- 2013年の日記 -
2013年09月30日
「あまちゃん」とうとう終わってしまいました。
大友良英さんの音楽に引き込まれて、出演者に悪役が出てこなくて、見ると元気が出て、随所で笑わせてくれて、でもちょっとだけ切なくて、こういう展開ありかと「じぇじぇじぇ」と驚かされて、80年代アイドル懐かしくて、そして優しい気持ちになれて…毎日楽しく視聴させてもらいました。
脚本を担当した宮藤官九郎さんは、続編の期待が高まるなか、あるインタビューで 「役者もスタッフも全員そろわないと続編はできない。現実的に難しい」と語っています。 残念ですが私も納得。アキちゃんやユイちゃん、夏ばっぱ、春子さん、鈴鹿ひろ美さんなどのメインキャストだけでは成立しないドラマなんですね。何度見ても飽きないので、また初回から見直してみます。
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今年の5月、岩手県を中心に三陸復興国立公園をめぐる一人旅をして、東日本大震災の被災地を自分の足で歩いてきました。 ドラマに登場する「北三陸鉄道」の列車を見るたび、旅の道中を懐かしく思い出していました。 つたない文章ですが、旅の様子をこのブログに連載しています。
ブログの内容について、みなさまからメールなどで丁寧なご感想をお寄せいただきました。この場を借りて、あらためてお礼申し上げます。
「あまちゃん」に感謝し、旅で撮影した車窓の写真を掲載いたします。 実際の「三陸鉄道北リアス線」は、来年春に全線が開通する予定です。 その頃、また旅に出たいと思います。
▼2013年5月17日、三陸鉄道北リアス線・久慈-田野畑間で先頭車両から撮影
(文と写真・立花幹彦)
2013年03月11日
1月に亡くなった高田文之さん(デーブマンさん)をしのぶ会が、3月8日(金)、西区の飲食店で開かれました。高田さんがいつも座っていた席には、上機嫌にカラオケを歌う在りし日の写真が飾られ、故人の思い出を語り合いました。
▼この日は、工藤じゅんきさん、長谷川宏和さんなど、高田さんと同時期に活躍されたアナウンサーのみなさんが一堂に集いました。さすが人望が厚いミスター・デーブマン。どの放送局の特番でも実現しそうにない豪華な顔ぶれです。
▼宴が盛り上がると、アナウンサーをはじめ出席者のみなさんが、自慢ののどを披露してくれました。声を仕事にしているだけあって歌もプロ級。きっと天国の高田さんにも歌声が届いたことでしょう。
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私は今でも休日に、お気に入りのラジオ番組を聴いています。もう20年間欠かさずに。休日出勤して職場に誰もいないときは、ラジオを聴きながら仕事をしています。気分が乗って仕事が進むんですね、これが…。
「スマホだ、SNSだ、4Kテレビだ」というこのご時世、従来のラジオ放送をずっと聴いている人は、きっと少数派なのでしょう。でも、そんなラジオの魅力を私に教えてくれたのは、まぎれもなく「ベストテンほっかいどう」の名DJ、ミスター・デーブマン、あなたです。
少年時代の記憶とともに、ラジカセから流れてくるあなたの声は、35年たった今でも明瞭に覚えています。「ラジオの神様」がいるとしたら、こんなラジオ好きの私を、デーブマンに引き合わせてくれたのかもしれません。ご縁に恵まれたことを、心から感謝いたします。
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高田文之さんが亡くなって四十九日になろうとしていたこの日、仲間たちによる「しのぶ会」は、故人には一番の供養になったことでしょう。あらためて、心よりご冥福をお祈りいたします。そして、ありがとうございました。
(文と写真・立花幹彦)
2013年01月28日
高田文之さんの訃報が、1月25日北海道新聞朝刊の社会面に掲載されました。享年66歳。HBCラジオの「ミスター・デーブマン」と言ったほうが、ピンとくると思います。近年は、表舞台から退いていましたが、私は最近まで、行きつけの飲食店で、何度かお話をする機会を持ちました。
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初めてお会いしたのは3年ほど前。お互い一人客どうし、カウンターに並び、お酒を酌み交わしました。「中学生の頃、ラジオのベストテンほっかいどうを毎日聞いていましたよ。」「30年後、そのデーブマンさんと隣で一緒にお酒が飲めるとは、夢にも思いませんでした。本当に感激です。」そんな会話に始まり、ラジオの魅力や、時事問題、日本の行く末についてまで、二人でいろんな話をしました。
そこには、かつての恰幅(かっぷく)のいい「デーブマン」の面影はなく、スリムな体形になっていましたが、優しいまなざしと、なめらかな語り口は、昔と変わりませんでした。時には、われわれマスコミに対する辛口批評も展開されましたが、それは、われわれ後輩に対しての期待の裏返しととらえ、彼の話に耳を傾けました。
最後にお会いしたのは昨年11月。10月末に亡くなった作家の藤本義一さんについての思い出話や著書について、じっくり語り合うことができました。
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時を越え、世代を越えて、高田文之さんと本音でお話しできた時間を、私は生涯忘れることはないでしょう。人生の先輩として、未熟者の私を、もっともっと叱咤(しった)激励してほしかったです。
ありがとう、ミスター・デーブマン。あなたは、私の永遠のヒーローです。どうぞ、安らかにお休みください。
(立花幹彦)
2013年01月15日
子供に交じって、1月13日に青少年科学館で行われた「宇宙飛行士・山崎直子さん講演会」に参加しました。当日の様子は、1月14日北海道新聞朝刊の第3社会面と札幌圏の地方版に掲載されています。詳細は、そちらの記事をご覧ください。
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山崎さんは、いうまでもなく優秀な技術者。でもそんな雰囲気はなく、気さくで容姿端麗、おちついた語り口です。「優しいがんばり屋の人気女性教師」そんな印象を持ちました。これも、あこがれの宇宙飛行士の素質のひとつなのでしょう。会場の子供たちは、みんな彼女のファンになったことと思います。もちろん私も。
講演会のタイトルは「 ~ 宇宙・人・夢をつなぐ ~」。あえて「人」という言葉を入れたのは、宇宙飛行士という職業は、極めて「人間くさい」仕事だということを強調したいためとのこと。
訓練中、最もつらかったことは、宇宙飛行士の資格を得てから、2003年のコロンビア号の空中分解事故が発生し、ゴールが見えない状態での訓練が続いたこと。そんな彼女を支えたのは、アメリカの神学者の言葉「ニーバーの祈り」の一節だったそうです。
「ニーバーの祈り」
神よ 変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
(ウィキペディアより引用)
先が見えない今の日本において、「ニーバーの祈り」は、私たち日本人が学ぶべき、思慮深い言葉です。私自身も、今後の人生の指針にしていきたいと感じました。
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「二児の子育てをしながらも、前向きに11年間という長期に渡り、ずっと宇宙飛行士への夢を持ち続けられたのはどうしてですか?」という会場からの質問には、「結局は、子供の頃から宇宙が好きという、単純な理由なんですね」と回答してくれました。なるほど納得。
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子供の頃は「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などの宇宙アニメが大好きだったとのこと。私も大好きなアニメです。同世代の親近感を覚えますね。夢見る頃を過ぎた私のようなオジさん世代にも、勇気と元気をもらえた講演会でした。ありがとうございます。今後のさらなるご活躍を期待しています。
※ポスターと、当日配布のパンフレットは、同館の許可を得て、本ブログに掲載しました。
(立花幹彦)
2013年01月04日
この上ない穏やかな年末年始でした。
すこぶる快晴の元旦網走。斜里岳(しゃりだけ=1,547メートル)と海別岳(うなべつだけ=1,419メートル)は、その美しい姿を余すところなく披露してくれました。
斜里岳には、雄々しく力強い男らしさ(=父親像)、海別岳には、優しく穏やかな女らしさ(=母親像)を感じます。物心ついた頃から変わらぬ姿で、何も語ることなく私を迎えてくれる風景。そんな遠くの山々を見ていると、不思議と気持ちが安らいで「生まれ故郷の網走に帰ってきたんだ」という思いが込み上げてきます。ふるさとを離れてもう27年。見慣れたはずのこの風景に回帰するとは、何とも皮肉なものですが、これが人生の必然の流れなのかもしれません。
それでは元旦の網走市内各地から撮影した、斜里岳と海別岳をご覧ください。
▼鱒浦漁港から
オホーツクブルーの空の下、鱒浦(ますうら)漁港から、知床の山並みを望むことができました。海別岳(=写真左=)よりも、斜里岳(=写真右=)が少しだけ背が高いところや、寄り添っているわけでもなく、遠慮がちで微妙な距離感が、まるで人間のカップルのようです。
▼白鳥公園から望む初日の出
元旦の午前7時すぎに、濤沸(とうふつ)湖の白鳥公園から撮影しました。斜里岳の稜線(りょうせん)のシルエットが、うっすらと浮かび上がります。
▼知床峠に続く海岸道路から
国道244号線(通称、斜里国道)の、鱒浦(ますうら)から藻琴(もこと)へ向かう海岸道路から、斜里岳をズームレンズで撮影しました。道路上部には「知床峠・冬期通行止め」の表示看板。夏期、この道は知床峠まで続きます。今回の撮影で、私のお気に入りの1枚です。
▼藻琴の市街地から
藻琴の市街地を通過し、北浜(きたはま)へ向かう途中で撮影しました。海別岳が迫ってくるようです。JR北浜駅は、海に最も近い駅として観光スポットになっています。
▼中園「感動の径」にて
中園(なかぞの)は、網走の内陸側に位置する丘陵地帯。ここにある感動の径(かんどうのみち)は、斜里岳を望む隠れた観光道路です。網走で私が最も好きな場所のひとつです。
▼マジックアワー直前の斜里岳
数年前の佐藤浩市さん主演の映画で「マジックアワー」という言葉は、すっかり有名になりました。ネット検索すると「日没後の太陽は沈み切っていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、しかし最も美しい時間帯を指す写真・映画用語(ウィキペディア・フリー百科事典より)」となっています。私が最も好きな時間帯は「マジックアワーのちょい手前、夕日の暖かい色の光に照らされる時間帯」。この瞬間の斜里岳をカメラに収めました。
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上記の全写真は、愛機のコンパクトデジタルカメラ(Canon PowerShot SX130 IS)、自動露出モードで撮影しました。上記の全スポットは、車で30分程度で巡ることができます。ぜひ四季折々の風景をご覧になってください。
(文と写真・立花幹彦)