- 2015年の日記 -
2015年07月20日
きょう7月20日は海の日。絶好の海水浴日和にもかかわらず、残念ながら、今年は小樽ドリームビーチに海水浴場が開設されません。
私はドリームビーチへ自転車で15分程で行ける場所に住んでいます。例年この時期は、海水浴客でごった返すドリームビーチですが、今年はまったく様子が異なります。
▼昨年7月、海水浴帰りの女性4人が飲酒ひき逃げ事故の被害に遭い、3人が死亡し1人が重傷を負った現場。現在は歩道が整備され、多くの花が手向けられています。
▼駐車場の入り口は閉鎖され、広大な駐車スペースは、がらんとしています。
▼ビーチには、砂浜で日光浴を楽しむひとが数名。遠くにはプレジャーボートを満喫する若者の姿が見えます。いつもなら夏の定番「チューブ」の曲などが、スピーカーからガンガン流れていますが今年は静かです。今日は波も穏やか。浜風に乗って潮騒の音が心地よく響いています。
▼浜辺を清掃するボランティアの姿も。暑いのに、みなさまお疲れさまです。
▼数日前にドリームビーチで撮影した一枚。ここは夕日撮影の穴場です。写真上部の中央の雲が「空飛ぶ恐竜」に見えませんか?海水浴場が設置されないのは残念ですが、写真撮影するには、ゆっくり、じっくりと浜辺を散策できます。
※来年は活気にあふれるビーチが復活することを、待ち望んでいます。
(文と写真・立花幹彦)
2015年04月29日
昨年4月に実父が他界し、形見としてカメラを譲り受けました(=下の写真中央=)。「キヤノンEF」という1973年発売の高性能一眼レフ。画期的なAE(自動露出機能)を搭載した、当時の最先端機種です。
まだ正常に動作します。レンズは50mmF1.4と28mmF2.8の単焦点2本。父が大事に使い、晩年は大切にケースに保存していたので、中古市場でもこれだけ状態のいいものは少ないと思います。今見ても美しくてかっこいい!!
私は写真撮影を趣味にしていますが、その原点は父のキヤノンEFにあります。中学の頃は、当時の最高位カメラ「キヤノンF-1」が欲しくてたまりませんでしたが、手が届くはずもなく、カタログを見るだけの憧れの的でした。この頃には「スーパーカー」のブームもありました。
20数年前、社会人になってやっと手に入れたのが「キヤノンEOS630」という、オートフォーカス一眼レフカメラ(=上の写真右=)。状態のいい中古品を手に入れ、少しずつレンズをそろえていき、10年間以上、メイン機として使い続けました。使いやすく本当にいいカメラです。
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▼先日、実家の網走で父の一周忌の法要を行い、その機会に形見のキヤノンEFにフィルムを通してみました。私自身、この10年近くデジタルカメラを使用しているので、フィルムを通すだけで緊張します。
▼金属製でズシリと重いボディー。三脚を使用して撮影しました。42年前のものとは思えない精悍(せいかん)な顔つきです。
シャッターやフィルム巻き上げ部分は機械式のため、今も正常動作します。ただレンズ内の「絞り羽根」という、光の量を調節する部品が動かないので、絞り開放(羽根が完全に開いた状態)のみの撮影です。電池を入れていないため内臓の露出計(光の量を計るセンサー)は機能せず、私の一眼レフカメラを露出計代わりに使い、カメラ本体のシャッタースピードをセットしました。おやじと私の一眼レフによる、二人三脚ならぬ「二台三脚」による撮影です。
▼キヤノンEFで、まだ湖面に氷が残っている春先の網走湖を撮影した一枚です。ピントが甘くプリントの仕上がりもイマイチですが、不思議と全体がレトロな雰囲気になっていて、なんとも言えない味わいがあります。
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最近では新聞紙面に「iPhone6で撮影」のタイトルの見開き全面広告を見かけます。デジタルカメラを通り越し、写真はスマートフォンで撮影する時代になったことを象徴しているようです。いずれメガネや腕時計にカメラが組み込まれ、自分が見ているもの全てを記録すること(=ライフログ)が簡単にできる時代が到来するのでしょう。そういう時代だからこそ、おやじのカメラが余計にいとおしく、魅力があるものに感じてなりません。
毎年、父の命日の季節に、形見のカメラで春の景色を撮影しようと思います。おやじがファインダーで見ていた風景を、私の心のフィルムに写し込むために。
(文と写真・立花幹彦)
2015年03月23日
今年の札幌市内は、例年より雪解けが早く、日々春の到来を実感しています。特に今冬は大雪に見舞われた地域が多く、なおさらに春が待ち遠しい人が多いことと思います。
さて、先週3月20日の北海道新聞夕刊紙面には、雪形(ゆきがた)の特集記事が掲載されました。「雪形」とは、雪解け時期の残雪模様を動物などに見立てたもの。北海道の春の風物詩といえます。
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ニセコや大雪山系ではスケールの大きい雪形が鑑賞できますが、遠くの山々まで行かなくても、この季節は近所を散策してみると、自分だけの「マイ雪形」が見つけられるものです。
私はJR星置駅の近くに住んでいますが、星置緑地からJRの線路をはさんだ斜面には、ちょうど今の時期、いろんな「動物さん」が隠れています。先日撮影した写真を紹介します。
▼シロクマさんが大きな口をあけて、獲物に飛びついています。
▼▼▼拡大写真▼▼▼
▼こちらは鳥の親子。親鳥が口伝いに、小鳥に餌を与えています。
▼▼▼拡大写真▼▼▼
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特に小さなお子さんをお持ちの親御さんは、子供を連れて「マイ雪形」を探しに出かけてみてはどうでしょう。想像力豊かな子供たちは、大人が思いもしない発見をしてくれます。きっと親子の会話も弾むことでしょう。何げない日常の景色の中にこそ、注意深く観察すると、いろんな発見があるものです。すてきな「マイ雪形」を見つけて、身近な春を再発見してみませんか。
(文と写真・立花幹彦)
2015年02月18日
ここだけの話、私は「電子メディア局」所属にもかかわらず、スマホやタブレットを買ったことがなく、従来型の携帯電話(いわゆるガラケー)しか持っていません。「2台持ち」の経験もありません。
この2、3年くらい、会う人から「立花さんはどうしてスマホ持たないんですか?」「立花さんなら、スマホ買ったら絶対に夢中になりますよ!」などと言われ続けています。そういう質問には「僕は友達いないから、LINEとかFacebookやっても、つながる相手がいないんだよね」とか「自分もおじさんになって指先が乾燥してきたので、スマホのタッチパネル入力がスマートにできないんだよ」などと冗談交じりに答えています。
先日の新聞には「ガラケー出荷台数、7年ぶりに前年を上回る」との記事が掲載されました。私を含めガラケー使用者の多くは「当然だよな」と思ったことでしょう。最近は「ガラケー回帰」や「従来型携帯の復権」の特集記事を多く見かけますが、この流れに拍車をかけたのが2013年に放送されたドラマ「半沢直樹」ではないかと思っています。40%を超える最高視聴率を記録し「倍返し」が流行語にもなった超人気ドラマ。主人公がさっそうとガラケーで会話するシーンはインパクト満点で「ガラケー=旧式電話機」というイメージを一掃したのでしょう。
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私の愛機は「京セラ・K006」。通話とメールに加えて「有料携帯サイト 道新&道スポ+」の閲覧に使用してまる4年になります(=写真左=画面はハメコミ合成ではありません)。タフで故障もなく電池が長持ち。ボタンが押しやすく防水機能もあり、大きさと重さがちょうどいい。外はハードコート仕様で傷がつきにくく、ヒンジ(ちょうつがい)のガタつきやボタンのへたりも全く無し。月額料金はスマホよりずっと安い。 少し褒めすぎかもしれませんが、ベースの基本性能がしっかり安定し、細部まで良く作り込まれています。「ガラパゴスの進化の頂点」と言っても過言ではありません。かつて電子機器分野で世界を席巻した日本メーカーの、持てる技術の粋を集めた「ひとつの完成形」。バッテリーパックは昨年新品交換したばかりで、まだまだ第一線で活躍できます。とても手放す気にはなりません。
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ガラケーに満足している私ですが、決してスマホを毛嫌いしているわけではありません。特にGPSを使った地図表示アプリは大きな魅力。昨年の春ごろ、ガラケーをスマホに変えようか本気で検討した時期がありました。「iPhone」のガイド本まで購入し、会社の帰りに毎日のようにJR札幌駅近くの家電量販店でデモ機を操作してみたのですが、タッチパネル入力だけは、どうしてもうまく操作できませんでした。優しい女性店員さんは「すぐに慣れますよ」と言うのですが、足しげく通って操作しても上達できませんでした。
ある日、別の店員に「スマホ用のタッチペンはありますか?」と訪ね、「お使いのスマホの機種は何ですか?」と聞かれたので「持っていません」と答えたら「スマホ持ってないんですか?!」と驚かれました。車を持ってないのにワイパーだけ購入しようとするような、不思議なひとだと思われたのかもしれませんね(笑い)。また別の日には、音声入力って精度高いのかな?と思い、デモ機に自分の住所の「星置」を入力しようと、「ほしおき」と発声しましたが何度やっても「お仕置き」と入力されてしまいます。なんだかスマホにバカにされているような気になり、ひとりで苦笑していました。トホホ…。
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こんな訳で、私がガラケーを使い続ける本当の理由は、スマホのタッチパネルがさっぱり操作できないことなんです(←これも、ここだけの話にしてください)。電車の中で中高生が超高速で「フリック入力」するのを見ると「神技」に思えてなりません。
私のようなスマホ落ちこぼれ人間は、もう少しガラケーを使い続けるしかないのかと思っていたら、もうすぐauから「 ガラホ = ガラケー + スマホ 」なる、入力キー付きのスマートフォンが発売になるとのことで、そちらに期待しています。ドコモも同じような「折りたたみ式のテンキー付きアンドロイドOS端末」を計画しているようです。よかった!
ガラケー片手に「半沢直樹スタイル」で、さっそうと道内外の最新ニュースや地域の話題・スポーツの試合速報をチェックしようではありませんか。
(文と写真・立花幹彦)
2015年01月08日
2015年が始動し1週間が過ぎました。私は今年48歳になる年男です。昭和42年生まれなので、今年は昭和で数えると90年。「昭和90年代の幕開け」ということになります。
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さて、未(ひつじ)年は、なぜ「羊」ではなく「未」の漢字を使うのでしょう。フリー百科事典・ウィキペディア「十二支」には、こんな解説があります。
元々十二支は順序を表す記号であって動物とは本来は関係なく、後から割り振られたものという立場からはこの動物を十二生肖と呼ぶ。が、日本では十二支という言葉自体で十二の動物を指すことが多い。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充「論衡」)や、バビロニア天文学の十二宮が後から伝播してきて十二支と結びついたという説がある。
もともと「未」は、1から12を順に並べた8番目を表す記号のことであり、そこに動物のひつじ「羊」を割り当てたのですね。4回目の年男になって、初めて知りました。
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いっぽう、先日1月5日の日本経済新聞1面コラム「春秋」の記事を引用すると、「美。善。義。前向きの価値観をあらわす漢字には、羊の字を含んでいるものが、いくつかある。」
このほかにもポジティブな意味を持つ「翔、躾(しつけ)、羡、達」も、漢字の中に「羊さん」が隠れています。「幸」の字も「羊」に似ています。そう言われると、お金を表す記号「¥」も「羊」の字形に近いと思えてきます。「羊年」万歳ですね。
「羊」を含む山といえば「羊蹄山」。上の写真は1993年5月に撮影した一枚です。(もちろん、デジタルカメラではなく、アナログフィルム)
山麓の雪はすっかり解け、4合目以上は残雪の反射で白く輝き、青い空と美しいコントラストを成しています。流れるひとつかみの雲が山頂にかかるまで、ひたすら待ち続けて撮影しました。「羊年」の今年、もう一度会いに行きたい風景です。
(文と写真・立花幹彦)