(1)インドネシアにおける初・中等教員資格制度改革
前回はインドネシアにおける大規模な小学校建設事業とその実証分析を概観しましたが、Chang et al. (2014)やRosser & Fahmi (2017)をもとに、今回は、インドネシアにおける2000年代の教員資格制度改革とその実証分析について見てみましょう。(本節はそれら2つの文献をもとに記述しています。)
インドネシアでは、1970年代以降の急速な教育へのアクセス拡大により、教員の需要が増加し、不十分な質管理のもとで教員の増員が図られた結果、教育の質の問題が顕著となっていきます。1990年代の半ば以降、インドネシアが参加したPISAやTIMSS等の国際学力試験において、同国の生徒の学力の低さが明らかとなりました。例えば、1999年のTIMSSにおいて、インドネシアは数学で参加46カ国・地域中41位、理科で参加46カ国・地域中40位と、いずれも低い結果となり、近隣国のタイを下回りました。
また、インドネシア教育省による初・中等教員にかかる調査の結果、大半の教員が十分な教科知識を備えておらず、また教員の欠勤(副業等による)も少なくないことが確認されましたが、その背景要因として教員の待遇の低さが挙げられました。インドネシアの教員の待遇は、東南アジア周辺諸国と比べて低く、例えばフィリピンにおいて初・中等教員給与は同国内の平均所得の1.45倍でしたが、インドネシアにおいては0.4倍でした。
教員の質にかかる問題意識のもと、インドネシア教育省により、新たに初・中等教員に求められる資格要件を定義し、その新たな資格を満たした教員の待遇改善(給与の引上げ)を図る改革が始められました。教員資格制度改革は主に二つの経路から教員の質改善を図ろうとしました。第一の経路は、教員養成課程の充実を図るとともに、教員給与を引き上げることによって能力の高い学生を教員養成課程に集め、質の高い新規教員養成を行うことです。第二の経路は、現職教員に対する研修を準備し、新たな教員資格の獲得に向けて現職教員の能力向上を図ることです。給与面については、教員は公務員でしたので、基礎給の引き上げは他の公務員の給与引上げ議論につながりえたことから、職能手当(professional allowance)としての給与引上げとなりました。職能手当の額は、基礎給の額と同等でしたので、新たな教員資格のもとでの初・中等教員の給与においては、実質的に基礎給が2倍となったと言えます。
2005年には新たな教員資格を定義する教員法が成立し、同法に基づいて初等教員及び中等教員には4年制の大学卒業資格が求められるようになりましたが、インドネシア教育省の調査によると、2006年時点でその要件を満たしていた現職の初等教員は17%、前期中等教員については62%でした。現職の初等教員のうち、新たな教員資格の取得に必要な4年制の大学卒業資格を持つものが限られましたので、資格の不足を補うためインドネシア教育省は国内の約80の大学の協力のもと、現職教員研修(upgrading training)を実施しました。しかしながら、大多数の教員は、大学での授業受講のために職場を離れることが難しかったこと等から、インドネシアのOpen Universityによる遠隔教育による研修を受講しました。遠隔教育の需要は高く、2009年時点で、Open Universityの現職教員研修の登録者数は約48万人でした。Open Universityによる遠隔教育を修了することにより、教育資格認定プロセスにおいて4年制の大学卒業相当の学歴として認められました。
当初、インドネシア教育省は、新たな教員資格認定の条件として、4年制の大学卒業の学歴の他、筆記試験及び授業観察における評価を当初挙げましたが、後者について、教員組合からの非常に強い反発をうけ、以下の二段階のプロセスに置き換えられました。
a. 教員は、自身の履歴書、過去に受講した現職教員研修の修了証や、過去に執筆した著作物、授業案(lesson plan)等の書類一式(portfolio)を準備し、教育省により指定された教員養成機関に提出。教員養成機関が書類を審査し、書類審査合格となった場合、新たな教員資格が認定される。
b. 書類審査不合格となった場合、教員は合計90時間(約2週間)の研修を受講した後、研修終了時の試験に合格すれば、新たな教員資格が認定される。
教員資格認定プロセス開始後、上記のa.については闇で販売されるPortfolioを購入して提出する現職教員、上記b.については研修に参加していないものの研修修了証を得る教員が多数現れ、2012年に教育省は90時間の研修終了時の試験とは別に新たな試験を課すこととしましたが、その試験の導入に教員組合は再び強く反発し、導入は撤回されました。インドネシア教育省としては試験を継続したかったようですが、教員組合から、試験問題の質や、その妥当性や正確性への疑義が呈された他、教員組合の反発を受けて試験の継続にかかる予算を連邦議会が承認しなかったため、結果的に撤回されたようです。こうして、当初インドネシア教育省により想定された教員資格制度改革を通じた現職教員の質向上の試み(前述の第二の経路)は、実質的には骨抜きとなったと言えるでしょう。
では、教員資格制度改革による現職教員の質向上の試みは意図された成果をあげなかったのか。教員資格制度改革による現職教員や生徒の学習成果への効果にかかる実証研究として、Ree et al. (2018)を見てみましょう。
(2)インドネシアにおける教員資格制度改革にかかる実証研究
インドネシアは教員数が多く(2005年時点で、初等教員は約140万人、前期中等教員は約75万人いました)、財政面及び技術面の制約により全国の初・中等教員を対象として一気に教員資格認定プロセスを進めることができませんでしたので、2006年以降、毎年約1割の教員が資格認定プロセスに進めることとし、計10年をかけて全ての現職教員をカバーすることとなりました。このような段階的な介入対象の拡大をフェーズ・インと呼びます。Ree et al.(2018)は、教員資格認定プロセスにおけるフェーズ・インを利用したランダム化比較試験により、教育資格制度改革による子どもの学習成果への効果を推定しました。実験のデザインについて見てみましょう。
Ree et al. (2018)は、インドネシア全国の454ディストリクトのうち治安上等の理由によりアクセス困難なディストリクトを除いた383ディストリクトから20ディストリクトを無作為に抽出しました。次に、抽出された20ディストリクトについて、各ディストリクトから小学校12校及び中学校6校、計360校を調査対象校として無作為に抽出しました。そして、調査対象の計360校のうち、小学校80校及び中学校40校の計120校が介入群とされました。教員資格認定プロセスに進む教員数が限られていましたので、教員は自分が認定プロセスに参加できるようになるまで待つ必要がありましたが、介入群の学校の教員は資格認定プロセスに直ちに進むことが認められました。同プロセスに進んだ学校年度の終わりには教員資格認定が行われ、認定を受けた教員の給与は翌学校年度から大幅に引き上げられます(基礎給与換算で2倍でしたが、各種手当を含む給与総額に対しては1.6倍程度)。なお、介入群の学校において資格認定プロセスに直ちに進むことのできる教員は、実験の開始前からその学校に務めていた教員に限られました。
実験は2009年に開始され、調査は3学校年度にわたって行われました。調査のタイムラインはRee et al. (2018)の下図に抜粋掲載するとおりです。調査初年度、介入群及び対照群では、それぞれ56~57%の教員が資格認定プロセスに進む資格があるものの、進めていない状況でした。Ree et al.(2018)における、主な分析の対象は、それら教員です。調査初年度(Y0)に教員資格認定プロセスに進む資格があるものの、まだ資格認定プロセスに進んでいなかった教員のうち、調査二年次(Y2)には教員資格認定プロセスを終えて給与が引き上げられた教員の割合は、対照群において18%であった一方、介入群では介入により72%となりました。続いて、それらの割合は、調査三年次(Y3)には、対照群において40%であったのに対し、介入群では83%でした。介入(介入群の教員のうち、資格認定プロセスに進む資格のある教員を直ちに同プロセスに進むことを認めること)により、介入群の方が多くの教員が資格認定を受けて給与が引き上げられていますね。
では、介入によって教員及び生徒に対する効果はあったのでしょうか。調査2年次に、対照群において約30%の教員が副業を有していましたが、介入群においては介入により副業を有する教員が6%減少しました。また、調査2年次に、対照群において約半数の教員が金銭面のストレスが抱えていましたが、介入群において介入により金銭面のストレスを抱える教員が13%減少しました。教員資格認定プロセスを経て教員の給与が大幅に引き上げられることにより、副業を持つ教員や、金銭面のストレスを抱える教員の割合が減少しました。では、教員の教科知識に変化は見られたのでしょうか。残念ながら、副業や金銭面のストレスのような明瞭な効果はみられませんでした。調査2年次に、介入により教員の教科知識は0.09標準偏差向上しました。
続いて、介入による生徒の学習成果への効果はあったのでしょうか。回帰分析の結果、調査2年次及び3年次のいずれにおいても、平均効果は見られませんでした。(Ree et al.(2018)において、生徒は、数学、理科、インドネシア語のそれぞれについて多肢選択式のテストを受けました。)また、分位点回帰(Quantile regression)と呼ばれる手法で、学力の低い層から高い層まで介入効果を推定した結果、ほぼ効果は見られず、介入による生徒の学習成果への効果はなかったとRee et al.(2018)は論じています。以上から、実証研究から、教員資格認定プロセスと給与を倍にすることを通じ、教員の教科知識はやや向上し、経済面の不安を抱える教員が減少したものの、生徒の学習成果は影響がなかったことが示されました。
前述しましたとおり、教員資格制度改革は新規教員養成と現職教員の能力向上という2つの経路を想定していました。Chang et al.(2014)によれば、前者については4年制大学の教員養成課程を志望する学生が増えてきたようです。教員養成課程の充実化も図られたことで、質の高い新規教員の割合が徐々に増えることにより、教育の質の向上が図られていっているかもしれません(この点の研究が既に行われているか調べることができていませんが、興味深いテーマであると思います。)
現職教員については、政策の策定・実施過程で、本来の政策意図(新たな教員資格に値する教員にはその資格に見合った待遇を与えることで、教員の質の向上を図ろうとするもの)が骨抜きとされたことで、意図された成果を上げられなかったように思われます。
教員政策は非常に重要ではありますが、本事例の示すとおり政治的なものです。1990年代の中南米における教育改革について研究したGrindle (2004)は、改革を成功に導くリーダーシップの特徴として、①時機を捉えること、②支持者を登用すること、③反対勢力を弱体化させて中心から周縁に追いやること(marginalize)、④改革についての議論に期間を設けること、⑤改革の対象とする問題について人々を啓発すること、を挙げています。インドネシアにおいては、教員組合の政治力が非常に強く、また教員の同意と協力なくして教員資格にかかる改革は困難ですが、Grindle (2004)の指摘をふまえて考えれば、その教員組合を分断して改革を教員組合の中で主流化するという政治的方策や、教員配置の地域的不均衡の是正や教員の全体人数の縮減等のような施策ともセットにして改革を進めるといった取組みがインドネシア教育省にとっては必要だったのかもしれません。
インドネシアにおける教員資格制度改革の取組みを、あなたはどのように総括するのか、今回取り上げた事例と実証研究は、教育開発に携わる人々にそう問いかけているように思われます。
参考文献
Chang, Mae Chu, Sheldon Shaeffer, Samer Al-Samarrai, Andrew B. Ragatz, Joppe de Ree, and Ritchie Stevenson. 2014. Teacher Reform in Indonesia: The Role of Politics and Evidence in Policy Making. Washington DC: World Bank.
https://openknowledge.worldbank.org/handle/10986/16355
Grindle, Merilee S. 2004. Despite the Odds. Princeton University Press.
Ree, Joppe de, Karthik Muralidharan, Menno Pradhan, Halsey Rogers. 2018. “Double for Nothing? Experimental Evidence on An Unconditional Teacher Salary Increase in Indonesia.” Quarterly Journal of Economics, 133 (2): 993-1039.
https://doi.org/10.1093/qje/qjx040
Rossera, Andrew and Mohamad Fahmi. 2018. “The political economy of teacher management reform in Indonesia.” International Journal of Educational Development. 61: 72–81.
https://doi.org/10.1016/j.ijedudev.2017.12.005