2013年05月12日
「住めば都、旅は宮古」と言うかどうかは分かりませんが、今回は宮古市の浄土ヶ浜海岸訪問を中心にお話しします。
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人にはそれぞれ、生涯忘れられない風景があると思います。私は20年前に訪れた、この浄土ヶ浜海岸の景色です。当時カメラは持ってなく、そのときの写真は1枚もありません。若い頃は、見聞した事をずっと忘れずに記憶できるだろうという、全く根拠のない自信があって、写真を記録するだけのツアーというものを軽蔑していたところがありました。
20年が経過し自分も若くはなくなり、自信があったはずの記憶力も衰え、「もう一度、浄土ヶ浜海岸を訪れたい」と、いつの日からか思うようになりました。景色を見るだけでなく、浜風の匂いや波の音を含めて「もう一度再会したい」という思いです。未曽有の震災を乗り越えた分、なおさらに。
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▼三陸鉄道北リアス線の終着駅・宮古に到着し、そこからバスで浄土ヶ浜海岸に向かいました。バスを降りて歩いていくと浄土ヶ浜海岸が見えてきます。
▼白い砂浜が見えてきました。「浄土ヶ浜」の名前の由来は、いまから300年以上も昔、この地を訪れた僧侶が美しい景色に魅了され「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われています。
▼20年ぶりに目的地に到着。懐かしさが込み上げてきます。ウミネコもポーズをとってお出迎え。看板には「陸中海岸国立公園」と書かれていますが、「三陸復興国立公園」に変更されるのでしょうか。
▼レストハウスから海岸全景を撮影しました。観光客はほとんどいません。学生を卒業し社会人になってからは、風景撮影を趣味のひとつにしましたが、この浄土ヶ浜だけは、私が今まで撮影してきた写真のなかに、似ている景色はひとつもありません。「さながら極楽浄土のごとし」という気持ちが理解できます。
▼海岸から少し離れた小高い場所に、記念碑が建てられています。「1960年5月24日チリ地震津波/地震がなくとも潮汐(ちょうせき)が異常に退いたら津波が来るから早く高い所に避難せよ」と書かれています。半世紀を経て、記念碑の言葉の重みをかみしめる思いです。プレートに映り込んでいるのは浄土ヶ浜海岸です。
▼観光遊覧船に乗船しました。乗客が投げるパンを目当てに、ウミネコが船と同じスピードでぴったりついてきます。
▼ウミネコの目線をキャッチ。エサをくれないから怒っているのかな?怖い目つきです。
▼お昼ごろのレストハウス前では、ウミネコたちが整列しています。この時間になったら観光客がエサの「かっぱえびせん」をくれることを学習しているのでしょう。
▼私が前に回りこんでも、微動だにしません。ちょっと怖いです。AKB48のように「センター」決まっているのかな?(決まっているわけないか)でも人間よりも厳しい上下関係がありそう。20羽くらいだから「UMNK20」(ウミネコ20の略)と命名しておきましょう(笑)。
▼宮古での宿泊は、駅近くの山田屋別館という旅館です。素泊まり4500円。浄土ヶ浜海岸には天気のいい日に訪れたいと思っていたので、天候しだいでは、数日間の滞在も考えていました。(写真の窓に映り込んでいるのは筆者です)
宿のおかみさんは親切なかたで、私のわがままな要求にも「宿泊予定を変更しても構いませんよ」と快く応じてくれました。居心地がよく部屋は質素な畳敷きです。
このあと三陸復興国立公園をさらに南下し、内陸の花巻市を訪ねた後、旅の帰路にもこの宿で一泊しました。数年後にまた泊まりに来ます。そのときもよろしくお願いします。