- 2014年の日記 -
2014年12月21日
俳優・高倉健さん逝去の報道から1カ月となります。
12月8日の夜、高倉健さんの追悼特別ラジオ番組「オールナイトニッポンGOLDスペシャル 高倉健 旅の途中で」が放送されました。私はこの放送を録音し、愛用のウォークマンに転送して毎日の通勤途中に聞き入っています。1996年から2000年までの5年間、ニッポン放送で年に一度放送していたラジオ番組「高倉健 旅の途中で」を特別編集し再放送したもので、高倉さんが、人生や人との出会いについての思いなど、自らの声で赤裸々に語っています。
91年に高倉さんがエッセー集「あなたに褒められたくて」を出版し、その内容に感動したニッポン放送のプロデューサーが高倉さんに出演依頼し、5年後に本人が出演許可してくれました。そのきっかけは、道内ロケで知り合った十勝管内・上士幌町の少女から届いた1本のカセットテープ。高倉さんの誕生日に、その「犬っころのような」キラキラした目をした少女から、「おじちゃん、お誕生日、おめでとう」とお祝いの声と歌を録音したカセットテープが届き、それを聴いて心を動かされ、「人間っていいな、生きてるって悪くないな、という思いをたくさんの人に感じてもらいたい」と、ラジオ出演を決めたそうです。
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1996年の1回目の放送は、女優・薬師丸ひろ子さんとの対談。高倉さんと薬師丸さんの上質で優しく、お互いを思いやり、少し照れている雰囲気が楽しい会話からよく伝わってきます。聴いていて、こちらも思わず笑みがこぼれます。
映画「野生の証明」では、役を離れても、薬師丸さんを自分の娘だと錯覚することがしょっちゅうで、「人生は8割以上が錯覚で成り立っているんだよ。あのひとは自分のことが好きだったんじゃないかなあ、と錯覚しているほうが、人は幸せになれるんだ。だから生きていけるんだよ」と語っています。なるほど。私もこのラジオ番組を聴いていると、高倉さんと薬師丸さんと私の3人でテーブルを囲んでいるように錯覚します。錯覚することは幸せを感じることなんですね。
高倉さんのようなかたでも、気力が落ち、仕事に逃げ腰になることが何度もあったそうです。そうなった時にいつも読んで自分に気合を入れてきた文章を朗読してくれました。高倉さんの写真集「独白」に掲載されている作家の丸山健二さんが書かれた「それが高倉健という男ではないのか」という文章。
去る12月14日の衆院選挙で、私は会社に泊まり込み選挙速報の仕事をしましたが、出勤する直前、この朗読を聴き直し、気合を入れて臨みました。背筋がしゃんとするというか、気持ちが真っすぐになるというのか、余計な雑念を払いのけてくれるお守りのような文章です。
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高倉さんが少女のカセットテープの声に感動したように、私もAMラジオの高倉さんの声に心を動かされています。私は「人に何かを伝えること」を生業にしていますが、その本質とは何かという、大切なことを教えられた思いでいます。
上の写真は1995年1月8日に撮影した夕刻の小樽の風景。20年前にフィルムカメラで撮った一枚です。自分で気に入って大きく引き伸ばして額に入れ、今も自宅のリビングに飾っています。ラベンダーにも似た雪の色と、街灯の幻想的な青緑色がたまらなく好き。デジタルカメラでは出せないアナログフィルムならではの美しい発色です。心に感動を与えるものは、ずっと色あせることはありません。
高倉健さんも、旅の途中で、同じ風景を見ていたのかもしれません。そう錯覚しています。ご冥福をお祈りいたします。
(文と写真・立花幹彦)
2014年11月20日
少し前の記事になりますが、10月24日の北海道新聞夕刊の「はいはい道新」コーナーに、献血200回を達成した主婦の記事が掲載されていました。「定期的な献血は健康チェックになり、命の大切さを自覚するひとときでもあります」とすてきなコメントも付いています。
私も定期的に献血していますが、先日70回達成で表彰対象となり記念品(グラス)をいただきました。ありがたいことです。
400cc献血を年3回していますが、昔の献血カード(=写真下=)を見ると、平成7年まで400ccは2回分カウントされていました。それを考慮すると実際に献血ルームに足を運んだ「実回数」は今回でちょうど60回目。このペースでいけば、還暦の頃に実回数100回目が達成できます。献血可能な69歳まで、「生涯50リットル献血」を目指そうと思います。
献血には苦い思い出も。7年前の夏の暑い日、夕方に400cc献血をして、その夜に冷房の効いたスナックで酒を飲んでいました。当時は夜勤があるシフト勤務で慢性的な寝不足。たばこも吸っていました。
寝不足 ⇒ 暑い日 ⇒ 血を400cc抜く ⇒ 冷房 ⇒ 酒 ⇒ たばこ
と、悪い条件が重なり、私はスナックのカウンターに座ったまま貧血状態で数秒間意識を失ってしまいました(⇒どうしようもないバカですね)。店のママさんは、すぐに救急車を呼んでくれましたが、幸い病院に運ばれることなく店で安静し回復できました。タバコはその日を境にきっぱり止めましたが、献血は今日までずっと続けています。
400cc献血は体に相当の負担をかけるので、くれぐれも献血の前後は無理をしないことが大切です。座ったまま意識を失ったのは、後にも先にも、このときだけです。ママさんには今でも頭が上がりません。
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ビッグデータ解析が容易になった昨今、自分の献血した血液がどのような医療機関や研究機関で活用されているのか、知りたいものです。可能な範囲で情報公開するしくみがあれば、さらに献血者が増えるのではないでしょうか。若い世代の献血者が減っていると言われますが、データを根拠に「自分の血液が、こんなに世の中に役立っているんだ」という実感を持つことができれば、献血者が増え社会貢献の意識が高まると思います。
▼大通献血ルームは、大通公園が眼下に広がる絶好のロケーション。これからの季節、夕方にカップルで大通のホワイトイルミネーションを眺めながら献血するというのも、いいかもしれません。ひょっとしたら赤い絆で結ばれるかも?
(文と写真・立花幹彦)
2014年10月08日
仕事を終え、社屋ビルの屋上から、愛用のコンパクトデジカメで皆既月食を撮影しました。午後7時20分から約1時間、雲も風もない絶好の天体ショーとなりました。手前の札幌テレビ塔は、前日ノーベル賞の受賞対象となった青色LEDライトが、美しい輝きを放っています。 それにしても「皆既月食」という言葉には、何か謎めいた怪しさを感じます。月食の「食」は、本来「蝕」(むしばむ)の字だったそうです。褐色に蝕まれていく月を見た古代人にとって、不吉な「怪奇月蝕」だったに違いありません。
▼21世紀を照らすLEDと「怪奇月蝕」の共演。美しい瞬間です(午後7時21分、Canon PowerShot SX130 IS、露出時間=5秒)
▼小型三脚を使い、コンパクトデジカメの内臓ズームだけで撮影。この写真を見ると、昔のアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を思い出します。最終回で沖田艦長が「地球か。何もかも皆懐かしい…」と言い残し、汚染された地球に帰還するシーン。私と同じ40代後半の世代には、皆懐かしいことでしょう。(午後8時21分、露出時間=2.5秒)
(文と写真・立花幹彦)
2014年08月27日
もう20年以上、毎年3回欠かさずに400cc献血をしています。先日で69回目になりました。
今年中には70回、10年後には100回の大台に到達できそうです。ちなみに献血の年間の上限値は1200cc、年齢上限は69歳です。1回400ccとして累計27リットル、体重の半分近くも血を抜いたことになります。
私はB型人。8月22日の北海道新聞夕刊1面に「血液型と性格」という記事が掲載されていました。血液型と性格は無関係だという内容ですが、私も会社ではB型と思われていないようで「立花さんはきちょうめんなA型に見えますよ」と言われます。でも結婚以来、妻には「あなたって典型的なB型よね」と言われ続けています。いつも頭に「典型的な」を付けて…。
私の経験では、血液型と「表面上の性格」は無関係だと思うのですが、「根っこの性格」、つまり生涯変えられない根底部分の気性は、多少なりとも血液型に関係があると考えています。「マイペース」「気ままな自由人」…などなど、妻は私を変人扱いしますが、当の本人は全く気にしていません。理由は単純。私本人が自分のことを「典型的なB型人」だと信じて疑わないからです。
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昨年、大通の献血ルームが地下街オーロラタウンから大通西4ビルの11階に移転したのをご存じでしょうか?大通公園の中心部が一望できる札幌の超一等地。問診票は完全電子化され、献血者の本人確認は「指の静脈認証」による各種最新設備が整っています。
献血は尊い人命を救うことができる最も身近なボランティア。自分の健康管理にもなる優れたシステムです。みなさんも、無理のない範囲で定期的に献血することをお勧めします。
(↑世の中のB型のみなさん、気を悪くしたらごめんなさい)
(文と写真・立花幹彦)