的に持続しました(グループにおける衛生的なトイレを有する家庭の割合は、介入前に比べて5.7%増加)。
短期的には金銭的報酬が衛生環境整備に効果をあげたものの、中期的にはフェードアウトしてしまいました。他方で、公的誓約の効果は中期的に持続しました。Bakhtiar et al.(2023)は、衛生的なトイレの整備・維持管理にかかる公的誓約を家庭が行うことにより、他の家庭の目(におい等)や評判(衛生的な環境の家庭か否か等)を意識してトイレの維持管理を行ったのではないかと論じています。また、金銭的報酬によらずとも、公的誓約により効果が得られるのであれば、費用対効果の観点からも望ましいのではないかと論じています。
今回は、衛生環境改善にかかる集合行動問題をテーマとしたBakhtiar et al.(2023)をご紹介しました。子どもの健康は学習の基礎ですので、子どもの衛生環境は教育開発における関心事項の一つと言えます。Bakhtiar et al.(2023)は、衛生的なトイレ整備・維持管理を題材としながら、集合行為問題や社会的ジレンマへのアプローチを広く考察しました。教育開発にかかる集合行為問題や社会的ジレンマは、衛生環境整備に限らず、女子の早婚等、他にも多くあるものと思われます。Bakhtiar et al.(2023)は、教育開発分野に限らず、広く集合行為問題や社会的ジレンマへの取組みを考える上で示唆を与えるものではないでしょうか。
参考文献
Bakhtiar, Mehrab, Raymond P. Guiteras, James Levinsohn, and Ahmed Mushfiq Mobarak. 2023. “Social and financial incentives for overcoming a collective action problem.” Journal of Development Economics, 162: 103072.
https://doi.org/10.1016/j.jdeveco.2023.103072
Guiteras, Raymond P., James Levinsohn, Ahmed Mushfiq Mobarak, 2015. "Encouraging sanitation investment in the developing world: A cluster-randomized trial." Science, 348 (6237): 903–906.
https://www.science.org/doi/10.1126/science.aaa0491
World Bank. 2020. World Development Indicators. Retrieved from
https://data.worldbank.org/indicator/SH.STA.ODFC.ZS
World Health Organization. 2017. “Diarrhoeal disease.” Retrieved from
https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/diarrhoeal-disease