- 2020年の日記 -
2020年12月31日
新型コロナウイルスによる異例づくめの2020年も大晦日を迎えました。 あと1カ月少々で私は54歳になります。生まれてこの方、戦争もなく平和な日本で不自由なく暮らしてきましたが、半世紀も生きていれば、こういう予想外の禍(わざわい)も巡ってくるのでしょう。 人間の思い通りにはならないということを、あらためて実感しています。
「ばあちゃんが生きていたら、このコロナ禍をどう感じたのだろう。理不尽な戦争を生き抜いた祖母の言葉を聞いてみたかった」「世の中に批判的だった親父が存命なら、きちんとマスクをしていただろうか?」など、想像を巡らせる毎日です。
それでも昨日(12月30日)は、行き付けのスナックのママに年末の挨拶もできたし、 こんなWeb日記を書いていられる、ささやかな日常を、ばあちゃんや親父に感謝しなければなりません。
▲年末は、じっくり写真を撮影する機会もなかったので、10月24日に北大農場で撮影した牛の写真をアップします。2021年の干支の丑(うし)です。 牛さんがカメラ目線になった瞬間を捉えました。 春になり北大農場を散策する季節になったら、またこの農場で牛さんのスナップを撮影してみます。その頃には、コロナが少しでも収束していることを願っています。
2020年11月06日
11月に入りめっきり寒くなりました。今年の見納めと思い、この日も北大農場を通って出勤しました。 広い農場に牛が放牧されています。何げなく牛の体の白黒模様に目をやると、なんとカラスと鳥が!
▼拡大写真
見れば見るほど、カラスと鳥がくっきり表れてきますね。以前、自宅近くの「雪形」が、鳥に似ているという文章をブログにアップしました。 (詳しくはこちら→「マイ雪形」 探しに出かけよう)
牛の模様は「牛形」とでもいうのでしょうか。来年2021年は丑(うし)年です。来年はもっと北大農場に通って「牛の模様」を観察してみよう。
2020年11月02日
この日(11月2日)は未明から冷たい雨。早番勤務のため午後3時過ぎには仕事を終えました。 帰り際に「まだ雨は降っているのかな?」と外を観るとテレビ塔の上に美しい虹。 急いで会社の屋上に直行し夢中で撮影し、そのほんの5分後には消えてしまいました。 あとからデジカメの画像を確認して二重虹(ダブルレインボー)だとわかりました。 ダブルレインボーは世界中で「幸運の縁起物」とされている現象で、本当にラッキーでした。
ダブルレインボーを見たのは今回が2回目。2年前に岩手県を旅行した時にも写真に収めることができました。
2020年10月31日
毎年この時期に北大イチョウ並木の撮影に出かけています。 18歳からもう35年間も札幌で生活していますが、晩秋の北大イチョウ並木は私が最も好きな被写体です。 この時期には例年「北大金葉祭」という学生主体のイベントが開催されますが、2年連続で中止になりました。 昨年は「開催したら学生に危害を加える」という脅迫メールが大学に届いたため、そして今年はコロナ禍です。 たいへん残念ですが、それでもイチョウ並木は、今年も変わらずにその美しさを私に披露してくれました。 来年は3年ぶりの金葉祭が開催されることを、心より願っています。
▼10月31日に撮影しました。工学部前の私が勝手に「イチョウの広場」と名付けている場所です。 本来なら、この土日に金葉祭が開催されていたのでしょう。ハロウイーン当日でもあり、さぞかし盛り上がっていたことでしょう。
▼10月26日に撮影しました。イチョウ並木の色付きはピークを越え、紅葉の落ち葉が路側帯に集められています。
▼マスク姿の元気な学生さん。マスクは付けていても活気にあふれています。ここでいつも、私は学生諸君に元気をもらっています。
▼10月24日に撮影しました。今年はイチョウが色付くのが例年よりも早いようです。
▼10月21日。上の写真より3日前に撮影しました。3日間で一気に色づくのがわかります。自転車の学生もマスクを付けています。
▼「薬学部前の紅葉」と私が勝手に名付けている木です。赤と緑が混ざり合う、この色合いを毎年鑑賞するのが楽しみです。
▼10月19日、早番シフトの仕事を終え、北大農場に出向き撮影した北大ポプラ並木。背景は琴似の三角山や手稲山です。
※過去の金葉祭の写真と記事は、下記のリンクから閲覧できます。
2020年08月13日
仕事柄、週に1、2回のペースで夜勤があります。たまに天気のいい日は、北大を通って出勤しています。 桑園駅で途中下車し、北大農場を横切りメインストリートを抜けてクラーク像に一礼し、札幌駅の北口に向かいます。 小一時間の散歩で運動にもなり、季節の変化が感じられる私のお気に入りのコースです。
30年も前に卒業したこのキャンパスには、まだまだ知らない場所がたくさんあります。 札幌の中心部で仕事をしていますが、こんな場所を通って出社できることを本当に贅沢に思います。
2020年08月12日
春に品薄だった頃からマスクを自作しています。 クッキングペーパーを使い100円ショップで材料を買い集めて「耳が痛くなく、呼吸が苦しくないようなマスクが作れないものかな」と試行錯誤の末、この「1本ひもマスク」にたどり着きました。 店頭にマスクが出回るようになった今でも、毎日1個作って職場で使用しています。
市販されている使い捨ての不織布マスクは、製造過程で静電気を蓄積させて、その力でウイルスを捕集しているとのこと。だから「使い捨て」ということにも意味があるのです。 当然ながら顔に密着させなければマスクの性能が発揮できないので、私の「口当て」はウイルス予防は期待できません。
初夏の頃、ある施設の待合室で隣に座っていた老婦人から「そのマスクはどこに売っているんですか?」と尋ねられました。慣れないマスクに、よほど耳が痛かったのでしょう。 「これは自作なので、どこにも売ってないんですよ」と丁重に答えましたが、ちょっとがっかりした様子でした。 「これから暑い時期を迎えたら、こういうマスクも出回るかもしれませんよ」と、その場しのぎの対応をしてしまいましたが、 いまだにこういうものが売られていないことを考えると、やはり本来のマスクとしての性能は期待できないのでしょう。
それでも「エチケットの口当て」として、対面で会話する時の飛沫防止にはなりますし、 何といっても圧迫感がなく、鼻の呼吸が下側に抜けてくれるので、メガネも曇らずとても重宝しています。 周囲には「中学生の頃、プラモデルや工作が好きだったので、その延長なんですよ」と冗談を言っていますが、 53歳になって、まさか日々自作のマスクをして職場で仕事をすることになるとは、夢にも思わなかったです。
もしもタイムマシンがあって中学生の自分にメッセージを送ることができるとしたら、 「工作が得意な君の手先の器用さは、将来必ず役に立つよ。好きなプラモデルを、もっと作りなよ」と言ってあげたいですね。
2020年08月11日
これが本当の「飛行機雲」。自宅近くで偶然撮影しました。数年前に退役になったスペースシャトルか、あるいは往年の超音速旅客機コンコルドか。後ろには垂直尾翼までついています。
この写真を撮影した翌日は日航ジャンボ機墜落から35年の追悼の日。事故当時の私は大学1年生で、お盆に帰省中の実家でこのニュースを知りました。 夜のNHKニュースで当時の松平アナウンサーが「日航機の機影がレーダーから消えました」と緊張の声で伝えていた映像を、今も鮮明に覚えています。これからもずっと記憶に残っていく出来事です。
2020年08月03日
自宅から自転車で15分の場所にあるこの海岸が好きで、夏にはよく来ています。 近年は風力発電の風車が立ち並び、不思議とこの海岸の風景に溶け込んでいます。 さらに遠くには数年前に建設された北電のLNG(液化天然ガス)火力発電所を見ることができます。
私が学生の頃「CO2を排出しない未来のエネルギー」と言われた原発は、東日本大震災以降は存在が薄れ、 その後主力になった火力発電所は2年前の胆振東部地震で全停止し、未曾有のブラックアウト(全域停電)を経験することになりました。
国策として進められた原発は、結局は未来のエネルギーにはなりませんでしたが、この海岸で風車とLNG火力発電所を見るたび、 われわれの子供たちに、安全で安定したエネルギーが供給されることを願ってやみません。
2020年06月
行きつけのスナックが、新型コロナ感染防止として道の要請を受け、4月25日から休業しました。 当初はGW期間の5月6日までだったのですが感染拡大に歯止めがかからず、結局5月31日までの休業となりました。 私を含めた常連客は「6月から再開できるのだろうか?」と不安でしたが、ママは元気に復帰し現在に至っています。
この店に訪れたのは、私が学生の頃に先生に連れられたのがきっかけ。それ以来、もう30年の常連です。 社会人になりたての頃の私は社交性がなく、大学の勉強は実社会では何も役立たないと思い知らされ、まったく惨めな会社員でした。 そんな私でも、どうにかこうにか今まで会社勤めができたのは、この店のおかげです。 先が見えない若い頃、悩み多き時代に助けてもらったので、今度は私が恩返しをする番です。 休業明けからは、いままで以上に店に顔を出したいと思います。
それにしてもママは達筆です。「書は人なり」とはまさに名言ですね。
2020年05月03日
新型コロナ感染拡大が止まらず、北大では卒業式や入学式が中止となり、学生やご両親はさぞかし残念がっていることでしょう。 そしてとうとうクラーク先生までもマスク姿になってしまいました。
きっと学生のユーモアなのでしょう。自慢のひげが見えないと威厳が一気になくなってしまいます。 クラーク先生が札幌農学校に来てから150年近くになりますが、おそらく生前もマスクをしたことはなかったでしょうね。
クラーク先生が初代教頭として札幌農学校に着任したのは50歳の頃。札幌にはわずか9カ月間の滞在でした。 私はとうに先生の年齢を超えてしまったのに、いまだに未熟者です。 クラーク先生に、今一度、コロナを乗り切るための力を与えてほしいと切に願っています。