- 2018年の日記 -
2018年08月22日~24日
少し遅い夏休みをいただいたので、リュックひとつで岩手県に一人旅をしました。目的地は、かねてもう一度行きたいと思っていた岩手県宮古市の浄土ヶ浜海岸です。
▼5年前、7泊8日で岩手県のルーツの土地を巡る旅をしましたが、今回もフェリー・鉄道・バスだけを使う、ぶらり一人旅。地図をみるとわかりますが、フェリーを使うルートは札幌から宮古へ南下する最短の経路です。
▼8月22日苫小牧21:15発のフェリーに乗船。翌日午前5時ごろ八戸港に入港しました。フェリーのデッキから美しい朝焼けを撮影することができました。
▼JR本八戸駅5:43発の久慈行の列車に乗車。午前8時ごろ久慈駅に到着しました。ここから三陸鉄道北リアス線に乗り換えです。三陸鉄道の赤と青にペイントされた列車を見た瞬間、感激して胸が一杯になり、不覚にも涙が出そうになりました。
▼5年前に放送されたNHK朝ドラ「あまちゃん」のパネル。ドラマのなかで使われた「あまちゃんのテーマ曲」「潮騒のメモリー」などの楽曲を、mp3プレーヤーに入れてくればよかったと、ちょっと後悔しました(笑い)。
▼「かいけつゾロリ大冒険号」。久慈駅のホームには、こんなラッピング列車も。見ているだけでワクワクしてきますね。
▼北リアス線に乗って三陸海岸を南下。三陸鉄道の車両は窓を開けることができるので、こんな写真も撮影できます(子供は、まねしないでね)。
▼途中の景勝地では、運転手が列車を止めて撮影時間を取ってくれます。三陸海岸らしい、いい景色。
▼三陸復興道路の工事のための大きな橋台を建設しています。津波の被害にあった地域は本格的な復興に向け造成工事がなされているのがわかります。
▼10時前に宮古駅に到着。5年前の北リアス線に乗車の時は、震災の影響で不通区間があり、途中でバスを乗り継ぎましたが、今回は全線開通していて快適な列車の旅でした。
▼バスに乗って目的地の浄土ヶ浜に到着。暑い日だったので海水浴を楽しむ人もいました。こんなに暑くていい天気なら、水着を持ってくればよかったと、ちょっと後悔しました(笑い)。
▼南国のような、きれいな海岸。海水も透明なエメラルド色です。紫外線対策なのでしょうか、子供なのに長袖で帽子をかぶっての水遊び。北海道の雪遊びみたいですね。でも無邪気で楽しそう。
▼レストハウスから望む浄土ヶ浜海岸。まるで、壁一面に描かれた美しい絵画のようです。平日の午前中だったので観光客はほとんどいませんでした。
▼海鮮丼とビールを注文しテラスでいただきました。地元の新鮮な海の幸を堪能し、昼間からうまいビールを飲んで絶景を楽しむ・・・。こんな至福の時は、人生の中で、そうはないでしょう。極楽、極楽。
▼予定では宮古に一泊し、翌朝に宮蘭フェリーで室蘭に向かう計画でしたが、台風の影響で宮古発のフェリーが欠航(泣く)。急きょ三陸鉄道を北上し苫小牧からフェリーで帰札することにしました。帰りの三陸鉄道の車窓から、生まれて初めて2重の虹を見ることができました。「ダブルレインボー」と呼ばれる珍しい現象で、幸運の前兆とのことです。そうだとしたら本当にラッキー(笑い)。
帰りの列車でのこと。本八戸駅で下車しなければならないところを、居眠りして乗り過ごし、次の無人駅の長苗代駅から引き返すことになりました。その列車の若い車掌は、列車の出発時刻が過ぎているにもかかわらず、私に折り返し列車の時刻を親切丁寧に説明してくれました。こういう優しくて頼もしい若者に出会うと、日本の未来はまだまだ捨てたものじゃない、と思ってしまいます。
翌日の午前中、台風が来る前の札幌に無事に帰還しました。駆け足の旅となりましたが、私はたいへん満足しています。帰宅すると妻は私に「ただ行って帰ってきただけじゃない。飛行機ならもっとゆっくりできたのに」と、つれない言葉。こういうフェリーと列車の一人旅の良さを、妻は理解してくれそうにありませんね・・・。
学生時代を含めて、岩手県の浄土ヶ浜訪問は今回が3回目。懲りずに、また行ってきます。
(文と写真・立花幹彦)
2018年06月04日
札幌市のシンボル、時計台が改修工事のため6月1日から10月末まで休館となります。休館になる前日の5月31日、道新の屋上から時計台を撮影しました。
▼背後にそびえ立つ「さっぽろ創世スクエア」の高層ビルは、ほぼ建設を終え今秋のグランドオープンを控えています。世間では時計台の「がっかり度」がさらに増す?という心配もあるようですが、私はこの高層ビルを見るたび、漫画ゲゲゲの鬼太郎に登場する「妖怪ぬりかべ」を連想します。壁を使って敵の攻撃から味方を守る心優しい「妖怪ぬりかべ」。頼もしい用心棒の誕生を、時計台は心強く思っていることでしょう。
道東の網走生まれの私が初めて時計台を見たのは中学校の修学旅行。時計台は見学コースにはなく、走行中のバスの車窓から見ただけでした。バスガイドさんから「右手に時計台が見えますよ」と説明があり「こんな市街地の真ん中にあるんだ。思ったより小さいんだ」というのが当時の私の感想です。ほんの数秒間の出来事でしたが、その光景は今でもよく覚えています。
中学校の修学旅行から10年後、時計台の向かいにあるこの道新に入社し、以後この場所で働いていくことになるとは当時は想像する余地もありません。社会人になってから毎日のように見続けてきた時計台は、地方出身の私にとって、月並みな言葉ではありますが「都会の中の一服の清涼剤」となってくれました。
道庁赤れんがのような威厳もなく、テレビ塔のような存在感もなく、ビルに囲まれこぢんまりとした時計台の、素朴なたたずまいが今も好きですね。6月中旬から足場を組み建物全体が覆われます。見えなくなって、あらためてその存在を実感することでしょう。秋になったら、きれいにドレスアップしたその姿を、私たちに披露してください。
(文と写真・立花幹彦)
2018年05月02日
先日80回目の献血をしました。平成元年から献血を始めて今年でちょうど30年目。この10年間は、きっちり1年に3回、400mlの血を抜いています。400mlといえばビールの350ml缶と500ml缶の中間くらい。ちょっと多いような気もするけど献血後に(ビールじゃなくて)じゅうぶんな水分を補給すると、減った血液量は短期間で回復するそうです(ただし血液成分の回復には数週間かかります)。人間のカラダって本当によくできているものですね。
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私の最初の献血は、平成元年の2月。今も当時の献血手帳を保管しています。「昭和」という印字部分を手で消して「平成」のスタンプを押しています。時代を感じますね。30年を経て献血手帳は電子化されてカードになりましたが、表紙のデザインは今も変わっていません。
▼30年前の献血手帳(平成元年2月)
▼現在の献血カード(平成30年4月)
5年前まで大通献血ルームは地下街のオーロラタウンにあり、献血後には無料のトマトジュースを飲んで自由に食べられるチョコレートをつまんでいました。不思議なもので、これだけで体調が回復するような気分になれるのです。大げさかもしれませんが、赤いトマトジュースが全身の五臓六腑(ろっぷ)に染み渡り、チョコレートの糖分が脳細胞を巡るような感覚です。
大通西4ビル11階にある現在の献血ルームは、各種機器が完備されて申し分ないのですがトマトジュースとチョコレートがなくなったことが、ちょっと残念です。いつも献血のあとには近くのコンビニでこの二つを買っています。まぁ言ってみれば、おまじないのようなものですが、私にとって実は一番重要なアイテムなのです。
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30年間の献血のなかで、新しくできたものもあります。そのひとつが「献血の同意説明書」です。「献血に伴う副作用について」「個人情報の取り扱いについて」などが記載され、内容を了承した上で受け付けをする手順となりました。時代の流れですね。
「同意説明書」には「採血した血液は、医療現場だけでなく研究目的に使用することがある」という趣旨の説明が書かれています。さらに「研究の内容によっては遺伝子を解析することがある」との記載もあります。ちょっと引いてしまいそうな内容ですが、私はそういうことも含めて自分の血液が世の中の役に立てばいいと思っています。もちろん「人助けはしたいけど、研究には使用しないでほしい」という人の意志も尊重され、同意を撤回することも可能です。
▼大通西4ビル11階の献血ルームから望む大通公園(平成30年4月30日撮影)
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若い頃、雑談の中で「立花さんは、どうしてそんなに献血するんですか?」と質問され、「僕は血の気が多いから、少し血を抜いたほうがいいんだよ」と冗談を言っていましたが、今なら「50歳を過ぎたおじさんになっても継続できる、数少ないボランティアだから」と答えるでしょう。
平成という新しい時代が幕を開けた頃に始めた献血ですが、平成が終わりに近づく今も続けているとは思いませんでした。今51歳を過ぎておおむね健康でいられるのは年に3回の献血によるところが大きいのかもしれません。この先の90回・100回という回数は目標にせず「無理はしない。でも、できることはする。」というスタンスで向き合っていこうと思います。
昨今、特に若い人たちの「献血離れ」が深刻です。僕たちおじさん世代もがんばるから、若い人たちも献血に興味を持ってほしいと思います。長い目でみれば、きっといいことがありますよ。
(文と写真・立花幹彦)
2018年02月01日
1月31日は、3年ぶりの皆既月食でした。この日はスーパームーン(地球に接近するため普段より大きく見える月)であり、さらに1月に2回目となる満月(ブルームーン)でもありました。この三つの天体現象が重なるのは、実に35年ぶり。
当日、私はどうしん電子版にニュースを配信する夜勤デスクとして夕方から仕事をしていました。事前の天気予報などから、月食観察は難しいと思っていたのですが、幸運なことに、この「世紀の天体ショー」を自分の目で見ることができました。
▼完全に皆既月食となった22時ごろ、休憩時間に会社の屋上に行き「35年ぶりの天体ショー」を、コンパクトカメラで撮影しました。
▼月をズームアップ。実は3年ほど前の2014年10月の皆既月食のときも、同じように会社の屋上で月を撮影し、このブログにアップしました。やはり赤い月でした。
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明け方仕事が終わり、帰宅するタクシーの後部座席から見上げる月は、見事な「スーパームーン」に変身していました。 子供の頃、おやじが運転する車の助手席から月を見上げ、「お父さん、どうして月は、車を追いかけるように、ぴったりついてくるの?」と質問したことを思い出します。タクシーと同じスピードで私に寄り添うスーパームーンを見ていると、不思議と気持ちがリラックスします。おやじに質問した時の、あの月も、きっとスーパームーンだったのでしょう。
▼厳しく冷え込んだ明け方に自宅に到着。澄んだ西の空には、美しく輝くスーパームーンが私を出迎えてくれました。
(文と写真・立花幹彦)